経営
| 株式会社報知新聞社概要 |
平成5年1月1日現在 |
表、組織、資本構成、代表取締役社長、所在地、役員・幹部、従業員数、紙面、総発行部数、定価、読者層、契約通信社、東京本社の機器、印刷、定期刊行物、主な主催、後援事業、歴代社長、支局、関連会社 |
巻頭 |
社旗
| 社旗 |
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写真 |
巻頭 |
経営理念
| 編集綱領 |
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巻頭 |
事業所;催し
| ウオーターフロントに港南の新社屋 最新鋭の機器を備えたスポーツ・文化の情報基地 |
平成4年6月19日 |
写真、色鮮やかな夜の時計塔、栄光の創刊120年記念パーティー//お祝いにかけつけた(左から)大空真弓、高嶋政宏、佐久間良子、尾上梅幸、長嶋茂雄、王貞治の各氏。中央は内田社長(平成4年6月19日、ホテルニューオータニ)、東京本社編集局、西の拠点、大阪本社 |
巻頭 |
催し
| 燃えた!沸いた!報知120年 3大記念事業 |
平成4年6月6日~8月17日 |
写真、「サッカーフェスタ'92」(平成4年8月14日、17日) イタリアの名門ユベントスとの対戦は、14日、神戸・ユニバー記念競技場、17日、東京・国立競技場で行われ、両会場とも超満員の6万大観衆で埋まり、2試合とも引き分け、日本代表チームの健闘に沸き返った、サッカー時代の幕開け//カズ―三浦和良はサッカー時代を盛り上げる貴重なスター。サッカーフェスタ'92に続きヤマザキナビスコカップでも大活躍、大相撲勝抜優勝戦(平成4年6月6、7日) 貴花田、若花田、舞の海ら幕内、十両全力士が出場。両日とも1万人を超す大観衆が両国国技館に詰めかけ、土俵上の熱戦に酔った。次回から東京、大阪の隔年開催が決まった、大相撲勝抜優勝戦の初日優勝の武蔵丸に、内田報知新聞社長から「色絵磁器金彩・稲穂と雀の飛遊図」の大つぼが贈られた(平成4年6月6日)、日本アマ囲碁最強戦(平成4年6月13、14日) アマ囲碁実力日本一を争う3番勝負は、東京・虎ノ門のホテルオークラで行われ、今村文明(右)が6連覇中の金沢盛栄を下し、最強位に就いた |
巻頭 |
催し;世相
| 市民マラソンの草分け 25万人が走った 青梅報知マラソン |
平成5年、平成5年2月21日 |
写真、平成5年2月21日、第27回を迎えて大会は伝統に新しいページを加えた。第1回から累計すると、延べ25万人が走ったことになる//走った1万4383人!人、人、人の大洪水。ランナーの体からわく熱気で寒さもふっ飛ぶ、地響きが鳴る。ど迫力、圧巻のスタート(平成5年2月21日)、春を呼ぶ―市民マラソンの祭典に梅花も応援、渓谷沿いを走る長蛇の列、平成5年の大会では、視力障害者が盲導犬と10キロレースに出場、伴走者とともに走り切った。盲導犬との挑戦は史上初だった、東京―箱根間往復大学駅伝競走 大正9年に本社が創設した「箱根駅伝」は新春の関東風物詩として定着した。写真は平成5年の第69回大会で、早大のアンカー、感激のゴールイン |
巻頭 |
催し;世相
| 栄光よ再び V奪回へGO 燦と輝け新生巨人 |
平成4年11月21日~平成5年2月 |
写真、巨人軍浮沈の影響は本紙にとどまらず、企業経営者にファンの多い日本経済にも及ぶ。長嶋監督の復帰した平成5年の巨人は?取材する本紙記者の目も真剣だ、幸先よし! ドラフト会議で松井の交渉権を引き当て、こぶしを挙げて力強くガッツポーズの長嶋監督(平成4年11月21日)、選手を見つめる長嶋監督の表情も明るい(平成5年2月、宮崎市営球場)、巨人軍のホームグラウンド「東京ドーム」。巨人戦開始直前の記者席、ヤクルトから巨人に移籍して、この1年に選手生命をかける長嶋一茂。宮崎キャンプで持ち前の長打力をみせた、話題の多い平成5年の巨人を見ようと、2月の日曜日、巨人がキャンプを張る宮崎市営球場のスタンドは3万5000人のファンが詰めかけて超満員になった(平成5年2月14日)、あすの巨人の4番打者をめざす松井秀喜。宮崎キャンプでは鋭い眼光、力強いスイングから場外弾を連発(平成5年2月、宮崎市営球場) |
巻頭 |
催し;世相
| 爆発!ヤングパワー |
平成2年12月28日~平成5年1月28日 |
写真、「武豊」平成2年12月23日、中山競馬場で行われた有馬記念で、天才ジョッキー武豊はオグリキャップに騎乗して優勝。オグリ引退の花道を飾った、「沢松奈生子」昭和63年15歳で全日本選手権に優勝し、いまでは伊達公子と並ぶ日本女子テニス界の両輪、「岩崎恭子」バルセロナ五輪、平泳ぎ200メートルに史上最年少14歳で金の快挙(平成4年7月27日)、「曙太郎」外国人初の横綱(第64代)が誕生。平成5年1月28日、雪の明治神宮社前で奉納手数入り、「田村亮子」バルセロナ五輪、女子柔道48キロ級に銀メダル(平成4年)、「貴花田」平成3年5月12日、千代の富士を破った貴花田。体力の限界を感じた千代の富士が引退を決意した大一番。平成5年1月27日、貴花田は史上最年少20歳5か月で大関に昇進し、シコ名も「貴ノ花」と改めた、「あなたが選ぶ '92報知プロスポーツ大賞受賞者」。左から三浦和良(特別賞・サッカー)、鬼塚勝也(ボクシング)、貴花田(大相撲)、塩谷育代(ゴルフ)、石井丈裕(野球・パ・リーグ)、古田敦也(同・セ・リーグ)(平成4年12月28日)。尾崎将司(ゴルフ)は欠席 |
巻頭 |
催し;世相
| 激撮!五輪の青春 |
昭和39年・1964~平成4年・1992 |
写真、東京(昭和39年・1964)「閉会式」世界は一つ、“スポーツの祭典”のフィナーレは若人の歓喜が爆発、異常な盛り上がりをみせた、「女子バレーチーム」ソ連を破り金メダル。手を挙げて観衆の拍手にこたえるのは主将の河西昌枝、マラソンで健闘し、3位入賞の円谷幸吉。日本陸上陣戦後初のメダル獲得だった、「山下治広」体操“跳馬”金。妙技・山下跳び(アイモ改造機で撮影、合成)、冬季=札幌(昭和47年・1972)「笠谷幸生」ノルディック70メートル級ジャンプで最長不倒距離を記録。冬季五輪で日本初の金メダル、ロサンゼルス(昭和59年・1984)「山下泰裕」負傷にもめげず健闘。柔道の山下に涙の金メダル、夏冬合わせて五輪に5回出場の橋本聖子。氷上の力走、バルセロナ(平成4年・1992)「古賀稔彦」柔道71キロ級に金メダル、「吉田秀彦」柔道78キロ級に金メダル、「有森裕子」女子マラソンに銀メダル、「高野進」陸上400メートル決勝で力走(右)、冬季アルベールビル(平成4年・1992)「伊藤みどり」フィギュア女子でトリプルアクセルを決めて銀メダル、ノルディックスキー複合団体に金のトリオ。左から荻原健司、河野孝典、三ケ田礼一、「森下広一」男子マラソンに銀、惜しくも金を逸す(右) |
巻頭 |
催し;世相
| カメラ アイ 昭和27~39年 |
昭和27年5月19日~昭和39年2月20日 |
写真、《昭和27年5月19日》プロボクシング・白井義男(右)がマリノを破り初の世界フライ級チャンピオンに、《昭和29年1月30日》横綱在位30場所の羽黒山が国技館で断髪式。ハサミを入れる時津風親方(元双葉山)、《昭和29年2月1日》ヤンキースの元4番、ジョーディマジオと女優のマリリン・モンロー夫妻が来日、《昭和30年11月10日》アジア・シングル選手権で、サイプ・シャーに空手チョップを浴びせる力道山(名古屋・金山体育館)、《昭和34年1月1日》元日付報知新聞の1面を飾ったスターたち。左から石原裕次郎、三船敏郎、有馬稲子、山本富士子、若乃花、稲尾和久、朝潮、長嶋茂雄、《昭和30年9月5日》プロ野球「トンボ」のビクトル・スタルヒンが、大映戦でプロ入り通算300勝を達成、《昭和35年8月》婚約時代の石原裕次郎と北原三枝。長野県・野尻湖で夏を楽しんだ。2人は同年12月2日結婚、豪華な結婚式で話題を呼んだ、《昭和39年2月29日》東京・麹町の日本テレビで「シャボン玉ホリデー」を録画中のザ・ピーナッツ |
巻頭 |
催し;世相
| カメラ アイ 昭和40~49年 |
昭和41年5月31日~昭和49年10月14日 |
写真、《昭和42年》王選手“世界のフラミンゴ打法”。子供がぶらさがってもビクともしない一本足、《昭和43年10月15日》メキシコ・オリンピックで重量挙げフェザー級に三宅義信(兄=左)が金、義行(弟)が銅と兄弟でメダル獲得、《昭和41年5月31日》ファイティング原田の右アッパーが、ジョフレのあごに決まる、《昭和48年3月4日》第10回報知杯弥生賞で、増沢騎手騎乗のハイセイコーが優勝、《昭和44年10月30日》日本シリーズの巨人―阪急第4戦。4回裏無死一、三塁、打者長嶋三振のとき、巨人が盗塁。三振走者土井は捕手岡村にブロックされてアウトのように見えたが、岡田球審はセーフと判定。岡村は岡田主審の胸を強くついて退場を命じられたが、この写真で判定の正しさが証明された。《昭和49年10月14日》“ミスター・ジャイアンツ”栄光の背番号3、長嶋茂雄は「巨人軍は永久に不滅です......」と暮れなずむ後楽園球場で現役最後の別れを告げた、それた送球をジャンピングキャッチする長嶋、打席では空振りも絵になった |
巻頭 |
催し;世相
| カメラ アイ 昭和50~59年 |
昭和50年~昭和54年1月21日 |
写真、《昭和50年》昭和40年代末から50年代前半にかけて、日本テレビの「スター誕生」―いわゆる“スタ誕”から生まれた“花の中3トリオ”(左から)桜田純子、森昌子、山口百恵。歌謡界は10代歌手の花盛り、《昭和56年7月21日》強い横綱が誕生。名古屋場所で優勝の千代の富士が第58代横綱に昇進。相撲界は“ウルフ”時代に入った、《昭和53年12月31日》「UFO」で日本レコード大賞受賞のピンク・レディー。51年の「S・O・S」「ペッパー警部」「ウォンテッド」、53年「サウスポー」など、ピンク・レディー旋風が吹きまくった、《昭和50年10月9日》宝塚歌劇の「ベルサイユのばら」が空前の大ヒット。花組東京公演を前にアンドレ役の榛名由梨(左)、オスカル役の安奈淳(右)が赤坂プリンスホテルで撮影会、《昭和52年9月3日》王、対ヤクルト23回戦で、アーロンの世界記録を破る756号を放つ、王の世界記録達成に張本も跳び上がって喜んだ―東京写真記者協会賞スポーツ部門賞を獲得した「華麗な舞」、《昭和55年10月12日》WBA世界J・フライ級王者の具志堅用高、メキシコのフロレスを判定で下し、V13を達成、《昭和54年1月21日》冒険家植村直己が北海道帯広市の「氷まつり」で犬ぞり走行のデモンストレーション。昭和59年、植村はマッキンリーで消息を絶ち遭難死 |
巻頭 |
催し;世相
| カメラ アイ 昭和60~平成3年 |
昭和61年10月24日~平成3年12月8日 |
写真、《昭和63年2月14日》国際マラソンを声援される皇太子ご一家、《昭和61年10月24日》“世界の青木”として知られる青木功が「ブリジストントーナメント」で見事なウオーターショット(千葉・袖ケ浦CC)、《昭和63年4月11日》報知新聞社主催、東京ドームの「不死鳥コンサート」で熱唱する美空ひばり。ひばり最後の公演となった、《平成元年10月30日》日本シリーズで近鉄に3連敗のあと、4連勝の逆転勝ちで日本一の座についた巨人が、凱旋パレードで平河町の本社を訪問。玄関前は多くのファンで沸き返った、《平成3年8月18日》岡本綾子は「東急女子オープン」で優勝し、海外を合わせた通算優勝回数を50勝の大台に乗せた(軽井沢・72ゴルフ東・入山コース)、《平成3年5月9日》自動車レース「F1シリーズ第4戦モナコGP」第1回公式予選で、モナコ市街地サーキットを走る日本期待の中嶋悟(手前)と、アイルトン・セナ(後方)、《平成3年12月8日》「ゴルフ日本シリーズ日立カップ」最終日で、首位独走にも手を緩めず、17番バーディーの尾崎直道。直道は悲願の賞金王へ大きく前進(東京・東京よみうりCC) |
巻頭 |
催し;世相
| カメラ アイ 平成4~5年 |
平成4年1月18日~平成5年1月21日 |
写真、《平成5年1月19日》ご婚約が正式に決まった皇太子徳仁親王殿下と小和田雅子さん、《平成4年8月19日》報知新聞社主催、第40回華扇会で「近江のお兼」を演じる西川扇太郎、相撲の奇手珍手《平成4年1月18日》舞の海の“八艘跳び”と北勝鬨、《平成5年1月21日》29年ぶりの決まり手、智ノ花の“居反り”と花ノ国(右) |
巻頭 |
商品
| 報知新聞の出版物 |
大正12年、明治17年、平成5年1月現在 |
写真、「報知年鑑」大正12年の創刊。同14年から漢字制限を実行して編集された。当時としては画期的、進歩的な出版物、「経国美談」明治17年、社主の矢野文雄が、ギリシャ史のなかからテーベの歴史を選んで、小説風に講述した「経国美談」を出版。当時のベストセラーとなった、定期刊行物、中央競馬成績年鑑、好評の新刊単行本、報知グラフのいろいろ、カレンダー4種、HOCHI DIARY(便利な手帳) |
巻頭 |
製品;沿革
| 明治・大正・昭和を経て平成の40,000号まで |
明治6年~平成4年9月2日 |
写真、両国薬研掘時代の社屋。洋風3階の櫓つきモダンな造りは、東京の新名所として3世広重の錦絵にもなり大変な人気を呼んだ(明治6年)、明治36年の新春、1月2日の色刷り広告の紙面。20世紀初頭(1903)東京の2大建築物、東宮御所と中央停車場の完成予想図を紹介、明治36年1月19日の色刷り付録紙面。日本海軍の勢ぞろい、観艦式の勇壮な風景を描いたものと思われる。翌年、日露戦争が起こる、明治38年2月16日、紙齢10,000号を迎える。16ページの記念号を発行。「報知新聞―勝利門」とうたい、英・米・伊・独・仏など各国の戦勝記念塔や凱旋門、勝利門などを紹介した、昭和7年9月10日、紙齢20,000号を迎える。記念特集号を発行、各種記念企画も発表した、“ノンキナトウサン”は大正12年4月1日から「コドモホウチ」に登場。10月26日から夕刊連載となり、大震災のあと爆発的人気を得て被災者を喜ばせた、“大付録作戦”を展開。昭和5年7月27日から「日曜報知」を、昭和6年3月11日から「婦人子供報知」を月ぎめ読者に配布、平成4年、紙齢40,000号を迎える(平成4年9月2日) |
巻頭 |
商標
| 題字 |
M5.6.10~H4.4.1 |
写真、M5.6.10「郵便報知新聞」創刊第1号、M8.7.7 横書き題字に、M15.1.4、M6.10.2 6・3から毎日出版をうたう、M7.1.10、M22.1.21 夕刊。夕刊の文字がみえる、M23.1.1 朝刊紙だけとる、M29.1.2 縦書きに改める。地紋入り、M29.11.3、M32.2.11、M39.10.27 夕刊再刊第1号、白ヌキ文字40.5.3 フチ取り文字、M23.7.5 明朝体活字に改め、右側に「公明明 偏生闇」と添え書きして政党機関紙からの脱皮を示す、M25.8.3 毛筆体(同年1月から「公生明 偏生闇」が消える)、M27.12.20 題字左右に絵入り(12.26から「郵便」の文字を削除)、M43.8.25 紙齢12,000号記念(8.19に到達)、T12.3.21、T13.11.1、S12.11.1、S17.8.5 読売新聞と合併、「読売報知」、S21.12.15付 復刊第1号夕刊紙「新報知」、S23.9.1「報知新聞」に復元、S23.3.1、S26.10.10 横書きに「スポーツ・演芸・ラジオ」の文字入り、S27.7.13「演芸・ラジオ」が「文化・芸能」に変わる、H2.4.3 宅配紙の題字カラー化始まる(即売紙はS63.8.9からカラー化)、H3 愛称「スポーツ報知」が登場、H4 愛称「スポーツ報知」最終面に、H4.4.1 新デザインの「スポーツ報知」1面右肩に |
巻頭 |
役員
| 歴代社長 |
|
写真、初代 小西義敬、2代 矢野文雄、3代 小栗貞雄、4代 阿部興人、5代 箕浦勝人、6代 三木善八、7代 添田寿一、8代 町田忠治、9代 大隈信常、10代 野間清治、11代 頼母木桂吉、12代 三木武吉、13代 正力松太郎、14代 座間勝平、15代 八反田角一郎、16代 栗山利男、17代 竹内四郎、18代 正力亨、19代 管尾且夫、20代 岡本武雄、21代 古戸一郎、22代 深見和夫、23代 内田恵造 |
巻頭 |
定款
| 定款 |
平成2年5月28日現在 |
|
p468 |
組織
| 報知新聞社機構図 |
平成5年1月1日現在 |
組織図 |
p467 |
従業員
| 従業員数の推移 |
昭和26年4月~平成5年1月 |
表、年月、東京、大阪、合計、( )内は女子の内数 |
p467 |
事業所
| 発行所の所在地 |
明治5年6月~平成2年6月10日 |
一覧、年月日、所在地(現在の住所) |
p466 |
役員
| 社主・会長・社長・副社長・局長任期表 |
昭和21年~平成5年 |
図、氏名、就任年月、退任年月 |
p465 |
表彰
| 社長賞 |
昭和29年10月29日~平成4年9月8日 |
リスト、年月日、受賞理由、受賞者 |
p463 |
製品
| 活字・字詰・行数・建て頁 |
昭和21年12月15日~平成4年 |
一覧、戦後の紙面体裁(年月日、活字サイズ、1行字詰、1段行数、段数、備考)、戦後の紙面体裁、戦後の建て頁 |
p462 |
製品
| 連載小説・連載企画 |
明治23年~平成4年 |
戦前の主な連載小説、戦前、その他の主な連載企画、昭和21年12月復刊後の連載小説(連載開始、題名、作者、回)、小説以外の主な連載物(劇画・漫画、ドキュメント・ルポ) |
p462 |
情報システム;沿革
| CTSの歩み |
昭和55年3月~平成5年2月 |
年表、年月、事項 |
p460 |
情報システム;施設
| CTS主要機器(含む報知印刷) |
|
東京本社、大阪本社 |
p459 |
情報システム;施設
| 写真集配信システム |
|
東京、大阪 |
p458 |
情報システム;施設
| 電送機・カラー電送車 |
|
電送機(東京、大阪)、カラー電送車 |
p458 |
情報システム;施設
| 報道無線 |
|
東京、大阪 |
p458 |
施設
| 輪転機 |
明治29年~平成4年 |
戦前保有の輪転機台数、昭和35年以後の輪転機導入と台数(東京、大阪) |
p458 |
売上
| 発行部数 |
明治7年度~平成4年度 |
表、明治時代の年間発行部数、スポーツ紙転換以後の発行部数 |
p457 |
情報システム
| 発送管制システム |
平成2年 |
主な発送機器 |
p457 |
販売;価格
| 新聞定価とトピックス |
明治5年6月10日創刊時~平成5年3月 |
一般紙時代の定価とトピックス、スポーツ紙転換以後の定価の変遷(年月、月額、1部) |
p457 |
販売;価格
| 広告料金・段数とトピックス//一般紙時代の広告トピックス |
明治20年9月16日~大正13年 |
年月、事項 |
p456 |
販売;価格
| 広告料金・段数とトピックス//スポーツ紙転換以後の主な歩み |
昭和36年4月~平成4年6月 |
年月、事項 |
p456 |
販売;価格
| 広告料金・段数とトピックス//広告段数の推移 |
昭和25年度~平成3年度 |
表、年度、東京版、大阪版 |
p455 |
販売;価格
| 広告料金・段数とトピックス//記事下基本料金の推移 |
昭和31年4月~平成4年4月 |
表、東京本社版、大阪本社版、北海道支社版、通し料金)、記事下営業もの基本段単価(昭和48年11月から)、記事下契約料金3か月合算1段(平成4年4月から) |
p455 |
販売;価格
| 広告料金・段数とトピックス//案内広告料金の推移 |
昭和31年4月~平成2年4月 |
表、東京本社、大阪本社、改定年月、料金 |
p455 |
製品;商品
| 出版物 |
昭和37年~ |
定期刊行物、昭和35年以降の主な出版物(分野別) |
p455 |
催し
| 主な事業//開催月別の主なイベント |
平成4年現在 |
表、◎印主催、○印後援、△印協賛、( )内は場所 |
p454 |
催し
| 主な事業//青梅報知マラソン |
第1回(昭和42年)~第27回(平成5年) |
表、回、年、出場者数、優勝者名 |
p453 |
催し
| 主な事業//ゴルフ日本シリーズ日立カップ |
第1回(昭和38年)~第29回(平成4年) |
表、回、年度、優勝者(スコア)、出場資格、開催場所 |
p453 |
催し
| 主な事業//東京―箱根間往復大学駅伝競走 |
第1回(大正9年)~第68回(平成5年) |
表、回、年度、優勝校(出場校数)、出発、決勝点 |
p452 |
催し
| 主な事業//報知・年間最優秀力士賞受賞者 |
第1回(昭和33年)~第35回(平成4年) |
表、回、年度、力士名、第1回選考委員、第1回贈呈品目、第35回選考委員、第35回贈呈品目 |
p452 |
催し
| 主な事業//あなたが選ぶ報知プロスポーツ大賞受賞者 |
第1回(昭和51年)~第17回(平成4年) |
表、第1回~第17回、(1)プロ野球セ・リーグ(2)同パ・リーグ(3)プロゴルフ男子(4)同女子(5)大相撲(6)プロボクシング△特別奨励賞 |
p452 |
催し;表彰
| 主な事業//報知杯弥生賞 |
第1回(昭和39年)~第29回(平成4年) |
表、回、年度、優勝馬(騎手)、開催場所 |
p451 |
催し
| 主な事業//将棋女流プロ名人位戦 |
(1)S49~(19)H4 |
表、年度、優勝者 |
p451 |
催し;表彰
| 主な事業//報知映画賞 受賞作品・受賞者 |
S51~H4 |
一覧、最優秀邦画作品賞、最優秀主演男優賞、最優秀主演女優賞、最優秀助演男優賞、最優秀助演女優賞、最優秀監督賞、最優秀新人賞、最優秀洋画作品賞、特別賞、選考方法、H3年選考委員 |
p451 |
情報システム;沿革
| 電算部//電算部の歩み |
S46.4~H4.4 |
年表、年月、事項 |
p450 |
情報システム
| 電算部//電算部の業務 |
S48.4~H4.4 |
歴代コンピューター(導入年月(1)システム名称(2)中央処理装置メモリー(3)ディスク装置メモリー(4)ディスク転送速度(5)磁気テープ転送速度(6)磁気テープ記憶密度)、東京、大阪、人事・給与、販売、広告、出版、原稿料、固定資産、発送、自動車、経理 |
p450 |
情報システム
| PBX |
|
東京、大阪 |
p449 |
福利厚生
| 保養所 |
|
施設名、所在地住所、仕様、設備、オープン年月 |
p449 |
関係会社
| 関連会社・福祉事業団 |
|
社名・団体名(報知ピーアールセンター、報知印刷株式会社、財団法人 報知社会福祉事業団)、住所、代表者名、財団法人・報知社会福祉事業団寄付行為 抜粋 |
p449 |
社旗
| 社旗 |
昭和32年夏から使用 |
図と説明 |
p449 |
社章
| 社章 |
昭和46年12月 |
図と説明 |
p449 |