三菱地所(株)『丸の内百年のあゆみ : 三菱地所社史. 上巻』(1993.03)

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題字 取締役社長 高木丈太郎 巻頭
事業所 三菱第1号館 巻頭
市場 丸の内ビジネスセンター 写真 巻頭
製品;商品 丸ノ内ビルヂング 写真 巻頭
商品 大正初期の丸の内仲通り、第12号館 写真 巻頭
沿革 江戸から明治へ 承応2年(1653年)~慶応元年(1865年) 写真、承応2年(1653)の江戸城周辺図、大名の登城風景、広重画「江戸名所」数寄屋河岸から日比谷を見る、幕末の二重橋、天皇東幸の図、慶応元年(1865)の丸の内周辺図 巻頭
沿革 明治維新と三菱 [明治初期(1880年代)] 絵、明治19年の消防絵馬(岩崎弥太郎の死去に際し、出入りの鳶から献納されたといわれる)、明治13年の東京絵図、日比谷練兵場(今の日比谷公園)での観兵式、維新後の皇居前広場の様子、京橋の煉瓦街、常盤橋にできた紙幣寮(印刷局)、維新後の丸の内お堀端の図 巻頭
沿革 三菱村の四軒長屋 明治32年(1899年)~明治37年(1904年) 絵・写真、明治32年の「三菱カ原」(郡司福秀画)、丸の内ほか土地の払下げ願い書(控)、128万円の領収書、第1号館、第2号館、第3号館、東京商業会議所(三菱の貸地に建てられた)、明治37年築地の海軍大学校で揚げた気球から撮影した東京市街(気球のワイヤー部分左寄りに三菱村の四軒長屋が見える) 巻頭
沿革 ビジネス街の誕生 明治40年(1907年)~明治44年(1911年) 写真、明治42年ごろの馬場先通り「一丁倫敦」//第12号館の工事現場(明治40年10月)//設計者の辰野金吾が自ら描いた東京駅完成予想図//手前から順に第11、9、7、5号の各館//米国式貸事務所の元祖、三菱21号館//明治44年、東京市役所屋上から見た丸の内周辺 巻頭
沿革 大正モダニズム 大正9年(1920年)頃~大正15年(1926年)頃 写真、工事中の丸ビル(大正11年夏ごろ)//丸ビル絵はがき//ビルの利用心得「ビルヂング読本」//大正13年の丸ビル内部(皇太子、後の昭和天皇ご成婚奉祝)//丸ビル内部(大正15年ごろ)//三菱21号館前から西方向を見る//大正9年ごろの東京駅周辺 巻頭
沿革;災害 震災と復興 大正12年(1923年)9月~昭和4年(1929年)頃 写真、関東大震災で被害を受けた郵船ビル//関東大震災図(大正12年9月13日付「大阪日報」付録)//地震に伴う火災で炎上する帝劇//復旧工事中の丸ビル(大正14年6月)//復旧なり5周年を迎えた丸ビル//昭和2年、地所部発行の「昇降機運転手心得」//現在の有楽町ビル付近から丸の内方向を見る(昭和4年ごろ) 巻頭
沿革 昭和の開幕 昭和2年(1927年)頃~昭和6年(1931年)頃 写真、昭和初期の丸ノ内通り//昭和2年ごろの東京駅前//昭和天皇即位を祝う馬場先通りの仮装行列//昭和6年ごろの丸ビル玄関前//昭和2年ごろの東京駅周辺//昭和初期の日比谷通り//昭和2年度版「丸之内附近鳥瞰図」 巻頭
経営者;役員 三菱歴代社長 明治6年(1873年)3月~昭和20年(1945年)11月 写真、岩崎弥太郎 三菱商会社長(明治6年3月~8年9月) 郵便汽船三菱会社社長(明治8年9月~18年2月)、岩崎弥之助 郵便汽船三菱会社社長(明治18年2月~19年3月) 三菱社社長(明治19年3月~26年12月)、岩崎久弥 三菱合資会社社長(明治26年12月~大正5年6月)、岩崎小弥太 三菱合資会社社長(大正5年7月~昭和12年12月) 株式会社三菱社社長(昭和12年12月~18年2月) 株式会社三菱本社社長(昭和18年2月~20年11月) 巻頭
商品 第1号館 写真、第1号館の室内、同じく客溜り場から見る p121
商品 第1号館 写真、竣工当初の第1号館外観、南側正面玄関前からの見上げ、マンサードルーフ(折れ屋根)と棟飾り、コンドル自筆と思われる立面図、第1号館平面図 p122
商品 第1号館 写真、昭和35年ごろの室内風景、同じく昭和35年前後の雪の日、南側の馬場先通りに面した正面玄関を内部より見る p124
商品 [建築中の]丸ノ内ビルヂング 大正10年(1921年)6月15日、大正10年7月15日、大正10年10月15日、大正11年(1922年)1月15日、大正11年2月15日、大正11年4月15日、大正11年6月1日、大正11年9月1日 写真 p271
商品 [建築中の]丸ノ内ビルヂング 大正10年(1921年)頃 写真、丸ビル完成予想図、北側立面図、1階平面図、丸ビル工程表、鉄骨が建ち上がり始めた大正10年7月ごろの東京駅前、竣工直後の丸ビル全景 p272
商品 丸ノ内ビルヂング 大正12年(1923年) 写真、大正12年8月 関東大震災に襲われる直前の東側玄関前、1階案内所、入居テナントの案内板、1階商店街の十字路、事務所階のエレベーターホール、関東大震災後 大正12年12月の森永キャンデーストアーのクリスマス飾付け、同じく森永キャンデーストアー前 p274
災害 関東大震災と丸の内 大正12年(1923年)9月 東京火災動態略図 p287
災害 関東大震災と丸の内 大正12年(1923年) 写真、煙を噴き上げる警視庁、瓦礫の山と化した警視庁の焼け跡を堀側から写す、呉服橋にあった鉄道院庁舎も煙に包まれた、幸い丸の内の赤れんが建物にはほとんど被害がなかった、大八車に家財を載せ避難する人々、完成したばかりの丸ビルと郵船ビルはかなりの被害を受けた、大手町の大蔵省の焼け跡、鉄道不通のため海軍の艦船が人々を輸送、運行を再開した市電にも鈴なりの乗客、預金払戻しのために東京中央郵便局にできた行列 p288
災害 関東大震災と丸の内 大正12年(1923年) 写真、復旧工事が始まった丸ビル、三菱銀行玄関前に出現した“にわか床屋”、現在の新丸ビル敷地に急造された仮設店舗、東京駅前交番は尋ね人の貼り紙で埋まった、皇居前広場のテント村 p290
沿革;商品 [三菱地所創立当初] 昭和12年(1937年) 写真、当社設立直後に勃発した日中戦争へ出征する兵士を送る日の丸の小旗に彩られた丸ビル//丸ビルおよび丸ノ内各館資料領収書 〔345〕
沿革;市場 開戦前夜 昭和8年(1933年)頃~昭和14年(1939年) 写真、昭和10年4月、現在の新大手町ビル敷地で行なわれた自動車展示会//昭和8年ごろの丸の内空撮//昭和11年2月、雪の朝//昭和13年、各ビルに日章旗を飾りつけた丸ノ内東通り//昭和14年、丸ビル内の森永キャンデーストアーで//「満州」康徳会館前//康徳会館の開館式//「満州」白山住宅(昭和11年ごろ) 〔346〕
沿革;市場 戦火の嵐のなかで 昭和18年(1943年)~昭和20年(1945年) 写真、和田倉門付近の高射砲陣地(昭和17年ごろ)//開戦の朝、東京中央郵便局前で号外に見入る人々//開戦を伝える「東京日日新聞」号外//昭和18年8月、東京駅での退避訓練//昭和18年5月、有楽町駅に配属された女性職員//昭和18年3月、日劇に掲げられた決戦標語//空襲で破壊された東京駅//日比谷上空で繰り広げられた空中戦 〔348〕
沿革;経営 接収の苦難 [昭和20年]~昭和26年(1951年)頃 写真、廃墟と化した東京駅八重洲側より丸の内方面を望む//復旧工事中の東京駅前で客待ちする人力車//昭和22年7月、アメリカ独立記念日を祝って行なわれた軍事パレード//昭和22年5月、接収された内外ビルでの英連邦本部開所式//接収された三菱本館での物資受渡し風景//占領軍兵士が闊歩する仲通り//昭和26年ごろの東京駅前 〔350〕
役員 当社歴代社長 1 当社設立(昭和12年=1923年)5月~昭和27年(1952年)5月 写真、赤星陸治 取締役会長(昭和12年5月~15年8月)、山室宗文 取締役会長(昭和15年8月~18年8月) 取締役社長(昭和18年8月~20年11月)、平井澄 取締役社長(昭和20年11月~21年12月)、藤村朗 取締役社長(昭和21年12月~23年6月)、樋口実 取締役社長(昭和23年8月~24年4月)、添田滋 取締役社長(昭和24年5月~27年5月) 〔352〕
資料;市場 三菱合資会社地所課発行の「丸ノ内略図」 昭和11年(1936年)11月 丸ノ内の略図 〔折込〕417
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