北海道電力(株)『北のあかりを灯し続けて : 北海道電力五十年の歩み』(2001.12)

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沿革 漆黒の闇にあかりを―群雄割拠する起業家たちの時代 昭和4年~昭和14年 写真、昭和九年の函館大火後に開設された函館水電の仮営業所、そろいのハッピに身を包む釧路電気の従業員たち、当時の電気事業会社は発電から電球などの販売まで手がけていた(昭和八年頃の北海道水力電気札幌営業所販売所)、電気事業者別供給区域図(昭和十一年十二月末現在)、「電気デー」のイルミネーションを点灯する函館水電社屋、日高電灯静内営業分所、北海水力電気と二大勢力として対峙した北海道電灯の上飽別発電所(昭和四年二月完成)建設風景、北海道電灯上川発電所(昭和四年十二月完成)の水槽工事風景、洞爺発電所(昭和十四年六月完成)水圧管の前に佇む室蘭電灯の従業員たち 巻頭
沿革 深刻な電力不足に突貫の電源開発で立ち向かう 昭和28年 写真、昭和二十八年二月に運転を開始し、電力制限解除に大きく貢献した芦別発電所の建設風景 巻頭
沿革 深刻な電力不足に突貫の電源開発で立ち向かう 昭和28年~昭和33年 写真、厳冬期に行われた芦別発電所のダム第一次仮締切、昭和二十八年六月に運転を開始した然別第一発電所の取水口工事、然別第三発電所(現・上岩松発電所二号機 昭和二十八年八月運転開始)の建設風景、北海道の戦後復興を推進した「北海道総合開発第一次五カ年計画」のポスター 電源開発の必要性が訴えられている、北海道の豊かな未来をめざした北海道開発大展覧会のポスター(栗谷川健一作 昭和二十五年)、電力制限の解除で道内各地の街頭にあかりが煌煌と灯される(昭和二十年代後半の滝川市)、街灯照明で明るく照らされた夜のバスセンター(札幌市大通西二丁目 昭和三十三年)、商店街を明るく照らす街灯照明(昭和二十年代後半の江別市) 巻頭
沿革 一三篇の叙事詩を綴る日高一貫開発 昭和33年~昭和36年 写真、河川を渡り歩いての調査が幾日も進められた、川沿いでしばしの休息を取る踏査作業員たち、熊が出没するため、ハンター兼ガイドの地元民とともに日高の樹海を歩く、長期にわたる日高一貫開発は岩知志発電所からスタートした(写真は当時わが国最長の岩知志発電所水路橋)、昭和三十三年七月に運転開始した岩知志発電所ダムの湛水開始の様子、右左府発電所(昭和三十六年八月運転開始)発電機据付の様子、右左府発電所の工事現場を指揮する岩本常次土木部長(のち社長、左から三人目) 巻頭
沿革 一三篇の叙事詩を綴る日高一貫開発 昭和38年~昭和49年 写真、道内初のアーチ式ダムとなった奥新冠発電所の建設風景、完成した奥新冠発電所の放水風景(昭和三十八年八月運転開始)、春別発電所の建設風景(昭和三十八年十月運転開始)、新冠発電所の建設現場を視察する藤波収相談役(中央)、日高一貫開発六カ所目の電源となった静内発電所のダム堤頂工事風景(昭和四十一年十一月運転開始)、昭和四十九年十一月に完成した道内初のロックフィルダムである新冠ダム 巻頭
沿革 産炭地メリットの追求で内陸石炭火力群を建設 昭和三十年代から四十年代にかけて 写真、ヤマの男たち、江別発電所の運炭列車から積み下ろされる道内炭、手前(煙突三本)が新江別発電所、後ろ(煙突四本)は旧江別発電所、右のドームは屋内貯炭場、当社四カ所目の石炭火力となった奈井江発電所、設立後初めての石炭火力開発となった砂川第二発電所(左)、設立後初めての石炭火力開発となった砂川第二発電所(左)、火主水従時代の幕開けを告げた滝川発電所 同発電所三号機の完成により、昭和三十七年に当社の総発電設備容量に占める火力の割合は水力を超えた 巻頭
沿革 “豊かさ”を届けるために―多様なサービスの展開 昭和40年代 写真、網走オホーツク流氷まつりで電気温水器で沸かした湯茶をサービスする社員、昭和四十年代前半の電気温水器ポスター、昭和四十年代前半のサービス旬間(現・こんにちは旬間)ポスター、昭和三十八年から実証実験が行われたロードヒーティング、四十年代に入って札幌市内を皮切りに各地に敷設された、各支店に設けられた電気相談コーナー、札幌オリンピック開催決定により、急速に近代化の進む札幌市中心部(昭和四十五年頃 中央下は当社本店社屋)、札幌オリンピック開会式、札幌オリンピックに無事故・無停電を期して臨む当社の特別保守班 巻頭
沿革 多重苦によって設立以来の危機に直面―最大の経営危機を乗り切る 昭和50年代 写真、電源立地難に直面した伊達発電所のオイルタンクとパイプライン、オイルショックの発生により電気料金値上げを申請(写真は当社単独での値上げとなった昭和五十六年八月の公聴会 左側は四ツ柳社長)、伊達発電所着工当日、緊張の面持ちで敷地境界線にロープを張る作業員たち、伊達発電所工事現場でシュプレヒコールをあげる反対勢力、電気料金値上げの理解を求めるため、各地に説明会場を設置 巻頭
施設 多重苦によって設立以来の危機に直面―最大の経営危機を乗り切る 昭和40年代 写真、想像を絶する鉄塔の冠雪、昭和四十七年十二月の道北大雪害では鉄塔六〇基が倒壊・傾斜(写真は倒壊した稚内線の鉄塔群)、次々と復旧現場に指示を出す道北大雪害対策本部の前進基地(幌延送電所)、雪山を分け入り、送電線の保守は進められる 巻頭
沿革 電気料金の地域格差解消が至上命題に 昭和59年~昭和60年 写真、北海道初の海外炭火力となった苫東厚真発電所二号機は昭和六十年十月に完成(奥に見えるのは苫東コールセンター(株))、オーストラリアなどから海外炭を運搬する当社石炭運搬専用船・札幌丸 燃料の安定確保に欠かせない存在である、泊発電所の本格着工は、昭和五十九年の岩盤検査から始められた、当社設立以来の大型設備投資となった泊発電所一・二号機の建設風景(奥が一号機) 巻頭
沿革 構造不況下の営業開発―“電気の商い”を展開 昭和62年~昭和63年 写真、オール電化を紹介するイベントが各地で精力的に行われた、当社初の大型イベントとなった「ほくでんフェア」 記念すべき第一回目(昭和六十二年三月)のテープカットの様子(右から二人目が中野社長)、ほくでんフェアでオール電化住宅のメリットを説明する社員、オール電化キッチンを備え付けた料理情報館「マドレ」が平成五年四月にオープン、オール電化設備の移動展示車「ほくでんニューライフ号」、オール電化を当社の主力商品にすべく、家屋の高気密・高断熱性などについて研究開発が進められた(写真は昭和六十三年に建設されたオール電化実験住宅)、総合研究所で行われている蓄熱式電気暖房器の送風音測定調査 巻頭
沿革 泊の成果を道民に―値下げ時代のスタート 平成三年四月 写真、完成後の泊発電所の全景(右が一号機、左が二号機) 巻頭
沿革 泊の成果を道民に―値下げ時代のスタート 平成元年6月~平成11年 写真、平成元年六月二十二日の一号機運転開始当日、事務所玄関に取り付けられた真新しい看板を前に和んだ表情を見せる所員たち、安定供給の要として高稼働を続ける泊発電所では、約一年に一度定期検査が実施される、地球環境問題が喫緊の課題に(写真は当社初の風力発電設備となったほりかっぷ発電所)、高い脱硫効果を発揮し、海外でも技術の応用が進められている苫東厚真発電所の乾式脱硫装置、平成二年の中国吉林省電力有限公司を皮切りに、海外五カ国の電力会社と交流協定を締結(写真は平成十一年のロシアのサハリンエネルゴ社との調印式) 巻頭
沿革 電力新世紀を迎えて 平成7年4月~平成12年3月 写真、電力小売の部分自由化スタートで、当社も新料金メニューを発売、送電線などの流通設備は、自由化時代においていっそう重要なインフラに、地下送電設備の巡視風景、自由化を迎えても、安定供給という電気事業の基本的役割は変わらない(写真は中央給電指令所) 巻頭
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