経営理念;役員
| 明治時代―明治二十年二月一日の決意 |
明治20年(1887年)2月 |
写真、第一国立銀行本店、渋沢栄一、初代社長 渡部温、江戸時代の麻布本村町 |
p6 |
経営;事業所
| 明治時代―明治二十年二月一日の決意 |
明治21年(1888年)3月 |
写真、明治時代の麻布本社と工場、江戸末期の麻布四ノ橋、「増資許可願」申請書 |
p8 |
役員
| 明治時代―明治二十年二月一日の決意 |
明治20年(1887年)4月 |
写真、開業式を報ずる中外物価新報、開業式の記事と芝・紅葉館、二度目の開業式、浅野総一郎、益田孝、大倉喜八郎、芝・紅葉館と強力な支援者たち |
p10 |
役員
| 明治時代―幕末~維新の洋・漢学者渡部温 |
|
写真、沼津兵学校時代の渡部温、沼津兵学校、「通俗・伊蘇普物語」 |
p12 |
事業所;施設
| 明治時代―造船学の権威赤松則良 |
元治元年(1864年)~明治8年(1875年) |
写真、オランダ留学生たち、横須賀製鉄所・製鋼工場、明治元年には時計台がついた、日本初の本格的軍隊 清輝 |
p14 |
役員
| 明治時代―近代的製綱事業に賭けた山田昌邦 |
明治20年(1887年)~明治22年(1889年) |
写真、酒井周三、製鋼機払下げの広告、払下げられたフランス製製鋼機 |
p16 |
販売
| 明治時代―創業時の麻綱販売網 |
明治13年(1880年)~明治20年(1887年) |
写真、船具商の草分け大村五左衛門商店、明治期の築地河岸、明治二十年十一月頃の東京船具問屋組合、渡辺熊四郎初代当主、渡辺熊四郎商店 |
p18 |
事業所
| 明治時代―西の生産拠点兵庫工場 |
明治28年(1895)~明治36年(1903) |
写真、西の販売拠点・大阪販売店、明治の兵庫分工場周辺、明治三十六年刊の神戸市兵庫工場周辺図 |
p20 |
事業所;技術
| 明治時代―ワイヤロープへの果敢な挑戦 |
明治30年(1897年)~明治44年(1911年) |
写真、藤倉見達とワイヤロープ、ワイヤロープの生産拠点・深川工場、深川分工場周辺、東京逓信局が編纂した深川工場周辺地図 |
p22 |
事業所;施設
| 明治時代―深川分工場のスタート |
明治31年(1898年)~明治33年(1900年) |
写真、深川分工場・製綱場、深川分工場、洗滌場軟化炉、ワイヤロープ販売に必死、鋼索製造製綱の新聞記事、二〇〇トンワイヤロープ試験機 |
p24 |
事業所;提携・合併
| 明治時代―月島製綱を吸収合併 |
明治39年(1906年)~明治44年(1911年) |
写真、合併当時の月島分工場、合併広告、月島分工場周辺と大津波、ダイナミックに稼働中の製綱工場、明治四十四年に東京逓信局が編纂した月島工場周辺地図 |
p26 |
事業所;提携・合併
| 明治時代―日本製綱を吸収合併 |
明治42年(1909年)~明治45年(1912年) |
写真、合併広告、明治四十三年三月発行のマニラロープ定価費用、洲崎分工場の周辺、深川・古石場から眺めた洲崎、明治四十四年に東京逓信局が編纂した洲崎工場周辺地図 |
p28 |
経営;従業員
| 明治時代―不況知らずの二十年 |
明治40年(1907年)~明治43年(1910年) |
写真、意気盛んな職員と工員たち、京橋区三十間堀の本社正面玄関 |
p30 |
株式
| 明治時代―大株主・深山小兵衛 |
文政3年(1820年)~明治33年(1900年) |
写真、「万屋」、明治三十三年発行の株券 |
p32 |
施設;関係会社
| 明治時代―鉱・砿業の発展と守谷商会 |
明治34年(1901年)~明治43年(1910年) |
写真、磐城炭砿 内郷竪坑、日本石油 ロータリー鑿井装置、鋼索特約店・守谷商会 |
p33 |
事業所;施設
| 明治時代―小倉進出と飽くなき闘魂 |
明治39年(1906年)~明治41年(1908年) |
写真、設立間もない頃の小倉工場・伸線工場、指月館 |
p34 |
事業所;施設
| 明治時代―小倉進出と飽くなき闘魂 |
明治42年(1909年)~大正8年(1919年) |
写真、明治四十二年当時の製綱工場、叩きダイスと工具、叩きダイスと親方たち、小倉分工場の周辺、レンガ造りの小倉工場事務所、大正八年に作成された小倉工場周辺地図 |
p36 |
事業所;施設
| 明治時代―小倉進出と飽くなき闘魂 |
明治42年(1909年) |
写真、小倉工場焼入れ設備、中間線材置場、三池炭砿・万田竪坑、新聞記事になった決算報告、新工場を視察する経営幹部 |
p38 |
役員;催し
| 大正時代―線材・製綱一貫体制への夢 |
大正3年(1914年)~大正6年(1917年) |
写真、起業のときの経営幹部 高柳錠太郎、渡辺省三、山田昌邦、藤田清一//空前の賑いをみせた起業式 |
p40 |
催し;事業所
| 大正時代―線材・製綱一貫体制への夢 |
大正6年(1917年)~大正8年(1919年) |
写真、起業式光景、完成を祝う来賓の人たち、建設当時の小倉製鋼所、大正八年作成の小倉製鋼所周辺地図 |
p42 |
事業所;施設
| 大正時代―線材・製綱一貫体制への夢 |
大正5年(1916年)~大正6年(1917年) |
写真、平炉工場とドロマイト工場、稼働体制に入った製鋼所、製鋼所内部、小倉製鋼所の小形工場、製鋼所事務所の前で、日本銑鉄・溶鉱炉 |
p44 |
事業所
| 大正時代―線材部門の分離を決意 |
大正5年(1916年)~大正9年(1920年) |
写真、大島製鋼所・鋳鋼溶解工場の建設、大島製綱所、大川平三郎氏、大島製綱所の周辺、福昌公司奉天出張所の広告 |
p46 |
名誉
| 大正時代―海軍中将・伏見宮殿下の視察 |
大正8年4月 |
写真 |
p48 |
事業所
| 大正時代―深川工場に本社事務所 |
大正9年(1920年)~大正11年(1922年) |
写真、大不況に遭遇、本社を移転//深川本社設計図 |
p49 |
災害;事業所
| 大正時代―関東大震災と深川工場 |
大正12年(1923年)9月 |
写真、灰燼に帰した深川工場、焼け落ちた深川工場クローサーと当時の職員 |
p50 |
事業所
| 大正時代―横浜製綱を吸収合併 |
大正12年(1923年)9月 |
写真、昭和四年発行の第横浜市全図 |
p52 |
役員
| 大正時代―ポスト山田の新経営陣 |
大正11年(1922年) |
写真、赤松範一、戸村理順、渡部朔 |
p53 |
事業所;施設
| 大正時代―川崎工場の建設と新時代 |
大正13年(1924年)~昭和2年(1927年) |
写真、建設中の川崎工場・製線工場(野村宅蔵)、川崎工場建設の先発隊、旧日東製鋼にあった機械の搬出、川崎工場落成を祝う経営首脳 |
p54 |
経営;催し
| 大正時代―川崎工場の建設と新時代 |
大正12年(1923年)、大正15年(1926年) |
写真、川崎工場製品初出荷(大正十二年十二月三十日)、東京船具業者の川崎工場見学(大正十五年) |
p56 |
事業所;施設
| 大正時代―大正末の兵庫・小倉工場 |
大正9年(1920年)~大正13年(1924年) |
写真、当時の兵庫工場、兵庫工場・トワインの出荷、大正九年頃の小倉工場裏門 |
p57 |
労働組合
| 大正時代―総同盟・製綱労働組合の誕生 |
大正15年(1926年)~昭和3年(1928年) |
写真、第一回労働条件協定委員会のメンバー、大正十五年二月二十八日付東京日日新聞、大正十五年十月号雑誌“労働”、日本労働総同盟の中心・鈴木文治、松岡駒吉、三木治朗 |
p58 |
事業所;施設
| 昭和時代(初期)―新製品開発を急ぐ川崎工場 |
昭和2年(1927年)~昭和6年(1931年) |
写真、昭和初期の川崎工場、開通まもない南部鉄道、昭和二年頃の麻綱製品倉庫、昭和六年頃の川崎工場全景、昭和初期の川崎駅 |
p60 |
商品;製品
| 昭和時代(初期)―新製品開発を急ぐ川崎工場 |
昭和3年(1928年) |
写真、昭和三年当時の商品見本、大札記念国産振興東京博覧会に出品、東京市商工名鑑に掲載された広告、めっき線を前にした鍍金部甲組の面々 |
p62 |
催し;製品
| 昭和時代(初期)―活況を呈す兵庫工場 |
昭和3年(1928年)、昭和4年(1929年) |
写真、得意先招待会、太物マニラロープと岡竪治技師の若かりし頃、第十二回国際労働総会 |
p63 |
事業所
| 昭和時代(初期)―昭和初期の小倉工場 |
昭和5年(1930年) |
写真、昭和五年頃の小倉工場、小倉工場の職員たち、昭和初期の職員に出された辞令 |
p64 |
製品
| 昭和時代(初期)―鉱・砿山の開発とワイヤロープ |
昭和10年(1935年) |
写真、日本石油新潟高町油田(昭和十年頃) |
p65 |
製品
| 昭和時代(初期)―大不況下での索道ブーム |
明治45年(1912年)~大正7年(1918年) |
写真、新世界ルナパークのロープウェイ、不忍池に架った空中ケーブルカー、生駒鋼索鉄道ケーブルカー |
p66 |
製品
| 昭和時代(初期)―大不況下での索道ブーム |
昭和2年(1927年)~昭和4年(1929年) |
写真、比叡山索道、国産初の旅客索道、関東鋼索鉄道(新伊香保~樺名山) 昭和四年九月六日開業、丹後成相山ケーブルカー(源・丹後海陸交通) 昭和二年八月十三日開業 |
p68 |
技術
| 昭和時代(初期)―索道架設のパイオニア・玉村勇助 |
明治38年(1905年)~昭和10年(1935年) |
写真、松屋屋上遊覧索道、松尾鉱業・松尾鉱業所、玉村勇助と技術者たち |
p69 |
事業所
| 昭和時代(初期)―活況続ける川崎工場 |
昭和6年(1931年)~昭和16年(1941年) |
写真、本社をおいた東京呉服橋の槇町ビル、鋼索製綱工場(女機工場)落成記念(昭和十年二月四日)、川崎工場・製綱工場のスレッドマシン、川崎工場トライン工場の六頭ギルスピンナー、昭和十六年当時の事務所 |
p70 |
施設;労働組合
| 昭和時代(初期)―活況続ける川崎工場 |
昭和11年(1936年)~昭和15年(1940年) |
写真、原料倉庫の前、相撲大会に興ずる従業員とその家族、労働組合主催の陸上競技大会、製綱労働組合大会、労働組合のポスター、婦人部研究会 |
p72 |
労働組合
| 昭和時代(初期)―輸出の拠点と小倉工場の人びと |
昭和8年(1933年) |
写真、製綱労働組合小倉支部の労働会館、きのこ狩り(昭和十三年) |
p74 |
労働組合
| 昭和時代(初期)―息を吹き返えした兵庫工場 |
昭和11年(1936年)~昭和17年(1942年) |
写真、女子工員の産業体操、製綱労働組合・兵庫支部の労働会館、大村商報とマニラロープ定価表、戦時下の兵庫工場製品 |
p75 |
労働組合;役員
| 昭和時代(初期)―総同盟の解散 |
昭和15年(1940年) |
写真、東京製綱産業報国会発会式、戸村理順の引退、本社槇町ビル前での赤松社長 |
p76 |
海外事業
| 昭和時代(初期)―満州製綱建設に賭けた日々 |
昭和14年(1939年)~昭和16年(1941年) |
写真、満州製綱の従業員たち、満州製綱の裏側、昭和十五・十六年の鞍山市周辺 |
p78 |
海外事業
| 昭和時代(初期)―『清交館』と社員の家族たち |
昭和10年(1935年) |
写真、鞍山市街(昭和十年当時)、東郷採炭所巻櫓より千金塞を望む(撫順)、撫順炭坑の大露天堀、南満州鉄道の工場 |
p80 |
事業所;海外事業
| 太平洋戦争時代―大戦下に朝鮮工場を建設 |
昭和17年(1942年)~昭和19年(1944年) |
写真、朝鮮工場の汽缶場と焼入れ工場、朝鮮工場地鎮祭(昭和十七年)、建設を急ぐ朝鮮工場、建設資材を運ぶ現地工員、仁川府富平川上町周辺 |
p82 |
施設;海外事業
| 太平洋戦争時代―大戦下に朝鮮工場を建設 |
大正元年(1912年) |
写真、水豊ダム、朝鮮工場の陣容とその終えん、台湾繊維のサイザル麻 |
p84 |
海外事業
| 太平洋戦争時代―フィリピンへの派遣 |
昭和17年(1942年)~昭和20年(1945年) |
写真、マニラ駐在員事務所、ドロ泥の戦争に巻き込まれた社員 |
p85 |
事業所;催し
| 太平洋戦争時代―軍需拡大で生れた蒲郡工場 |
昭和16年(1941年) |
写真、建設中の蒲郡工場//上棟式の後、行われた相撲大会 |
p86 |
統制経済
| 太平洋戦争時代―強化一途の統制経済時代 |
大正12年(1923年)~昭和17年(1942年) |
写真、鹿沼工場、昭和十七年当時の麻生産地之図 |
p87 |
統制経済;事業所
| 太平洋戦争時代―軍の要請で新工場を建設 |
昭和17年(1942年)~昭和20年(1945年) |
写真、熊谷工場平面図、朝日新聞の記事、笹村製綱所の鋼索工場を買収 |
p88 |
事業所
| 太平洋戦争時代―本領を発揮できなかった川之石工場 |
昭和19年(1944年) |
写真、川之石工場全景、川之石工場の職員たち |
p89 |
統制経済;事業所
| 太平洋戦争時代―軍一色になった戦時下の川崎工場 |
昭和16年(1941年)~昭和20年(1945年) |
写真、産業報国隊軍事教練結団式//矢吹省三が社長に就任(昭和十八年十月四日)//満州製綱へ派遣される従業員の送別会//秋田・山形からの勤労報国隊//兵庫工場の焼失//焼け落ちたその朝、神戸市の高架線を避難する人たち |
p90 |
事業所;生産
| 戦後復興時代―再興に賭ける川崎工場 |
昭和20年(1945年)~昭和27年(1952年) |
写真、焼土と化した川崎工場周辺、三〇トンクレーン架設、重量二〇トンのロープを製造 |
p92 |
生産;役員
| 戦後復興時代―再興に賭ける川崎工場 |
昭和21年(1946年)~昭和26年(1951年) |
写真、本格化するロックドコイルロープの生産、経営に加わる今川義利、戦後初めての大卒公募・合格者 |
p94 |
事業所
| 戦後復興時代―小倉工場の戦後 |
昭和21年(1946年)~昭和27年(1952年) |
写真、鹿児島本線側から見た小倉工場、筑豊炭田からの注文が殺到 |
p95 |
事業所
| 戦後復興時代―混迷から増産体制へ入る蒲郡工場 |
昭和23年(1948年)~昭和24年(1949年) |
写真、マオランの採取風景、救いの“女神”モントゴメリー女史、モントゴメリー女史と蒲郡工場職員たち、原料割当ての説明を聞く麻綱業者たち |
p96 |
製品;関係会社
| 戦後復興時代―混迷から増産体制へ入る蒲郡工場 |
昭和24年(1949年) |
写真、米国繊維ロープ協会長を案内する三木専務、蒲郡工場で製造された太物麻綱、大阪ロープ工業の設立 |
p98 |
事業所;施設
| 戦後復興時代―川崎工場、近代化への挑戦 |
昭和25年(1950年)~昭和28年(1953年) |
写真、ヘルボーン社製連続伸線機 |
p99 |
技術
| 戦後復興時代―川崎工場、近代化への挑戦 |
昭和28年(1953年)~昭和31年(1956年) |
写真、ロックドコイル撚線機の試運転、ドイツ人技師レース氏の送別会、ドイツ人技師・ブンジェス氏、戸村理順の新鋭機視察、動き出した大型ロックドコイル撚線機、直火式熱処理炉の火入式 |
p100 |
施設
| 戦後復興時代―川崎工場、近代化への挑戦 |
昭和28年(1953年)~昭和33年(1958年) |
写真、世界初の一〇〇〇トン引張試験機の導入、据付けられた引張試験機、ウェスコ・新井氏の川崎工場見学、東綱会メンバーの川崎工場見学、昭和三十年代の川崎工場と周辺 |
p102 |
経営
| 戦後復興時代―ソ連との初商談 |
昭和28年(1953年) |
写真 |
p103 |
製品
| 戦後復興時代―巨大ダム建設時代の到来 |
昭和25年(1950年)~昭和30年(1955年) |
写真、常願寺川工事に活躍したタワーエキスカベーター、佐久間ダム建設現場、上椎葉ダムは日本最初のアーチダム、小河内ダム用ロックドコイルロープ、小河内ダム現場、日本屈指の巨大ダム・有峰 |
p104 |
催し
| 高度経済成長時代―盛大だった創立七十周年式典 |
昭和32年(1957年)5月15日 |
写真、七十周年当時の経営陣、石井光次郎と三木社長、新鋭機械を中止する見学者たち、外国からの来賓、西尾末広氏を囲んでの懇談 |
p106 |
製品;生産
| 高度経済成長時代―麻綱から合繊への転換 |
昭和29年(1954年)~昭和38年(1963年) |
写真、「TOSCO」の開発、活況を呈する北洋漁業、当社のナイロンロープ製品、注文に追いつかない生産 |
p108 |
製品:施設
| 高度経済成長時代―麻綱から合繊への転換 |
昭和30年(1955年) |
写真、マニラロープホーサー、小説「氷壁」とナイロンザイル、蒲郡工場に据付けられた落下試験装置 |
p110 |
関係会社
| 高度経済成長時代―豊川精製網の設立 |
昭和31年(1956年)6月 |
写真、豊川製綱に据付けられた最新鋭編網機 |
p111 |
市場
| 高度経済成長時代―ダイナミックに展開する新市場開拓 |
昭和32年(1957年)~昭和34年(1959年) |
写真、道路輸送量の増大と道路網の整備、高速道路に架設されたガードケーブル、ストーンガード(落石防止柵) |
p112 |
製品;事業所
| 高度経済成長時代―観光ブームに乗るロープウェイ |
昭和32年(1957年)~昭和34年(1959年) |
写真、眉山ロープウェイ、箱根ロープウェイ、船積みに活躍するクレーン用ロープ |
p114 |
役員;施設
| 高度経済成長時代―線材からの一貫体制へ再挑戦 |
昭和29年(1954年)~昭和38年(1963年) |
写真、砂鉄資源地を探訪する今川社長、東北砂鉄鋼業の天狗岱鉱区、雪の中の東新鋼業、中間圧延装置、砂鉄線材開発時の日本経済新聞記事 |
p116 |
表彰;製品
| 高度経済成長時代―工業技術院賞を受賞 |
昭和34年(1959年)~昭和35年(1960年) |
写真、近代的吊橋の先駆・小鳴門橋 |
p118 |
製品
| 高度経済成長時代―脚光浴びた若戸大橋の架設 |
昭和33年(1958年)~昭和37年(1962年) |
写真、メインケーブルの断面、東洋一の規模を誇る若戸大橋 |
p119 |
製品
| 高度経済成長時代―脚光浴びた若戸大橋の架設 |
昭和39年(1964年) |
写真、六〇〇トン起重機船「日本号」、国立屋内総合競技場の吊屋根 |
p120 |
関係会社
| 高度経済成長時代―東綱磐田製作所の設立 |
昭和39年(1964年)2月 |
写真、建設中の工場、正門から見る東京製綱磐田製作所 |
p121 |
提携・合併;施設
| 高度経済成長時代―東洋製綱の合併に踏み切る |
昭和26年(1951年)~昭和32年(1957年) |
写真、昭和二十九年当時の東洋製鋼佐野工場、当社の大阪支社となった旧東洋製鋼本社、輸入向けロープの前で記念撮影する技術陣、川崎久勝東洋製鋼元社長、三十二年頃のワイヤロープ撚線機、三十四年頃の焼入れ一号炉 |
p122 |
事業所
| 高度経済成長時代―さようなら川崎工場 |
昭和40年(1965年)~昭和50年(1975年) |
写真、川崎工場の事務所、川崎工場・食堂風景、川崎工場の全景、工場跡地に建った住宅団地 |
p124 |
事業所;催し
| 現代―最新鋭・土浦工場の完成 |
昭和43年(1968年)~昭和45年(1970年) |
写真、土浦工場正面、土浦工場の起工式、起工式での小野進建設委員長、竣工式典に参列した役員陣 |
p126 |
事業所;製品
| 現代―最新鋭・土浦工場の完成 |
昭和44年(1969年)~昭和52年(1977年) |
写真、完成した土浦工場全景、最大ロープ重量六〇トンの製作を可能にした製綱機、関門橋の架設工事、超ヘビー級ワイヤロープの完成、赤穂ロープが当社グループの一員へ |
p128 |
製品;生産
| 現代―スチールコード生産へ大飛躍 |
昭和45年(1970年)~昭和46年(1971年) |
写真、黄金色のスチールコード製品とタイヤ断面、第三期計画建屋完成、東京製綱スチールコードの起工式、注目されるスチールコード製造、東綱機械製作所の設立 |
p130 |
事業所;役員
| 現代―スチールコードへ転換する小倉工場 |
昭和49年(1974年)3月、昭和52年(1977年) |
写真、スチールコード工場となった小倉工場、三木竜彦元社長が逝去 |
p132 |
海外事業
| 現代―技術革新に賭け、国際戦略を展開 |
昭和47年(1972年)、昭和50年(1975年) |
写真、洋上会談、海外工場建設を模索 |
p133 |
海外事業
| 現代―ケンタッキーへ進出・ATR |
昭和51年(1976年)~昭和60年(1985年) |
写真、石社長・アクロン名誉市民の鍵を受ける、ATR社の正面玄関、ATR社の本社工場全景、ATR社初代会長・野本光、二代目会長・細谷清と取締役E・E・ブロック |
p134 |
提携・合併;事業所
| 現代―日鉄ロープ工業の合併 |
昭和60年(1985年) |
写真、合併にこぎつけた小野社長と日鉄ロープ工業・芳野五郎社長、泉佐野南工場、堺分工場、泉佐野北工場 |
p136 |
| 現代―躍進を期す“TJK運動” |
昭和57年(1982年) |
写真 |
p137 |
製品
| 現代―新製品・金属繊維を開発 |
昭和57年(1982年) |
写真、新しい時代の新しい素材の誕生、サスミックファイバー、タフミックファイバー、ダイバックファイバー |
p137 |
催し
| 現代―創業「第二世紀」へ飛躍・一〇〇周年記念祝賀会 |
昭和62年(1987年)4月1日 |
写真、小野進社長の挨拶、東綱会々長・角田泰次郎氏の祝辞、東京会場、大阪会場、優秀販売店賞を受賞する浪速商工、明日への躍進を誓う岡部雄吉専務 |
p138 |
事業所
| 現代―東京製綱本社・工場変遷図 |
明治20年(1887)~昭和60年(1985) |
図、本社・工場名、開設年、閉鎖年 |
p140 |