役員
| 歴代取締役会長・社長 |
明治40年11月1日~現在[昭和43年7月] |
写真、表、井上角五郎、山内万寿治、高崎親章、団琢磨、樺山愛輔、水谷叔彦、磯村豊太郎、杉政人、島田勝之助、石塚粂蔵、新谷哲次、柳武、就任年月日、退任年月日 |
巻頭 |
事業所
| 本店所在地の変遷 |
明治40.11.1~現在 |
表、区分(室蘭本社、東京本店、本店)、期間、所在地 |
巻頭 |
事業所
| 本店所在地の変遷 |
大正6.3.18~大正12.9.3 |
写真、日本橋区本革屋町5番地 三井2号館 |
巻頭 |
事業所
| 本店所在地の変遷 |
大正12.11.1~昭和2.9.25 |
写真、京橋区南伝馬町2丁目18 千代田館 |
巻頭 |
事業所
| 本店所在地の変遷 |
昭和2.9.25~昭和10.8.10 |
写真、日本橋区本町2丁目1番地 三井3号館 |
巻頭 |
事業所
| 本店所在地の変遷 |
昭和10.8.10~昭和19.3.29 |
写真、麹町区丸ノ内1丁目2番地 横浜正金丸ノ内支店ビル |
巻頭 |
事業所
| 本店所在地の変遷 |
昭和19.3.29~昭和25.8.20 |
写真、日本橋区通り2丁目5番地 高島屋ビル(写真は現代) |
巻頭 |
事業所
| 本店所在地の変遷 |
昭和25.8.20~昭和28.6.1 |
写真、中央区銀座西1丁目5番地 高島屋分館 |
巻頭 |
事業所
| 本店所在地の変遷 |
昭和28.6.1~昭和35.9.5 |
写真、中央区京橋1丁目5番地 大正海上ビル |
巻頭 |
事業所
| 本店所在地の変遷 |
昭和35.9.5~ |
写真、千代田区有楽町1丁目12番地 日比谷三井ビル |
巻頭 |
名誉;施設
| 伊藤博文の揮毫 |
明治42年8月 |
写真、明治42年8月、韓国皇太子に随従して、室蘭工場来場の際に揮毫されたもの。 |
巻頭 |
事業所
| 当社創立当時の北海道炭砿汽船(株)本社 |
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写真、室蘭町大字札幌通り208番地に所在。当社創立準備事務の一部が、ここで取り扱われた。 |
巻頭 |
事業所
| 室蘭工場用地踏査 |
明治40年初頭 |
写真、明治40年初頭から、北海道炭砿汽船会社よって、工場用地の踏査が行われた。 |
巻頭 |
事業所
| 英国両社代表、工場建設状況視察 |
明治42年1月 |
写真、ア社ジョン・ノーブルおよびビ社ダグラス・ビッカースの両名、室蘭工場建設状況を視察。 |
巻頭 |
事業所
| 創業時の室蘭工場 |
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写真、当時東洋最大の兵器工場も、60年の歳月を経て、現在の壮観は、企業発展そのものの姿といえる。 |
巻頭 |
事業所
| 三菱仲7号館 |
明治44年から大正3年まで |
写真、明治44年から大正3年まで、東京出張所が、この「1丁ロンドン」の仲7号館(当時の第13号館)にあった。現在の富士鉄ビル所在地。 |
巻頭 |
施設
| 室蘭工場の4,000トン水圧鍛錬機 |
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写真、創業当時、国内にては類例の少ない大型鍛錬機として注目された。 |
巻頭 |
事業所
| 創業時の広島工場 |
大正9年11月 |
写真、大正11年9月、(株)広島製作所を買収して、広島工場を設置した。いまの工場主力は、前面の畑地のほとんど全地域を占めている。(上 |
巻頭 |
事業所
| 輪西工場 |
大正13~4年ころ |
写真、輪西製鉄組合経営時代(大正13~4年ころ)の輪西工場。いまの富士鉄の前身で、その盛況をみて、まさに桑海の感を深くする。 |
巻頭 |
事業所
| 价川鉄山第1鈜床採掘場 |
大正8年12月から昭和6年10月まで |
写真、价川鉄山事務所は、大正8年12月から昭和6年10月まで、職制上、直轄事業所としてせっちされた。 |
巻頭 |
施設
| 広島工場エルー式3トン電気炉 |
昭和3年3月設置 |
写真、昭和3年3月設置以来、各種高級鋳鋼に当社技術の真価を発揮した。 |
巻頭 |
名誉
| 室蘭工場に今上天皇行幸 |
昭和11年9月26日 |
写真、昭和11年9月、錦旗北海道に輝く。同月26日、室蘭工場に行幸された。 |
巻頭 |
施設
| 20サンチ連装砲塔旋回盤 |
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写真、機削中の旋回盤。組立てられた巨砲がうなりを立てて俯仰旋回の試運転される姿は壮観であった。(広島工場) |
巻頭 |
製品
| 27,000トン装甲巡洋艦ステム |
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写真 |
巻頭 |
製品
| 27,000トン装甲巡洋艦ラダーフレーム |
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写真 |
巻頭 |
製品
| 27,000トン装甲巡洋艦用シャフトブラケット |
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写真、ステム、ラダーフレーム、およびシャフトブラケットその他の艦用鋳鋼品 創業早々にして、「金剛」級巡洋艦(27,000トン)用のこの種鋳鋼品および各種鍛鋼軸類を製作した。(室蘭工場) |
巻頭 |
製品
| 16インチ海軍砲砲身 |
大正10年10月 |
写真、大正2年4月に12インチ砲砲身、次いで翌3年4月、14インチ砲砲身、また同10年10月16インチ砲砲身のそれぞれ第1号が完成した。(室蘭工場) |
巻頭 |
製品
| 火薬缶 |
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写真、広島製作所創業当初からのほとんど独占製品で、12.7サンチ、15サンチ、20サンチ、36サンチおよび41サンチと各種のものがあった。 |
巻頭 |
製品
| 20トン油槽車 |
大正末期から昭和初期 |
写真、大正末期から昭和初期にかけ、これらタンク車のほか、各種炭車、コールコンベヤー等の鉱業用機器もさかんに製作した。(室蘭、広島工場) |
巻頭 |
製品
| 電車用交叉軌条 |
大正末期 |
写真、大正末期当時の東京市電・日比谷交叉点にも使われた。(室蘭工場) |
巻頭 |
製品
| セメントおよび鉱石粉砕用ボール |
大正末期から昭和初期 |
写真、大正末期から昭和初期の不況対策商品の一つ。販売競争が激しくて、材料の丸棒よりも安値のものが多かった。(室蘭工場) |
巻頭 |
製品
| 650HP水圧ポンプ機械 |
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写真、広島製作所にては、創業当初から艦艇用各種水圧ポンプを製作した。 |
巻頭 |
製品
| 陸軍ダイムラー100HP航空発動機 |
大正7年 |
写真、大正7年、本邦最初の陸軍制式航空発動機(ダイムラー100HP)第1号を完成。(室蘭工場) |
巻頭 |
製品
| 横置式汽動製氷機 |
大正8年 |
写真、大正8年に、英国ホール社との技術提携による炭酸ガス式製氷機で、同時に電動冷却機および製氷機等も製作した。//なお、大正14年には、アンモニア式についても付随契約のもとに、家庭用にまで広げて製作した。(広島工場) |
巻頭 |
製品
| ブリル型電車用トラック |
昭和2年 |
写真、米国ブリル社との提携により、はじめ室蘭、のち広島において製作。 |
巻頭 |
製品
| 陸軍89式中戦車 |
昭和4年 |
写真、昭和4年、当社製鋼板を使って陸軍において試製された戦車で、以来この種戦車は、中核戦車として最も多く作られ、当社においても昭和8年から室蘭、広島連繋工事として、のち武蔵製作所においても作られた。 |
巻頭 |
製品
| 高圧アンモニア合成筒および軍艦用中型蒸気ドラム |
昭和初期 |
写真、昭和初期から当初の最も得意としたもので、ほとんどの需要を独占した。(室蘭工場) |
巻頭 |
製品
| 陸軍7サンチ高射砲 |
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写真、陸軍の主力高射砲として、最も多く製作された。なおこの外、8サンチ、10サンチ、12サンチおよび15サンチの各級にわたり、その精度の優秀さは、定評があった。(室蘭、広島両製作所連繋工事) |
巻頭 |
製品
| ニセコ鋼車軸 |
昭和初期 |
写真、その優秀性をさかんにP.Rしたニセコ法による鉄道10トン長軸。(室蘭工場) |
巻頭 |
製品
| 各種工具類 |
大正末期から昭和初期 |
写真、大正末期から昭和初期にかけての不況対策製品として工具類の製作販売に着手した。(室蘭、広島両工場) |
巻頭 |
教育・研修
| 武蔵製作所実習工場 |
昭和14年 |
写真、当所は最初から、未成業工員のみによる作業体制の確立を期し、青年学校教科と併行して、作業実習に力を注いだ。(昭和14年) |
巻頭 |
施設
| 室蘭製作所10,000トン水圧鍛錬機 |
昭和15年2月操業開始 |
写真、昭和15年2月操業開始。以来世界的施設として、各種の大型鍛造に活躍中。 |
巻頭 |
施設
| 室蘭製作所大型圧延機 |
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写真、戦艦「大和」級に使用される超厚広幅特殊鋼板製作のため、昭和16年6月操業開始、現在も当社の誇る独自の領域確保に寄与している。 |
巻頭 |
事業所;災害
| 室蘭製作所、艦砲射撃を受ける |
昭和20年7月20日 |
写真、昭和20年7月20日、室蘭製作所は敵機の来襲とともに、戦艦から砲撃を受けた。同所第六機械工場被害の状況。 |
巻頭 |
事業所
| 終戦直後の室蘭製作所の一部 |
終戦直後[昭和20年] |
写真、御崎貯水池付近から見た工場の一部、荒涼として廃墟を思わせる。 |
巻頭 |
事業所
| 終戦直後の広島製作所の一部 |
終戦直後[昭和20年] |
写真、同所の戦災は比較的少なかったが、なお屋根や窓の破損状態は、相当なものであった。 |
巻頭 |
製品
| 水豊105,000KW水力発電用主軸および回転子 |
昭和14年 |
写真2点(主軸、回転子)、当時(昭和14)世界最大を誇る北鮮水豊発電所の発電機用ローターシャフトおよびケーシング等が当社から納入された。 |
巻頭 |
製品
| 陸軍○ゆ[まるゆ]潜航艇 |
太平洋戦争末期 |
写真2点、太平洋戦争末期、製作された陸軍の特殊輸送用潜航艇○ゆ[まるゆ](広島製作所)//雑誌「丸」13―12号所載)//(日立製作笠戸工場製) |
巻頭 |
製品
| 終戦直後の民需品 |
終戦直後 |
写真8点、(室蘭製作所)2点、[ミシン](宇都宮製作所)1点、[ムサシ式人力脱穀機、ムサシ式全自動脱穀機](武蔵製作所)2点、[イタリー式高速撚糸機](横浜製作所)2点、(広島製作所)1点、終戦直後は、手持ち資材でフライパン、スプーン、高圧釜の類まで作ったが、やがてこのような比較的高度の商品が、他に先んじて次々と作られた。 |
巻頭 |
広告宣伝
| 当時[終戦直後]の新聞広告の一部 |
[終戦直後]、昭和26年2月 |
写真7点、新会社として再発足した当社が、産業経済復興の重責をにない、躍進を期してこれらの新聞広告(昭和26年2月、日本経済・毎日)は当時、業界においても、画期的広報として注目された。 |
巻頭 |
製品
| 堅型復列5段メタノール合成圧縮機 |
昭和24年 |
写真、昭和24年、スルザー社との技術提携により、ガスおよび空気圧縮機の製造を開始し、特に堅型大容量の高圧ガス圧縮機は始めて[初めて]わが国に紹介された。(広島製作所) |
巻頭 |
製品
| ムサシK―80型石油発動機 |
昭和32年ごろ |
写真、武蔵製作所の戦後転換品の主要品目として、農業関係方面に多数使用された。(武蔵製作所) |
巻頭 |
製品
| 密着自動連結器(NCA II型) |
昭和32年ごろ |
写真、普通の自動連結器と相互に連結可能な唯一の密着連結器で、当社の特許品。//当時国鉄の最優秀列車「あさかぜ」にも、取り付けられた。(広島製作所) |
巻頭 |
施設
| 長網高速抄紙機 |
昭和32年ごろ |
写真、あらゆる部面に、ざん新な機構を採用した最新式164インチ抄紙機。(広島製作所) |
巻頭 |