東亜建設工業(株)『百年の軌跡 : 東亜建設工業の歩み』([2007])

カテゴリー 内容1 内容2 内容3 ページ
沿革;役員 第一章 浅野総一郎の夢 明治30年(1897年)~明治41年(1908年) 写真、浅野総一郎翁//明治初期の横浜港の様子//鶴見・川崎間埋立平面図 p4
沿革 第二章 京浜工業地帯の発展 大正2年(1913年)~大正12年(1923年) 写真、埋立で生まれた安善町(昭和初め)//埋立地に進出した日本鋼管株式会社(昭和初め)//第二末広丸//工業都市変貌への黎明期 p6
沿革 第三章 東亜港湾工業の発足 大正15年(1926年)~昭和20年(1945年) 写真、羽田丸(昭和14年建造)//六郷丸(昭和14年建造)//千葉市営埋立工事(昭和16年4月)//「東亜港湾工業」発足前後の報告書 p8
沿革 第四章 復興、そして「戦後」の終焉 昭和20年(1945年)~昭和28年(1953年) 写真、三井鉱山株式会社三井家鉱業所人工島(初島)(昭和26年)//羽田飛行場の復旧と拡張工事(昭和20~22年)//武蔵丸(昭和5年建造)//武蔵丸のサンドポンプ p10
沿革 第五章 第一次埋立ブーム 昭和28年(1953年)~昭和37年(1962年) 写真、扇島上空より、川崎市千鳥町、夜光町の埋立地を望む(昭和33年)//名古屋港高潮防波堤建設(昭和37年)//第一芙蓉丸(後に橘丸と改称)(昭和36年建造)//亜細亜丸(昭和37年建造)//本社・東亜ビルの完成(昭和36年7月20日) p13
沿革 第六章 広がる臨海工業地帯(第二次埋立ブーム) 昭和37年(1962年)~昭和48年(1973年) 写真、株式会社神戸製鋼所加古川工場(昭和49年9月)//鹿島港の建設(昭和45年頃)//鹿島港南防波堤(昭和47年頃)//新扇島埋立工事(昭和46~50年)//浅間山土砂積出桟橋(昭和48年頃) p15
沿革 第七章 東亜建設工業の発進、総合建設業へ 昭和48年(1973年)~昭和53年(1978年) 写真、日本鋼管株式会社扇島高炉上屋建設工事(昭和53年10月)//大黒町埠頭連絡橋建設工事(昭和49年頃)//山陽新幹線西厚挟築工事(昭和46~48年)//日産自動車株式会社追浜埋立工事(昭和55年9月頃) p17
沿革 第八章 相次ぐ海外ビッグプロジェクトtp革命、戦争による蹉跌 昭和38年(1963年)~昭和55年(1980年) 写真、シンガポール チャンギー空港埋立工事(昭和51年~54年)//イラン PGSCバンダル・アバス桟橋工事//イラン IJPC第二桟橋工事(昭和52年6月)/イラク共和国工業計画遂行責任者キンディ氏と握手する坂本信雄社長(昭和50年10月)//イラク コール・アル・ズベール(第一期)工事(昭和51~53年)//エジプト スエズ運河浚渫(昭和52~54年)//クウェート船溜建設工事(昭和54年2月) p19
沿革 第九章 再出発、そして新たな展開 昭和55年(1980年)~平成2年(1990年) 写真、富津火力第2LNGバース(平成10年~13年)//扇島LNGバース(平成7年~10年)//羽田沖合展開工事(平成4年)//東京湾アクアライン(平成9年12月頃)//関西国際空港I期(平成5年6月頃) p21
沿革 第十章 次なる世紀への飛翔 平成2年(1990年)~平成20年(2008年) 写真、八景島シーパラダイス(平成5年5月頃)//アクアシティお台場(平成12年)//東京都江戸東京博物館(平成5年)//山陽新幹線阪水工区復旧工事(平成7年)//札幌市山口斎場(平成18年)//羽田空港再拡張事業(平成19年) p24
沿革 年表 東亜建設工業百年の歩み 明治41年(1908)~平成19年(2007) 年表 p26
PAGE TOP