施設
| 陸の大量高速輸送を担う「特急アロー便」//日本通運の私有5トンコンテナ//システム物流を支える新鋭の自動ラック倉庫 |
|
写真 |
巻頭 |
施設
| 海の幹線輸送に活躍するフルコンテナ船「新あかしあ丸」//海外引越輸送に利用の高まる「ハートライナー」コンテナ//コンテナヤードでの船積み作業 |
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写真 |
巻頭 |
経営
| 発着一貫体制で世界の空を結ぶ航空貨物輸送//ジャンボフレーターへの積み込み作業//充実する日本通運の海外ネットワーク |
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写真 |
巻頭 |
経営;情報システム
| 新装なった小量貨物輸送の中枢拠点・東京中央ターミナル//輸送情報をリアルタイムに伝える全国オンライン網//お客様にまごころをお届けする「ペリカン便」//最新設備できめ細かいサービスを提供する引越し業務 |
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写真 |
巻頭 |
施設;催し
| 誕生した陸運元会社 |
明治5~7年 |
写真//陸運元会社の社印//汽笛一声、明治5年に新橋―横浜間にはじめて開通した“陸蒸気”//陸運元会社の本社がおかれた定飛脚問屋・和泉屋の店舗//明治天皇の行幸を仰いだ新橋駅での鉄道開通式//看板は横文字、横浜のお茶問屋の初荷風景//明治5年に開業したわが国初の近代工場・群馬県の官営富岡製糸場//商社の荷物舟で賑わった日本橋小舟町河岸//115年の歴史を昭和62年に閉じた赤煉瓦工場 |
p4 |
施設
| 内国通運会社と通運丸 |
明治8~15年 |
写真//内国通運会社の本社があった日本橋左内町界隈//内国通運会社の看板//隅田川河畔の両国船着場を出航する通運丸//渡良瀬川沿いの古河河岸に停泊する通運丸//通運史料室所蔵の通運丸の模型 |
p8 |
広告宣伝;世相
| 訪れた鉄道輸送時代 |
明治16~25年 |
写真//内国通運会社代理店の鉄道貨物取扱の広告//北海道で石炭輸送に活躍した弁慶号//明治23年に上野―秋葉原間に開通した初の貨物専用線//上野―新橋間の鉄道馬車 |
p10 |
施設
| 真紅のマル通トラック |
明治26~38年 |
写真//内国通運の第1号貨物車//自動車を使った明治屋のビール配送//内国通運のスマートなバントラック//わが国最初の営業トラック//国府津~熱海間を連絡していた豆相人車鉄道 |
p12 |
経済;世相
| 自転車に乗った配達員 |
明治39~大正2年 |
写真//大正モダニズムの象徴となるカフェーが続々と開店//人気を集めたデパートの自転車メッセンジャーボーイ隊//ネオン華やかな大正初期の大阪・道頓堀//人力車や荷車を使った女学生の帰省風景 |
p14 |
事業所;世相
| 業者乱立で競争激化 |
大正3~7年 |
写真//日本橋左内町の内国通運本社//6年間の歳月を要して完成したルネッサンス様式の東京駅//リヤカーが荷物運搬に使われるようになった大阪・道修町界隈//青島とともに内国通運初の海外支店が置かれた大連の埠頭//国道1号線に架設された当時の大井川鉄橋 |
p16 |
災害
| 震災で帝都は焼け野原 |
大正8~13年 |
写真//関東大震災で倒壊した東京・日比谷付近//震災後に目立つようになった職業婦人。ガソリンスタンドの従業員と市営バスの車掌//救援活動をするトラック//震災で焼失した機関車や貨車 |
p18 |
世相
| 実現した通運一本化 |
大正14~昭和4年 |
写真//馬車や荷車の往来で賑わう大阪駅前通り//輸入部品で組み立てられた国産オート三輪車//神田に完成した127台収容の国際通運車庫//銀座の街にはモダンガールが登場//大阪―別府間に就航した日本航空初の郵便定期飛行 |
p20 |
施設;広告宣伝
| 黄色いトラックの登場 |
昭和5~8年 |
写真//郵船ビルの国際通運本社前に整列したフォード・トラック//満州事変後、爆発的に流行した東京音頭//旭川支店前の「特別小口扱」キャンペーンの宣伝車//梅田駅構内に勢揃いしたオートバイとトラック |
p22 |
世相;物流
| 『宅扱』でPR大作戦 |
昭和9~11年 |
写真//叛乱軍が永田町周辺を占領、重臣を殺害して位時代の前ぶれとなった2.26事件//重工業の発達で需要の増えた戦前の重量物輸送//雪国で大活躍した馬ぞりの初荷風景//昭和10年の新発足から翌年にかけて、「宅扱」の大宣伝が全国的に展開された |
p24 |
世相
| 学童疎開の荷物の山 |
|
写真 |
〔28〕 |
施設;世相
| 日本通運のスタート |
昭和12年 |
写真//日本通運の創立総会が開催され、本社の置かれた郵船ビル//荷物を満載した大阪合同運送(昭和16年日本通運に統合)片町支店のトラック//息子や夫の武運長久を願って『千人針』に協力を求める婦人たち//北海道運送社(昭和17年日本通運に統合)の執務風景 |
p30 |
物流;業界
| 開始された小運送集約 |
昭和13年 |
写真//東大航空研の航研機が速度・距離の世界記録を樹立//仕事前に整列する戦前の主役・馬車の輸送人//天秤棒で肩荷役する小運送現場 |
p32 |
海外事業
| 海外に進出した日通人 |
昭和14年 |
写真//時流にそって拡充する上海支社//室蘭港で活躍する海洋いかだ//貨車を利用した戦時中の重量品輸送//興亜奉公日には食堂も休業 |
p34 |
福利厚生;施設
| 進むトラック大統合 |
昭和15年 |
写真//戦時色がつのる銀座の街角//実用化されたわが国初のセミ・トレーラ//『小運送報国の夕べ』に集まる従業員家族//演芸に興じる会場風景//制定された日本通運の作業服 |
p36 |
施設;従業員
| 現業進出で戦時下輸送 |
昭和16年 |
写真//梅田駅構内で分列行進する日通小運送産業報国隊員//燃料不足で開発された日通式木炭車//小運送記念日に神社参拝に出発する大阪の日通人//護国神社に全員で戦勝祈願する仙台の日通人//戦闘帽・ゲートル姿で整列する北海道の日通人 |
p38 |
施設;世相
| 再生された馬力トレーラ |
昭和17年 |
写真//馬に引かせたオート三輪車//開発された竹製コンテナ//貨車入れ替えにも馬が活躍//食糧ほか生活物資の配給を受ける人びと//バスにけん引された貨客兼用のトレーラ |
p40 |
物流;世相
| 動員学徒で決戦輸送 |
昭和18年 |
写真//徴兵延期が停止されて戦場へ向かう学生たち//貨物駅で炭俵を担ぐ動員学徒//高松支店の女子作業員の服装//日通に配属された女子挺身隊 |
p42 |
世相
| 発足した倉庫統制会社 |
昭和19年 |
写真//戦局悪化で集団疎開する本所・大島町の人たち//日豊本線山之口駅での木炭出荷作業//人手不足で動員された女子の保線夫//女子の電車運転手//火山活動で突然隆起した洞爺湖畔の昭和新山//戦前の京都・梅小路貨物駅//札幌の中心地に現存する苗穂倉庫 |
p44 |
事業所
| 特産の提灯を軒につるした岐阜の営業所 |
|
写真 |
〔48〕 |
世相
| 廃虚に流れた玉音放送 |
昭和20年 |
写真//連夜の空襲で焼け野原になった東京・神田界隈//リヤカーに家財道具を積んで焼け跡から避難//並木路子の『りんごの歌』が大流行//日本への第一歩を印したマッカーサー連合軍総司令官//占領軍であふれる銀座通り |
p50 |
事業所;世相
| 結成された全日通労組 |
昭和21年 |
写真//食糧不足で買い出し列車は超満員//米の出荷に忙しい生産地の日通人//郵船ビル接収で日本通運本社が移転した白木屋ビル//労働組合結成で馬もスクラムの仲間入り |
p52 |
世相
| 復興会議で労使が握手 |
昭和22年 |
写真//青森港における旧軍の武器・弾薬投棄作業//マル通マークの船上でねぷた祭//戦後社会を象徴する新橋駅前のヤミ市風景//従業員慰安会で演奏する北海道の日通バンド |
p54 |
物流
| 占領政策で分割の危機 |
昭和23年 |
写真//占領軍の監督下に置かれた汐留貨物駅//名古屋・笹島に登場した英文呼称のトラック基地//犬に引かせた荷車輸送//街角には英文字の道路標識 |
p56 |
事業所;物流
| 始まった空の輸送 |
昭和24年 |
写真//日本乗り入れ当時のノースウエストDC-4型機//京橋に新設された航空中央営業所//コンベヤによるはしけどり作業//戦後復興した東京・恵比寿支店//日本通運本社が移転した日本橋室町・旧三共ビル |
p58 |
経営
| 民間会社として再出発 |
昭和25年 |
写真//東海道を貨物列車と並走する自動車便トラック//朝鮮戦争の特需景気で多忙な修理工場//東京・荻窪に開設された日本通運中央業務研究所//裸電球の下で自動車便業務//集荷中の自動車便貨物//当時の店名あれこれ(根室支店、下関支店、大阪・天満営業所、大阪・西淀川営業所、函館支店、釧路支店) |
p60 |
経営;物流
| 朝鮮戦争で海運が浮上 |
昭和26年 |
写真//活況を呈した函館支店の埠頭倉庫//大型トレーラによる郡山での変圧器輸送//坂出港における輸入小麦の水切り作業 |
p64 |
経営;物流
| 厳しい再建への取り組み |
昭和27年 |
写真//豪雪地で活躍するソリ輸送//講和条約締結で日本に返還された羽田空港//釜石市内を走る集配トラック//信州リンゴの出荷風景 |
p66 |
経営;施設
| 競争激化のトラック業界 |
昭和28年 |
写真//不況風をよそに東京にもパチンコ店が開業//キャピタラ式トラクタで大正天皇のお召列車を輸送//通行量の少なかった京浜国道//市街地を走るトラック//都城支店が廃車利用で試作したフォークリフト |
p68 |
経営;世相
| 飛躍を目指す再建施策 |
昭和29年 |
写真//音楽に合わせて一斉に日通体操//輸送現場の執務風景//街頭テレビはいつも黒山の人だかり//日本航空の国際線第1号機//大阪支店での珍しい鉄筋2階建ての馬のアパート//階上、階下をつなぐスロープの通路//通風も採光もよかった馬房//北海道で駅構内盗難防止用に買われていた犬とその小舎 |
p70 |
物流;経営
| ミロのビーナスを開梱する日通輸送陣 |
|
写真 |
〔74〕 |
施設
| 登場した三輪トレーラ |
昭和30年 |
写真//落下傘スカートが大流行//盛んになったコンベヤ利用の荷役//仙台市内を初荷パレードする三輪トレーラ//荷台が簡単に着脱できるのせかえ三輪車//運転手協議会の種目に加わったフォークリフト操作//札幌支店の車両基地//富山港支店の水平引っ込み式クレーン//木材荷役もクレーンで機械化//パケットコンベヤの荷役風景//富良野支店のデリック・クレーン |
p76 |
施設
| 銀色に輝くコンテナ |
昭和31年 |
写真//包装革命の先ぶれになった日通コンテナ//神武景気で人気商品になった家庭電化製品//南極観測船『宗谷』の船積み//電波の日のパレードに参加した汐留支店の大型トレーラ |
p80 |
施設;世相
| 機械荷役で作業を近代化 |
昭和32年 |
写真//全国から集まる日通人の教育の場・中央業務研究所//全国の支店と交信する本社テレタイプ室//三輪トレーラによるパレード//高速道路建設で姿を消した数寄屋橋//創部の翌年、都市対抗野球で日通浦和が準優勝 |
p82 |
物流;事業所
| スタートした航空混載 |
昭和33年 |
写真//営業所に掲げられた『航空便』の看板//竣工した東洋一の大手町ビルに日本通運本社が移転//羽田空港から札幌に電算機を輸送//制定された「われらのことば」と「社歌」//荷物を背負って登る高層アパートの引越し作業//公団アパートの登場で流行語になった『団地族』//日本通運輸送陣が鋼材輸送した完成直前の東京タワー//広島―東京間で開始されたわが国初の自動車の海外輸送//バスを改造した流線型のタバコ臨店配送車 |
p84 |
施設;経営
| 300トントレーラの登場 |
昭和34年 |
写真//重量品輸送を変革したわが国最大の300トントレーラ//地響きを立てゆっくり走る巨体に感嘆する沿道の人びと//300トントレーラの巨大装備に見入る子供たち//トレーラ走行前に橋や道路の補強//国民をわかせた皇太子殿下のご成婚パレード//美智子妃殿下のお輿入れ荷物を運んだ日通車//伊勢湾台風の被災地に東京から救援物資を運んだ「愛の急行便」//導入された大型コンピュータ//宅配の元祖・日通はと便 |
p88 |
施設
| 脚光浴びる長距離路線 |
昭和35年 |
写真//完成した東洋一の晴海トラックターミナル//晴海ターミナルに設備されたわが国初のトウ・コンベヤシステム//コンテナ列車「たから号」への積み込み作業//大流行のダッコちゃん |
p92 |
物流;施設
| 全社で事故防止運動 |
昭和36年 |
写真//専用船による日本通運の自動車大量輸送が本格化//新設された芝浦埠頭倉庫//自動車の大量輸送用に開発された車載トレーラ//室蘭港に完成したダイヤモンド埠頭//宇野―高松間のフェリーボート、昭和40年には新鋭船も就航//明治、大正、昭和の三代にわたって親しまれた京都市電を博物館まで輸送//長崎から海上輸送された加硫缶を相模川をさかのぼって曳航 |
p94 |
事業所;安全管理
| 日通ビル、通運史料室の新設 |
昭和37年 |
写真//日本通運本社が移転した当時の外神田・日通ビル//ニューヨークの米国日本通運本社//安全運転を指導するパトロール車//年々混雑がひどくなる都心の道路//職場をあげて安全運転の励行 |
p98 |
物流;経営
| 豪雪地帯を支える日通マン |
昭和38年 |
写真//黒部ダム工事のセメント輸送にあたった超大型トレーラ//完成間近い関西電力黒部ダム//明治以来の豪雪にもめげずソリで配達//東京モノレールの橋ゲタ工事に取り組む日通骨董品チーム |
p100 |
経営
| 東京オリンピックを運ぶ |
昭和39年 |
写真//都市対抗野球で日通浦和が晴れの黒獅子旗獲得//東京オリンピックに出場する選手たちの手荷物輸送//国際色豊かな日通スタッフ//海外から運ばれてきた競技用具の運搬//6月16日の昼に襲ったマグニチュード7.7の新潟地震は、信濃川河口を中心にして総額1,000億円にのぼる被害をもたらした |
p102 |
施設
| 重量品作業に活躍する600トンフローチング |
|
写真 |
〔106〕 |
経営;施設
| 竣工した晴海埠頭倉庫 |
昭和40年 |
写真//東京国立博物館で公開されたツタンカーメンの開梱//日通トラックで木曽を出発するご神木//新しく開始した現送業務//竣工を祝う晴海埠頭倉庫//茨城県竜ヶ崎市に開港した日通学園・流通経済大学 |
p108 |
催し;世相
| 華やかに国際会議開催 |
昭和41年 |
写真//日本通運本社で開催された国際会議//ハッピ姿で歓談する国際会議の参加者//オープンした伊豆富士見ランド//若者を酔わせたビートルズの日本公演 |
p110 |
物流
| 提唱された『物流革新』 |
昭和42年 |
写真//東京港に到着した米国・マトソン車のコンテナ第1船//桜からのぼりを立てて新米輸送//銀座に別れを告げる都電//平和島にオープンした東京流通センター |
p112 |
物流;業界
| 大型化する物流手段 |
昭和43年 |
写真//わが国初の超高層霞ヶ関ビルの資材輸送や引越しを担当した日通輸送者//内航コンテナを積み込む『天日丸』//初の公共ターミナルとして併用が開始された京浜トラックターミナル//広島港における輸出自動車の積み込み作業//600トンフローチングで超重量品の吊り下げ//わが国最大のフローチング船『日本号』//飛行機を横浜から立川までヘリコプターで輸送//登場した400トンマンモスローリー |
p114 |
催し;施設
| 東名高速道路の完成 |
昭和44年 |
写真//東名高速自動車道の全通を祝う開通式//開始された国鉄フレートライナー//高速大量輸送用に開発された日通フル・トレーラ//活躍する10トン積み私有コンテナ |
p118 |
催し;世相
| 日本万国博覧会を運ぶ |
昭和45年 |
写真//初めて羽田空港に避雷したPAAジャンボ・ジェット機//JALジャンボ機も就航//日本万国博覧会のシンボル塔//万博会場での大太鼓の据え付け作業//万博会場に運ばれた機関車 |
p120 |
物流
| 高まる企業物流効率化 |
昭和46年 |
写真//稼働するわが国最大の500トントレーラ//日通航空が輸送を担当して富士山麓で開かれたジャンボリー//初の内航コンテナ専用船『あかしあ丸』が就航//乗鞍に建設されたコロナ観測所への観測機材の運搬 |
p124 |
物流;施設
| 過熱する列島改造景気 |
昭和47年 |
写真//本船からはしけどりし陸揚げされる輸入馬の輸送//東京・有明に新設されたフェリー埠頭//札幌冬季オリンピックでも日通輸送陣が活躍//新しい輸送動脈として脚光をあびた長距離フェリー |
p126 |
石油ショック;情報システム
| 石油ショックで大混乱 |
昭和48年 |
写真//石油ショックで灯油やトイレットペーパーの買い占め騒動//ガソリンスタンドも日曜・祝日は休業//節電でネオンの消えた銀座の夜景//ひなまつりプレゼントを幼稚園児に全国一斉配達する日通マン//全国オンライン網が完成した中央情報システムセンター |
p128 |
物流
| 脚光浴びる省エネ輸送 |
昭和49年 |
写真//東京国立博物館に日通美術品輸送陣の手で開梱・陳列されたモナリザ//国鉄電化で姿を消していくSL貨物列車//航空貨物の大量輸送時代を狙ったジャンボ・フレーター//新聞社や図書館、超高層ビル、工場などの大型引越から一般家庭の引越にいたるまで |
p130 |
施設
| 内航コンテナ船・新あかしあ丸 |
|
写真 |
〔135〕 |
物流;世相
| 戦後初のマイナス成長 |
昭和50年 |
写真//山陽新幹線車両を船とトレーラーで輸送//開幕した沖縄海洋博//貿易拡大で活気づく海上コンテナ埠頭//大ヒットした宝塚歌劇団の『ベルサイユのばら』 |
p136 |
経営;施設
| 特急アロー便の新設 |
昭和51年 |
写真//繊維輸送の新拠点として新砂に完成した東京物流センター//東京物流センターに導入された自動仕分け機//自動車輸送の強化を目指す『特急アロー便』登場 |
p138 |
海外事業;施設
| プラント事業が本格化 |
昭和52年 |
写真//巨大プロジェクト建設を支えるプラント輸送と現地据え付け作業//現地人にとけこんでプラント業務に従事する海外作業現場の日通マン//サウジアラビア向け石油プラントの船積み//サウジアラビアの灼熱の砂漠のなかで作業する日通重機陣 |
p140 |
物流
| 急成長する航空貨物 |
昭和53年 |
写真//国際航空貨物の玄関口として完成した東京エアカーゴ・シティー・ターミナル//北海道と本州を結ぶ青函トンネル工事に日通マンが活躍//成田に開港した新東京国際空港//昭和53年に初めて発掘された古代の重量物運搬具『修羅』の再現作業 |
p142 |
施設
| 実現した内航システム |
昭和54年 |
写真//東名高速・日本坂トンネル内の車両火災で173台が炎上//東京~苫小牧間に就航した新造コンテナ船『ゆうふつ丸』//新鋭船の投入があいつぎ、全国にひろがった日通内航海上輸送システム//東京~博多間に就航した『博多丸』 |
p144 |
物流
| 運ばれる世界の美術品 |
昭和55年 |
写真/細心の注意と緊張のなかで名画の据え付け//日通美術品輸送の乗用車//慎重に開梱される美術品//『東大寺展』に出品された仏像の輸送//美術品関係者の厳重なチェック//除雪作業から始まる豪雪地帯の輸送//スキー用具を日通トラックで輸送する『スキーペリカン便』//レジャーブームで高まるスキー熱//きゅう舎から競馬場まで競走馬を運ぶ馬匹専用輸送車 |
p146 |
物流
| ペリカン便で陸の活性化 |
昭和56年 |
写真//吹雪の中を休みなく走るペリカン便の集配車//ドアからドアへ、全国津々浦々にひろがるペリカン便のネットワーク//直営のサービスカウンターも全国展開//ペリカン便の看板を掲げた取扱店//ブルドーザやトラックを動員した北海道の除雪作業//広島市が西ドイツから輸入した電車を海陸一貫輸送//日通航空が舞台裏を支えたメキシコ巡業の大相撲一行//アパレルのハンガー輸送 |
p150 |
物流;広告宣伝
| 情報システム本格稼働 |
昭和57年 |
写真//イースター島でモアイ像の輸送準備にはげむ日通マン//情報戦略の拠点・本社のコンピュータシステム//近代的装備を誇る自動ラック倉庫からの出荷作業//デュッセルドルフのメイン・ストリートを走る市電に『NIPPON EXPRESS』の広告 |
p154 |
施設
| 高性能の新あかしあ丸 |
昭和58年 |
写真//東京~苫小牧間に就航した最新鋭コンテナ船『新あかしあ丸』//NASA25周年記念の『大スペースシャトル展』に米国から運んだスペースシャトル//『あかぎ国体』会場に設置されたペリカン便カウンター//ペリカン便のテレビCMに起用された榊原郁恵さんと長岡穀社長//難局から晴海埠頭に帰港した『しらせ』を迎えるペリカン便カウンター |
p156 |
施設
| 進む輸送新商品の開発 |
昭和59年 |
写真//東京中央ターミナルに設備された68方面の高速自動仕分け機//東洋一の規模と設備を誇る東京中央ターミナルの全景//日通重機が誇る1200トントランスポーター//活躍する米国日本通運 |
p160 |
広告宣伝
| お客様に親しまれるペリカン・バッグ |
|
写真 |
〔165〕 |
催し;物流
| つくば科学万博を運ぶ |
昭和60年 |
写真//世界のハイテク技術を集めて開幕した筑波の科学万博会場//会場で人気を集めたHSST(高速地表輸送機)の運搬//日本通運で実施した出展物の会場据え付け作業//正月前に大忙しの門松の配達・据え付け作業//自動販売機の商品を補給する日通マン//日通航空の国内貨物便で輸送された沖縄の花//移動図書館に利用される日通車//学童向けの給食を運ぶ日通トラック//北見市郊外での収穫期におけるたまねぎの庭先集荷//自転車レンタルで観光客に評判の遠野営業所//140台の貸し自転車がフル回転する駅前の高山支店 |
p166 |
世相;物流
| さらば懐かしの汐留駅 |
昭和61年 |
写真//馬車を集配の主力にしていた戦前の汐留駅//活気を取り戻した昭和30年代の汐留駅//貨物であふれていた昭和40年代の汐留駅//汐留駅に別れを告げる最終列車//コンテナ輸送の中心になった昭和50年代の汐留駅//鉄道貨物輸送114年の幕を閉じた汐留駅の全景//取扱窓口に表示された『海外ペリカン便』のステッカー//海外引越『ハートライナー』専用大型コンテナの船積み作業//新鮮なトマトジュースを満載して北長野から東京へ出発する臨時コンテナ列車//カナダ交通博に出品された大阪・交通科学館のリニアモーターカー |
p170 |
広告宣伝;経営
| 新たな歴史への第一歩 |
昭和62年 |
写真//銀座に登場した『ペリカン便』のネオン塔と広告宣伝車//新砂に完成したシステム物流の拠点・東京中央流通センター//新橋の日通ビルに設置した『ペリカン便』のネオン塔//分刻みのスケジュールで行った病院の移転作業//単身赴任者や学生を対象に開発された『ファミリーボックス』//高層住宅の引越に威力を発揮する専用ハシゴ車//『NITTU』から『NITTSU』への新表示になった日通車//日通航空がお世話する海外からの観光旅行団//中日ドラゴンズの遠征を支える日通航空の専用車//情報化時代に向けてレベルアップするコンピュータシステム//無店舗販売のシステムとも直結//種子島宇宙センターから打ち上げられた人工衛星//人工衛星機器を運搬する日通輸送機//新宿副都心の超高層ビル街を走るペリカン便集配車//陸と海と空と―総合物流を担って明日に飛躍する日本通運 |
p174 |
売上;物流
| 国内総輸送量および機関別輸送量の推移(トン) |
昭和40年度~昭和61年度 |
グラフ、年度、鉄道、自動車(自家用、営業用)、内航海運、航空、総輸送量、前年度伸び率 |
p182 |
経済
| 国民総生産額(名目)と成長率(実質)の推移 |
昭和40年度~昭和61年度 |
グラフ、年度、国民総生産額、実質成長率 |
p182 |
財務・業績
| 資本金の推移 |
昭和25年度~昭和62年8月末日現在 |
グラフ、年度、資本金 |
p184 |
営業;売上
| 営業収入の推移 |
昭和25年度~昭和61年度 |
グラフ、年度、営業収入 |
p185 |
営業;売上
| 部門別営業収入および構成比の推移 |
昭和50年度~昭和61年度 |
グラフ、年度、通運、自動車、倉庫、海運、航空、付帯作業、営業収入計、営業収入に占める比率 |
p186 |
財務・業績
| 経常利益の推移 |
昭和39年度~昭和61年度 |
グラフ、年度、経常利益 |
p187 |
従業員
| 在籍従業員の推移(年度末時) |
昭和12年度~昭和61年度 |
グラフ、年度、事務員、作業員、総数 |
p188 |
財務・業績
| 資産の推移 |
昭和25年度~昭和61年度 |
グラフ、年度、資産額 |
p189 |
施設
| 保有車両・車種別分布の推移 |
昭和12年度~昭和41年度 |
表、年度、普通貨物自動車、小型貨物自動車、自動三輪車、特殊自動車、トレーラ、三輪牽引車、三輪車用被牽引車、乗用車、合計 |
p190 |
施設
| 保有車両・車種別分布の推移 |
昭和42年度~昭和61年度 |
表、年度、自動車(普通貨物自動車、牽引車、被牽引車、特殊架装車、乗用自動車、小計)、荷役車両(フォークリフト、ショベルローダ、起重機自動車、その他、小計)、建設車両(ブルドーザ、その他、小計)、合計 |
p190 |
市場
| 日本通運の全国ネットワーク |
|
日本地図、本社、地方支店、特定支店、一般支店、営業支店、営業所・その他 |
p192 |
市場
| 日本通運の海外ネットワーク |
|
世界地図、海外現地法人本社、海外現地法人支店、海外駐在員事務所 |
p194 |
経営
| 日本通運の現状 |
昭和61年度 |
グラフ、通運、自動車、海運、航空、倉庫、重量品・建設、付帯事業その他、総額、総重量、営業収入、従業員、営業倉庫、店舗、車両、船舶 |
p196 |