王子製紙(株)『王子製紙社史. 第2巻』(1957.05)

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目次項目 ページ
題字 高島菊次郎 NP
第三篇 日露戦争前後時代(自明治三十年至明治三十五年)前期(中部工場建設より罷業まで) p1
総説 p1
一、 生産設備の充実期 p1
二、 日露戦争前後の製紙界と王子の経営状況 p5
三、 洋紙の輸出入状況 p12
第一章 中部工場の建設 p17
一、 中部工場建設の端緒 p17
二、 山林獲得と工場敷地の選定 p20
三、 高田直屹、鈴木実の工場設計競争 p30
四、 中部工場の竣成と新聞用紙の契約 p36
五、 中部工場の操業開始と苦難 p43
六、 米人技師フーラーの招聘 p49
七、 水路に関する大倉土木組との紛争 p53
八、 天竜川の流材に悩む p57
第二章 渋沢、大川の退陣とストライキの前後 p61
一、 ストライキの原因と大川、藤山双方の主張 p61
二、 ストライキの経過と藤原銀次郎の入社 p72
三、 加藤勇造の入社と渡米 p89
四、 槙哲の入社と辞任の経緯 p102
五、 稲藁パルプ製造の余徳 p117
六、 共同洋紙会社の設立 p121
第四篇 日露戦争前後時代(自明治三十五年至明治四十四年)後期(苫小牧工場建設と重役陣の動揺) p147
総説 p147
一、 苫小牧工場建設と新聞用紙自給の確立 p147
二、 戦後における製紙界の生産増加 p154
三、 近距離水力送電の実現 p157
四、 市場の推移と洋紙貿易 p158
第一章 鈴木梅四郎と苫小牧工場の建設 p162
一、 藤山雷太の退任と鈴木梅四郎の出馬 p162
二、 鈴木専務による会社内容の大整理 p166
三、 気田工場の大水害と復旧資金調達難 p175
四、 工場電化と岸敬二郎 p179
五、 理想的新工場の設置に進む p183
六、 支笏湖水利権の獲得と工場建設用地の選定 p188
七、 千歳村住民の工場誘致請願と苫小牧村民の陳情書 p204
八、 工場設計と工場請負の契約 p212
九、 建設の犠牲者筑紫三郎 p219
十、 王子工場の酸毒事件で陸軍と争う p223
第二章 前山久吉の活躍と重役総辞職 p238
一、 工事渋滞と前山久吉の入社 p238
二、 困難を極めた工場建設 p243
三、 秀吉丸の沈没と赤皮鞄の流失 p253
四、 樽前山の大噴火 p257
五、 専務の更迭と工場の落成 p261
六、 請負人阿部久四郎の述懐談 p272
七、 原料材の伐採事業 p276
八、 前山久吉と藤原銀次郎 p280
九、 山林疑獄事件と前山の入獄 p286
十、 苫小牧工場の廃液と沿岸漁民の苦情 p299
十一、 蚕座紙販売戦と洋紙合同会社の設立 p305
十二、 井上侯の食言と前山の常務辞任並に全役員の退任 p309
写真目録 巻頭
人名索引 巻末
写真目録 巻頭
1 鈴木梅四郎(口絵) 巻頭
2 支笏湖の全景(折込) 巻頭
3 朝吹英二の印鑑届 p4
4 苫小牧工場開業前の王子工場製品に用いた商標 p12
5 遠山山林の全景(原色) p20
6 浅野総一郎 p24
7 中部分社長筑紫三郎より藤山専務宛の書翰 p27
8 中部工場の排水路 p29
9 四日市製紙芝川工場建設当時の鈴木実 p31
10 中部工場建設当時の高田直屹 p31
11 中部工場建設当時の大川平三郎 p34
12 明治三十二年の春、中部分社長社宅における奥さん方の気晴し会 p38
13 大岡育造の決算広告掲載に関する渋沢栄一宛書翰 p42
14 工場唯一の製品搬出路による船積の光景 p46
15 高田直屹の英米留学に関する誓約証 p48
16 岩原謙三 p50
17 F・N・フーラーと愛児 p51
18 中部工場建設時代の大倉喜八郎 p54
19 明治生命保険会社社長阿部泰蔵 p55
20 中上川彦次郎 p62
21 開業当時の中部工場全景 p64
22 当年の藤山雷太 p66
23 当年の渋沢栄一 p69
24 波多野承五郎 p73
25 大川平三郎の専務取締役辞任に関する工場への通知書 p74
26 ストライキ当時の王子工場幹部 p76
27 ストライキ当時の星野錫、藤山雷太、大川平三郎 p77
28 職工争奪に関する富士製紙専務河瀬秀治の抗議文書 p78
29 飯田義一 p80
30 罷業収拾のため入社した当時の藤原銀次郎 p81
31 明治三十一年九月の本社辞令 p82
32 王子の罷業者を収容した四日市製紙会社芝川工場 p84
33 岩下清周 p86
34 ヒゲの加藤勇造 p90
35 明治三十五年三月フーラー帰国に際し撮影の記念写真 p96
36 磯村豊太郎 p100
37 後年の槙哲 p104
38 井上馨 p105
39 麻生誠之 p107
40 明治三十七年二月中部工場における吉川三次郎 p108
41 槙哲の書翰 p111
42 藤原専務就任後の中部工場主脳者の異動による記念写真 p113
43 中部工場のダイゼスター室 p114
44 岡田来吉 p122
45 三井銀行深川支店長の岩本述太郎 p125
46 中井商店の鵜飼勝輔(兄) p126
47 中井商店の鵜飼百之助(弟) p126
48 万常紙店の初代伊藤常七 p129
49 服部紙店の大藪儀三 p129
50 大津支店から転任してきた新深川支店長の米山梅吉 p135
51 上野理一 p142
52 上野理一宛谷敬三の新聞巻取に関する返信 p142
53 明治十八年版東京盛閣図録に掲載の製紙会社と製紙分社の版画 p146
54 憲法発布に関する官報号外 p150
55 朝吹英二 p163
56 早川千吉郎 p164
57 大川、田中等入社に関する藤山専務の筑紫分社長宛の書翰 p164
58 専務就任当時の鈴木梅四郎 p167
59 鈴木梅四郎自筆の早川千吉郎宛の社業整理に関する提案 p170
60 山崩れのため水路の木樋を流失された気田川上流地点 p176
61 明治三十八年完成の王子工場電気室に据付けられた百五十馬力ゼネレーター p180
62 岸敬二郎 p181
63 据付中のポケット・グラインダー p182
64 益田孝 p184
65 明治三十七年初夏王子工場内鈴木専務社宅における在京社員一同の記念写真 p186
66 小田良治 p189
67 支笏湖におけるありし日のナスソウの大瀑布(原色) p190
68 田代兵八 p191
69 郷誠之助 p193
70 水力工場の位置を示す千歳湖地域略図 p195
71 村田一郎 p202
72 千歳川下流から遠望するありし日のナスソウの大瀑布 p205
73 千歳外三村戸長の鈴木専務宛工場設置請願書 p208
74 苫小牧村村長佐伯茂治名義の陳情書の一部 p208
75 苫小牧工場設計調査委員長筑紫三郎 p213
76 北海道庁長官園田安賢 p214
77 「製紙用原料木材払下予約願」の一部 p214
78 明治三十八年四月十五日付の千歳川上流水利使用許可書の謄本 p216
79 工務課長の高田直屹 p217
80 横河民輔 p218
81 苫小牧工場最初の平面全図 p218
82 千歳工場設計調査委員長としての筑紫三郎の辞令 p220
83 新築工事請負契約書の一部 p221
84 佐伯勝太郎 p227
85 被告の陸軍大臣寺内正毅 p228
86 鵜沢総明 p229
87 酸毒事件の綴込書類 p234
88 苫小牧工場上棟式の光景 p239
89 上棟式の標題 p240
90 前山久吉 p241
91 工場建設に携わった人々 p244
92 明治四十一年五月作成の苫小牧工場損益予算書の一部 p247
93 工場建設決定当時の苫小牧荒野 p248
94 工場用地に到着した機械類 p248
95 顧問技師の吉川三次郎 p254
96 苫小牧から見たその日の樽前山大爆発の光景 p256
97 鈴木専務幕下の幹部 p262
98 山上より見下ろした千歳第一発電所 p262
99 鉄管工事中の千歳第一発電所 p264
100 支笏湖畔から見た堰堤と水路引入口 p265
101 赴任当時のヘンリー・B・ワズウオース p266
102 苫小牧工場建設報告書 p268
103 明治四十二年建設途上の苫小牧工場 p268
104 百吋及び百四十二吋抄紙機を最初に運転した人々 p268
105 据付を完了した百四十二吋ニュースマシン p268
106 高橋義雄 p271
107 王子工事中死亡諸霊塔 p273
108 木材流送の光景 p277
109 流送木材を下流で堰止める鵡川網羽の光景 p282
110 三井物産常務取締役時代の山本條太郎 p284
111 波多野忠次、矢部和作、水島鉉四郎 p287
112 前山久吉が官房から出した自筆の手紙 p289
113 花井卓造 p294
114 前専務高橋義雄より新専務藤原銀次郎宛の水島鉉四郎退社手当金に関する手紙 p298
115 杉山喬 p302
116 大橋新太郎 p313
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