三菱地所(株)『丸の内百年のあゆみ : 三菱地所社史. 下巻』(1993.03)

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題字 取締役社長 高木丈太郎 写真 巻頭
商品 横浜 ランドマークタワー 写真 巻頭
商品 天神MMビルヂング(MS) 写真 巻頭
商品;都市開発 泉パークタウン 写真 巻頭
東京証券取引所 写真 巻頭
商品 リゾートパーク オニコウベ 写真 巻頭
商品 ロイヤルパークホテル 写真 巻頭
商品;提携・合併 ロックフェラーセンター 写真 巻頭
商品 横浜ランドマークタワー 写真 巻頭
経営 [三社合併] 写真、昭和35年ごろの丸の内 〔1〕
市場;商品 戦後復興の槌音 昭和25年(1950年)~昭和30年(1955年)頃 写真、完成間近の新丸ビル(昭和27年)、東京ビルの根伐り工事(昭和25年)、竣工した永楽ビル(昭和27年)、昭和26年の皇居前広場風景、皇居前広場で凧上げをする子供たち(昭和28年)、テナント招待会での余興「二十の扉」(昭和26年ごろ)、八重洲側より丸の内を望む(昭和30年ごろ) 〔2〕
市場;商品 ビルラッシュ到来 昭和31年(1956年)~昭和35年(1960年) 写真、昭和33年ごろの大手町周辺、工事中の東銀ビルと仲27号館を望む(昭和34年)、完成間近の交通公社ビル(昭和35年)、皇太子ご成婚祝賀の記念切手シートと丸の内夜景、昭和34年の和田倉門電停前、東京開都500周年記念行事(昭和31年)、都電から自動車交通へ(昭和35年) 〔4〕
市場;商品 消えゆく赤煉瓦 昭和34年(1959年)~昭和42年(1967年) 写真、仲7号館跡の富士製鉄ビル工事現場(昭和35年)、仲12号館での憩いのひととき、富士製鉄ビル工事現場周辺を上空より見る、昭和36年の東京駅前広場、拡幅整備された仲通り(昭和42年)、仲通りの両側を埋めた車の列(昭和35年ごろ)、角型ポストは昭和26年 青ポストは31年から 〔6〕
市場;商品 高度成長の軌跡 昭和39年(1964年)~昭和47年(1972年) 写真、オリンピックの装飾を施した丸ビルと新丸ビル(昭和39年)、地方都市進出の第1号 大名古屋ビル(昭和40年)、東京駅越しに日本ビルを望む(昭和41年)、ブーツの流行は昭和47年冬、三菱商事ビルの開館式(昭和46年)、京葉港地区の埋立て(昭和47年)、浚渫船(第一菱和丸) 〔8〕
商品;都市開発 新しい住文化の創造 昭和46年(1971年)~昭和60年(1985年) 写真、泉パークタウンの造成工事(昭和47年)、第1号マンション 赤坂パークハウス、昭和60年の泉パークタウン、新国際ビルに設けられた三菱住宅センター、金沢文庫分譲地の売出し(昭和46年)、昭和51年ごろの企業広告と47年ごろのノベルティ、重量鉄骨構造の企画型住宅ASSET1200 〔10〕
経営;商品 快適性の追求 昭和58年(1983年)~昭和61年(1986年) 写真、厚木ロイヤルパークホテルのオープニングレセプション(昭和61年)、日比谷シティ前を通過する東京国際女子マラソンの選手たち、丸ビルは還暦を迎えた(昭和58年)、黄昏時の屋上ビアガーデン、大手町の初夏の風物詩 カルガモの引っ越し、宮城・オニコウベスキー場、ロサンゼルス郊外のリゾート開発 〔12〕
商品;都市開発 21世紀へ羽ばたく 平成2年(1990年) 写真、工事が進む横浜ランドマークタワーと平成2年3月に行なわれた起工式、ロックフェラーグループ社への資本参加を報じる新聞記事、丸の内100周年記念写真展、「再開発計画推進協議会」の発足、泉パークタウンの夏祭りで、丸の内は夜も眠らない、兵庫・猪名川パークタウン全景 〔14〕
役員 当社歴代社長 2 昭和27年(1952年)5月~昭和62年(1987年)6月 写真、渡辺武次郎 取締役社長(昭和27年5月~44年5月) 取締役会長(昭和44年5月~49年5月)、中田乙一 取締役社長(昭和44年5月~55年6月) 取締役会長(昭和55年6月~61年6月)、伊藤達二 取締役社長(昭和55年6月~62年6月)、高木丈太郎 取締役社長(昭和62年6月~) 〔16〕
市場;資料 昭和26年6月 当社発行の「丸ノ内略図」 昭和26年(1951年)6月 丸ノ内略図 〔折込 16〕
市場;資料 昭和34年3月 当社発行の「丸ノ内略図」 昭和34年(1959年)3月 丸ノ内略図 〔折込 112〕
市場;商品 整備された仲通り 写真、丸ノ内美化協会に寄贈された散水車、昭和38年ごろの富士製鉄ビル前、整備がほぼ完了した仲通り、昭和47年6月からは彫刻も置かれるようになり一層の潤いを与えた、ランチョンプロムナードの開始は昭和45年9月から 〔137〕
市場;商品 整備された仲通り 写真、仲通りのお正月風景、新国際ビル前にはこんな噴水がつくられていた時期もあった、季節に応じた色とりどりの花は道ゆく人々の気持ちを和ませてくれる、葉が黄色く色づき秋から冬の訪れを感じさせる、雪の日、今ではすっかり丸の内の風物詩となったグランマルシェは昭和42年7月から始まった、ビジネス街のワゴンセールは珍しく初期のころはテレビの生中継もあった 昭和43年夏、昭和49年夏のグランマルシェでは「東京音頭」の元歌だった「丸之内音頭」を再現 〔138〕
市場;資料 昭和49年9月 当社発行の「丸の内略図」 昭和49年(1974年)9月 丸ノ内略図 〔折込 224〕
商品;催し 日比谷シティ 写真、薪能、昭和57年5月24日に除幕式が行なわれたカリヨン、チリ共和国等の後援で昭和57年の6月から2カ月間開かれたイースター島の巨石像展、ニッポン放送主催のラジオチャリティ・ミュージックソン、ビルの谷間のコンサート、昭和59年7月には東京駅70年新幹線20年記念としてミニSLが広場を走った、華やかな新体操のデモンストレーション大会、昭和63年からは冬のスケートリンクに対して夏はテニスガーデンが登場、アメリカ映画「バットマン」のキャンペーン会場としても使用された p370
設備 諸共に力合せて 書、当社初代会長の赤星隆治が詠んだ歌を後年表装したもの 〔721〕
市場;商品 丸の内ビジネスセンター 図、ビル名 〔726〕
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