事業所;役員
| 本社ビル(東京・京橋)、前田社長と嶋田前社長 |
|
写真 |
巻頭 |
事業所
| 小金井工場(東京・小金井) |
|
写真 |
巻頭 |
事業所;技術
| 蛇の目技術研究所(東京・高尾) |
|
写真 |
巻頭 |
設備
| 電算室(本社ビル)、ジャノメ・レディスセンター(本社ビル) |
|
写真 |
巻頭 |
製品;業界
| ハーグリーブズのジェニー機 |
[1764年発明] |
[イギリスで発明された製品の]図 |
p5 |
製品;業界
| アークライトの紡績機フレーム |
[1768年] |
[イギリスで製作された製品の]図 |
p6 |
製品;業界
| ロバーツの力織機 |
[1784年頃改良] |
[イギリスで発明された力織機の改良]図 |
p7 |
貿易
| イギリスの綿糸・綿織物の年間輸出総額 |
1701年~1870年 |
表、年、輸出総額 |
p7 |
製品;業界
| トーマス・セントの環縫ミシン |
1790年 |
[イギリスで発明された製品の]図 |
p14 |
技術
| ミシン発明一覧表 |
1755年~1884年 |
表、年、[発明者の]人名、国、備考 |
p14 |
製品;業界
| チモニエの環縫ミシン |
[1829年発明] |
[フランスのチモニエが発明した製品の]図 |
p16 |
技術
| エリアス・ホウ[(Elias Howe)] |
[1844年頃] |
写真 |
p20 |
製品;業界
| ホウのミシン(改良後のもの) |
[1846年(弘化2年)] |
[アメリカで発明された製品の]図 |
p21 |
製品;業界
| ウィルソンの回転鉤をもったミシン |
[1854年(安政元年)発明] |
[アメリカで発明された製品の]図 |
p23 |
技術;経営者
| I.M.シンガー[(Isaac Merrit Singer)] |
[1850年(嘉永3年)頃] |
写真 |
p24 |
製品;業界
| シンガーの最初のミシン |
1851年(嘉永4年)[完成] |
[アメリカで発明された製品の]図 |
p24 |
製品;業界
| 現存する世界最古のミシン―クレムスのミシン |
[1800年] |
[ドイツで発明された製品の]図と解説 |
p25 |
製品;業界
| ウィルキンソンの中ぐり盤の模型 |
1775年[発明] |
[イギリスで発明された製品の模型の]図 |
p27 |
製品;業界
| ナズミスの形削盤 |
1831年[発明] |
[イギリスで発明された製品の]図 |
p28 |
技術
| 工作機械・精密測定器発明一覧表 |
1766年~1876年 |
表、年、工作機械[(種類と発明者)]、測定器[(種類と発明者)] |
p28 |
生産
| 1870年のアメリカ各社のミシン生産台数 |
1870年(明治3年) |
棒グラフ、社名、生産台数 |
p36 |
貿易
| 1901年におけるアメリカのミシン輸出 |
1901年(明治34年) |
棒グラフ、[輸出先]国名(総額、英国、ドイツ、豪州、メキシコ、輸出額) |
p37 |
経営者
| [「I・M・シンガー社」創立者]E. クラーク |
[1851年(嘉永4年)頃] |
写真 |
p39 |
製品;業界
| ニューホームミシン |
[1860年頃製造] |
[アメリカで発売された製品の]写真 |
p44 |
技術;業界
| グローバー・ベーカーミシンの縫目 |
[1870年(明治3年)頃] |
図 |
p45 |
経営者
| [ドイツ、パフ社の創立者]ゲオルグ・ミハエル・パフ |
[1862年(文久2年)頃] |
写真 |
p47 |
製品
| パフ社最初のミシン |
1862年(文久2年)[製作] |
写真 |
p48 |
事業所
| パフ社のカールスルーエ工場 |
[1961年(昭和36年)] |
写真 |
p49 |
製品;業界
| 1853年のウィーラー・アンド・ウィルソンの横引式環縫ミシン |
1853年(嘉永6年) |
図 |
p63 |
| [アメリカでミシンを買い求め、日本へ持ち帰った]中浜万次郎(ジョン万次郎) |
[1863年(文久3年)頃] |
写真 |
p76 |
技術
| [中浜万次郎(ジョン万次郎)からアメリカのミシンを買った]植村久五郎 |
[1863年(文久3年)頃] |
写真 |
p77 |
商品;広告宣伝
| フロレンスミシンの写真入り広告 |
[慶応4年(1868年)] |
柳屋の広告 |
p92 |
広告宣伝;業界
| 柳屋広告 |
明治4年(1871年) |
写真 |
p97 |
商品;業界
| 帽子や鼻緒製造用として輸入されたドイツミシン |
[明治5年(1872年)] |
写真 |
p100 |
催し
| 明治10年開催の第一回内国勧業博覧会(揚州斎周延画) |
明治10年(1877年) |
絵 |
p104 |
製品;業界
| 今井又三郎のミシン |
明治10年(1877年) |
[舶来のミシンを模製した製品の]図 |
p105 |
催し
| 第二回内国勧業博覧会 |
明治14年(1881年) |
絵 |
p109 |
技術
| 左口鉄蔵とその受けた賞牌 |
[明治14年(1881年)] |
写真 |
p110 |
資料
| 『男女西洋服裁縫独案内』の表紙 |
[明治20年(1887年)頃] |
写真 |
p120 |
商品;広告宣伝
| 当時のミシンおよびミシン店の広告 |
[明治20年(1887年)頃] |
写真 |
p121 |
貿易
| 輸入国別ミシン輸入額表(『大日本外国貿易年表』による) |
明治16年(1883年)~明治45年(1912年) |
表、年、輸入国(アメリカ、イギリス、ドイツ、カナダ、フランス、ベルギー、オーストリア、オランダ、デンマーク、スウェーデン、その他諸国 伊・露・瑞など) |
p123 |
貿易
| 輸入港別ミシン輸入額表(『大日本外国貿易年表』による) |
明治16年(1883年)~大正元年(1912年) |
表、年、輸入港(横浜、神戸、大阪、長崎、函館、その他諸港、計) |
p124 |
貿易
| 官省・内国商によるミシン直輸入額表(『大日本外国貿易年表』による) |
明治17年(1884年)~明治33年(1900年) |
表、年、内国商、官省 |
p125 |
業界;事業所
| 1899~1912年の官営軍事工場・民間機械工場の発達の比較 |
1899年(明治32年)~1912年(大正元年) |
表、年、官営軍事工場(職工数、馬力数)、民間機械工場(職工数、馬力数) |
p129 |
業界;商品
| 月賦販売されたシンガーミシン |
[明治40年(1907年)頃] |
図 |
p141 |
教育・研修;事業所
| シンガーミシン裁縫女学院 |
明治39年(1906年)開校 |
絵 |
p142 |
商品;広告宣伝
| シンガー月賦販売の広告 |
明治40年(1907年) |
写真 |
p143 |
商品;価格
| シンガーミシンの定価表 |
明治43年(1910年) |
写真 |
p144 |
製品;技術
| 内田嘉一の“和服縫ミシン” |
[明治24年(1891年)発明] |
図、[わが国の裁縫ミシン発明では最初の特許取得] |
p146 |
製品;技術
| 福助の“爪先縫”ミシン |
[明治28年(1895年)考案] |
図 |
p147 |
技術
| 関根ミシンによる刺繍縫見本 |
[大正3年(1914年)頃] |
写真 |
p147 |
製品;技術
| 甘利忠俊の“ころもミシン” |
[大正3年(1914年)発明] |
写真 |
p148 |
制服
| バスの車掌も洋装の制服 |
大正8年(1919年) |
写真 |
p152 |
経営者
| [ジャノメミシンの創業者・]小瀬與作 |
|
写真 |
p159 |
経営者
| [小瀬が薫陶を受けた]穴水要七 |
|
写真 |
p162 |
経営者
| 「中央護謨」時代の小瀬与作 |
[大正6年(1917年)頃] |
写真 |
p165 |
貿易
| ミシン輸入額推移表 [『外国貿易年表』による] |
大正元年(1912年)頃 |
表、年別、[国名](米国、英国、独逸、瑞典、仏蘭西、合計)、前年比較 |
p167 |
商品
| 小瀬が目標としたシンガー15種家庭用ミシン |
[大正時代初期] |
写真 |
p171 |
経営者
| 亀松茂、飛松謹一 |
[大正6年(1917年)頃] |
写真 |
p172 |
製品
| パイン500種53型小型ミシン |
大正10年(1921年)頃 |
写真 |
p173 |
製品;技術
| 長舟式と半回転式のカマ部機構 |
[大正時代半ば頃] |
図 |
p178 |
製品
| 国産最初の標準型ミシン「パイン100種30型」 |
[昭和4年(1929年)] |
写真 |
p180 |
製品
| パイン200種実用中型ミシン |
[昭和4年(1929年)] |
写真 |
p182 |
資料
| パインミシン株式会社創立総会決議録 |
昭和4年(1929年)11月 |
写真 |
p183 |
役員
| 安藤喜六 |
[昭和4年(1929年)11月] |
写真 |
p185 |
製品;価格
| パインミシンの機種、定価 |
昭和5年(1930年)下期 |
表、機種([型、方式])、定価、特価 |
p189 |
広告宣伝
| パインミシン株式会社のカタログ |
昭和4年(1929年) |
写真 |
p191 |
製品;広告宣伝
| 商工省選定をうたう宣伝物 |
[昭和5年(1930年)7月] |
写真 |
p192 |
広告宣伝
| 小型ミシンの宣伝ペラ、パインミシン使用取扱説明書の表紙および裏表紙 |
[昭和5年(1930年)] |
写真 |
p193 |
商品;価格
| シンガーとパインの価格比較表 |
大正10年代(1920年代前半)~昭和8年(1933年) |
表、年代、機種{シンガー15種70型(月賦、現金)、パイン100種30型(定価、特価)} |
p202 |
労使関係;労働運動
| シンガー争議団結成大会 |
昭和7年(1932年) |
写真 |
p207 |
労使関係;労働運動
| [シンガーの]争議を伝える当時の新聞、事件を報ずる『ニューヨークタイムス』と『朝日新聞』 |
昭和8年(1933年)1月19日 |
写真 |
p209 |
販売;関係会社
| 国産パインミシンの“代理店の要領”表紙 |
[昭和8年(1933年)] |
写真 |
p213 |
製品;商標
| “PM LTD”ミシンと商標(カタログより) |
[昭和8年(1933年)] |
写真 |
p215 |
事業所
| 中野本社・工場 |
昭和9年(1934年)2月 |
写真 |
p217 |
施設;教育・研修
| 日本洋裁学校 |
昭和10年(1935年) |
写真 |
p218 |
広告宣伝
| 昭和9年頃のカタログ |
昭和9年(1934年) |
写真 |
p219 |
経営;販売
| 月掛予約証書と裏面の約款、月掛予約申込書 |
昭和10年(1935年)頃 |
写真 |
p220 |
役員
| [取締役] 川本日出生、小宮山武嘉、[顧問] 嶋田卓弥 |
[昭和9年(1934年)] |
写真 |
p222 |
技術
| 長沢寸美遠 |
[昭和10年(1935年)] |
写真 |
p225 |
事業所
| [国産パインミシンから改称した]帝国ミシン本社が移った日本橋昭和通り角の加賀ビル |
[昭和11年(1936年)8月] |
写真 |
p227 |
役員
| 帝国ミシン社長 小野連三 |
[昭和11年(1936年)] |
写真 |
p227 |
商標
| 蛇の目の登録商標 |
[昭和11年(1936年)] |
図 |
p228 |
事業所;設備
| 第一次建設分工場内部、小金井工場正面玄関 |
昭和11年(1936年)5月竣工 |
写真 |
p229 |
事業所;設備
| 新館内部、昭和12年5月竣工の工場新館 |
昭和12年(1937年)3月完成 |
写真 |
p230 |
設備
| スイス・シップ社製ジグボール盤 |
[昭和12年(1937年)] |
写真 |
p231 |
設備
| 小金井工場完成にあたって、長沢[寸美遠工場長]が小瀬[社長]に提出した[ミシン]月製2000台に要する機械器具調書 |
昭和11年(1936年)5月 |
表、名称、可要数、現在数、補充数、単価、小計、備考 |
p232 |
製品
| 小金井工場で量産された標準型100種83型ミシン |
昭和13年(1938年)頃 |
写真 |
p234 |
事業所
| 昭和十一年頃の広島支店 |
昭和11年(1936年)頃 |
写真 |
p238 |
規則
| 支店運営内規 |
昭和10年(1935年) |
写真 |
p238 |
事業所
| 昭和十三年頃の支店店舗(千葉支店) |
昭和13年(1938年)頃 |
写真 |
p240 |
催し
| 第一回支店長会議 |
昭和12年(1937年) |
写真 |
p241 |
広告宣伝;価格
| 昭和13年当時のカタログと定価表 |
昭和13年(1938年) |
写真 |
p242 |
教育・研修
| [セールスマンに対する指導要領]『Our Salesmanship』 |
昭和12年(1937年) |
写真 |
p246 |
催し
| 第三回全国支店長会議 |
昭和14年(1939年) |
写真 |
p248 |
博覧会;広告宣伝
| 最初の博覧会出品(昭和12年 政治博覧会) |
昭和12年(1937年) |
写真 |
p251 |
広告宣伝
| 全三段を使った昭和12年頃の新聞広告(『大阪朝日新聞社』) |
昭和12年(1937年)頃 |
写真 |
p252 |
広告宣伝
| 昭和十三年頃の街頭宣伝 |
昭和13年(1938年)頃 |
写真 |
p253 |
広告宣伝;海外事業
| [中国向け]喜家のカタログ |
昭和10年(1935年) |
写真 |
p256 |
経営;海外事業
| 朝鮮分店経営の要領 |
[昭和12年(1937年)頃] |
写真 |
p257 |
催し;海外事業
| 広谷豊蔵の朝鮮赴任壮行会 |
昭和12年(1937年) |
写真 |
p257 |
広告宣伝;海外事業
| ブラジル向けポルトガル語のカタログ |
昭和12年(1937年)頃 |
写真 |
p259 |
広告宣伝
| 宣伝機関誌『スマート』(昭和12年5月号) |
昭和12年(1937年)5月 |
写真 |
p260 |
役員
| [設置された輸出部の中心となった]前田増三 |
昭和12年(1937年) |
写真 |
p260 |
広告宣伝;海外事業
| 海外宣伝に一役買ったミス・シャム来日(昭和12年3月) |
昭和12年(1937年)3月 |
写真 |
p261 |
貿易
| 帝国ミシンの主要輸出先 |
昭和12年(1937年)~昭和14年(1939年)上期 |
表、国名、年、合計 |
p261 |
販売;財務・業績
| [帝国ミシンの業績] |
昭和6年(1931年)下期~昭和12年(1937年)上期 |
表、期間、販売高、利益金、年利益率、配当率 |
p266 |
製品
| 蛇の目が開発した木製脚部 |
昭和14年(1939年) |
写真 |
p270 |
製品;広告宣伝
| 松竹映画「銃後の花」にタイアップ、木製脚部が使われている |
昭和14年(1939年)頃 |
写真 |
p271 |
販売;生産
| 昭和13、14年の成契及び出荷 |
昭和13年(1938年)~昭和14年(1939年) |
折れ線グラフ、成契、出荷、生産 |
p272 |
事業所
| 全国支店分布図 |
昭和14年(1939年)6月 |
日本地図と東京市内略図に支店所在地を表示 |
p273 |
博覧会;広告宣伝
| 事変下の博覧会に出品 |
昭和13年(1938年) |
写真 |
p274 |
広告宣伝
| 事変下の新聞広告 |
昭和13年(1938年) |
写真 |
p275 |
広告宣伝
| 事変下の新聞広告 |
昭和14年(1939年) |
写真 |
p276 |
広告宣伝
| [事変下の宣伝費] |
昭和13年(1938年)7月、8月 |
表、本年([昭和13年]){7月(宣伝費、1成契当り)、8月(宣伝費、1成契当り)}、前年([昭和12年]){7月(宣伝費、1成契当り)、8月(宣伝費、1成契当り)} |
p276 |
販売
| 成契数と販売台数(昭和12~17年) |
昭和12年(1937年)上期~昭和17年(1942年)上期 |
折れ線グラフ、年(上期、下期)、成契数、販売台数 |
p277 |
事業所
| 戦前の新宿支店(昭和13年5月開設) |
昭和14年(1939年) |
写真 |
p279 |
事業所
| 日本橋支店店頭(昭和14年頃) |
昭和14年(1939年) |
写真 |
p280 |
教育・研修
| 第三陸軍病院傷病兵士の職業訓練奉仕 |
昭和14年(1939年) |
写真 |
p281 |
事業所
| 勤労奉仕にはげむ日本橋支店事務員 |
昭和14年(1939年) |
写真 |
p282 |
事業所
| ブロック販売専門の新宿支部 |
昭和14年(1939年) |
写真 |
p283 |
関係会社;役員
| 原田製作所の開所式当日(昭和15年11月)、原田好太郎、原田製作所設立に参画した本社幹部 |
昭和15年(1940年) |
写真 |
p284 |
事業所
| 太平洋戦争下の日本橋支店 |
昭和17年(1942年) |
写真 |
p289 |
事業所
| 新宿支店では傷病兵士の白衣縫製作業 |
昭和17年(1942年) |
写真 |
p290 |
製品
| 100種97型職業用ミシン、96種10型工業用ミシン、81種6型オーバーロックミシン |
[昭和12年(1937年)~昭和17年(1942年)] |
写真 |
p291 |
製品;販売
| 小金井・蒲田工場の工業用ミシン製造品目 |
[昭和16年度(1941年度)~昭和18年度(1943年度)] |
表、[種類(工業用、特殊専用、職業用)、品目)]、納入先 |
p293 |
業界
| 完成ミシン製造業者(九社)、鋼材部分品製造業者(一二社) |
昭和17年(1942年) |
一覧、[所在地、社名、代表者] |
p299 |
財務・業績
| 帝国ミシン最後の営業報告書 |
昭和18年(1943年)上期 |
写真 |
p307 |
生産
| [小瀬が退陣する直前、本社営業部が作成した“各種ミシン生産予定台数”] |
昭和18年(1943年)7月~昭和19年(1944年)3月 |
一覧、ミシン(軍需用特殊ミシン、輸出用ミシン、現在手持仕掛品、合計)、ミシン針(海軍納入分、輸出分、合計) |
p308 |
役員
| 小瀬退陣時における会社首脳部 |
[昭和18年(1943年)7月] |
一覧、取締役社長、専務取締役、常務取締役、取締役、監査役、氏名 |
p309 |
施設;設備
| [小瀬時代帝国ミシン各工場の施設、機械設備、その他] |
[昭和18年(1943年)7月] |
一覧、工場名、工場所在地、工場敷地・建物、機械器具設備、従業員、主な生産品目 |
p310 |
役員
| 小瀬ら退陣後の帝国ミシンの後をうけた新経営陣 |
[昭和18年(1943年)9月] |
一覧、取締役社長、専務取締役、取締役、監査役、相談役、氏名(所属会社名、肩書き) |
p315 |
業界;災害
| 戦災によるわが国ミシンの焼失状況(社団法人日本ミシン協会調べ) |
昭和15年(1940年)末、昭和20年(1945年)末 |
表、保有台数{昭和15年末(家庭用、工業用、計)、昭和20年末(家庭用、工業用、計)}、焼失数(家庭用、工業用、計)、焼失割合(家庭用、工業用、計) |
p323 |
事業所;製品
| 生産再開でふたたび陽の目をみた蛇の目ミシン(100種83型)、終戦直後の工場内部 |
昭和20年(1945年) |
写真 |
p326 |
労働組合;出版
| 従業員組合の機関誌『美進』 |
昭和21年(1946年) |
写真 |
p329 |
役員
| 帝国ミシンを退社した幹部社員 高木[正一]、丸山[幸一]、前田[増三](リッカー設立まもない頃) |
昭和23年(1948年) |
写真 |
p336 |
製品
| 標準規格のミシン頭部 |
昭和23年(1948年) |
写真 |
p343 |
製品
| 新名称・HA-1型電動ポータブルミシン |
昭和23年(1948年) |
写真 |
p345 |
製品
| 新名称・HA-1型三個引出し足踏ミシン |
昭和23年(1948年) |
写真 |
p346 |
貿易;役員
| 輸出ミシンを点検する谷村[清衛]社長、バイヤーの輸出検査をうける製品 |
昭和23年(1948年) |
写真 |
p348 |
貿易;広告宣伝
| ミシン製造会のつくった共同輸出カタログ |
[昭和23年(1948年)] |
写真 |
p350 |
貿易;価格
| 昭和23年8月当時の輸出公定価格 |
昭和23年(1948年)8月 |
表、機種名HA-1、[種類](足踏、手廻し、頭部)、等級(特級品、普通品)、価格 |
p351 |
広告宣伝;販売
| 『日本ミシンタイムス』(2月11日号)に掲載された東北蛇の目会の決議文と谷村声明 |
[昭和25年(1950年)] |
写真 |
p358 |
経営
| 事件を報じる『朝日新聞』(昭和25年2月11日) |
昭和25年(1950年)2月11日 |
写真 |
p360 |
役員
| 山田忍三社長 |
昭和25年(1950年)4月 |
写真 |
p364 |
財務・業績
| 山田[忍三]社長の作成した基礎原価計算表(昭和25年4月作成) |
昭和25年(1950年)4月 |
表、原価要素{製造原価(材料費、労務費、経費)、総原価、物品税、税込原価、卸売価格、利益}、月2000台生産の総金額、種類別の内訳明細{完成品ミシン1000台の生産(総金額、1台当り単価)、頭部ミシン1000台の生産(総金額、1台当り単価)} |
p369 |
事業所
| 生産再開した機械工場、組立工場の一部と試縫検査、小金井工場の梱包発送場 |
昭和25年(1950年)6月 |
写真 |
p374 |
広告宣伝
| 蛇の目産業時代の各種カタログ、昭和26年頃の蛇の目の宣伝に登場した山口淑子(李香蘭) |
昭和26年(1951年)頃 |
写真 |
p377 |
生産;貿易
| わが国のミシン生産高と輸出高 |
昭和24年度(1949年度)~昭和27年度(1952年度) |
表、年度、生産高、輸出高 |
p380 |
事業所
| 再建が軌道にのった二十七年頃の小金井工場全景 |
昭和27年(1952年)頃 |
写真 |
p381 |
販売
| リッカーミシンの予約月賦販売実績 |
昭和24年(1949年)4月~昭和27年(1952年)12月 |
折れ線グラフ、出荷、成契、集金 |
p383 |
役員
| [リッカーから蛇の目に]十一人復帰の仲介者となった廣谷豊蔵 |
[昭和28年(1953年)] |
写真 |
p386 |
従業員
| 蛇の目に復帰し、「蛇の目東販」で執務する高木[正一]、前田[増三]、嶋田[卓弥]、丸山[幸一]、田中[芳雄]、若手社員の入社で活気みなぎる蛇の目東京販売 |
昭和28年(1953年) |
写真 |
p388 |
製品;価格
| 新制度の“Bプラン”による販売価格(HA-1型の標準価格) |
[昭和28年(1953年)7月] |
表、種型(三個引出しテーブル、キャビネットテーブル、電動式ポータブル)、月賦価格(総額、頭金、残額月額20回払)、現金一時払、月掛予約特価 |
p390 |
催し
| 予約・月賦再開後の第一回全国支店長会議 |
昭和30年(1955年)2月 |
写真 |
p391 |
広告宣伝
| 当時の新聞折込用および街展用撒きカード、昭和28年12月 早くも打ち出された第一回“花嫁大懸賞特売”(街展ハンガー)、国電中吊用ポスター |
昭和28年(1953年) |
写真 |
p392 |
業界;市場
| 国産ミシン保有状況(職業別) |
昭和28年(1953年)12月 |
表、銘柄(蛇の目、ブラザー、三菱、リッカー、パイン、ジューキ)、[職業別](綜合、勤人、商人、労務者、自由業、無職) |
p395 |
債権;販売
| 特約代理店、販売会社の債権回収の推移 |
昭和29年(1954年)上期~昭和32年(1957年)上期 |
表、年次、特約代理店、販売会社、計 |
p396 |
製品
| 昭和28年頃の主力製品102型ミシン |
昭和28年(1953年)頃 |
写真 |
p397 |
販売;営業
| 予約・月賦再開後の推進力となった川本[日出生]、嶋田[卓弥]、前田[増三]、高木[正一] |
[昭和27年(1952年)頃] |
写真 |
p398 |
製品
| 小杉二郎デザインによる320型ミシン |
昭和29年(1954年) |
写真 |
p399 |
製造工程;設備
| 量産にはいった320型ミシン(小金井工場 赤外線乾燥炉) |
[昭和29年(1954年)] |
写真 |
p400 |
広告宣伝;技術
| 工業デザイン展示会に出品、JIS表示許可書(昭和31年4月) |
昭和31年 |
写真 |
p401 |
生産
| 生産台数の推移(昭和25年下期を100とする) |
昭和25年(1950年)下期~昭和34年(1959年)下期 |
折れ線グラフ、年(上期、下期)、[指数] |
p402 |
生産
| 昭和三十年以降の生産実績 |
昭和30年(1955年)上期~昭和34年(1959年)下期 |
年・期、[生産台数(各期計、月平均)] |
p402 |
生産
| 川本[日出生]工場長就任後のHA-1 一〇二型の生産コストの推移(二十五年を一〇〇とする) |
昭和30年(1955年)上期~昭和34年(1959年)下期 |
一覧、年・期、29年下期を100とする(指数)、25年上期を100とする[指数] |
p403 |
製品
| 最初のセミオートジグザグミシン532型 |
昭和32年(1957年)7月 |
写真 |
p404 |
製品
| 戦後の製品推移系統図(主要製品の量産期間を中心に作成したもの) |
昭和23年度(1948年度)~昭和35年度(1960年度) |
図、年度、直線縫ミシン(製品名、量産期間)、ジグザグミシン(製品名、量産期間) |
p405 |
事業所;設備
| 昭和33年10月に完成したマンモス機械工場、自社製作の専用工作機械、マンモス機械工場の内部 |
昭和33年(1958年)10月 |
写真 |
p406 |
表彰;技術
| 工業標準化優良工場として通産大臣より受賞の表彰状とトロフィー |
昭和34年(1959年)10月 |
写真 |
p408 |
提携・合併
| 『週刊朝日』(昭和29年9月5日号)がとりあげたS・P提携問題[(アメリカの「シンガーミシン」と日本の「パインミシン」の両者が提携するという事件)]、「シンガー進出反対期成同盟」が出した各種パンフレット |
昭和29年(1954年) |
写真 |
p410 |
販売
| 25年下期~32年6月に至る特約代理店販売の総合結果 |
昭和25年(1950年)下期~昭和32年(1957年)6月 |
表、販売台数、販売総金額、代理店に対する債権総額、債権総額中整理勘定となるもの |
p415 |
販売
| 販売台数の推移(昭和25年下期を100とする) |
昭和25年(1950年)下期~昭和35年(1960年)下期 |
折れ線グラフ、年期、指数 |
p417 |
広告宣伝
| 蛇の目後援ミス・ユニバース日本代表と山田[忍三]社長(昭和30年6月)、三五〇型ミシン新発売のチラシ |
昭和30年(1955年)6月、昭和34年(1959年)4月 |
写真 |
p418 |
販売
| 『毎日新聞』で紹介された蛇の目の月掛予約販売法 |
昭和29年(1954年)4月 |
写真 |
p420 |
広告宣伝
| 320型の英文カタログ(昭和29年)、『グッド・ハウスキーピング』誌の品質保証書 |
昭和29年(1954年) |
写真 |
p423 |
広告宣伝;名誉
| 東京国際見本市の蛇の目コーナーをご参観の両陛下 |
昭和34年(1959年)5月 |
写真 |
p428 |
関係会社;広告宣伝
| 三光ミシンのパンフレット |
[昭和34年(1959年)] |
写真 |
p429 |
関係会社;貿易
| 三光ミシンの輸出枠(基準、調整、保有) |
昭和32年度(1957年度)、33年度(1958年度) |
表、年度、地域(第一地域、第二地域、合同保有枠、合計) |
p430 |
提携・合併;関係会社
| サンタモニカ市に設立されたニューホームミシン本社、ニューホーム社の事務室と製品展示所、蛇の目のニューホーム買収を大きく報じた週刊誌 |
昭和35年(1960年)9月 |
写真 |
p433 |
役員;勲章
| 藍綬褒章を授与された山田[忍三]社長夫妻 |
昭和35年(1960年)11月 |
写真 |
p436 |
役員
| 嶋田卓弥社長、県代表支店長を招き「蛇の目マンの信条」を説く嶋田新社長(昭和36年5月 赤坂プリンスホテル) |
昭和36年(1961年)5月 |
写真 |
p448 |
事業所;営業
| 昭和36年頃の本社営業部風景(当時の本社は日本橋通三丁目) |
昭和36年(1961年)頃 |
写真 |
p450 |
製品
| “ジグザグ・ブーム”をよんだフルオートジグザグ560型 |
[昭和36年(1961年)] |
写真 |
p458 |
広告宣伝;教育・研修
| 業界に先がけて“ジグザグ教室”を開講 |
昭和37年(1962年)10月 |
写真 |
p459 |
製品
| 自社開発のダイカスト製フルオートジグザグミシン670型“ハイドリーム” |
[昭和39年(1964年)10月] |
写真 |
p460 |
設備
| 小金井工場に導入されたビューラー社製ダイカストマシン |
[昭和38年(1963年)9月] |
写真 |
p461 |
関係会社
| ミシンモーターの自社生産を目的に「蛇の目電機株式会社」を設立 |
[昭和38年(1963年)4月] |
写真 |
p462 |
技術
| ミシンの総合研究機関―「蛇の目ミシン技術研究所」 |
[昭和39年(1964年)11月発足] |
写真 |
p463 |
提携・合併
| 昭和39年3月3日、[ドイツ]「パフ社」との事業提携を発表する嶋田社長 |
昭和39年(1964年)3月3日 |
写真 |
p465 |
関係会社;事業所
| パフ社のカールスルーエ工場カールスルーエ工場の全景、ドリーナ組立工場の一部 |
[昭和39年(1964年)] |
写真 |
p467 |
経営者;催し
| 蛇の目創始者・小瀬與作顧問の喜寿を祝う寿像の除幕式 |
昭和40年(1965年)1月18日 |
写真 |
p471 |
人事
| “家長から重役へ”異例の抜擢を報じた週刊誌 |
昭和39年(1964年)5月 |
写真 |
p472 |
役員
| 「外定」丁稚時代の嶋田、社長・嶋田卓弥の経歴、嶋田卓弥という人物 |
|
写真、解説 |
p473 |
事業所
| 竣工をみた蛇の目本社ビル、柱の一本もない本社内部オフィス |
昭和40年(1965年)8月 |
写真 |
p481 |
情報システム
| 「電子計算機室」の開所式でテープにハサミを入れる嶋田社長、機械装置も充実して昭和43年5月に「電算室」に昇格 |
昭和41年(1966年)10月22日、昭和43年(1968年)5月 |
写真 |
p483 |
設備;製品
| 付属品“フラワーステッチ” |
昭和40年(1965年)9月 |
写真 |
p489 |
商標
| 新「ジャノメ」レタリング |
[昭和40年(1965年)] |
図 |
p490 |
事業所;販売
| 関西地区販売の拠点―御堂筋にジャノメ大阪ビル落成 |
昭和42年(1967年)8月 |
写真 |
p491 |
関係会社;事業所
| 「蛇の目精密工業株式会社」全景(東京・高尾) |
[昭和42年(1967年)4月] |
写真 |
p493 |
技術;事業所
| 第二期工事の完成で充実した「蛇の目ミシン技術研究所」 |
[昭和42年(1967年)5月] |
写真 |
p494 |
事業所
| 中央線沿線に近代的新装なった小金井工場新館 |
昭和42年(1967年)7月 |
写真 |
p495 |
設備;事業所
| 高級ジグザグミシンの組立ライン(小金井工場三階) |
昭和42年(1967年)7月 |
写真 |
p496 |
事業所;海外事業
| イギリスに設立された「ヨーロッパ・ジャノメミシン」の社屋 |
昭和43年(1968年)10月設立 |
写真 |
p497 |
役員
| 前田増三社長、嶋田から前田へバトンタッチ(『エコー』43年12月号表紙)、第36回株主総会で次期社長として挨拶する前田増三副社長 |
昭和43年(1968年) |
写真 |
p512 |
製品
| 万国博記念の新製品“ダイヤルスーパー70”680型 |
昭和45年(1970年)4月 |
写真 |
p523 |
製品;広告宣伝
| 創業50周年を記念した画期的製品“ジャノメトピア”801型を発表、ジャノメトピアの新発売ポスター |
[昭和46年(1971年)] |
写真 |
p524 |
事業所;海外事業
| 竣工した「台湾ジャノメミシン社」 |
昭和44年(1969年)4月設立 |
写真 |
p526 |
関係会社
| 「沖縄蛇の目販売株式会社」の本社 |
昭和44年(1969年)8月設立 |
写真 |
p527 |
事業所;海外事業
| 「オーストラリア・ジャノメミシン社」のサービスショップ |
昭和44年(1969年) |
写真 |
p528 |
関係会社
| 「蛇の目金属工業株式会社」 |
昭和44年(1969年)11月設立 |
写真 |
p530 |
製造工程;設備
| 工業用ミシンの組立(小金井工場) |
[昭和45年(1970年)] |
写真 |
p534 |
製品
| 工業用高速一本針本縫ミシン701型 |
昭和46年(1971年)4月発売 |
写真 |
p535 |
情報システム;設備
| 「蛇の目電算センター」 レコグニッション社製OCRを導入 |
[昭和39年(1964年)] |
写真 |
p537 |
製品
| ジャノメ・インプリンター |
[昭和46年(1971年)3月発売] |
写真 |
p538 |
経営者;勲章
| 勲三等瑞宝章に輝く蛇の目の創始者小瀬與作 |
昭和45年(1970年)4月29日拝受 |
写真 |
p539 |
役員;表彰
| 輸出振興の功により内閣総理大臣賞をうけた前田増三社長 |
[昭和45年(1970年)4月29日] |
写真 |
p540 |
事業所;技術
| 本社ビル竣工修祓式、本社ビル設計者 前川国男、本社ビルの竣工披露会 |
昭和40年(1965年)9月 |
写真 |
p556 |
情報システム;設備
| 昭和38年に蛇の目が導入したHITAC-201電子計算機 |
昭和38年(1963年) |
写真 |
p565 |
情報システム;設備
| 電算室に搬入されるIBMシステム360 |
昭和38年(1963年) |
写真 |
p567 |
情報システム;設備
| 電子計算機室内部 |
昭和38年(1963年) |
写真 |
p568 |
役員;技術
| 蛇の目電算センター取締役 所長 関口久弥 |
[昭和43年(1968年)5月 |
写真 |
p569 |
設備;製品
| レコグニッション社のOCR |
[昭和46年(1971年)3月] |
写真 |
p570 |
設備;製品
| ジャノメ・インプリンター |
[昭和46年(1971年)3月] |
写真 |
p571 |
役員;関係会社
| 蛇の目不動産専務取締役 西山秀吉、取締役 作田俊治郎 |
[昭和43年(1968年)3月] |
写真 |
p572 |
事業所;販売
| 全国同じスタイルの直営支店 |
|
写真 |
p577 |
営業
| 全国530支店を統括する本社営業部、営業の指針―「営業通達」は年度別の合本として保存されている |
昭和45年(1970年) |
写真 |
p583 |
販売;営業
| 販売原則の一つ“街展(街頭展示)”、訪問の手がかりとなる“記名カード”、支店長の直接指導による新人の街頭実地指導 |
昭和28年(1953年)頃~ |
写真 |
p587 |
販売
| 客先を訪問して商談、各直営支店の壁に貼られた成績グラフ |
|
写真 |
p590 |
販売
| 集金員の生命―予約・月賦の“集金カード”、出荷促進も集金員の任務の一つ、成績グラフの上に“集金五ヵ条”を掲げて |
|
写真 |
p597 |
教育・研修;消費者
| 開講まもない頃のジグザグ教室(昭和37年頃)、盛況のジグザグ教室風景(昭和46年4月) |
昭和37年(1962年)10月頃、昭和46年(1971年)4月 |
写真 |
p602 |
製品
| ジグザグ時代をひらいたフルオート五六〇型 |
昭和36年(1961年)4月発売 |
写真 |
p611 |
製品;販売
| ダイカスト製ジグザグミシン“ハイドリーム”の発表会(昭和39年9月28日 ホテルニューオータニ)、“ハイドリーム”“ハイエース”の販売促進に「ハイハイセール」を実施 |
昭和39年(1964年) |
写真 |
p612 |
製品;広告宣伝
| スーパーフルオートジグザグ“ダイヤルスーパー”の新発売ポスター |
昭和42年(1967年)4月 |
写真 |
p614 |
営業;従業員
| 営業部長の重責をになった丸山幸一、小宮山宇一、斎藤悟 |
[昭和39年(1964年)~昭和45年(1970年)] |
写真 |
p615 |
製品
| “ダイヤルスーパー'70”と“アルファベットステッチ” |
[昭和45年(1970年)] |
写真 |
p616 |
製品
| 『月刊消費者』四十四年二月号で最高の性能と折紙つけられた“ダイヤルスーパー” |
昭和44年(1969年)2月 |
写真 |
p621 |
業界;販売
| 前払割賦販売業者の実態 (1)資本金規模別業者数 |
昭和44年(1969年)12月31日現在 |
表、資本金規模別、業者数、比率 |
p624 |
業界;販売
| 前払割賦販売業者の実態 (2)取扱商品別業者数(現に前受金を保有する者) |
昭和44年(1969年)12月31日現在 |
表、取扱い商品別(ミシン、手編機、家庭電気器具、ベッド、家具、楽器、寝具、時計・貴金属、その他、計)、業者数、比率 |
p624 |
業界;販売
| 前払割賦販売業者の実態 (3)取扱商品別前払式割賦販売予約前受金残高 |
昭和44年(1969年)12月31日現在 |
表、取扱い商品別{ミシン、手編機、家庭電気器具(テレビ、洗濯機、冷蔵庫、その他家電品、区分なし、計)、ベッド、家具、楽器、寝具、時計・貴金属、その他商品、区分なし、計}、予約前受金残高、比率 |
p624 |
貿易;広告宣伝
| 蛇の目ミシンの輸出用カタログ |
昭和42年(1967年)頃 |
写真 |
p635 |
関係会社;海外事業
| [昭和35年以降の約10年間に、蛇の目が買収、合弁会社の設立、自己資本による販売会社設立などによって布石した海外拠点] |
昭和46年(1971年)6月現在 |
表、社名、本社所在地、資本金、設立月日及び出資比率、営業種目 |
p635 |
貿易;表彰
| 輸出貢献企業認定証(昭和39年度)、輸出振興の功により内閣総理大臣賞を受賞した前田[増三]社長(昭和45年6月) |
昭和39年度(1964年度)、昭和45年(1970年)6月 |
写真 |
p638 |
関係会社;事業所
| [米国]カールスタットへ移転したニューホーム本社 |
昭和46年(1971年)4月 |
写真 |
p642 |
関係会社;事業所
| パフ社カールスルーエ工場の正門 |
昭和39年(1964年)7月 |
写真 |
p646 |
関係会社;海外事業
| ヨーロッパ・ジャノメ本社(マンチェスター)、ヨーロッパ・ジャノメのオフィス内部 |
[昭和43年(1968年)10月設立] |
写真 |
p648 |
関係会社;役員
| 沖縄蛇の目のコザ支店、沖縄蛇の目社長 喜屋武幸一 |
[昭和44年(1969年)8月設立] |
写真 |
p650 |
関係会社;役員
| オーストラリア・ジャノメ社長 富田澄、オーストラリア・ジャノメのデモンストレーション・センターのあるシドニー市の目抜き通り |
[昭和44年(1969年)12月設立] |
写真 |
p651 |
関係会社;役員
| 台湾ジャノメ取締役工場長 島崎文夫、本格的量産体制に入った台湾ジャノメの機械工場 |
昭和45年(1970年)3月 |
写真 |
p653 |
事業所
| 竣工なった小金井工場新館、マシニング・センター、小金井工場のジグザグミシン組立ライン |
昭和42年(1967年)7月 |
写真 |
p659 |
製品
| 直線縫ミシンの決定版367型“マリーナ7” |
[昭和44年(1969年)発売] |
写真 |
p662 |
製品
| 最初に開発したフリーアーム・フルオートジグザグ623型 |
[昭和28年(1953年)4月試作] |
写真 |
p663 |
製品
| 蛇の目最初のフルオートジグザグミシン560型、スーパーフルオートジグザグ672型“ダイヤルスーパー”、創業50周年記念の製品“ジャノメトピア” |
昭和36年(1961年)4月 |
写真 |
p664 |
製品
| 職業用ミシンTA-761型、職業用ミシンTA-763型 |
[昭和36年(1961年)4月、昭和42年(1967年)6月発売] |
写真 |
p667 |
製品
| 工業用ミシンDB-764型、工業用高速一本針本縫ミシンDB-J701型 |
[昭和45年(1970年)6月、昭和46年(1971年)4月] |
写真 |
p669 |
製品
| 工業用ミシンの機種別用途の目安一覧 |
|
図表、適正範囲(機種)、縫製品目(品目)、布地素材 |
p669 |
製品;技術
| [ドイツ人]ジョン・カイザーの考案した千鳥縫ミシン頭部 |
1882年(明治15年) |
図 |
p671 |
設備
| 導入されたビューラー社製ダイカストマシン、壮観をきわめる専用工作機群(小金井工場機械工場)、自動コンペヤーシステムの塗装工場(小金井工場) |
昭和39年(1964年) |
写真 |
p676 |
製造工程
| ジグザグミシン頭部の組立作業、プレス部品の加工(蛇の目精密) |
[昭和42年(1967年)] |
写真 |
p680 |
施設;設備
| 昭和37年に完成した小金井工場の発送プラットホーム、完成した新塗装・組立工場(昭和40年1月)、小金井工場新館内の製品展示室 |
昭和37年(1962年)~昭和40年(1965年)頃 |
写真 |
p682 |
品質管理;組織
| 蛇の目における品質保証の体制 |
[昭和30年(1955年)頃] |
図、保証の段階、保証すべき内容、保証の方法 |
p686 |
関係会社;役員
| 蛇の目精器社長 阿部清次、専務工場長 四谷輝久 |
[昭和42年(1967年)頃] |
写真 |
p696 |
関係会社;事業所
| 蛇の目精器株式会社(東京・小金井) |
[昭和42年(1967年)頃] |
写真 |
p697 |
製造工程;設備
| ミシンキャビネットの組立、乾燥室ではブナ、ラワン等の素材を人工乾燥する、方向転換機によってつながれたイタリア製、西ドイツ製2台の自動縁貼機 |
[昭和40年(1965年)頃] |
写真 |
p698 |
関係会社;事業所
| 蛇の目電機株式会社(東京・高尾) |
[昭和38年(1963年)4月1日発足] |
写真 |
p700 |
関係会社;役員
| 蛇の目電機社長 高木正一、専務取締役 田中芳雄、取締役工場長 江口保賢 |
[昭和38年(1963年)4月頃] |
写真 |
p701 |
製造工程;設備
| ミシンモーターの組立ライン、第三工場におけるコントローラー組立作業、アメリカ・グローブ社製自動巻線機、完成したモーターの電機特性検査 |
[昭和45年(1970年)頃] |
写真 |
p702 |
関係会社;事業所
| 蛇の目精密工業株式会社(昭和42年5月竣工当時) |
[昭和42年(1967年)4月1日発足] |
写真 |
p705 |
関係会社;役員
| 蛇の目精密社長 中村静夫、専務取締役 栗田邦太郎、取締役工場長 高橋信也 |
[昭和42年(1967年)4月頃] |
写真 |
p706 |
製造工程;設備
| 最新鋭の精密機械を使って金型製作 ナソビヤ製の倣いフライス盤 ジググラインダーマシン、ずらりと並んだ大型プラスチック成形機、プラスチック製品の仕上組立作業、ファインツール社の精密打抜きプレス機、焼結合金部門の新鋭機 西独製粉末成形プレス |
[昭和42年(1967年)頃] |
写真 |
p707 |
関係会社;事業所
| 蛇の目金属工業株式会社(山梨・都留) |
[昭和44年(1969年)11月1日設立] |
写真 |
p712 |
関係会社;役員
| 蛇の目金属社長 高木正一、取締役工場長 三好正男 |
[昭和44年(1969年)頃] |
写真 |
p713 |
設備;製造工程
| [蛇の目金属工業]広大な鋳造工場の一部(昭和46年4月)、蛇の目金属のダイカスト鋳造作業(自動給湯装置)、ダイカスト製品に最後の仕上作業 |
[昭和46年(1971年)頃] |
写真 |
p714 |
関係会社;事業所
| 三光ミシン工業株式会社の組立工場全景(東大阪市・水走) |
[昭和38年(1963年)] |
写真 |
p717 |
関係会社;役員
| 三光ミシン社長 東五郎、取締役工場長 水谷三隆 |
[昭和38年(1963年)頃] |
写真 |
p718 |
製造工程
| 輸出用ミシンの組立ライン(三光ミシン)、昭和40年5月完成の塗装工場(三光ミシン) |
[昭和40年(1965年)頃] |
写真 |
p719 |
業界
| 部品別メーカー構成(各関係団体調べ) |
昭和46年(1971年)4月現在 |
表、[部品別](ミシン頭部製造業、ミシン部品・付属品製造業、ミシンキャビネット製造業、ミシン針製造業)、社数 |
p722 |
業界
| ミシン部品メーカーの地区別分布 |
昭和45年(1970年)6月 |
表、地区(都府県)、企業数 |
p723 |
生産;貿易
| ミシン部品生産額と輸出額の推移 |
昭和40年度(1965年度)~昭和44年度(1969年度) |
表、年度、生産{家庭用(直線本縫、ジグザグ本縫、計)、工業用(単針直線、その他特殊、計)、単体輸出(家庭用、工業用、計)、合計}、輸出{家庭用(直線本縫、ジグザグ本縫、計)、工業用(単針直線、その他特殊、計)、単体輸出(家庭用、工業用、計)、合計} |
p726 |
経済団体;役員
| 蛇の目ミシン協同組合理事長 村越一雄 |
[昭和27年(1952年)] |
写真 |
p727 |
技術;設備
| 昭和三十九年完成当時の技術研究所、化学実験室、技術研究所の製品資料室 |
昭和39年(1964年) |
写真 |
p734 |
技術
| 技術研究所におけるさまざまの実験 新設計モーターの特性試験 模様縫いカムの形状テスト、第二期工事完成で一段と充実した技術研究所(昭和45年5月) |
[昭和40年代前半(1960年代後半)] |
写真 |
p738 |
教育・研修
| 支店長候補者の本社研修教育 |
[昭和37年(1962年)頃] |
写真 |
p749 |
教育・研修
| 技能者訓練をうける訓練生たち(小金井工場) |
[昭和41年(1966年)頃] |
写真 |
p752 |
福利厚生
| 独身従業員のための新光寮(東京・小金井)、[保養所](伊東寮、箱根強羅寮)、蛇の目洋裁学院(東京・小金井)、本社地下一階の社員食堂 |
|
写真 |
p757 |
事業所
| 空から見た本社ビル(東京・京橋) |
|
写真 |
〔巻末カラー〕1 |
役員
| 現役員 |
昭和46年(1971年)10月現在 |
写真、代表取締役社長 前田増三、代表取締役副社長 高木正一、専務取締役 広谷豊蔵、専務取締役 丸山幸一、常務取締役 中村静夫、常務取締役 長田正光、常務取締役 内島達爾、常務取締役 小宮山宇一、取締役 斎藤悟、取締役 田宮由道、取締役 富田澄、取締役 田中義一、取締役 斎藤文平、取締役 奥村正巳、取締役 佐野友二、取締役 小佐野賢治、監査役 飯塚孝司、監査役 松平忠晃 |
〔巻末カラー〕2 |
関係会社;役員
| 功労者 |
|
写真、元帝国ミシン株式会社・代表取締役 小瀬与作、元帝国ミシン株式会社・代表取締役 小野連三(故)、元帝国ミシン株式会社・取締役 小宮山武嘉、元蛇の目ミシン工業代表取締役社長 山田忍三(故)、前蛇の目ミシン工業代表取締役社長・現相談役 嶋田卓弥、元蛇の目ミシン工業代表取締役副社長 井田英一、元蛇の目ミシン工業取締役副社長 川本日出生(故)、元帝国ミシン株式会社小金井工場長 長沢寸美遠(故) |
〔巻末カラー〕4 |
財務・業績
| 資本金の推移 |
昭和34年(1959年)7月~46年(1971年)9月 |
グラフ、年月、金額 |
〔巻末カラー〕5 |
株式
| 株主数・株式数・配当率の推移 |
昭和35年(1960年)6月~46年(1971年)3月 |
グラフ、年月、株主数、株式数、配当率 |
〔巻末カラー〕5 |
売上
| 売上高と税引利益の推移 |
昭和35年(1960年)6月~46年(1971年)3月 |
グラフ、年月、売上高 |
〔巻末カラー〕6 |
財務・業績
| 税引利益と社内留保額の推移 |
昭和35年(1960年)6月~46年(1971年)3月 |
グラフ、年月、税引利益、社内留保額 |
〔巻末カラー〕7 |
シェア
| 国内シェア 家庭用ミシン内需44年実績13万台(家庭用ミシン工業会) |
|
円グラフ、ジャノメ、B社、A社、その他 |
〔巻末カラー〕8 |
販売
| 国内販売高の推移 |
昭和36年(1961年)6月~昭和46年(1971年)3月 |
棒グラフ、年月、販売高 |
〔巻末カラー〕8 |
売上
| 36年6月機種別売上高構成(金額) |
昭和36年(1961年)6月 |
円グラフ、直線縫ミシン、ジグザグミシン、職業用・工業用、その他 |
〔巻末カラー〕8 |
売上
| 46年3月機種別売上構成(金額) |
昭和46年(1971年)3月 |
円グラフ、直線縫ミシン、ジグザグミシン、職業用・工業用、その他 |
〔巻末カラー〕8 |
財務・業績;売上
| 昭和28年月掛予約・月賦販売再開以降の業績推移 |
昭和28年(1953年)6月~昭和46年(1971年)3月 |
棒グラフ、折れ線グラフ、決算期、社長、主要機種、売上高、税引利益、資本金、配当率 |
〔巻末カラー折込〕9 |
沿革
| 蛇の目ミシン創業五十年史年表 |
大正10年(1921年)~昭和46年(1971年) |
表、年次(和暦、西暦)、蛇の目ミシンの事蹟、役員、ミシン業界関係事項、内外主要事項 |
p770 |
経営;関係会社
| 会社概況(本社・国内関連子会社) |
昭和46年(1971年)10月1日現在 |
一覧、蛇の目ミシン工業株式会社(本社、小金井工場、技術研究所、役員)、[国内関連子会社社名](蛇の目精器株式会社、蛇の目電機株式会社、蛇の目精密工業株式会社、蛇の目金属工業株式会社、三光ミシン工業株式会社、蛇の目不動産株式会社、株式会社蛇の目電算センター)、所在地、創立、資本金、事業内容、生産能力、役員 |
p805 |
関係会社;海外事業
| 海外現地法人 |
昭和46年(1971年)10月1日現在 |
表、社名(ニューホームミシン会社、ドリーナミン有限会社、ヨーロッパ・ジャノメミシン会社、台湾ジャノメミシン会社、沖縄蛇の目販売株式会社、オーストラリア・ジャノメミシン会社)、所在地、設立、資本金、出資比率、合弁相手先、支店所在地、営業目的、役員 |
p806 |
需給
| 国産ミシン需給の推移 |
昭和1年(1926年)~昭和45年(1970年) |
表、年別、生産{家庭用(台数)、工業用(台数)、計(台数)}、輸出{家庭用(台数、金額)、工業用(台数、金額)、計(台数、金額)、部品(金額)、合計(金額)}、輸入{家庭用(台数、金額)、工業用(台数、金額)、計(台数、金額)、部品(金額)、合計(金額)} |
p809 |
需給
| ジグザグミシンの需給の推移(家庭用ミシン工業会調べ) |
昭和36年(1961年)~昭和45年(1970年) |
表、年次、生産高(数量、金額)、出荷高(数量、金額) |
p810 |
生産;販売
| 昭和45年度ミシン頭部生産・出荷・在庫 |
昭和45年度(1970年度) |
表、機種別{家庭用(直線縫、ジグザグ縫、小計)、工業用(織物用およびメリヤス用、皮革縫、袋縫用、その他、小計)、合計}、種別{生産(数量、金額)、出荷(数量、金額)、出荷の内輸出(数量)、在庫(数量)} |
p810 |
消費者
| ミシン所有および購入率の推移 |
昭和42年(1967年)9月~昭和46年(1971年)3月 |
表、調査時点、所有率、ジグザグミシン所有率、二台以上所有率、購入率、ジグザグミシン購入率 |
p811 |
消費者
| 地区別ミシン所有および購入率 |
昭和46年(1971年)3月度調査 |
表、地区(東京、関東地区、甲信越地区、東北地区、北海道地区、東海地区、関西地区、中国地区、四国地区、北九州地区、南九州地区、全国)、所有率、ジグザグミシン所有率、二台以上所有率、購入率、ジグザグミシン購入率 |
p811 |
索引
| 人名索引 |
|
配列は人名の表音式五十音順 |
p819 |