兼松(株)『兼松六十年の歩み』(1955.04)

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経営者;役員 故兼松房治郎氏 [明治38年(1905年)10月] 写真 巻頭
経営者;役員 青年時代の兼松氏 明治3年(26歳)前後 横浜にて [明治3年(1870年)頃] 写真 〔16〕
経営者;役員 創業時代の兼松氏 明治22年(45歳) [明治22年(1889年)] 写真 〔16〕
兼松先子夫人 明治36年(47歳)ころ 明治36年(1903年) 写真 〔16〕
経営者;役員 晩年の兼松翁夫妻 明治42年5月 自邸で本復祝いの際の写真 兼松氏 65歳 夫人 53歳 明治42年(1909年) 写真 〔16〕
貿易 日本人の豪州羊毛積出インボイス第1号(兼松の手によるもの) 写真 〔32〕
事業所 海岸通りの本店 明治31年(1898年)撮影 写真、明治27年5月本店は栄町三丁目から海岸通りに移った。後年この敷地に「日豪館」が建てられた。 〔32〕
事業所 オツコンネル街に移ったシドニー支店 明治24年(1891年) 写真、明治24年、オッコンネル街八番地アルバート・ビル内に移った。爾来数十星霜、この地点を本拠に豪州店の活動は続けられた。 〔32〕
貿易 日本輸出入総額 明治10年(1877年)、明治20年(1887年)~25年(1892年) 表、年、輸出、輸入、合計、外商の取扱経費率 p33
事業所 日豪館 明治44年(1911年) 写真、明治44年8月海岸通り三丁目に竣成した本店。日豪館と名づけられた。 〔62〕
事業所 伊藤町の本店 大正7年(1918年) 写真、第一次世界大戦の休戦直後大正7年12月に竣工した。 〔62〕
設備 兼松翁絶筆の書簡 写真 〔62〕
業界 シドニー羊毛競売場 一九三三年(昭和八年)八月新羊毛シーズン蓋開競市当日の撮影 1933年(昭和8年) 写真 〔112〕
催し 五十周年記念パーティー(豪州兼松商店 シドニーにて) [昭和15年(1940年)4月] 写真、[本店から1年遅れてシドニー支店開設満50年の日に] 〔112〕
事業所 兼松羊毛工業株式会社(竜野工場) [昭和10年(1935年)] 写真 〔112〕
売上 売上高指数 昭和2年基準 昭和2年(1927年)~昭和11年(1936年) 表、年、輸入、輸出、内売、合計 p113
従業員 五十周年当時の邦人従業員の状態 [昭和14年(1939年)頃] 表、[事業所別](本店、大阪、満州、華中、北米、東京、名古屋、華北、濠洲、南米、南阿、その他、休職(病気)、休職(軍務)、合計) p125
売上 売上高指数(毎年九月末日にいたる一ヵ年) 昭和12年(1937年)~昭和20年(1945年) 表、年、輸入、輸出、内売、合計、国内物価指数 p133
貿易 貿易高指数 昭和12年(1937年)~昭和19年(1944年) 表、年、当社貿易高、日本総貿易高 p134
経営 3年9ヵ月にわたる苛烈な戦争がおわった日に見出した当社の立場 [昭和20年(1945年)8月15日] 一覧、在外資産、戦災建物(事務所 焼失、日豪館 大破)、開戦ならびに終戦による海外店舗閉鎖、従業員の状態{イ.邦人従業員在籍数(社員、傭員、計)、ロ.イのうち現職者(軍務応招者、病休職者)、ハ.ロの現職者のうち内地勤務者、外地勤務者)、ニ.戦死者、ホ.殉職者}、従務員の戦災(住居全焼、死亡) p141
従業員 従業員総数(現職者) 昭和21年(1946年)末~昭和23年(1948年)末 表、年、職員、傭員、合計 p152
催し;事業所 六十周年を迎える本店 [昭和24年(1949)8月] 写真、戦災で本店を焼失し、隣接の倉庫をオフィスに改装した。 〔168〕
催し;悦日 六十周年記念行事 前田長老による兼松翁夫妻肖像画除幕 [昭和24年(1949)8月15日] 写真、前田長老による兼松翁夫妻肖像画序幕 〔168〕
社会貢献 兼松翁記念事業 神戸大学兼松記念館(経済経営研究所)、一橋大学兼松記念講堂、シドニー病院兼松病理学研究所 写真 〔168〕
索引 索引 巻末
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