麒麟麦酒(株)『麒麟麦酒の歴史. 戦後編』(1969.01)

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広告宣伝 明治36年のキリンビールのポスター(石版刷り) 明治36年 写真 巻頭
事業所、商標 麒麟の歩み スプリングバレー ブルワリー 明治2年~明治17年 写真、地図、写真1・明治3年10月官許「横浜全図」。コープランドは山手122、123番地にスプリング バレー ブルワリーを建設、池の水を使っビールをつくった。//写真2・コープランドが使用したビールのレーベル//写真3・日本におけるビール醸造事業の始祖アメリカ人ウィリアム・コープランド(William Copeland) 巻頭
役員;広告宣伝 麒麟の歩み ジャパン ブルワリー カンパニー リミテッド 明治18年~明治21年 写真、写真4・ジャパン ブルワリー カンパニー(香港法人)の重役会議事録//写真5・イギリス人ジェームス・ドッズ(James Dodds) ジャパン ブルワリー カンパニー初代の社長で、居留外国人の中でも有力者であった。//写真6・イギリス人トーマス・ブレーク・グラバー(Thomas Blake Glover) 明治維新の政商として知られているグラバーは、ジャパン ブルワリー カンパニーの重役であり重要な助言者であった。三菱と麒麟麦酒の結びつきも彼の仲介によった。//写真7・イギリス人フランク・スコット・ジェームス(Frank Scott James) ジャパン ブルワリー カンパニーの専務取締役兼取締役会会長で、会社を麒麟麦酒に売却する交渉も担当した。//写真8・ジャパン ブルワリー カンパニー時代に建てられた山手工場。明治時代を象徴する煉瓦造りであったが、大正12年の関東大震災で壊滅した。//写真9・明治21年5月、「キリンビール」ははじめて人の目にふれた。『時事新報』(明治21年5月28日号)の発売広告 巻頭
役員;広告宣伝 麒麟の歩み 麒麟麦酒株式会社 明治40年~明治44年 写真、写真10・麒麟麦酒株式会社の第1回発起人会議事録 この発起人会は明治40年1月22日東京麹町の三菱合資会社で開かれた。//写真11・岩崎久弥 創業当時三菱合資社長、麒麟麦酒の筆頭株主で、叔父弥之助の持株と合わせると全発行株式の2割を所有した。//写真12・豊川良平 創業当時三菱合資銀行部長、米井源治郎の後援者で、会社創立の中心であった。//写真13・近藤廉平 創業当時日本郵船社長、創立発起人会の会長、創立総会の議長、創立後の取締役会の議長をつとめ、晩年取締役会長となった。//写真14・米井源治郎 キリンビールの総代理店明治屋の社長、当社の創立を推進し、創立後は専務取締役となって日常業務を担当した。//写真15・麒麟麦酒設立後はじめての新聞全面広告 『時事新報』明治40年3月1日号。 巻頭
事業所;広告宣伝 麒麟の歩み 大正3年~昭和7年 写真、写真16・関東大震災で壊滅した山手工場に替わって大正15年に新しく横浜生麦に新工場を建設。製品職場は女工さんが多く、日本髪、下駄、割烹着姿で作業した。//写真17・明治40年以来、わが国最初の宣伝カーとして大評判になった。しかし、警視庁のお達しで、壜の口の部分が切断され、さらにその後箱型に改造された。//写真18・箱型宣伝カーは明治45年6月9日から36日間東北地方を巡回。人々は文明の利器におどろきの目をみはった。警視庁登録番号No.1であったが、惜しくも関東大震災で焼失した。//写真19・日露戦争凱旋記念のキリンピルスナービールはロングネックのスマートな壜に詰められて発売された。 巻頭
業界;広告宣伝 麒麟の歩み 昭和8年~昭和20年 写真、写真20・大阪のカフェー。昭和初期、ビールはカフェーでハイカラな人々に飲まれた。//写真21・仙台駅構内風景。大正末年には生ビールも駅売りされた。//写真22・国民酒場。昭和19年高級飲料店が閉鎖され、業務用のビールや酒は国民酒場で販売された。//写真23・戦時中の広告。『東京朝日新聞』昭和7年4月22日号掲載。 巻頭
広告宣伝 麒麟の歩み 昭和21年~昭和42年 写真、24・缶ビール新発売ポスター(昭和35年)//25・夏のビヤガーデン//26・羽田空港高速道路わき,キリンビールのネオン。 巻頭
商標;広告宣伝 麒麟の商標80年 明治21年~明治32年 写真、1 ジャパン ブルワリー カンパニーの最初のレーベル。明治21年5月発売のビールに使われた。写真/原寸。//2 明治21年5月発売のビールに使われた肩貼り。写真/原寸。//『時事新報』(明治21年5月28日号)に掲載された発売広告。//3 明治22年から使用された新しいレーベル。商標登録第2719号、出願明治22年7月30日、登録同年10月14日//『時事新報』(明治22年6月3日号)に掲載された商標変更を告げる広告。//4 デザインの一部が修正されたレーベル。商標登録改訂第46号、出願明治30年6月18日、登録同年7月15日。写真/原寸。//商標登録公報//写真//5 ボックビールのレーベル。商標登録第13484号、出願明治32年7月28日、登録同年10月23日。写真/原寸。//『時事新報』(明治32年7月1日号)に掲載されたボックビールの広告 巻頭
商標;広告宣伝 麒麟の商標80年 明治39年~昭和8年 写真、写真6 日露戦争の勝利を祝って発売されたピルスナービールのレーベル。商標登録第25362号、出願明治39年1月8日、登録同年2月19日。写真/原寸。//『時事新報』(明治39年9月4日号)に掲載のピルスナービールの広告//明治36年に開かれた第5回内国勧業博覧会で受賞の名誉銀牌を配した胴貼り。写真/原寸。//8 ミュニックビールのレーベル。商標登録第42082号、出願明治43年5月19日、登録同年7月8日。写真/原寸。//『嗜好』(明治43年7月1日発行)掲載のミュニックビール(右と左)、ピルスナービール(中央)の広告。//9 ボックエールのレーベル。商標登録第44527号、出願明治43年11月18日、登録同44年2月3日。写真/原寸。//『時事新報』(明治44年7月20日号)に掲載の発売広告。//10 キリン黒ビールのレーベル。商標登録第109897号、出願大正8年9月1日、登録同年12月2日。写真/原寸。//『時事新報』(大正9年11月15日号)に掲載の発売広告。//11 キリンスタウトのレーベル。商標登録第248139号、出願昭和8年6月8日、登録同年11月2日。写真/原寸。 巻頭
商標 麒麟の商標80年 昭和15年~現在 写真、12 配給統制の初期(昭和15~18年)に使われたキリンビールの業務用レーベル。写真/原寸。//13 統制時代(昭和15~18年)に使われた家庭用肩貼り。写真/原寸。//14 統制時代(昭和18年~)の家庭用レーベル。写真/原寸。//15 統制時代(昭和18年~)の家庭用レーベル。写真/原寸。//16 統制時代(昭和18年~)の家庭用レーベル。写真/原寸。//17 用途別表示廃止後使用されたレーベル。写真/原寸。(左[統制時代(昭和18年~)の家庭用レーベル]の用途別レーベルの用途を示す文字をカットしたもの)//18 戦後(昭和20年)使われたビールのレーベル。写真/原寸。//19 商標復活(昭和24年)直後の青一色刷りのレーベル。写真/原寸。//20 戦後初の多色刷りレーベル(昭和32年)。写真/原寸。//21 現在使用中のレーベル。 巻頭
製造工程 キリンビールのできるまで 原料・ホップ 写真、1 右・収穫を待つホップ つるは五~七メートルにもなる。//2 左・ホップの収穫 成熟したホップの枝下ろし作業。(八月ごろ)//3 成育中の毬花≪まりばな≫ 長さ約三センチくらい、中でルプリンが分泌されている。//4 毬花≪まりばな≫の断面とルプリン 中心部にたくわえられた黄色い粉がルプリン。//5 ルプリンの拡大 ビールづくりに欠かせないたいせつな成分を含んでいる。//6 花摘み 最近はこのように機械による収穫作業の省力化がすすんできた。//7 プレス梱包 変質防止のため薫蒸した後、プレス機で圧縮梱包する。//8 輸入ホップ ビール工場では国産ホップと輸入ホップを混ぜて使用する。 巻頭
製造工程 キリンビールのできるまで 原料・大麦 写真、9 コンバインによる大麦の収穫//10 ビール大麦//11 大粒でよくそろったものを使用する。 巻頭
製造工程 キリンビールのできるまで 製麦工程 写真、12 浅漬槽 精選した大麦を洗浄換水しつつ発芽しやすい状態にする。//13 発芽室 低温で湿度の高い空気を送り攪拌しながら発芽させる。//14 緑麦芽 発芽のおわった緑麦芽は熱気で焙焼した後、除根機で根を取る。//15 製麦自動制御室 製造工程はここでコントロールされる。 巻頭
製造工程 キリンビールのできるまで 仕込工程 写真、16 仕込室全景//17 糖化槽 麦芽は糖化釜による加温によって糖化槽の中で麦芽糖液になる。//18 麦汁煮沸釜へホップの投入 さわやかな苦みと香気がここでつけられる。//19 麦汁遠心分離機 麦汁から不要の蛋白質その他を取り除き、透明にする。 巻頭
製造工程 キリンビールのできるまで 発酵・貯蔵工程 写真、20 貯蔵タンク 発酵タンクでできた「若いビール」はこのタンクに移し、低温で貯蔵、熟成させる。//21 発酵タンク 酵母を加えた麦汁はこの中で若いビールとなる。//22 ビール遠心分離機 できあがったビールから不純物を除去し、さらにビール濾過機に送る。//23 発酵すすむ 麦汁はいまやりっぱなビールになりつつある。発酵タンク内のみごとな泡(四日目くらい)//24 ビール酵母 ビール醸造用には特に純粋培養された特別のビール酵母を用いる。酵母は麦汁の糖分をアルコールと炭酸ガスに分解させるたいせつな役目を果たすもの。 巻頭
製造工程 キリンビールのできるまで 製品工程 写真、25 壜詰打栓工程 メカニックな世界。スピードとリズムにのって、つぎつぎにキリンビールが生みだされる。毎分五〇〇本。最高の品質を維持するため、すみずみまで、きびしい監視の眼がひかる。//26 パストライザー 湯のシャワーで酵母菌の活動を停止させ品質を固定。//27 製品検査ライン 検壜機を通して製品検査を行なう。//28 ラベラー 製品工程最後の仕上げ。この機械でレーベルを貼付する。//29、30 清涼飲料部門 続々できあがるキリンレモン・キリンジュース。 巻頭
販売;物流 ビールの販売ルートと輸送ルート 図、キリンビールの販売ルートと輸送ルート 巻頭
製品 キリンの全製品 写真、(1)キリン缶ビール、(2)キリンスタウト、(3)キリン黒ビール、(4)キリンビール(小壜)、(5)キリンビール(中壜)、(6)キリンビール(大壜)、(7)キリンジュース、(8)キリンレモン、(9)キリンレモンクール、(10)キリンタンサン、(11)キリン生ビール 巻頭
販売;市場 伸びゆく麒麟 昭和42年度 地図、写真、グラフ、世界にひろがるキリンのマーケット、世界主要ビール会社販売量ランキング 巻頭
生産 当社および国内ビール生産高の推移 昭和24年~昭和42年 グラフ、国内生産高、当社生産高、他社生産量 巻頭
販売 キリンビールは各県でこんなに飲まれています 昭和8年度、昭和42年度 巻頭
販売 キリンビールの都道府県別販売比率(昭和42年度と昭和8年度の比較) 昭和8年度、昭和42年度 巻頭
事業所 麒麟の事業所//本店 写真、本店 巻頭
事業所 本店・支店の分布 地図、写真、東京支店、仙台支店、高松支店、横浜支店、大阪支店、名古屋支店、札幌出張所、神戸支店、静岡支店、京都支店、広島支店、福岡支店、新潟支店 巻頭
事業所 工場・惣布処理場 地図、写真、尼崎工場、横浜工場、仙台工場、広島工場、東京工場、韮崎惣布処理場、上山惣布処理場、喜多方惣布処理場、高崎工場、総合研究所、名古屋工場、京都工場、福岡工場、富田製壜工場、置賜惣布処理場、江刺惣布処理場、鏡石惣布処理場 巻頭
役員 麒麟を担う役員 写真、取締役社長 時国益夫、専務取締役 高橋朝次郎、専務取締役 真壁喜三郎、常務取締役 佐藤保三郎、常務取締役 鈴木哲夫、常務取締役 浅沼徹雄、常務取締役 山内正治、取締役 牧野亀治郎、取締役 田実渉、取締役 堀野健一、取締役 梅田康生、取締役 城殿鎮治、取締役 八代豊彦、取締役 深見監二、取締役 平沼七郎、監査役 馬淵勝彦、監査役 田中徳雄 巻頭
業界;販売 日米ビール会社販売量比較 1958年、1964年~1967年 表、順位、社名、数量 p482
業界;生産 国別ビール生産高 1948年、1960年、1967年 表、順位、国名、生産量 p483
業界;生産 国別ビール一人当たり生産高 1948年、1960年、1967年 表、順位、国名、本数 p484
業界;沿革 日本のビール産業の沿革 1869年~1967年 p485
業界;販売 戦後の各社ビール庫出量 昭和20年度~42年度 表、年度(暦年)、キリン(庫出量、増率、占有率)、サッポロ(庫出量、増率、占有率)、アサヒ(庫出量、増率、占有率)、タカラ(庫出量、増率、占有率)、サントリー(庫出量、増率、占有率)、合計(庫出量、増率、占有率) p487
業界;需給 都道府県別ビール消費量 昭和16年、昭和30年、昭和35年、昭和40年、昭和42年 表、総量、1人当たり p488
業界 酒類課税移出数量の推移 昭和9年~42年 表、年度別、酒類別(清酒、合成清酒、焼酎(25%換算)、味醂、ビール、果実酒類、ウイスキー類、スピリッツ類、リキュール類、雑酒、計 p489
組織 本店・工場・支店機構 昭和43年10月現在 表、本店・付 総合研究所、工場、支店・付 出張所 p490
役員 戦後の役員異動 昭和20年~昭和43年 図、取締役会長、取締役社長、専務取締役、常務取締役、取締役、監査役、就任、退任・辞任、没 p491
役員 戦後の事業所長異動 昭和20年~昭和43年 図、総務部、人事部、製造部、原料部、資材部、営業部、宣伝部、経理部、企画部、広報室、[以下略] p493
財務・業績 戦後の増資経過 昭和22.6.30~昭和41.4.18 表、回数、割当日、割当率、払込期日、増資額、増資後資本金、発行済株式数、備考 p495
株式 戦後の株価推移 昭和24年7月~昭和42年12月 表、年月、始値、高値、安値、終値 p497
従業員 戦後の事業所別従業員数 昭和20年~昭和42年 表、本店、ビール工場、製壜工場、忽布処理場、研究所、支店・出張所、その他、合計(男、女、計)、平均(賃金、年齢、勤続)、1人当たり生産高(ビール工場、全社) p499
株式 戦後大株主持株数および機関別持株比率 明治40年、昭和20年/上期~昭和42年/下期 表、期別、発行済株式総数、株主数、平均持株数、持株比率(大株主上位10名、創業以来の大株主(岩崎家、明治屋磯野一族)、戦後の大株主(証券会社、投資信託、金融機関、合計)) p500
財務・業績 戦後の業積推移 昭和19.12~昭和43.1 表、期間、貸借対照表(借方(流動資産、固定資産)、合計、貸方(負債、資本))、損益計算書(売上高、純利益)、配当率 p501
関係会社 子会社一覧 大5.3.30~昭33.4.25 表、名称、設立年月日、資本金、持株比率、事業内容、従業員 p502
財務・業績 戦後の社債発行 償還経過一覧 昭和38年~昭和43年 表、昭和、発行額、償還額、年末残高 p502
生産;製品 戦後の工場別ビール庫出量 昭和20年~昭和42年 表、横浜、尼崎、仙台、広島、東京、名古屋、高崎、福岡、合計 p503
生産;製品 戦後の清涼飲料生産高推移 昭和21年~昭和42年 表、レモン(小壜、大壜、クレール、大壜換算)、ジュース、タンサン(小壜、大壜、大壜換算) p504
生産;製品 製品別の生産金額比率(昭和26年以降) 第89期 [昭和]26/5~第122期 [昭和]43/1 表、ビール、清涼飲料、ジュース、その他、合計 p504
製品 都道府県別キリンビール占有率 昭和8年、昭和30年、昭和35年、昭和40年、昭和42年 p505
販売 支店担当区域変遷一覧 昭和2年、昭和8年、昭和25年、昭和42年 p506
沿革 年表 昭和20年〈1945〉~昭和42年〈1967〉 年表、当社〈経営〉、当社〈生産〉、当社〈販売〉、業界、社会一般 p507
参考文献 掲載図・表一覧 一覧、頁、標題 p555
参考文献 掲載写真一覧 一覧 p557
参考文献 主要参考文献(当社関係資料を除く) 一覧 p561
資料提供 主要な資料提供者(当社関係者を除く) 一覧 p562
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