日本電信電話公社関東電気通信局『関東電信電話百年史. 上』(1968.03)

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設備 安政元年(1854年)ペルリ寄贈の電信機・2座 安政元年(1854年) 写真 巻頭
業界 黒船とともに/電信機の渡来 嘉永6年(1853年)6月~嘉永7年 写真、ペルリ久里浜に上陸、ペルリ上陸記念碑、ペルリ再来、横浜村でプレゼント贈呈、ペルリ提督、電信機の実験、サミュエル・モールス、エムボッシング・モールス電信機 〔9〕
経済 横浜開港/電信開設の温床 万延元年(1860年) 写真、神名川横浜新開港図、横浜商館真図 〔9〕
業界 海外に学ぶ/電信を実用した“新知識” 万延元年(1860年)、文久2年(1862年) 写真、幕府の御浜御殿、日本最初の電信オペレーター・勝海舟、航海中の咸臨丸、オランダ製電信機、榎本釜次郎(武揚) 〔9〕
業界;電報 公衆電報はじまる 明治2年(1869年) 写真、寺島宗則の電信創業建議書、寺島宗則、伝信機之布告 〔44〕
電報;設備 最初の電報式紙・ヒナ形 明治2年(1869年) 写真、発信紙、送達紙、報告書、横浜伝信局内部、ブレゲー指字電信機、横浜伝信局、創業当時の線路巡回 〔44〕
設備 電信創業の記念碑建つ 昭和38年(1963年) 写真、電信創業記念碑全景、「電信創業の地」碑、説明文碑 〔44〕
通信;施設 テレグラフ、東京にひろがる 明治2年(1869年)~明治5年(1872年) 写真、東京府下電信線の図、築地伝信局、東京電信創業記念碑、日本橋電信局、両国電信局 〔44〕
通信 電信幹線、本土を縦貫 明治4年(1871年)~明治8年(1875年) 写真、日本橋、品川、程ヶ谷、小田原、吉原、戸塚、由井、興津、静岡、鞠子 〔44〕
通信 急を伝える長崎線/西南役に真価を発揮 明治10年(1877年) 写真、熊本付近の激戦を伝える至急官報、シーメン・モールス印字機、賊徒の景況を問う電文、熊本城の勝利を祝う電報、城山攻略、終戦を告げる官報 〔44〕
電報;価格 電報料、均一制となる 明治18年(1885年) 写真、電信切手 〔44〕
電話;技術 電話の発明 明治9年(1876年) 写真、グラハム・ベル、ベル発明の電話機 〔44〕
電話;設備 電話機の渡来と製造 明治10年(1877年)~明治20年(1887年) 写真、最初の国産(模造)電話機、同内部構造、エジソン・ブレーキ電話機、アーデル電話機 〔44〕
電話;設備 ガワーベル電話機登場 明治22年(1889年) 写真 〔44〕
電話;営業 加入者募集に大苦心 明治23年(1890年) 写真、第3回内国勧業博覧会 〔44〕
電話 東京・横浜で電話交換開始 明治23年(1890年)12月16日~明治30年代 写真、東京辰の口電話交換局、単線式単式交換機、東京電話交換創始記念碑(丸の内工業クラブ壁面)、明治30年代の横浜伊勢崎町夜景、明治20年代の外人居留地、横浜電話交換創始記念碑、銭瓶町の新電話交換局、東京(銭瓶町)電話交換局内部、直列複式交換機、柳橋金八 〔44〕
経済 日清談判、破裂して 明治27年(1894年)7月~明治28年5月 写真、日清海戦の図、広島城内におかれた大本営、動員関係事務連絡局報、御着輦二重橋の図 〔195〕
電話;政策 戦後経営に電話拡張 明治29年(1896年)~明治35年(1902年) 写真、東京・浪花町電話分局、浪花町分局交換室、デルビル電話機、ソリッドバック電話機、東京電話本局交換室、甲号デルビル卓上電話機、乙号デルビル卓上電話機、磁石式壁掛電話機 〔195〕
電話 自働(公衆)電話出現 明治33年(1900年) 写真、自働電話案内板のある新橋駅、京橋のたもとにできた自働電話ボックス、銀座4丁目角の電話ボックス、ボックスのある街頭風景、共電式自働電話機、吾妻橋ぎわの電話ボックス 〔195〕
通信 日露戦争 明治37年(1904年)2月~明治38年(1905年)9月 写真、開戦決定の御前会議、動員令電報取扱内則、戦地に向かう野戦電信予備員と線路工夫、常陸丸撃沈電報、第2電信予備員、兵站電信予備員、旅順への電信・鉄道を破壊、第1軍の仁川上陸、援護は連合艦隊第4艦隊、日本海海戦、信濃丸と東郷司令長官の感状、東郷司令長官発・海戦第1報、日本海海戦の勝利を祝う横浜市 〔195〕
設備 日米海底線(グヮム線)開通 明治39年(1906年) 写真、日米海底電線開通記念絵はがき、父島・植物圏から見た沖縄丸、沖縄丸の船首、鎌倉電信中継所、日米海底通信記念碑 〔195〕
設備;技術 動き出した無線通信 明治28年{1895年)~明治45年(1912年) 写真、銚子無線電信局川口送信所、天洋丸、グリエルモ・マルコーニ、TYK式無線電話機、鳥潟右一、横山英太郎、北村政次郎 〔195〕
災害;設備 風・雪・水害とたたかう 明治36年(1903年)~明治43年(1910年) 写真、東京の雪害、本所郵便局付近の出水、千住付近の浸水、自働電話も水びたし、浸水した栃木万町通り 〔195〕
業界;需給 明治おわる 明治45年(1912年)~大正元年(1912年) 写真、皇太子(大正天皇)東京中央電信局へ、皇太子(大正天皇)を迎える東京中央電話局員、宮城前にご回復を祈る人々、天皇崩御の官報号外、青山葬場殿、桃山御陵(京都伏見)に着いた御霊柩 〔195〕
業界;需給 第1次世界大戦 大正3年(1914年) 写真、青島占領を祝う花電車、青島に特派された東京の電話交換手 〔331〕
電話;設備 本格化する共電式電話/第3次電話拡張計画の成立 大正5年(1916年)~大正8年(1919年) 写真、芝分局共電式交換室、共電式壁掛電話機、共電式卓上電話機、神田分局、小石川分局、高輪分局、東京中央電話局市外交換専用局舎、新市外局交換室、交換機は1号大型共電式市外交換機 〔331〕
技術;電話 線路技術の発達 大正9年(1920年)~大正10年(1921年) 写真、地下ケーブル工事、市ヶ谷付近のケーブル工事(大正10年ごろ) 〔331〕
災害;施設 関東大震災/大正12年9月1日午前11時58分 大正12年(1923年) 写真、地震で止まった中央気象台大時計、「其の夜の呉服橋近傍」、「線路の避難」、東京中央電信局(第1震で破壊・午後8時焼失)、東京中央電信局(午後10時焼失、市外電話全線不通)、逓信省応急措置報告書「電信日誌抄」、横浜電話本局、横浜吉浜橋付近(工務課倉庫あと)、横浜長者町分局と内部、箱根山の電柱倒潰、復旧用の電線運搬(箱根)、ガリ版の東京逓信局報、バラックで復興すすむ、逓信省仮事務所、震災前の逓信省庁舎、東京中央電話局臨時局舎、鎌倉郵便局、小田原郵便局、日本橋特設電話交換所、特設電話交換室、復興した浅草仲見世と震災当時、復興した日本橋通りと震災当時 〔331〕
技術;電話 自動式電話交換はじまる 大正11年(1922年)~大正15年(1926年) 写真、逓信省内の自動交換室、旧逓信省庁舎、わが国最初の自動交換機、講演会周知ビラ、自動電話PRパンフレット、実物教育に使われたデモンストレーション・セット、技術指導の外人技術者、自動式卓上電話機、自動交換開始新聞記事、自動式壁掛電話機、本所分局・試験室、京橋分局・自動機械室、本所分局・発電室、本所分局・自動機械室、横浜中央電話局、横浜中央電話局機械室、長者町分局受付席、横浜中央電話局試験室(担当席のトラフィック・メーター) 〔331〕
施設;設備 通信復興のシンボル・東京中央電信局 大正14年(1925年)~大正15年(1926年) 写真、東京中央電信局新築落成記念エハガキ、東京中央電信局・全景(上)と屋上、東京中央電信局通信室、音響通信とベルトコンベヤー、託送電報、気送管、無線通話室、岩槻受信所、検見川送信所 〔331〕
経済;設備 昭和の開幕 昭和3年(1928年) 写真、即位式後、神武天皇山陵へ、京都御所内専用電話交換室、天皇を奉迎する高齢者、大礼奉祝記念スタンプ 〔460〕
設備 東京―神戸間長距離ケーブル、大礼直前に開通 昭和3年(1928年) 写真、天竜川鉄橋に添架した鎧装ケーブル、横浜中継所・音線試験装置、由比川岸の鉄塔とケーブル、足柄中継所(小田原)、装荷線輪装置用やぐら 〔460〕
設備 皇室と電信電話 昭和3年(1928年)~昭和9年(1934年) 写真、葉山御用邸、那須御用邸、天皇御座所の電話機、グロスター公奉迎号、特別大演習に特設された野外電話交換所 〔460〕
通信;サービス 積極化する公衆サービス/通信事業特別会計実施 写真、特別会計実施記念ポスター、公衆電話利用風景、公衆電話機、臨時電話サービス開始、年賀電報送達紙、慶弔電報送達紙 〔460〕
施設;海外事業 世界にひろがる日本の電波 昭和8年(1933年)~昭和14年(1939年) 写真、無線経由電報勧奨ポスター、内鮮有線電話開通式、内台無線電話開通式、樺太へも通話開始、日満電話開通式、蘭印とも国際電話、日華電話開通式、シャムへも開通、国際電話交換台、日米電話開通式、日英電話開通式、日独電話開通式、南米アルゼンチンへ開通、名崎送信所、小室受信所、ハワイへも直通電話、南米チリーとも開通、日伊電話開通式、国際電話交換台 〔460〕
電話;設備 洋上へもモシモシ/秩父丸とも電話開通 昭和11年(1936年) 写真、秩父丸・無線電話室、船内無線電話局、「船中電話開く」、国際電話交換台、秩父丸・無線電信局 〔460〕
施設;通信 日満無装荷ケーブル完成 昭和14年(1939年)9月 写真、日満無装荷ケーブル開通式、満州国交通部大臣の祝辞 〔460〕
通信;政策 大北電信会社の権益を接収 昭和15年(1940年) 写真、大北電信会社へ新特許状(ライセンス)付与 〔460〕
名誉 高松宮、現業員を激励 昭和15年(1940年)5月18日 写真、東京中央電信局を出る高松宮、東京中央電話局を視察 〔460〕
電話;需給 モシモシ景気爆発/加入申込み殺到 昭和12年度(1937年度)~昭和13年度(1938年度) 写真、東京中央電話局に押しかけた加入申込者、「申込み殺到」、平常日の東京中話加入課窓口 〔460〕
業界;経済 日華事変/ドロ沼化した長期戦 昭和12年(1937年)7月~昭和16年(1941年) 写真、蘆溝橋事件、公衆電話ボックス前の千人針風景、電話局員も続々と応召、華北の山を越えて、前線の通信兵、「そうだ、その意気」の合唱、女子局員もナギナタ修練、銃後風景、電話局員の軍事教練 〔460〕
業界;経済 空襲にそなえて/防空通信は最優先 昭和6年(1931年)~昭和18年(1943年) 写真、初の防空演習、三笠宮、東京中話の警報伝達訓練を視察、杉山大将、東京中話の防空演習を視察、防空服で交換作業、警報発令―地下の措置局へ 〔460〕
業界;従業員 「関特演」に建設部隊大動員 昭和16年(1941年) 写真、凍りついた原野の建柱作業、渡満建設隊、建設工事に出動、戦病死者を葬る 〔460〕
業界;経済 太平洋戦争に突入 昭和16年(1941年)12月8日~昭和18年(1943年) 写真、開戦決定の御前会議、12月8日の朝、二重橋に祈る人々、マレー作戦、「撃ちてし止まむ」、学徒出陣、点呼を受ける女子挺身隊 〔460〕
業界;設備 決戦下の国防電話局 昭和19年(1944年) 写真、巨大なカマボコ型の怪異な外観、各室を密閉する二重・三重の扉、自動機械室、市外交換室、縦形ダイヤルつき市外交換台、毒ガス瀘過装置、会議室、東久邇宮(中央)の視察記念 〔460〕
業界;災害 大空襲/関東主要都市は軒並み被爆 昭和19年(1944年) 写真、被災後の横浜市、廃墟となった渋谷方面、焼野と化した神田方面 〔460〕
経済 敗戦 昭和20年(1945年)8月15日 写真、終戦詔書、二重橋前にぬかづく人々 〔460〕
業界;サービス のしかかる占領政策 昭和20年(1945年) 写真、天皇、マ元帥をご訪問、横浜税関ビル、GHQのおかれた第一相互ビル、占領軍の電話架設は電光石火、占領軍専用市外局・「東京トール」、国際通話所、立川、横須賀、ゴム線をやたらに張った仮工事、市外交換台は空席だらけ、乱脈な線路施設 〔625〕
災害 “泣き面に蜂”・大型台風 昭和22年(1947年)9月、昭和24年(1949年)8月 写真、倒壊した架空ケーブル、マンホール排水に来援した消防車・米軍人、イカダで往来する水害地 〔625〕
設備;電話 紙幣式公衆電話 昭和22年(1947年)10月 写真、盗難よけに窓をふさいだ電話ボックス、戦前形(左方)と戦後形ボックス、料金取集め、集めてきたお札を数える 〔625〕
設備;電話 復興のシンボル・4号電話機 昭和24年(1949年) 写真、量産に入った電話機製造工場、4号電話機内部、4号A自動式卓上電話機、4号共電式(PBX内線用)電話機、戴頭式4号形送受器、軽快な4号送受器で能率をあげる交換作業 〔625〕
業界;経営理念 電電公社発足 昭和27年(1952年)8月1日 写真、NHK・街頭録音「電電公社にのぞむ」、電信電話サービス世論調査、電電公社の新看板、NHK・街頭録音「電話への注文」 〔625〕
業界;施設 明暗二相 昭和27年(1952年) 写真、(明)―“東洋一”の横浜電電ビル(全景)、大理石づくりの横浜港分局窓口、港分局機械室、電電ビル電力室、川崎電報電話局、(暗)―代官屋敷あとの久喜(埼玉)報話局、女子休憩室兼宿直室、座敷の中の交換室、久喜電報電話局、局長室兼応接室兼会議室、WC―雨の日はカサをさし、夜は懐中電灯をもって......、施設課 〔625〕
業界;施設 東・名・阪マイクロ開通 昭和29年(1954年)4月 写真、マイクロウエーブ開通記念式、東京統制無線中継所(テレビ調整室)、東京統制無線中継所(港区麻布宮村町)の遠景―屋上はパスレングスアンテナ、円海中継所、双子中継所 〔625〕
電話;サービス 中距離即時通話とダイヤル直通 昭和31年(1956年) 写真、東京―甲府即時通話開通式、小林中日本開銀総裁(右)と佐竹昭和電工社長、東京―水戸即時通話開通式、東京―桐生即時通話開通式、近郊都市―東京ダイヤル直通記念式、轟夕起子(左)と市丸、船橋―東京ダイヤル直通記念通話、ダイヤル直通の主役・ZZZ装置 〔625〕
電話;商品 新サービスは花ざかり 昭和29年(1954年)~昭和32年(1957年) 写真、さしこみ(移動)電話、秘書(受付)電話機、秘書電話(受付電話)、メモ電話、天気予報(気象)サービス、赤ダルマ(5号A卓上公衆電話機)、色つき電話機、新公衆電話ボックス“丹頂鶴”(逆井宏の懸賞当選作) 〔625〕
業界;物流 近代化する資材配給 昭和32年(1957年)1月 写真、走行クレーンでケーブルドラムの格納作業、関東資材配給局(新宿総合倉庫)、フォークリフトで出荷集積、プラッターで端子函の格納作業、ケーブルドラムの出荷作業 〔625〕
施設;サービス 青ヶ島に無線電話開通 昭和31年(1956年)5月 写真、青ヶ島に到着した関東通信局チャーター船○神(マルシン)丸、建設資材運搬、機械工事、島の民家(手前のワラ屋根)と郵便局(短波無線電信アンテナの下)、いよいよ開通 〔625〕
業界 自衛隊出動 写真、朝礼、国旗掲揚、建柱の穴を掘る、渓流をわたって建柱場所へ、作業に出発、作業車による建柱作業、建柱作業は急ピッチ 〔625〕
施設;電話 団地電話・農村集団電話 昭和42年(1967年) 写真、ひばりが丘団地、南浦和・団地自動電話装置、京浜国道を走るトレーラー電話局、茨城県麻生町大和の農村集団自動電話装置(全国第1号) 〔625〕
技術;電話 躍進する新技術 写真、600形電話機の商用試験、600形電話機、10形ボタン電話機、マイクロウェーブ・アンテナ、移動無線装置、12メガ同軸ケーブル 〔625〕
業界;サービス 科学の祭典・オリンピック東京大会 昭和39年(1964年)10月 写真、東京オリンピック開会式、テレビ中継に活躍したTRC、テレビ切替・監視装置(TRC)、オリンピック特別番号簿、東京オリンピック閉会式 〔625〕
電話;設備 公衆電話のニューフェース 写真、街のおなじみ“赤ダルマ”、ピンク電話も出現、お目みえした“ポール公衆”、市外ダイヤルOK“大ダルマ”、ハイウェーにもボックス設置、臨時公衆電話大繁盛、地方都市にも3連接ボックス 〔625〕
電話;設備 全国ダイヤル直通はじまる 昭和40年(1965年) 写真、全国ダイヤル懸垂幕、川崎ダイヤル展、横浜ダイヤル展、宇都宮ダイヤル展、甲府ダイヤル展、距離別時間差を区切るタイマー装置、クロスバ市外交換機 〔625〕
市場 伸びゆく首都圏 写真、関東の表玄関・横浜港、京浜工業地帯、橋本工業団地、京葉工業地帯、大宮工業団地、鹿島臨海工業地帯、小山工業団地、太田大泉工業団地、山梨の県都・甲府市街 〔625〕
事業所 関東電気通信局 39年11月新築落成(3階以下は逓信総合博物館) 昭和39年(1964年)11月 写真 〔671〕
人口;市場 全国に対する関東の人口比率 大正9年10月1日~昭和38年10月1日 グラフ、関東局管内、東京局管内、その他 〔871〕
人口 都県別人口の伸び(全関東を100としたもの) 大正9年10月1日~昭和38年10月1日 グラフ、神奈川、埼玉、千葉、神奈川(除横浜市)、茨城、東京都(除区部)、群馬、横浜市、栃木、山梨 〔871〕
人口 都県別人口の割合 大正9年10月1日~昭和38年10月1日 グラフ、横浜市、神奈川(除横浜市)、東京都(除区部)、千葉、埼玉、群馬、栃木、茨城、山梨 〔871〕
人口 都県別就業人口の割合 大正9年~昭和37年 グラフ、東京都(除区部)、神奈川、千葉、埼玉、茨城、栃木、群馬、山梨、3次産業、2次産業、1次産業 〔871〕
経済 都県別工業の増加 事業所数増加状況 昭和30年~昭和38年 グラフ、東京都区部、神奈川、埼玉、東京地方、管内平均、茨城、群馬、栃木、千葉、山梨 〔871〕
経済 都県別工業の増加 従業者数増加状況 昭和30年~昭和38年 グラフ、東京地方、神奈川、埼玉、茨城、千葉、管内平均、東京都区部、群馬、栃木、山梨 〔871〕
経済 都県別工業の増加 工業製造品出荷額等増加状況 昭和30年~昭和38年 グラフ、東京地方、千葉、埼玉、神奈川、管内平均、茨城、群馬、栃木、東京都区部、山梨 〔871〕
業界;市場 工業と電話(関東地方) 昭和30年~昭和38年 グラフ、出荷額、電話収入、電話加入数、従業者数、事業所数 〔871〕
経済 産業別県民所得構成 昭和30年~昭和38年 グラフ、東京、神奈川、千葉、埼玉、茨城、栃木、群馬、山梨、3次産業、2次産業、1次産業 〔871〕
経済;電話 テレビ・自動車と電話の成長率 昭和28年~昭和41年 グラフ、テレビ・関東、テレビ・全国、自動車・関東、自動車・全国、電話・関東、電話・全国 〔871〕
人口;市場 関東の人口 明治9年度~昭和41年度 表、年度、府県別(東京、神奈川、千葉、埼玉、茨城、栃木、群馬、山梨)、合計、全国 〔871〕
人口 東京都―近県間の人口流動 昭和22年、昭和30年、昭和35年 表、昭和22年、30年、35年、県別(総数、茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、神奈川県、山梨県)、流入人口(実数、構成比)、流出人口(実数、構成比) 〔871〕
経済 都県別工業の増加 昭和30年、昭和35年、昭和38年 表、県名(神奈川、東京地方、千葉、埼玉、群馬、栃木、茨城、山梨、計、東京都区部、東京都合計)、種別{事業所数(実数、指数%)、従業者数(実数、指数%)、工業製品出荷額等(実数、指数%)} 〔871〕
経済 都県別商業の伸び 商店数 昭和33年、昭和35年、昭和37年 表、区分{(計 関東地域、東京地方、神奈川、千葉、埼玉、茨城、栃木、群馬、山梨)、商店数(店数、構成比、前回比、前々回比)} 〔871〕
経済 都県別商業の伸び 従業者数 昭和33年、昭和35年、昭和37年 表、区分{(計 関東地域、東京地方、神奈川、千葉、埼玉、茨城、栃木、群馬、山梨)、従業者数(実数、構成比、前回比、前々回比)} 〔871〕
経済 都県別商業の伸び 年間販売額 昭和33年、昭和35年、昭和37年 表、区分{(計 関東地域、東京地方、神奈川、千葉、埼玉、茨城、栃木、群馬、山梨)、年間販売額(総額、構成比、前回比、前々回比)} 〔871〕
電話;市場 電話加入数の増加 明治23年度~昭和41年度 表、年度別、県別(東京地方、神奈川、千葉、埼玉、茨城、栃木、群馬、山梨、計)、加入数、普及率、全国普及率 〔871〕
電話;需給 電話の需給状況 昭和28年度~41年度 表、年度別、都県別(東京地方、神奈川、千葉、埼玉、茨城、栃木、群馬、山梨、計)、区別{需要数(前年度からの積滞数、新規申込数、計)、申込取消数、架設数、充足率}、全国充足率 〔871〕
電話;設備 公衆電話の増加 昭和29年度~41年度 表、年度別、都県別(東京地方、神奈川、千葉、埼玉、茨城、栃木、群馬、山梨、計)、区別{公衆電話数(委託公衆、電話局窓口公衆、郵便局窓口公衆、BOX公衆、計)、普及率}、全国普及率 〔871〕
電報;売上 電報の利用(内国電報発信通数) 明治2年度~昭和41年度 表、年度別、県別(東京地方、神奈川、千葉、埼玉、茨城、栃木、群馬、山梨、計 関東)、全国 〔871〕
沿革 年表 慶応4年(1868)~昭和42年(1967) 年号(西暦)、関東の電信電話、日本の電信電話、社会一般 p915
組織 関東電気通信局の機構 昭和42年4月1日 組織図 p1051
事業所 関東電気通信局、東京電気通信学園、石和電気通信学園、関東電気通信工事事務所、関東電気通信資材配給局、伊豆逓信病院 事業所名、住所、写真、略年表 p1052
福利厚生 職員クラブ(東京都内) クラブ名(文京荘、うぐいす荘、上荻荘)、写真、住所、開設年月日 p1056
職員;人事 歴代局長 明治19年4月~昭和43年1月 表、職名、氏名、在任期間 p1059
参考文献 主要参考文献 表、書名、編著者または発行所 p1063
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