製品;技術
| |
|
ジルコン質の煉瓦をガラス窯に使用後の使用面の顕微鏡写真(×22クロスニコルで撮影) |
〔19〕 |
沿革;製造工程
| 明治以前 耐火煉瓦のあけぼの |
|
図、写真、わが国初期の製鉄図(橋野高炉絵巻より)、岩鉄を背負い梯子を上り高炉の上に運ぶ図、湯口前働の図、タタラ(銑鉄)を打ちくだき水溜りに引き入れる図、安政2年(1855)幕府が伊豆韮山に築造した反射炉、文久初年(1861年)ごろ大島高任によって作られた釜石大橋高炉見取図の一部、安政初年(1854年)ごろ水戸藩那珂湊の反射炉に使用した耐火煉瓦を焼いた登窯 |
〔20〕 |
沿革;技術
| 幕末の製鉄と耐火煉瓦 |
|
図、写真、錦絵図に描かれた大砲図、わが国の製鉄技術は大砲の鋳造から起こった//鉄を溶解したといわれる釜と安政2年(1855)築造された那珂湊の反射炉//ヒュギューエニン式反射炉図 反射炉築造のための知識はオランダ人ヒュギューエニンの「鉄熕全書」に拠った//那珂湊の反射炉跡から発掘された当時の耐火煉瓦(安政2年頃のもの) |
〔22〕 |
沿革;技術
| 製鉄と耐火煉瓦の先駆者 |
|
図、写真、伊豆韮山の代官江川太郎左衛門 彼は嘉永6年(1853)幕府に上申した文書でわが国初の耐火煉瓦の説明を行った//わが国に鉄鋼業の基盤を確立した大島高任//大島高任・手塚律蔵によって訳されたヒュギューエニンの『鉄熕鋳造篇』 |
〔23〕 |
沿革;技術
| 明治期 耐火煉瓦を指導した人びと |
|
写真、わが国耐火煉瓦の父、西村勝三//明治19年(1886)ヨーロッパの耐火煉瓦工業を視察した西村勝三からの手紙(8月7日付ベルリンから)//明治19年8月4日付時事新報に載った西村勝三ヨーロッパ視察の記事//品川白煉瓦製造所(明治20年頃)//当時政府が御傭外人との間に交した雇用契約書//御傭外人 アンリ プレグラン//技師 海老名龍四//耐火煉瓦で作られている海老名龍四の墓//技師 武藤三枝//技師 梅田音五郎//工部省、明治3年(1870)新設され諸産業の開拓推進、監督を行った//わが国耐火煉瓦製造の草分け、伊勢勝白煉瓦製造所//明治20年(1887)東京品川の官営品川硝子製造所、ここに品川白煉瓦製造所がつくられた//工部省セメント工場、後の浅野セメント工場となる |
〔24〕 |
沿革;製品
| 耐火煉瓦の主な用途 |
|
写真、錦絵に描かれた銀座ガス街//明治6年(1873)プレグラン設計の最初のガス路線図//東京府瓦斯局、品川白煉瓦にとって最初の大口発注主であった//明治9年(1876)に完成した印刷局の紙幣印刷工場//東京府瓦斯局からの耐火煉瓦の大口注文書(明治9年)//ガス博物館に遺されているわが国最初のガス灯//釜石橋野高炉跡から発掘された品川白煉瓦製の耐火煉瓦 橋野高炉は文久年間(1861年ごろ)から明治27年(1894)まで稼働した//官営八幡製鉄所東田高炉、明治34年(1901)第1高炉が火入れした 現在北九州市八幡に当時の姿でのこされている//横須賀造船所、明治4年(1871)海軍省の管理下におかれ軍艦を建造、ボイラー用耐火物を納入した//釜石製鉄所、明治13年(1880)火入れしたわが国初の近代的洋式高炉//明治34年(1901)特許局長から下付されたシリカ耐火煉瓦改訂特許証 |
〔26〕 |
沿革;事業所
| 品川白煉瓦株式会社創立 |
|
写真、品川白煉瓦株式会社成立時の原始定款と発起人名、明治35年(1902)//品川白煉瓦があった東京府荏原郡品川町附近 中央青色の部分が品川白煉瓦本社工場であった。//品川にいた当時(明治37年頃)の本社工場//大阪支社(明治40年頃)//小名浜支工場(明治40年頃)//湯本支工場(明治40年頃)//品川白煉瓦株式会社成立時の原始定款と発起人名、明治35年(1902)//品川白煉瓦があった東京府荏原郡品川町附近 中央青色の部分が品川白煉瓦本社工場であった。//品川にいた当時(明治37年頃)の本社工場//大阪支社(明治40年頃)//小名浜支工場(明治40年頃)//湯本支工場(明治40年頃)//第3回内国勧業博覧会、明治23年(1890)上野公園で開催された//明治40年(1907)7月当時の品川白煉瓦の製品展示風景//明治40年(1907)の営業案内//勧業博覧会で品川白煉瓦の製品は名誉金牌を受章した//製品に対しては納入先から品質証明書が贈られる//社名入りハッピの背に染め抜かれたマーク//社名入りハッピ(品川白煉瓦製造所と品川白煉瓦合資会社のもの)//明治40年(1907)頃の品川白煉瓦の企業広告//三井物産合名会社との大口輸出契約書(明治40年)//明治35年(1902)郵便報知に載った品川白煉瓦の記事 |
〔28〕 |
沿革;事業所
| 明治期の耐火煉瓦工場と原料地所在図 |
|
地図、表、盛秀館、五成舎、製々舎、貞徳舎、九州耐火煉瓦、広瀬坩堝製造所、丸三耐火煉瓦製造所、横山耐火煉瓦製造所、三石煉瓦製造所、愛知煉石社、土地買収、採掘契約、採掘権買収、買鉱、原料払下げ、共同事業 |
〔30〕 |
生産;施設
| 明治期の原料と生産設備 |
|
グラフ、写真、明治期の耐火煉瓦生産高、明治期の鉄鋼製造高、明治40年7月頃のメンドハイムキルン、明治40年頃の赤井原料地、明治時代の赤井分工場、明治40年7月頃の生産設備 |
〔31〕 |
沿革;製品
| 大正期 化粧煉瓦を創る |
|
写真、大正3年(1914)完成当時の東京駅、品川白煉瓦製の化粧煉瓦が使用された//東京瓦斯(株)千住工場跡から発掘された品川白煉瓦製のタイル//大正時代に生産されていた化粧タイル//大正時代のカタログに載っている化粧煉瓦//大正時代近代洋風建築に使われた品川白煉瓦製のテラコッタ(左・大阪府庁と右・銀行協会)//大正8年頃(1919)化粧煉瓦を生産していた岡山県伊部工場 |
〔32〕 |
生産;施設
| 大正の原料 |
大正元年~大正14年 |
地図、グラフ、写真、大正5年に建てられた赤井畑子沢原料地の記念灯籠//大正5年(1916)開山当時の三方鉱山原料地の小屋//大正期の鉄鋼生産高//大正期の耐火煉瓦生産高//蝋石煉瓦、モルタルが付き易いように網目がある//木釜耐酸煉瓦、大正から昭和初期に生産された |
〔34〕 |
沿革;役員
| 昭和期 青木均一と品川白煉瓦の再建 |
|
写真、昭和初期に見られた耐火煉瓦の荷積み風景//機関車による積出し風景//昭和10年(1935)頃の岡山第一工場全景//昭和13年(1938)頃の広野シャモット工場//昭和2年(1927)品川白煉瓦再建のため入社した青木均一//昭和13年(1938)建設された岡山第3工場瓦斯発生炉//昭和4年(1929)青木均一は“営業の概況”で品川白煉瓦再建策を示した//昭和7年(1932)京都ホテルに於ける工業組合設立懇談会//昭和10年(1935)頃生産されていた耐酸煉瓦 |
〔36〕 |
沿革
| 日本耐火煉瓦統制会社の設立 |
|
写真、昭和18年(1943)日本耐火煉瓦統制株式会社設立時の定款//当時の新聞に載った勤労動員学徒の手記//昭和19年(1944)岡山工場における勤労学徒の作業風景//女子の原料選別作業風景 |
〔38〕 |
沿革;海外事業
| 海外へ進出 |
|
写真、図、昭和19年(1944)海外進出関係の書類//朝鮮品川白煉瓦(株)などの社印と現地の紙幣//完成間近い朝鮮品川白煉瓦(株)端川工場とその社宅(昭和19年)//利豊炭砿の附近略図(昭和19年頃) |
〔39〕 |
生産;施設
| 昭和の原料と工場・設備 |
|
地図、写真、昭和10年(1935)頃三石砿山で採取した原料“ダイアスポア”//昭和10年(1935)頃のバラ打ち作業と成型のための木枠、土地買収、採掘契約、採掘権買収、買鉱、原料払下げ、共同事業 |
〔40〕 |
沿革;製品
| 戦後の復興 |
|
写真、昭和22年(1947)12月岡山工場にご来臨された天皇陛下と青木均一//昭和28年(1953)6月、ライテックス工場落成式 昭和28年は品川白煉瓦(株)創立の50周年に当る//弓プレス、昭和初期の新鋭機であった//戦後しばらく生産されたボーンチャイナ//昭和30年(1955)頃生産されたスラジスト煉瓦 |
〔41〕 |
施設;製品
| 最近の生産設備と製品 |
|
写真、昭和28年(1953)頃製造されたライテックス煉瓦//最近のドロマイト煉瓦//最新の生産設備(エッジランナー、電磁式振動篩、超高温焼成炉(技術研究所)、3,600t油圧プレス、トンネルキルン、発光分光分析装置(技術研究所)) |
〔42〕 |
生産;製品
| 最近の耐火煉瓦の趨勢と技術研究 |
|
写真、グラフ、アメリカGR社との技術提携書(昭和25年)//最近の耐火煉瓦産業別使用状況//最近10年間の耐火煉瓦生産高//粘土質煉瓦//浸漬ノズル//スライドバルブ//連続鋳造用煉瓦 |
〔43〕 |
沿革;生産
| 躍進する耐火煉瓦工業 |
|
地図、グラフ、原料の輸入と製品の輸出要図、昭和47年(1972)岡山第3工場に完成した脱硫装置//昭和45年(1970)備前町との間に結ばれた環境整備に関する協定書//岡山第1工場の古い煙突とその向こうを走る新幹線//最近の製品別生産高//現在の営業所と工業分布図 |
〔44〕 |
技術
| 明日の耐火煉瓦 |
|
図 |
〔46〕 |
催し
| 創業100年記念式典(如水会館)//創業100年記念講演会(経団連会館) |
昭和50年10月22日//昭和50年10月14日 |
写真、乾杯の音頭をとる青木取締役、挨拶する秋竹社長、談笑する左から秋竹社長、青木取締役、河西会長//挨拶する東京工業大学名誉教授 山内俊吉、米国USスチール社研究所製鋼研究部長Mr.K.Kappmeyer、英国シェフィールド大学名誉教授Dr.J.White、米国ゼネラルリフラクトリーズ社研究所長Mr.W.Treffner |
〔48〕 |
製品
| 製品と主な納入先 |
|
写真、製品 |
〔221〕 |
製品
| 製品と主な納入先 |
|
写真、製品納入先 日本鋼管(株)(福山製鉄所320t転炉)、(株)神戸製鋼所(加古川製鉄所、連続鋳造機)、住友金属工業(株)(鹿島製鉄所・No.2高炉、熱風炉)、大同製鋼(株)(知多工場 大同レクトロメルト式70t電気炉)、三菱化成工業(株)(坂出工場コークス炉)、小野田セメント(株)(津久見工場ロータリーキルン)、伊奈製陶(株)(土浦工場 トップアトン燃焼式トンネルキルン TAFT-TI)、小名浜製錬(株)(溶錬用反射炉)、東京都板橋清掃工場(廃棄物焼却炉)、ブラジル・ウジミナス製鉄所(Usinas Siderurgicas de Minas Gerais S.A.)、ブラジル・コジッパ製鉄所(Companhia Siderurgica Paulista)左:コークス炉 右:熔鉱炉羽口煉瓦積、朝鮮耐火化学工業(株)(品川トンネルキルン)、西独A.T.H社(August Thyssen-Hutte A.G.)シュベルゲン高炉、ルーマニア・ガラチ鉄鋼コンビナートおよび引き渡調印(Combinat Siderurgic Galati) |
〔222〕 |
経営;施設
| 当社の現況 |
|
写真、本社・支店 本社(新大手町ビル6F)とEDPS室、大阪支店(住友生命瓦町ビル2F) |
〔725〕 |
経営;施設
| 当社の現況 |
|
写真、技術研究所 技術研究所正面風景、上:原子吸光光度計、下:熱伝導率測定装置、上:ガス分析装置、下:高温クリープ試験装置 |
〔726〕 |
経営;事業所
| 当社の現況 |
|
写真、工場 岡山工場(上・第三工場 下左・第二工場 下右・第一工場)、新潟本工場全景、守山工場全景、日生工場全景、相模工場全景、千田工場(上・全景 下・粉砕設備)、鹿島工場全景 |
〔727〕 |
経営;事業所
| 当社の現況 |
|
写真、営業所・出張所 福山営業所(日本鋼管(株)福山製鉄所管理センター別館2F)、神戸営業所(エビスビル3F)、和歌山営業所(住友金属工業(株)和歌山製鉄所内)、鹿島営業所(小池ビル2F)、京浜営業所(日本鋼管(株)京浜製鉄所内)、名古屋営業所(新名古屋ビル北館4F)、九州営業所(五十鈴ビル3F)、仙台営業所((株)吾嬬製鋼所仙台製造所内)、室蘭出張所 |
〔730〕 |
経営;施設
| 当社の現況 |
|
写真、原料地 三石砿山採掘現場、三方砿山採掘現場、品野砿山採掘現場、赤井砿山採掘現場 |
〔731〕 |
経営;関係会社
| 当社の現況 |
|
写真、関連会社 品川炉材(株)(本社工場正面、粉砕設備)、帝国窯業(株)工場全景、品川企業(株)(真岡化成工場、:品川ロイヤルゴルフ、:品野カントリー)、品川ロコー(株)(事務所(日本鋼管(株)福山製鉄所内)、第三製鋼工場定盤煉瓦張作業) |
〔732〕 |
役員;名誉
| 受章―青木均一 |
昭和51年5月3日 |
写真、勲一等 |
〔907〕 |
定款
| 原始定款 |
|
写真 |
〔907〕 |
定款
| 現行定款 |
昭和50年5月改正 |
|
〔907〕 |
役員
| 役員任期表 |
明治36年6月25日~昭和49年5月30日 |
図、氏名、役職、会長、社長、専務、常務、取締役、監査役、相談役 |
〔907〕 |
財務・業績
| 資本金の推移 |
明治20年10月~昭和50年6月 |
図 |
〔907〕 |
従業員
| 従業員の推移 |
明治8年9月~昭和50年9月 |
グラフ、職員、工員 |
〔907〕 |
売上;財務・業績
| 売上げと利益と配当の推移 |
明治36年~昭和50年 |
グラフ、売上高、利益金 |
〔907〕 |
組織
| 機構図 |
昭和50年4月1日現在 |
図 |
〔907〕 |
株式
| 株主構成 |
明治36年9月30日~昭和49年3月期末 |
表、円グラフ、株式所有者別、株式所有数別 |
〔907〕 |
株式
| 株主数の推移 |
明治36年9月~昭和50年9月 |
グラフ |
〔907〕 |
株式
| 当社大株主上位10名の変化 |
明治40年3月期末~昭和50年10月1日現在 |
氏名、府県別、持株数、発行株数 |
p919 |
役員;名誉
| 当社の主な受章・表彰 |
明治33年1月25日~昭和50年11月18日 |
年代、受章者、役職、表彰内容 |
p920 |
技術
| 証明書一覧 |
明治40年7月1日~大正7年3月 |
表、署名者、年月日、製品品種、文書種類、要点 |
p921 |
製造工程
| 製造工程図 |
|
図 |
p923 |
売上;経済
| 当社の売上げと国民支出 |
明治18年~昭和49年 |
グラフ、年表 |
p924 |
業界;生産
| 鉄鋼と耐火煉瓦全国生産量 |
明治7年~昭和50年 |
表、銑鉄生産量、粗鋼生産量、耐火煉瓦生産量と当社の比率、鉄鋼向煉瓦出荷量、当社生産量 |
p926 |
財務・業績
| 当社固定資産の推移 |
明治36年9月末~昭和50年3月末 |
表、営業期、金額 |
p928 |
売上
| 当社の年度別・工場別・品質別売上高 |
昭和30年度~昭和50年度 |
表、数量、金額、仕入品、粘土、工場別 |
p929 |
貿易
| 全国耐火物年度別輸出表 |
昭和25年~昭和50年 |
表、数量、金額 |
p934 |
生産
| 当社の年度別・工場別・品質別生産実績 |
昭和4年度~昭和50年度 |
表、岡山工場、湯本工場、粘土質煉瓦、高アルミナ質煉瓦、珪石質煉瓦、クロム質煉瓦、その他 |
p934 |
生産
| 当社の不定形耐火物生産実績 |
昭和28年~昭和50年 |
表、キャスタブル、プラスチック、吹付材、ラミング材、その他 |
p939 |
貿易
| 当社の年度別輸出額 |
昭和27年~昭和50年 |
表、輸出金額、耐火煉瓦売上に対する比率、備考 |
p940 |
技術
| 技術契約一覧(昭和時代後期) |
昭和25年10月19日~昭和49年12月17日 |
表、契約相手名、契約の対象、契約の種類、契約・認可日 |
p941 |
技術
| 特許・実用新案一覧 |
明治時代~昭和時代後期 |
表、特許、実用新案、名称、発明者、特許年月日、特許番号、特許権者、考案者、登録年月日、登録番号、技術内容、発明の要点、出願番号、公告年月日、公告番号、登録番号 |
p942 |
社旗
| S.Sマーク及び社旗寸法基準 |
|
図 |
〔950〕 |
役員
| 当社中興の祖 青木均一逝去 |
昭和51年8月27日 |
写真、略歴 |
〔1035〕 |