王子製紙(株)『王子製紙山林事業史』(1976.06)

"高島菊次郎"が書かれている資料編項目はハイライトされています。

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役員 王子製紙株式会社歴代社長 ~昭和42年3月27日 写真、渋沢栄一//藤原銀次郎 専務取締役社長 大正9年6月30日、取締役社長 昭和4年3月28日~昭和13年12月24日//高島菊次郎 取締役社長 昭和13年12月24日~昭和17年12月5日//足立正 取締役社長 昭和17年12月5日~昭和21年12月21日//中島慶次 昭和21年12月21日~昭和42年3月27日 〔写真の部〕11
物流 流送・船積 昭和12年 写真、(1)冬山事業では、丸太は造材現場から川沿い山土場へ馬橇運材され、椪積み巻立てられる。(2)川沿い山土場椪積み材は、堰堤内で湛水しながら土入作業に入る。(3)堰堤に十分な湛水が行なわれると放水を開始、同時に土入した原料丸太は、その水量と水勢によって小沢支流を散流しながら本流へと流下する。(4)本流を散流により流下し、本網羽に着材すると、直ちに流送夫による水切り、陸揚げ、巻立てなどの作業に入るか、または編成の上、船積みのため曳航するものに選別する。(5)編筏して河口まで曳航された原料丸太は、沖に待機している積取船へと沖出し準備にとりかかる。(6)重積筏に組立てて積取本船まで曳航する。(7)、(8)曳航された編筏原料丸太は、積取船の舷側で掛筏としクレーンによって積込まれ、内地へ移出される。(9)樺太外知来における内地向け移出材を、一応皆別湖に繋留して船積みを待つが、その代表的な湖上集積土場の光景。//日本人絹パルプ山林管内敷香事業区に隣接する日・ソ国境・境界線に位置して(右より小泉小次郎、磯地金助、石原好一、以下不詳)。//樺太分社における豊原~落合間鉄道開通祝賀記念式典に列席した藤原銀次郎社長、高島菊次郎副社長、ほか随員と樺太分社大幹部職員(前列右より)、梅沢源吉、2人不詳、高島菊次郎、藤原銀次郎、1人不詳、光沢義男、山内幾馬、(後列右より2人目)木下又三郎。//昭和12年、日本人絹パルプ敷香工場を視察した樺太分社梅沢源吉山林部長と幹部職員。今井兼次、磯地金助、石川弘文、疋田得三郎、北川盛三、近江繁雄、村上彦四郎、中川正逸、大島小謹吾、宇部清、[以下略] 〔写真の部〕41
事業所 満洲 明治40年~昭和17年6月 写真、明治40年当時より、すでに、無尽蔵といわれた東満洲の森林資源を対象とする製紙工場計画が立てられていて、一応、富寧公司の設立となるが、その対象資源としての鏡白湖とその周辺の樹林((1)、(2)、(3))ならびに臭松、魚鱗松、紅松の群生状況((4)、(5))、共栄起業所有の林場権、四合川柴山地区拉林河上流における林相。//昭和17年6月、共栄起業(株)の林場権調査のため、星直太郎ほか数名が派遣された折、出発前、吉林神社にて安全祈願する共栄起業幹部と調査隊。(右より)中村尭夫、阿部清、大町権太郎、不詳、星直太郎、根本弘之、尾形真郷、田代名兵衛、坂戸毅、海藤雅夫、[以下略]//昭和11年2月29日、新京において満洲林業(株)創立記念(幹部職員)。//パルプ事業計画樹立を目的とした森林資源調査、すなわち図化、面積および蓄積確定のため、昭和9年8月~10年2月に、帝国森林会、満州実業部林野司及び満鉄が合同して満州航空(株)に依頼した航空写真隊一行。//満州林業の宮田長次郎(前列右)、石和柏蔵(後列中央)ほか。//富寧公司の林場権証明書。興林公司の林場権証明書。//満州の広漠たる原野にたつ日満パルプ敦化工場全景。//昭和13年6月13日、日満パルプ化敦化工場竣工式を行ない、直ちに試運転開始のため、王子製紙副社長・高島菊次郎を迎えて日満パルプ本社役員及び工場幹部。//昭和13年12月~14年2月の3カ月間、北満の地にパルプ工場建設の適否条件調査のため、派遣された興安嶺調査団。白井四方、矢部隆常、佐藤某、大越某、青山与一、秋山富義、岩間正臣//日満パルプ敦化工場山林課、三股流地区伐出作業馬橇運材。//同上、夾心子馬号における流送土場集材作業。 〔写真の部〕56
経営 王子造林 写真、青森県野辺地山林のアカマツ天然林。//北海道弟子屈山林のカラマツ植栽地。//北海道手稲、小樽山林の全ぼう。//青森県大平山林における高橋秋雄の慰霊碑の前にて(左より山本保男、小林準一郎、高島菊次郎、原耕太)。 〔写真の部〕71
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