(株)竹中工務店『竹中の歩み : 竹中工務店』(1974.02)

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製品;沿革 草創期(1575―1909)//棟梁の血が近代建築に流れ込んだ 明治32年~明治41年 写真、承業最初の建築 神戸の旧三井小野浜倉庫(明治32年.設計:鈴木禎次)、耐震性に富んだ建築手法による旧浪速銀行(明治35年.設計:竹中)、煉瓦造瓦葺き平家建てが連棟になっている旧三井小野浜倉庫、煉瓦と石を混用した旧住友銀行京都支店(明治38年.設計:住友営繕部)、鐘淵紡績京都工場 煉瓦造述べ面積20,000m2の建築(明治41年.設計:横河工務所)、鐘淵紡績京都工場 p4
製品;沿革 確立期(1909―1912)//新しい技術の先頭に立つ 明治45年 写真、旧真宗信徒生命保険会社 設計は建築史学者・伊東忠太、旧京都高島屋 外観は土蔵造りだが純然たる鉄筋コンクリート造、日本生命保険名古屋支店 日本最初の鉄骨構造らしい建築、旧大阪合同紡績 成熟期の煉瓦造建築 設計は旧制名古屋高工建築科の育ての親・鈴木禎次、旧大阪合同紡績(明治45年) p8
製品;沿革 興隆期(1912―1923)//少年から青年への戸惑い 大正5年~大正12年 写真、三井銀行神戸支店の玄関石柱 一本石で有名である 当時銀行建築の名手といわれた長野宇平治の設計、三井銀行神戸支店(大正5年)、朝日新聞大阪本社(大正5年.設計:竹中工務店)、横浜正金銀行神戸支店(大正8年.設計:長野宇平治)、甲南高校(大正12年.設計:宗平蔵)、明海ビル(大正10年.設計:竹中工務店)、北浜野村ビル(大正10年.設計:竹中工務店)、山口銀行東京支店(大正12年.設計:竹中工務店)、ルネッサンス様式による端正・明快な横浜正金銀行 貼石万成産花崗岩の桜色が美しい 現在は安田信託銀行 p12
製品;沿革 成長期(1923―1945)//地味だが充実した成果 大正15年~昭和9年 写真、大阪ビル東京分館1号館 褐色スクラッチタイル貼り ロマネスク様式の建築(昭和2年)、東京帝大工学部列品室 現在の工学部事務室、茨城県庁舎 行幸に間に合うよう約1年の工期で竣工、横浜米国領事館 コロニアルスタイルの端正な建物、神戸女学院 スパニッシュの明るい建築、大阪ビル東京分館1号館の7階から8階にかけての張り出し部分 アーチ型の窓の上下に数種類の獣頭の彫刻がみられる、大阪・旧大同生命ビル(大正14年)、東京・黒田記念館(昭和3年.設計:岡田信一郎)、大阪ビル東京分館1号館(昭和2年.設計:渡辺節)、花崗岩を貼った外装の明治生命館 当時しては画期的な全館冷暖房であった、大阪・朝日会館(大正15年)、明治生命館 欧米の一流の様式建築に比べても遜色がない(昭和9年.設計:岡田信一郎) p16
製品;沿革 現代編I(1945―1955)//回復と学習の時代 昭和25年~昭和30年 写真、永い暗い時代は終わった だが建築業界では戦後数年間は焼けビルの復旧などで苦しい日々が続いていた、戦後初のオフィスビル 東京海上火災大手町別館(昭和25年)、米国原子爆弾傷害調査委員会医学研究所(昭和25年)、当時のリーダーズ・ダイジェスト東京支社(昭和26年)、合理的な機械施工の大阪・産経ビル(昭和27年)、大阪初の潜函工法により駅前に出現した第一生命ビル(昭和28年.設計:竹中工務店)、大阪・阪急航空ビル(昭和26年)、欧米視察に発つ故相談役、豊田ビル 総合ビルとして名古屋駅付近の近代化に貢献、大阪・梅田ビル(昭和30年.設計:竹中工務店)、わが国初の国際会議場として注目された東京・大手町の産経会館、東京・日活国際会館 地下工事における潜函工法の劇的な成功とともに戦後最初の大型ビルとして内外の注目を集めた(昭和27年.設計:竹中工務店) p22
製品;沿革 現代編II(1955―1960)//多様な研究・実力と自信の充実 昭和31年~昭和35年 写真、総合ビルの機能を巧みに処理している神戸国際会館(昭和31年、設計:竹中工務店)、神戸新聞会館(昭和31年.設計:村野・森事務所)、最高の科学と技術が要求された南極の本観測用施設、新朝日ビルの大胆なアルミパネルの外装 戦後の金属パネル時代を一挙に推し進めた(昭和33年)、技術の進歩を強く印象づけた東京タワー(昭和33年)、官公庁建築の水準を上げた外務省(昭和35年)、天神ビル 材質と色彩を統一する新しい傾向はこのビルが発端となった、新阪急ビル 竹中式深礎工法によって隣地の地下鉄路盤沈下をふせいだ、関電本社ビル 開放的空間を造り公共の利用に供して都市建築のあり方を示した(昭和35年) p28
製品;沿革 現代編III(1960―1965)//多様な展開の時代 昭和33年~昭和38年 写真、日本軽金属本社ビル(昭和37年.設計:松田、平田、坂本)、三愛ドリームセンター(昭和38年.設計:日建設計)、東洋工業大阪支社(昭和39年.設計:竹中工務店)、神戸・オリエンタルホテル(昭和33年)、NCRビル 端正な外観と前庭に噴水をもつ都会のオフィスビル(昭和37年.設計:吉村順三)、大阪・塩野義製薬研究所(昭和37年.設計:坂倉準三)、東京・天理教館(昭和36年.設計:槇文彦)、東京・朝日生命本社ビル(昭和38年.設計:竹中工務店)、千葉大学講堂(昭和39年.設計:槇文彦)、東京・梅若能楽学院 梅若宗家の庭園に竣工した近代的な能楽堂、東京・日本武道館 収容人員約17,200人、延べ18,526m2の大建築を1年足らずの工期で竣工、新宮殿 日本古来の伝統を現代に生かした格調高い建築、大阪・日本板硝子本社 企業イメージを反映して日本最初の全面ガラス・カーテンウォール(グレーベン)を採用したオフィスビル p34
製品;沿革 現代編IV(1965―1968)//社会における建設業へ 昭和41年~昭和44年 写真、大阪明治生命館(昭和40年.設計:竹中工務店)、東京・経団連ビル(昭和41年.設計:日建設計)、東京・文芸春秋本社(昭和41年.設計:竹中工務店)、東京・パレスサイドビル 共同企業体方式を採用、高松・百十四銀行本店 都市環境と調和した公共的高層建築、大阪・ロイヤルホテル 使いよい都市ホテルとして好評、1階を縦断する車道をもつ中部日本ビル(昭和41年)、国立劇場 国民待望の劇場が誕生(昭和41年)、御堂筋の景観との調和を考慮した御堂ビル(昭和40年)、広大なエスプラナードをもっている埼玉会館(昭和41年)、ディックビル 地下5階、地上18階の高層ビル(昭和42年.設計:海老原建築設計事務所・坪井善勝研究室)、高速道路をまん中に抱え込んでいる大阪・朝日新聞ビル(昭和43年)、地上22階、西日本における超高層時代の幕開けとなった大阪マーチャンダイズ・マート(昭和44年)、新しい時代を告げる京阪ビル(昭和42年.設計:竹中工務店)、日本原子力敦賀発電所 新しい建設業への転換に欠くことができない建築と土木の協力 p40
製品;沿革 現代編V(1968―1970)//繁栄への建設技術 昭和43年~昭和46年 写真、阪急梅田駅 第3期(昭和46年)、天満屋岡山店 岡山市中心部の密集した商業地区を再開発(昭和44年)、“川の流れる町”で評判になった地下街 阪急三番街、脱都市のさきがけとなった第一生命保険相互大井町本社(昭和43年)、伊藤忠ビル・大阪センタービル(昭和44年.設計:竹中工務店)、名古屋城の内濠に面している落ちついたホテル ナゴヤキャッスル(昭和44年)、非常災害時でも放送できるよう配慮されている最新設備のNHK放送センター、広大な緑の中に美しく配置されている北里大学病院、サントリー桂工場 見せる機能をもった工場として好評、ソニー稲沢工場 外壁には竹中ベアリングパネルを使用したユニークな構成、清和台分譲住宅(昭和45年.設計:竹中工務店)、万松園 自然の南斜面を巧みに利用した階段式集合住宅、大阪の千里で6か月間にわたって開催された万国博の会場 p46
製品;沿革 現代編VI(1970―1973)//環境へのトータル・システム 1970年~1973年 写真、大同生命本社ビル 森とプラザをもつビルとして評判になった、中部電力浜岡原子力発電所、竹中工務店千里山教育寮 土地の高低差を巧みに利用している、竹中工務店技術研究所 創立70周年を記念して新設された、1日1,200トンの処理能力をもつ東京都板橋清掃工場、焼却炉の熱を冷暖房や温水プールに利用する横浜市清掃局港南工場、くずはモール 木蔭のモールをもつユニークなショッピングセンター、門真プラザ 官民協力して再開発のあり方を示したモデルケース、横浜天理教館 敷地の50%をワールド・コミュニケーション・プラザとして地域住民に提供している、大阪国際ビル 太陽熱や体熱、照明熱を利用して冷暖房を行なう無公害の新しい空調システムTACNES-HRを採用、新装なったロイヤルホテル 地上30階 1,600室の東洋一の規模と豪華さを誇っている p54
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