事業所
| [アサヒビール吾妻橋ビルに映り込む、朝日に光り輝く『アサヒビールの燃える心の炎』のオブジェ] |
|
写真 |
表紙 |
事業所
| 創業120周年を迎えた2009年時の本社周辺写真 |
2009年(平成21年)10月撮影 |
写真 |
巻頭 |
事業所
| 第4期増設がすすむ吹田村醸造所 |
1897年(明治30年) |
写真 |
p2 |
広告宣伝;役員
| 大阪麦酒会社役員就任広告 |
1889年(明治22年)12月19日 |
大阪朝日新聞に載った広告の写真(社長・鳥井駒吉、取締・宅徳平、石崎吉兵衛) |
p4 |
経営者;役員
| 創立にかかわった人たち |
[1889年(明治22年)] |
写真と生年・没年、松本重太郎、外山脩造、鳥井駒吉、石嵜吉兵衛、宅徳平 |
p4 |
生産;貿易
| 日本国内のビール生産量と輸入量 |
1883年(明治16年)~1893年(明治26年) |
棒グラフ、年、量(生産量、輸入量) |
p5 |
物流;施設
| 大阪-堺間を運行していた「和歌号」 |
[1904年(明治37年)頃] |
機関車の写真 |
p5 |
販売;広告宣伝
| 日本酒類会社の販売広告 |
1887年(明治20年)4月16日 |
大阪朝日新聞に載った広告の写真 |
p5 |
業界
| 初期のビール業界 |
1870年(明治3年)~1907年(明治40年) |
沿革図、創業・設立・製造販売・社名変更等の年月、社名 |
p6 |
商標
| “波に昇る朝日”をかたどった「アサヒビール」発売当時のラベルと肩貼り |
[1892年(明治25年)5月] |
写真 |
p7 |
事業所
| 吹田停車場周辺 |
1885年(明治18年) |
吹田停車場周辺の地図 |
p7 |
生産
| [ビール醸造に適した良水・]泉殿霊泉(泉殿宮) |
[1888年(明治21年)頃] |
写真 |
p7 |
経営者;役員
| 鳥井駒吉(1853~1909年) 広い視野を持った「信」と「和」の人 |
|
鳥井駒吉の経歴、人柄、事業の紹介。誕生から逝去までの「鳥井駒吉の年譜」あり |
p8 |
技術;教育・研修
| [生田秀がドイツ留学の際、入学した]ヴァイエンシュテファン中央農学校の全景 |
[1888年(明治21年)頃] |
写真 |
p9 |
経営者;役員
| 大阪麦酒会社創立と生田秀との間で取り交わされた「条約」(契約書) |
1888年(明治21年)3月3日付け |
契約書の写真 |
p9 |
事業所
| 建設中の吹田村醸造所 |
1891年(明治24年) |
北側から撮影した写真 |
p10 |
技術;役員
| 生田秀(1857~1906年) 近代的ビール醸造事業を求めて |
|
生田秀の経歴、ドイツでの研鑽、留学から帰国後逝去までの紹介、生田秀技術長兼務の辞令や生田がドイツから持ち帰ったビール醸造設備の模型写真 |
p11 |
技術;設備
| 生田がドイツから持ち帰ったビール醸造設備の模型 |
[1889年(明治22年)] |
写真 |
p11 |
事業所;広告宣伝
| 完成した吹田村醸造所を描いた広告物 |
[1896年(明治29年)頃] |
絵 |
p12 |
施設
| 吹田工場ゲストハウスに現存する煉瓦造りの壁 |
|
写真 |
p12 |
事業所
| 現在の吹田工場との比較 |
|
平面図 |
p12 |
事業所
| 吹田村醸造所完成時の概要 |
[1891年(明治24年)] |
醸造所の南側立面図、[ドイツ・]ゲルマニア社による立面図と平面図、醸造所の概要(敷地、建築、構造形式、建物面積、建物の大きさ、建物高さ、基本設計、実施設計、製造能力、製麦、仕込、酵母培養、発酵、貯酒、麦酒濾過、洗びん、詰め機、殺菌機、製氷機、ボイラー、原動機械) |
p13 |
事業所;商品
| 吹田村醸造所の概要と「アサヒビール」新発売を報じる新聞記事 |
1892年(明治25年)5月 |
1892年5月4日付「大阪毎日新聞」記事の写真 |
p14 |
商品;広告宣伝
| 「アサヒビール」の発売広告 |
1892年(明治25年)5月 |
1892年5月16日付「大阪毎日新聞」記事の写真(ビールのラベルと醸造所の建物の絵入り) |
p14 |
商品;広告宣伝
| 新発売時の中井芳滝作の「引札」 |
1892年(明治25年)頃 |
引札のカラー写真 |
p14 |
商品;催し
| 「アサヒビール」誕生の祝賀写真、「アサヒビール」誕生の祝賀で吹田村醸造所に集合した関係者たち |
1892年(明治25年)5月 |
吹田村醸造所における関係者([ブルノ・]ダニエル、[マクス・]メルゲル、石嵜[吉兵衛]、鳥井[駒吉]、宅[徳平]、生田[秀]、機械据付技師カルローテ])の集合写真 |
p15 |
設備
| 1890年製の2本ローラー型麦芽粉砕機 |
[1892年(明治25年)] |
ゲルマニア社製で、1999年まで現役で活躍していた麦芽粉砕機の写真 |
p15 |
商標
| [ババリア(バイエルン)風の別醸品を製造・発売した]「ニシキビール」ラベル |
1893年(明治26年)[4月] |
写真 |
p15 |
設備
| 創業時の1771l木製所蔵樽(独ボーデンハイム社)と樽に刻印されたBODENHEIMの社名 |
[1892年(明治25年)] |
写真 |
p15 |
販売;施設
| 大阪麦酒時代の出荷風景(横堀倉庫) |
[1892年(明治25年)頃] |
写真 |
p16 |
販売;広告宣伝
| 当時の特約販売店などの名前が並ぶ「アサヒビール」販売広告 |
1892年(明治25年)7月 |
写真 |
p16 |
経営
| ゴールデン大麦組合会とのビール大麦栽培契約書 |
1903年(明治36年)[5月] |
写真 |
p17 |
製造工程
| 吹田村醸造所の製造工程 |
[1893年(明治26年)頃] |
写真、煮(仕込)→発酵桶→貯蔵樽→ビール濾過機→ビン詰機→仕揚場(仕上) |
p17 |
生産
| 全国と大阪麦酒の麦酒生産量 |
1893年(明治26年)~1905年(明治38年) |
棒グラフ、年、生産量(大阪麦酒、全国) |
p18 |
事業所
| [生産能力を当初の10倍に高めることを目標に進められた吹田村醸造所]第4期工事第四号貯窖(貯酒庫)上棟式に集合した経営陣ほか |
1897年(明治30年) |
経営陣等([ウィルヘルム・]シュナイデル、[マクス・]メルゲル、生田[秀]、石嵜[吉兵衛]、鳥井[駒吉]、宅[徳平])の写真 |
p18 |
財務・業績;資産
| 大阪麦酒の資本・資産 |
1900年(明治33年)~1905年(明治38年) |
表、年、払込資本金、社債、固定資産、純資産 |
p18 |
役員;株式
| 大阪麦酒の役員と大株主 |
設立時[(1906年)]~1905年(明治38年) |
表、氏名(鳥井駒吉、宅徳平、石嵜吉兵衛、外山脩造、松本重太郎、生田秀、土居通夫、大塚和三郎)、総株式数、株主数、年{設立時(役職)、1900年(役職、持株数)、1902年(役職)、1905年(役職、持株数)} |
p19 |
役員;技術
| 1905年頃の[醸造所長・]生田秀、[事務長・]武内常太郎、[技師・]高橋龍太郎 |
1905年(明治38年)頃 |
写真 |
p19 |
組織
| 組織図(1899年10月1日、1904年10月1日) |
1899年(明治32年)10月1日、1904年(明治37年)10月1日 |
組織図 |
p20 |
博覧会
| 第4回内国勧業博覧会パンフレットの表紙 |
[1895年(明治28年)] |
写真 |
p20 |
博覧会;表彰
| コロンブス世界博覧会で受賞した「最優等ノ賞牌」 |
[1893年(明治26年)] |
写真 |
p20 |
表彰
| 「アサヒビール」のおもな受賞歴 |
1892年(明治25年)10月~1900年(明治33年) |
一覧、年月、受賞内容 |
p20 |
博覧会;販売
| 第4回内国勧業博覧会(京都)に出店した大阪麦酒の販売所(背景に見えるのは平安神宮) |
1895年(明治28年) |
写真 |
p21 |
博覧会;表彰
| 第4回内国勧業博覧会有功一等賞賞状と金牌 |
1895年(明治28年)7月 |
写真 |
p21 |
広告宣伝
| 平安神宮大極殿地鎮祭(1893年9月)に登場した「アサヒビール」の横断幕(1895年にここを会場として第4回内国勧業博覧会が開催された) |
1893年(明治26年)9月 |
写真 |
p21 |
事業所;販売
| 常設ビヤホール「アサヒ軒」1号店(大阪・中之島大江橋南詰) |
1897年(明治30年)7月開店 |
写真 |
p22 |
商品
| 「アサヒ軒」のメニュー |
1902年(明治35年) |
写真 |
p22 |
事業所;販売
| ビヤホール「朝日軒」(東京・向島須崎町) |
1903年(明治36年)頃 |
写真 |
p22 |
シェア;業界
| 4社のシェア |
1893年(明治26年)~1905年(明治38年) |
折れ線グラフ、年、%(札幌麦酒、ジャパン・ブルワリー、大阪麦酒、日本麦酒) |
p23 |
広告宣伝;業界
| 販売競争が激化した1900年代の各社の新聞広告 |
1900年代(明治33年~明治42年) |
3社(サッポロビール、ヱビスビール、アサヒビール)の新聞広告の写真 |
p23 |
設備;生産
| 製樽現場 |
[1900年代初期] |
写真 |
p24 |
技術
| 吹田村醸造所第三号館(醸造棟)前に集合した醸造技術者たち |
1904年(明治37年)頃 |
写真 |
p24 |
事業所
| 建設当時の札幌麦酒東京工場(のちの吾妻橋工場) |
[1903年(明治36年)完成] |
写真 |
p24 |
経営
| 農商務大臣清浦奎吾に宛てた札幌麦酒取締役会長渋沢栄一の陳述書 大阪麦酒、日本麦酒、札幌麦酒の合併3社の株式の評価差から予想される問題点をあげ、迅速な手続きを行うための指示を願い出ている |
1905年(明治38年) |
陳述書の写真 |
p25 |
催し
| 1926年、吹田工場で開催された「合同二十周年祝賀販売店会」の集合写真 |
1926年(昭和元年) |
写真 |
p26 |
商標
| [大阪麦酒、日本麦酒、札幌麦酒の3社が合併して発足した]大日本麦酒のマーク |
[1906年(明治39年)] |
図 |
p28 |
商標
| 平和克復と3社合併を記念して発売された「ピースビール」のラベルと肩貼り |
1906年(明治39年) |
写真 |
p28 |
組織
| 日本麦酒の組織図 |
1906年(明治39年) |
組織図 |
p28 |
シェア
| 大日本麦酒のシェア |
1906年(明治39年)~1913年(大正2年) |
折れ線グラフ、年、%(加富登麦酒、麒麟麦酒、大日本麦酒) |
p28 |
商標
| 合併3社の商標を引き継いだ大日本麦酒のラベル |
[1906年(明治39年)] |
[合併前3社(ヱビスビール、サッポロビール、アサヒビール)の]ラベル写真 |
p29 |
経営;財務・業績
| 大日本麦酒の企業規模 |
1920年(大正9年)、1935年(昭和10年) |
1920年と1935年の日本企業のランキング(順位、社名、総資産、払込資本金) |
p29 |
経営者;役員
| 馬越恭平(1844~1933年) 日本の「ビール王」 |
|
馬越恭平の経歴、ビール業界との関係・業績、趣味など。「馬越恭平像」の写真 |
p30 |
役員;設備
| 吹田工場設立65周年記念碑のレリーフ像(馬越恭平、生田秀、高橋龍太郎、山本為三郎) |
1959年(昭和34年)建立 |
レリーフの写真 |
p30 |
経営者;政治家
| 根津嘉一郎(1880~1940) |
|
写真 |
p31 |
生産
| 大日本麦酒の生産量 |
1906年(明治39年)~1913年(大正2年) |
棒グラフ、年、生産量(大日本麦酒、全国) |
p31 |
業界;商標
| 業界他社のラベル(1) |
|
4社(「カブトビール」「東京麦酒」「浅田ビール」「キリンビール」)のラベル写真 |
p31 |
財務・業績
| 大日本麦酒の業績 |
1906年(明治39年)~1913年(大正2年) |
表、年、払込資本金、興業費勘定、総収入、興業費償却金、利益金、配当率 |
p32 |
事業所
| 醸造1万回を迎えた吹田工場 |
1907年(明治40年)1月 |
[吹田工場玄関前での]集合写真(その中に高橋龍太郎、馬越恭平あり) |
p32 |
生産
| ビール麦の契約栽培の推移 |
1890年(明治23年)~1917年(大正6年) |
表、年、府県 |
p33 |
生産
| 大日本麦酒の自家製麦芽受入量 |
1906年(明治39年)~1909年(明治42年) |
表、年・期、受入量 |
p33 |
事業所
| 大日本麦酒ホップ園と札幌(苗穂)製麦工場 |
1937年(昭和12年)頃 |
写真 |
p33 |
事業所;施設
| 吹田工場製びん場と貯びん場 |
1907年(明治40年)頃 |
写真 |
p34 |
設備
| 「吹田二年式製びん機」を導入した吹田工場 |
[1913年(大正2年)] |
写真 |
p34 |
商品
| 王冠を使用した「シトロン」と「ミュンヘンビール」 |
[1909年(明治42年)] |
写真 |
p34 |
商品;広告宣伝
| 新型王冠使用[アサヒ]ビールの新聞広告、王冠びん口とコルク栓びん口(王冠とコルク栓では、びん口の形も異なっている) |
1913年(大正2年)~1914年(大正3年) |
写真 |
p35 |
商品;価格
| 新型王冠口ビールの価格に関する覚書 |
1912年(大正元年) |
覚書の写真 |
p35 |
商品;広告宣伝
| 「アサヒビール」と「リボンシトロン」のポスター |
昭和初期 |
写真 |
p35 |
生産
| 大日本麦酒の生産量 |
1914年(大正3年)~1926年(昭和元年) |
棒グラフ、年、生産量(大日本麦酒、全国) |
p36 |
シェア;業界
| 大日本麦酒のシェア |
1914年(大正3年)~1926年(昭和元年) |
折れ線グラフ、年、シェア(大日本麦酒、麒麟麦酒、日本麦酒鉱泉) |
p36 |
商標;業界
| 業界他社のラベル(2) |
|
3社(「サクラビール」「カスケードビール」「フジビール」)のラベル写真 |
p36 |
広告宣伝
| 川久保平野礦泉所による「平野礦泉」の広告 |
1900年(明治33年)8月 |
1900年8月16日付「京都日出新聞」掲載の広告の写真 |
p37 |
広告宣伝
| 三ツ矢平野礦泉「三ツ矢印平野水」の宣伝チラシ |
[1888年(明治21年)10月頃] |
チラシの写真 |
p37 |
商標
| 帝国鉱泉の「三ツ矢シャンペンサイダー」ラベル |
1909年(明治42年) |
写真 |
p37 |
事業所
| 日本麦酒鉱泉の各工場(西宮工場、東京工場(のちの川口工場)、名古屋工場(のちの半田工場) |
[大正時代] |
写真 |
p38 |
広告宣伝
| 日本麦酒鉱泉の広告 |
1929年(昭和4年)5月 |
1929年5月5日付「京都日出新聞」掲載の広告の写真 |
p38 |
事業所
| 完成間もない頃の博多工場 |
1921年(大正10年) |
写真 |
p38 |
事業所
| 名古屋工場 |
1926年(昭和元年)頃 |
写真 |
p38 |
貿易
| 日本の麦酒輸出量 |
1914年(大正3年)~1926年(昭和元年) |
表、年、輸出量、比率 |
p39 |
事業所;海外事業
| 青島工場 |
[1916年(大正5年)9月16日買収] |
写真 |
p39 |
災害
| 関東大震災で倒壊した吾妻橋電車橋(奥に見えるのが吾妻橋工場) |
1923年(大正12年)9月 |
写真 |
p40 |
財務・業績
| 大日本麦酒の業績 |
1914年(大正3年)~1926年(昭和元年) |
表、年、払込資本金、開業費勘定、総収入、開業費償却金、利益金、配当率 |
p40 |
組織
| 大日本麦酒の組織図 |
1920年(大正9年) |
組織図 |
p40 |
広告宣伝
| 「アサヒビール」の宣伝隊(下呂温泉) |
1929年(昭和4年) |
写真 |
p41 |
生産
| 大日本麦酒の生産量 |
1927年(昭和2年)~1936年(昭和11年) |
棒グラフ、年、生産量(大日本麦酒、全国) |
p41 |
生産;業界
| 大日本麦酒ほかのビール製造能力 |
1924年(大正13年)、1929年(昭和4年) |
表、社名(大日本麦酒、麒麟麦酒、帝国麦酒、日本麦酒鉱泉、日英醸造、合計)、年{1924年(製造能力、生産量、稼働率)}、1929年{(製造能力、生産量、稼働率)} |
p41 |
シェア
| 大日本麦酒のシェア |
1927年(昭和2年)~1936年(昭和11年) |
折れ線グラフ、年、シェア(大日本麦酒、麒麟麦酒、日本麦酒鉱泉、桜麦酒) |
p42 |
広告宣伝
| 桜麦酒の王冠買入れキャンペーンの広告 |
1931年(昭和6年)3月 |
1931年3月28日付「東京朝日新聞」掲載の広告写真 |
p42 |
広告宣伝
| 日本麦酒鉱泉の4社協定脱退および王冠買い入れ広告 |
1930年(昭和5年)3月 |
1930年3月28日付「東京朝日新聞」掲載の広告写真 |
p42 |
広告宣伝;価格
| 寿屋「オラガビール」の値下げ広告 |
1931年(昭和6年)6月 |
1931年6月5日付「東京朝日新聞」掲載の広告写真 |
p42 |
事業所
| 大日本麦酒の工場一覧 |
1933年(昭和8年)12月末 |
表、No.、工場名、ビール、清涼飲料水、製びん、製麦、主要製造品種 |
p43 |
販売;経営
| 麦酒共同販売設立の「仮契約書」 |
1933年(昭和8年)6月21日 |
写真 |
p43 |
貿易
| 日本のビール輸出量 |
1927年(昭和2年)~1936年(昭和11年) |
表、年、輸出量、比率 |
p44 |
財務・業績
| 大日本麦酒の業績 |
1927年(昭和2年)~1936年(昭和11年) |
年、払込資本金、興業費勘定、総収入、興業費償却金、利益金、配当率 |
p44 |
技術
| [大日本麦酒の招聘を受けて来日したミュンヘン醸造科学研究所長ハインリッヒ・]リューエルス博士[(ミュンヘン大学教授)]を囲んで |
1935年(昭和10年)[8月] |
写真、於吹田工場、高橋龍太郎[専務も] |
p44 |
広告宣伝;商品
| 発売以来、熱心に広告をつづけた「ヱビオス」の新聞広告 |
1931年(昭和6年)6月 |
1931年6月20日付「大阪朝日新聞」掲載の広告写真 |
p45 |
事業所;販売
| 千日前ビヤホール(大阪) |
[1939年(昭和14年)頃] |
写真 |
p45 |
事業所;販売
| ユニオンクラブ(東京・銀座1丁目) |
1930年(昭和5年) |
写真 |
p45 |
政策
| 酒販免許制度の採用を報じる新聞記事(記事は翌1937年から実施とあるが、同制度がスタートしたのは翌々年の1938年であった) |
1936年(昭和11年)11月20日 |
1936年11月20日付「毎日新聞」記事の写真 |
p46 |
生産
| 大日本麦酒の生産量 |
1937年(昭和12年)~1945年(昭和20年) |
棒グラフ、年、生産量(大日本麦酒、全国) |
p46 |
役員
| 高橋龍太郎(1875~1967年) 生田[秀]の命によりドイツ留学 |
|
高橋龍太郎の経歴、大阪麦酒入社後のドイツ留学、結婚、社内での業績、趣味、国会(貴族院、参議院)議員、通商産業大臣、逝去までの紹介文。1951年4月に吹田工場内に建立された銅像の除幕式の写真 |
p47 |
役員;催し
| 高橋[龍太郎]社長就任祝賀会 |
1937年(昭和12年) |
写真 |
p48 |
生産;資産
| 広島県北部に点在(15ヵ所)する社有林の位置 |
[1947年(昭和22年)頃] |
社有林の位置を示した地図 |
p48 |
商標
| 銘柄廃止後のビールラベル |
1943年(昭和18年)、1944年(昭和19年) |
ラベルの図 |
p48 |
事業所;政策
| 軍需品増産のために工場と施設の提供を求めた陸軍から半田工場長宛の通達 |
[1943年(昭和18年)6月11日] |
写真 |
p49 |
シェア
| 大日本麦酒のシェア |
1937年(昭和12年)~1945年(昭和20年) |
折れ線グラフ、年、%(大日本麦酒、麒麟麦酒、桜麦酒) |
p49 |
社訓
| 社訓の制定 |
1940年(昭和15年)3月26日制定 |
説明と高橋龍太郎[社長]直筆の「社訓」 |
p49 |
事業所;災害
| 東京大空襲後の焼け残った吾妻橋工場とその周辺 |
1945年(昭和20年)3月20日 |
写真 |
p50 |
生産
| 大日本麦酒の生産量 |
1945年(昭和20年)~1949年(昭和24年) |
棒グラフ、年、生産量(大日本麦酒、全国) |
p51 |
提携・合併;業界
| 分離準備委員会の工場分割案 |
1947年(昭和22年)11月 |
表、社名(A社、B社)、工場名 |
p52 |
業界;生産
| 再編成計画書にもとづく2社の年間製造能力 |
1948年(昭和23年)4月 |
表、日本麦酒(工場名、ビール、麦芽、清涼飲料水、王冠)、朝日麦酒(工場名、ビール、麦芽、清涼飲料水、王冠) |
p52 |
商標
| 進駐軍専用麦酒のラベル |
[1947年(昭和22年)頃] |
写真 |
p53 |
経営;役員
| 朝日麦酒発足当日の山本為三郎社長の挨拶 |
[昭和24年(1949年)9月1日] |
挨拶文の写真 |
p56 |
事業所
| 吾妻橋工場、吹田工場、西宮工場、博多工場 |
1953年(昭和28年)頃~1955年(昭和30年) |
各工場の写真 |
p56 |
事業所
| 朝日麦酒が本店を構えた第一相互館 |
1952年(昭和27年)頃 |
写真 |
p57 |
事業所;ブランド
| 3社の工場分布と保有ブランド |
1949年(昭和24年) |
表、[工場所在地域](北海道、東北地方、関東地方、中部地方、関西地方、中国地方、九州地方)、生産能力、ブランド、社名(朝日麦酒、日本麦酒、麒麟麦酒) |
p57 |
シェア;事業所
| 朝日麦酒の都道府県別シェア(1950年、当社推定)と事業場配置 |
1950年(昭和25年) |
日本地図上に事業所(本店、工場、支店・出張所)の所在地と名称を表示、都道府県別にシェア(50%以上、30~50%未満、20~30%未満、10~20%未満、10%未満)を色で識別 |
p57 |
役員
| 山本為三郎(1893~1966年) 芸術文化活動の支援者 |
|
山本為三郎の経歴、大阪麦酒での業績、財界活動や芸術文化活動の支援者等、逝去までの紹介文。顔写真と大阪・三国の山本邸に移設された民芸館・三国荘の写真 |
p58 |
表彰;催し
| 創立記念式典での永年勤続表彰 |
1950年(昭和25年) |
写真 |
p59 |
広告宣伝
| 朝日麦酒発足後初の中吊り広告 |
1949年(昭和24年)12月 |
写真 |
p59 |
業界;商標
| 各社の銘柄復活後のラベル |
[1949年(昭和24年)12月] |
アサヒビール、ニッポンビール、キリンビールの各ラベル写真 |
p59 |
生産
| ビール生産量 |
1950年(昭和25年)~1955年(昭和30年) |
棒グラフ、年、生産量(朝日麦酒生産量、全国出荷量) |
p60 |
シェア
| 朝日麦酒のシェア |
1950年(昭和25年)~1955年(昭和30年) |
折れ線グラフ、年、%(麒麟麦酒、朝日麦酒、日本麦酒) |
p60 |
財務・業績
| 朝日麦酒の業績 |
1949年(昭和24年)~1955年(昭和30年) |
表、年、資産計、負債計、資本(資本金、計)、売上高、当期利益、配当率(上期、下期) |
p61 |
販売;物流
| 積み込み中の朝日運送 |
1962年(昭和37年)当時 |
写真 |
p61 |
事業所
| 西宮工場(王冠工場、飲料工場) |
1953年(昭和28年) |
写真 |
p62 |
製造工程
| 王冠の検査作業(西宮工場)、飲料水の検水作業(西宮工場) |
[1953年(昭和28年)頃] |
写真 |
p62 |
生産;売上
| 朝日麦酒の飲料の生産量と売上高 |
1950年(昭和25年)~1967年(昭和42年) |
棒グラフ(年、飲料水生産量)、折れ線グラフ{年、売上高(三ツ矢サイダー売上高、外品売上高)} |
p62 |
事業所
| 吾妻橋工場付近 |
1958年(昭和33年)頃 |
航空写真で吾妻橋工場、業平分工場の所在地を示す |
p62 |
広告宣伝;商品
| 「バャリース・オレンヂ」と「ウヰルキンソン・タンサン」発売の挨拶状 |
1951年(昭和26年)11月 |
写真 |
p63 |
広告宣伝;商品
| 発売当時の「バャリース・オレンヂ」の広告、フタに日付を入れた缶入り「バャリース・オレンヂ」の広告 |
1954年(昭和29年) |
写真 |
p63 |
技術;商品
| 寿屋山崎工場試験室(竹鶴政孝) |
1930年(昭和5年)頃 |
試験室と竹鶴の写真 |
p63 |
技術;経営者
| 竹鶴政孝(1894~1979年) 本物のウイスキーをつくる |
|
竹鶴政孝の経歴、寿屋でウイスキーづくりを目指したこと、山本為三郎との関係、余市での本格的ウイスキー製造などの紹介、写真(竹鶴の顔写真、余市の街と工場全景、第1号ウイスキー、朝日酒造の地鎮祭、カフェ・グレーンをブレンドした「ブラックニッカ」の発売予告広告(1965年6月)、ニッカ仙台原酒工場の新設工事(1968年)、「アサヒシードル」など) |
p64 |
広告宣伝
| [新聞に連載のコラム広告・]『ほろにが通信』[最終回・]第55号の誌面(写真に登場したのは『ほろにが通信』を支えた執筆協力者たち) |
[1955年(昭和30年)6月] |
写真 |
p66 |
広告宣伝
| すでに浸透している吾妻橋に「アサヒ」の名を結びつけた広告 |
1950年(昭和25年) |
写真 |
p66 |
広告宣伝;商品
| 「アサヒビール」と「リボンシトロン」のポスター「三ツ矢サイダー」を組み合わせた[交通広告・]「ABパズル」 |
1950年(昭和25年)頃 |
写真 |
p66 |
社内報
| 『社内報アサヒ』創刊号 |
1964年(昭和39年)5月 |
「吹田工場製麦棟の夜明け」の表紙の創刊号写真 |
p67 |
社会貢献
| 日比谷野外音楽堂での「アサヒビール・コンサート」 |
1954年(昭和29年)9月 |
写真 |
p67 |
生産;経済
| GDPの推移とビール生産量 |
1956年(昭和31年)~1962年(昭和37年) |
棒グラフ(年、朝日麦酒生産量、全国出荷量)、折れ線グラフ(年、GDP対前年比) |
p68 |
広告宣伝
| 「アサヒゴールド」発売広告(1957年)、「世界最高の品質」をうたった「アサヒゴールド」の広告(1958年) |
1957年(昭和32年)、1958年(昭和33年) |
写真 |
p69 |
技術
| 西宮工場を視察した[ミュンヘン醸造科学研究所長のウィリー・]クレーベル博士 |
1956年(昭和31年) |
写真 |
p69 |
販売
| 十河式パレタイザーでパレット積みされた「アサヒゴールド」(西宮工場)、「アサヒゴールド」のトラック積み込み |
1966年(昭和41年) |
写真 |
p69 |
販売
| 三越本店に設置された「アサヒゴールド」の特設売場 |
1957年(昭和32年)3月 |
写真 |
p70 |
広告宣伝
| 缶入り「アサヒゴールド」発売のポスター(1958年9月)、缶切りが不要になったプルトップ缶の登場(1965年)、「アサヒビール(アルミ缶)」の登場 |
1958年(昭和33年)、1965年(昭和40年) |
写真 |
p70 |
技術
| コーントップ型缶の詰め試験報告書(吹田工場) |
1936年(昭和11年) |
写真 |
p70 |
事業所
| 東京大森工場竣工式のテープカット |
[1962年(昭和37年)5月] |
写真 |
p71 |
事業所
| 東京大森工場 |
1962年(昭和37年) |
全景写真 |
p71 |
広告宣伝;事業所
| 東京大森工場屋上ビヤガーデンの広告 |
1963年(昭和38年) |
写真 |
p71 |
広告宣伝
| 北海道内でのアサヒビール新発売広告 |
1961年(昭和36年)4月15日 |
「北海タイムス」に載った公告の写真 |
p72 |
催し
| 北海道での飲料工場・ビール工場建設を記念して開催したビール会 |
1964年(昭和39年)4月21日 |
写真 |
p72 |
関係会社;事業所
| ほっかいどう朝日麦酒(本社・工場) |
1966年(昭和41年) |
写真[(設立は1964年4月)] |
p72 |
シェア;販売
| 朝日麦酒のシェアと出荷量 |
1956年(昭和31年)~1962年(昭和37年) |
棒グラフ(年、朝日麦酒出荷量)、折れ線グラフ{年、シェア(麒麟麦酒、朝日麦酒、日本麦酒)} |
p73 |
財務・業績
| 朝日麦酒の業績 |
1956年(昭和31年)~1962年(昭和37年) |
表、年、資産計、負債計、資本(資本金、計)、売上高、当期利益、配当率(上期、下期) |
p75 |
生産;経済
| GDPの推移とビール生産量 |
1963年(昭和38年)~1969年(昭和44年) |
棒グラフ(年、朝日麦酒生産量、全国出荷量)、折れ線グラフ(年、GDP対前年比) |
p74 |
シェア
| 朝日麦酒のシェア |
1963年(昭和38年)~1969年(昭和44年) |
折れ線グラフ、年、シェア(麒麟麦酒、サッポロビール、朝日麦酒、サントリー) |
p74 |
提携・合併
| 幻となった[日本麦酒(サッポロビール)との]合併構想を伝える新聞記事 |
1963年(昭和38年)2月 |
1963年2月19日付「産経新聞」と1963年2月27日付「日本食糧新聞」の記事写真 |
p75 |
役員
| [1966年(昭和41年)2月25日に専務から社長に就任した]中島正義 |
[1966年] |
写真 |
p76 |
財務・業績
| 朝日麦酒の業績 |
1963年(昭和38年)~1969年(昭和44年) |
表、年、資産計、負債計、資本(資本金、計)、売上高、営業利益、経常利益、当期利益、配当率(上期、下期) |
p76 |
広告宣伝
| 「びん生」の発売当時のポスター[と]「Fresh」の肩貼り(1963年)、「アサヒスタイニー」新発売のポスター(1964年3月) |
1963年(昭和38年)、1964年(昭和39年)3月 |
写真 |
p77 |
広告宣伝
| 大阪麦酒と大日本麦酒時代の「アサヒ生ビール」の広告 大阪麦酒(1900~1902年頃)、大日本麦酒(1927年) |
1900年(明治33年)~1902年(明治35年)、1927年(昭和2年) |
写真 |
p77 |
広告宣伝
| 「アサヒスタイニーパック」と「アサヒカンパック」のポスター |
[1964年(昭和39年)3月発売] |
写真 |
p78 |
広告宣伝
| 「本生」のテスト販売時のチラシと肩貼り |
1968年(昭和43年) |
写真 |
p78 |
販売;設備
| 「本生」専用の保冷コンテナを積載したトラック |
1968年(昭和43年) |
写真 |
p78 |
広告宣伝
| 「日付け入り」「できたての冷え冷え」をアピールした「本生」発売時のポスター |
1969年(昭和44年) |
写真 |
p78 |
広告宣伝
| 「アサヒビール本生ギフト券」のポスター |
1969年(昭和44年) |
写真 |
p79 |
物流;設備
| 使用を開始したプラスチック函 |
[1968年(昭和43年)4月] |
写真 |
p79 |
商品;設備
| 業務用に開発された「ミニ樽(7l)」 |
[1977年(昭和52年)5月発売] |
写真 |
p79 |
広告宣伝;商品
| 生ビールの家庭用需要に火をつけた「ミニ樽3」 |
1979年(昭和54年) |
写真 |
p80 |
商品;設備
| ステンレス樽(19l) |
[1970年(昭和45年)開発] |
写真 |
p80 |
広告宣伝;商品
| 「本生」のニューデザイン |
1978年(昭和53年) |
広告の写真 |
p80 |
商品;設備
| 生ビールサーバーと卓上型ビヤクーラー |
[1979年(昭和54年)4月開発] |
写真 |
p80 |
製造工程
| 本樽の整備工程 |
|
写真 |
p81 |
製品;設備
| 大日本麦酒時代の2000l生ビールタンク |
|
写真 |
p81 |
設備
| 搬入されてきた屋外発酵貯酒タンク(吾妻橋工場)、設置された屋外発酵貯酒タンク(西宮工場) |
[1965年(昭和40年)3月完成] |
写真 |
p81 |
事業所;技術
| 西宮工場を視察する[欧州醸造議会長でベルギー・ルバン大学の]デ・クレルク教授 |
1966年(昭和41年)3月 |
写真 |
p82 |
提携・合併
| [屋外発酵貯蔵タンクを含むビール工場の建設から運転・製造までの技術援助契約を締結した、パプア・ニューギニアの]ポートモレスビーにあるユナイテッド・ブルワリー社 |
[1972年(昭和47年)2月締結] |
写真 |
p82 |
技術;設備
| 中央研究所 第一研究室と醸造ミニプラント |
[1968年(昭和43年)頃] |
写真 |
p83 |
博覧会;商品
| 大阪万博を記念して発売した万博記念缶のデザイン、生ビールを供給したミュンヘン市館の大ビヤホール |
[1970年(昭和45年)] |
写真 |
p84 |
生産;経済
| GDPの推移とビール生産量 |
1970年(昭和45年)~1979年(昭和54年) |
棒グラフ(年、朝日麦酒生産量、全国出荷量)、折れ線グラフ(年、GDP対前年比) |
p84 |
シェア
| 朝日麦酒のシェア |
1970年(昭和45年)~1979年(昭和54年) |
折れ線グラフ、年、シェア(麒麟麦酒、サッポロビール、朝日麦酒、サントリー) |
p84 |
役員
| [住友銀行副頭取から社長に就任した]高橋吉隆[(元大日本麦酒社長・高橋龍太郎の長男)] |
[1971年(昭和46年)2月就任] |
写真 |
p85 |
施設
| [文化交流ヴィラとして利用されている高橋龍太郎の生家・]高橋邸 |
|
写真 |
p85 |
役員
| [住友銀行の常務から朝日麦酒の専務に転じ、副社長を経て社長に就任した]延命直松 |
[1976年(昭和51年)2月就任] |
写真 |
p86 |
事業所
| 新設された名古屋工場(1972年)、ビール工場が増設された福島工場(1979年) |
1972年(昭和47年)、1979年(昭和54年) |
写真 |
p87 |
財務・業績
| 朝日麦酒の業績 |
1970年(昭和45年)~1979年(昭和54年) |
表、年、資産計、負債計、資本(資本金、計)、売上高、営業利益、経常利益、当期利益、配当率(上期、下期) |
p87 |
生産;売上
| 朝日麦酒の生産量と売上高 |
1968年(昭和43年)~1979年(昭和54年) |
棒グラフ(年、飲料水生産量)、折れ線グラフ{年、売上高(三ツ矢サイダー売上高、外品売上高)} |
p88 |
事業所
| 福島(飲料)工場 |
1973年(昭和48年) |
写真 |
p89 |
広告宣伝;商品
| 「三ツ矢サイダー シルバー」の発売広告(1970年)、缶入り「三ツ矢サイダー シルバー」の発売広告(1971年) |
1970年(昭和45年)、1971年(昭和46年) |
写真 |
p89 |
商品;設備
| 三ツ矢サイダーの従来のびんとACL[(プリント)]びん、三ツ矢サイダーの桟函とプラスチック函 |
[1972年(昭和47年)5月] |
写真 |
p89 |
販売;事業所
| [北海道朝日麦酒の]工場内に開店したビヤレストラン「ピルゼン」 |
[1979年(昭和54年)7月開店] |
写真 |
p90 |
提携・合併
| 十全会問題[(京都の医療法人十全会による朝日麦酒株の買い占め)]の解決を報じる新聞記事 |
1981年(昭和56年)10月 |
10月29日日付「日本経済新聞」記事の写真 |
p90 |
品質管理
| 1983年サンサークル活動(吾妻橋工場) |
1983年(昭和58年) |
写真 |
p92 |
販売;経済
| GDPの推移とビール出荷量 |
1980年(昭和55年)~1986年(昭和61年) |
棒グラフ(年、朝日麦酒出荷量、全国出荷量)、折れ線グラフ(年、GDP対前年比) |
p94 |
需給
| 焼酎ブームの影響と酒税改定のよるビール需要の急減を報じる新聞記事 |
1984年(昭和59年)7月 |
7月3日付「日本経済新聞」記事の写真 |
p94 |
売上;財務・業績
| 朝日麦酒のビール売上高と利益率の推移 |
1980年(昭和55年)~1985年(昭和60年) |
棒グラフ(年、ビール売上高)、折れ線グラフ(年、売上高経常利益率) |
p95 |
経営政策
| サンシャイン計画の施策内容 |
[1980年(昭和55年)7月スタート] |
施策内容の一覧(社内体制の強化、営業体制の強化、工場の生産性向上、人的資源の活用策) |
p95 |
従業員:教育・研修
| 販売員養成研修第1・2期生の出身職場 |
[1980年(昭和55年)7月~1981年(昭和56年)] |
表、事業所(吾妻橋、東京大森、吹田、西宮、博多、柏、計)、[出身職場](総務、倉庫、醸造、製品、機械、瓶栓、計) |
p96 |
広告宣伝;商品
| キャッチフレーズ「ライブビア」ポスター、「ライブビア」の肩貼りをつけた「アサヒ生ビール」のポスター |
1982年(昭和57年) |
写真 |
p97 |
経営政策
| 営業中期計画の構図 |
1982年(昭和57年)1月 |
概念図 |
p97 |
組織
| 組織図 |
1981年(昭和56年)4月 |
組織図 |
p98 |
従業員;人事
| 新社員制度の主な改正点 |
1981年(昭和56年)9月 |
表、項目(評価、育成、活用、処遇)、変更内容 |
p99 |
従業員;人事
| 新社員制度の概要 |
1981年(昭和56年)9月 |
(1)評価・処遇区分 表{評価区分(社員II・III、社員I)、処遇区分}、(2)工場現場の職制 図(旧、新) |
p99 |
広告宣伝;商品
| [スポーツ飲料]「プリップス」新発売のポスター |
[1983年(昭和58年)4月発売] |
写真 |
p99 |
役員
| [住友銀行の副頭取から朝日麦酒の顧問に転じ、社長に就任した]村井勉社長 |
[1982年(昭和57年)3月就任] |
写真 |
p100 |
経営理念
| 全社員に配付した携帯用冊子[と経営理念、行動規範] |
[1982年(昭和57年)7月19日発表] |
経営理念と行動規範の全文 |
p100 |
経営政策
| 第1次長期経営計画 |
1982年(昭和57年)10月 |
経営計画の一覧{事業分野別達成目標((1)酒類、(2)飲料、(3)食品、(4)薬品)、重要施策((1)営業力の強化、(2)品質保証体制の強化、(3)研究開発体制の強化、(4)人材の育成と活用の強化、(5)収益力・財務体質の強化)} |
p101 |
社名
| 新表記[(カタカナ書き)]の社名が入った名刺 |
[1982年(昭和57年)7月] |
写真 |
p102 |
社内報
| ビデオ社内報「アサヒビデオニュース」第1号 |
1983年(昭和58年)7月 |
写真 |
p102 |
マーケティング
| 企業イメージ調査 |
1975年(昭和50年)、1984年(昭和59年) |
棒グラフ、[東京と大阪で調査]、企業認知度(詳しく知っている、大体は知っている)、評価(一流だと思う)、企業イメージ(技術、研究・開発、新製品開発、宣伝・広告、販売網、将来性、積極性、時流、親しみやすさ、信頼性) |
p102 |
品質管理
| AQC[(全社的品質管理)]導入を特集する社内報 |
1984年(昭和59年)3月 |
写真 |
p103 |
品質管理;催し
| 第5回サンサークル[(自主的なQCサークル)]全国大会(吹田工場) |
1986年(昭和61年)11月 |
写真 |
p103 |
組織
| 組織図 |
1984年(昭和59年)8月 |
組織図 |
p104 |
事業所
| 閉鎖前の吾妻橋工場 |
1985年(昭和60年)2月1日閉鎖 |
写真 |
p105 |
事業所
| 竣工式当日の東京工場(大田区仲池上) |
1958年(昭和33年)10月7日 |
写真 |
p105 |
事業所
| 大阪工場(吹田市原町) |
[1986年(昭和61年)] |
写真 |
p105 |
製品;商品
| 「アサヒ本生リッター缶」「ナナハン缶」「ホーム缶」「レギュラー缶」「ミニ缶」 |
1980年(昭和55年)~1981年(昭和56年)発売 |
写真 |
p105 |
商品;広告宣伝
| 「キャンボーイ300」新発売時のポスター |
[1984年(昭和59年)3月] |
写真 |
p106 |
製品;商品
| 「ボトル1.2l」「とっくり2l」「ちょうちん1.2l」「マイボーイ」 |
[1983年(昭和58年)4月、1984年(昭和59年)3月、1985年(昭和60年)発売] |
写真 |
p106 |
業界;製品
| 他社の家庭用樽製品 サントリー「ナマ樽2l」(1980年)、サッポロ「樽生3リットル(ミニコンパ」(1980年)、「キリンのビヤ樽3リットル」(1981年) |
1980年(昭和55年)、1981年(昭和56年) |
写真 |
p106 |
製品
| ビールの新製品 |
1980年(昭和55年)~1986年(昭和61年) |
表、アサヒ生ビール{びん(商品名、容量、発売年月)、缶(商品名、容量、発売年月)、樽(商品名、容量、発売年月)、PET(商品名、容量、発売年月)}、アサヒ黒生ビール{びん(商品名、容量、発売年月)、缶(商品名、容量、発売年月)、樽(商品名、容量、発売年月)} |
p106 |
設備;業界
| [朝日麦酒、北海道朝日麦酒、サッポロビール、サントリーの4社間でびんの形状・規格・品質などを統一した]共通エンボスびん |
1980年(昭和55年)1月合意 |
写真 |
p106 |
広告宣伝;商品
| [女性をターゲットに開発したニューカクテル飲料]「アサヒライトカクテル“Be”」発売時の広告 |
1984年(昭和59年)7月発売 |
写真 |
p107 |
提携・合併
| [ドイツのビール会社・]レーベンブロイ社との提携契約 |
[1982年(昭和57年)11月] |
写真 |
p107 |
提携・合併;商品
| 「レーベンブロイ」発売時のポスター |
[1983年(昭和58年)4月生産開始] |
写真 |
p107 |
経営政策
| [マッキンゼー社に依頼して進めたコンサルティング「市場価値の向上を目指して」・]MSプロジェクト改善プログラム(第2回中間報告) |
1980年(昭和55年) |
MSプロジェクト改善プログラムの項目((1)年度別改善目標、(2)分野別改善プログラム) |
p108 |
経営政策
| マッキンゼー社からの報告書 |
1981年(昭和56年)1月提出 |
報告書表紙の写真 |
p108 |
経営政策
| MSプロジェクトの実行スケジュール |
1981年(昭和56年)1月策定 |
実行スケジュールの項目(1.ただちに事項に移すべきプログラム、2.ただちに試行に着手すべきプログラム、3.実施の可否、詳細内容の検討に着手すべきプログラム) |
p108 |
企業理念
| 全社員に配布されたCIコンセプトブック |
[1985年(昭和60年)10月] |
写真 |
p110 |
社章
| 新しい社章と名刺 |
[1986年(昭和61年)1月] |
写真 |
p110 |
経営政策;役員
| 1986年正月に全社員に届いた年賀状 |
1986年(昭和61年)1月 |
写真 |
p110 |
ロゴマーク
| コーポレートマークとコーポレートカラー |
[1986年(昭和61年)1月制定] |
図 |
p111 |
企業理念;広告宣伝
| CI導入で生まれ変わったことを知らせる新聞広告 |
[1986年(昭和61年)1月22日] |
1月22日付け新聞広告の写真 |
p111 |
組織
| 組織図 |
1986年(昭和61年)8月 |
組織図 |
p112 |
消費者;マーケティング
| [東京・大阪で実施した消費者5000人の]「ビールに関する試飲調査」報告書 |
[1985年(昭和60年)秋] |
報告書表紙の写真 |
p113 |
商品
| [アサヒ生ビール、通称]「コクキレビール」の考え方 |
[1986年(昭和61年)1月誕生] |
図 |
p114 |
広告宣伝
| 「新しいうまさ」を訴求した新聞広告 |
1986年(昭和61年)2月 |
写真 |
p114 |
催し;マーケティング
| 全国各地で開催された「100万人大試飲キャンペーン」と酒販店店頭での試飲会、用意された試飲缶 |
[1986年(昭和61年)] |
写真 |
p114 |
製品;商品
| コクキレビールと同時に発売された熱処理済み「アサヒビール」 |
[1986年(昭和61年)2月発売] |
写真 |
p115 |
製品;商品
| 「アサヒ生ビール(コクキレビール)」のラインアップ |
[1986年(昭和61年)] |
写真 |
p115 |
シェア;業界
| 4社のシェア推移 |
1980年(昭和55年)~1986年(昭和61年) |
折れ線グラフ、年、シェア(麒麟麦酒、サッポロビール、朝日麦酒、サントリー) |
p116 |
広告宣伝
| 酵母の違いをアピールする広告 |
[1986年(昭和61年)頃] |
写真 |
p116 |
技術;組織
| 研究体制 |
1982年(昭和57年)1月 |
中央研究所の組織図 |
p117 |
技術;設備
| 酵母の研究に威力を発揮する電子顕微鏡、液体クロマトグラフィ(LC)による苦み分析、ビール試飲醸造に活躍するパイロットプラント |
[1983年(昭和58年)頃] |
写真 |
p117 |
生産
| [ビールの原材料・]ホップの毬花、ルプリン、ペレット化されたホップ |
|
写真 |
p118 |
技術
| [原料から醸造工程・パッケージングに至る米・ビール会社クアーズ社の]クアーズ酸化防止セミナー |
[1988年(昭和63年)] |
写真 |
p118 |
財務・業績
| 朝日麦酒の業績 |
1980年(昭和55年)~1986年(昭和61年) |
表、年、資産計、負債計、資本(資本金、計)、売上高、営業利益、経常利益、当期利益、配当金 |
p119 |
広告宣伝
| 「マイセラー」[(ワイン)](1984年)と[チューハイ・タイプ飲料]「Hi倶楽部」(1985年)のポスター |
1984年(昭和59年)、1985年(昭和60年) |
写真 |
p120 |
販売;設備
| 「三ツ矢サイダー」の自動販売機 |
[1972年(昭和47年)] |
写真 |
p120 |
商品;販売
| バャリースの販売量推移 |
1965年(昭和40年)~1986年(昭和61年) |
折れ線グラフ、年、販売量(バャリース、ウヰルキンソン) |
p121 |
広告宣伝;商品
| 「三ツ矢サイダージュニア缶 どらえもんシリーズ」発売時およびグラスプレゼントキャンペーンのポスター |
[1976年(昭和51年)] |
写真 |
p121 |
シェア;業界
| ビール3社炭酸飲料のシェア推移 |
1971年(昭和46年)~1980年(昭和55年) |
折れ線グラフ、年、シェア(キリンレモン、三ツ矢サイダー、リボンシトロン) |
p122 |
販売
| 「三ツ矢コーヒー」「三ツ矢コーヒーショート缶」の販促物 |
1982年(昭和57年) |
写真 |
p122 |
売上
| 朝日麦酒の飲料売上高推移 |
1980年(昭和55年)~1987年(昭和62年) |
棒グラフ、年、売上高(炭酸飲料、果実飲料、その他飲料) |
p122 |
製品;商品
| 本格派缶コーヒー「NOVA」 |
1986年(昭和61年)9月 |
写真 |
p123 |
広告宣伝;商品
| 「シュウェップス」のポスター |
1984年(昭和59年)4月 |
写真 |
p123 |
商品
| [薬品・食品事業の主要商品] |
1984年(昭和59年)~1987年(昭和62年) |
写真(「エビオス」「新ラクトーン」「新梅ぼし純」「千葉実母散」「ティーバッグ煎葉ブックシリーズ「ミースト」「スモークチーズ」「エスニックカレーシリーズ」 |
p124 |
商品
| 飲料事業の主要商品 |
|
写真 |
p124 |
教育・研修;催し
| [飲食店を対象とする]樽生クオリティセミナー |
[1988年(昭和63年)] |
写真 |
p125 |
販売;品質管理
| ビールサーバーメンテナンス活動 |
[1996年(平成8年)頃] |
写真 |
p125 |
販売;広告宣伝
| アサヒコミュニケーションズの「Asahi」グッズの販売カタログと工場見学案内 |
1987年(昭和62年)~2006年(平成18年) |
写真 |
p125 |
株式;地価
| 株価・地価・経済成長率の推移 |
1987年(昭和62年)~1992年(平成4年) |
折れ線グラフ、年、地価(住宅地)、地価(商業地)株価、GDP対前年比 |
p128 |
販売
| ビール出荷量の推移 |
1987年(昭和62年)~1992年(平成4年) |
棒グラフ、年、アサヒビール出荷量、全国出荷量 |
p128 |
役員
| 樋口広太郎社長、樋口広太郎社長の第1回全体ビデオ朝礼 |
[1986年(昭和61年)3月就任] |
写真 |
p129 |
製品;商品
| 「スーパードライ」の考え方 |
[1986年(昭和61年)] |
図 |
p130 |
製品;商品
| 「スーパードライ」の考え方の官能特性図 |
[1986年(昭和61年)] |
要求品質(1次、2次、3次、“スーパードライ”設計値、実現手段の項目)、代用特性 |
p130 |
製品;製造工程
| 「スーパードライ」の製造工程 |
[1987年(昭和62年)] |
製造工程図(原料~仕込み工程~発酵工程~熟成行程) |
p131 |
商品;広告宣伝
| 「スーパードライ」近日発売の新聞広告 |
1987年(昭和62年) |
写真 |
p132 |
販売
| 「スーパ-ドライ」の発売日 |
1987年(昭和62年)3月17日~7月10日 |
表、月日、都道府県 |
p133 |
製品;商品
| 「スーパードライ」 大びん、350ml缶 |
[1987年(昭和62年)3月] |
写真 |
p133 |
商品;広告宣伝
| 「スーパードライ」本日発売の新聞広告 |
1987年(昭和62年)3月17日 |
写真 |
p133 |
製品;表彰
| 日経新製品最優秀賞 |
1987年(昭和62年) |
ブロンズ像の写真 |
p133 |
製品;販売
| 街頭での「スーパードライ」の試飲会、店頭陳列活動 |
[1987年(昭和62年)] |
写真 |
p134 |
製品;広告宣伝
| ユニークなキャッチコピーとともに展開した広告 |
1987年(昭和62年)9月26日、1989年(平成元年)2月19日 |
新聞広告の写真 |
p134 |
製品;商品
| 「スーパードライ」のメッセージ |
1987年(昭和62年)~1992年(平成4年) |
表、年、広告メッセージ、キャラクター |
p134 |
広告宣伝
| 世界最大の商用飛行船「スーパードライ号」と葛西インター付近に設置した世界最大のネオン看板 |
[1988年(昭和63年)] |
写真 |
p135 |
生産
| タイプ別ビール生産比率の推移 |
1986年(昭和61年)~1989年(平成元年) |
表、年、タイプ別ビール(ラガー 熱処理ビール、レギュラー生、麦芽100%、ドライ) |
p135 |
商品
| 他社のビール名への「ドライ」の使用に抗議した当社の対応を報じる新聞記事 |
1988年(昭和63年)1月13日 |
日本経済新聞の記事写真 |
p135 |
業界
| 「ドライ戦争」を報じる各紙 |
1988年(昭和63年) |
1988年2月3日付「朝日新聞」、1988年2月13日付「読売新聞」、1988年2月29日付「朝日新聞」、1988年3月15日付「日経産業新聞」の記事写真 |
p135 |
商品;業界
| 4社のドライビール |
1987年(昭和62年)~1988年(昭和63年) |
表、商品名・発売日、広告メッセージ |
p136 |
シェア;業界
| 4社のシェアの推移 |
1988年(昭和63年)1月~4月 |
表、社名、対前年比の増加・減少(1~3月、4月) |
p136 |
商品;業界
| 各社のドライビール |
[1988年(昭和63年)] |
びんと缶の写真、「キリン生ビールドライ」「サントリードライ」「サッポロ生ビール★ドライ」 |
p136 |
業界;シェア
| ドライビールのシェア |
1988年(昭和63年) |
円グラフ、スーパードライ、キリンドライ、サッポロドライ、サントリードライ |
p137 |
売上;シェア
| アサヒビールの売上とシェアの推移 |
1983年(昭和58年)~1989年(平成元年) |
棒グラフ{年、売上函数(スーパードライ売上函数、その他売上函数)}、折れ線グラフ(年、シェア) |
p137 |
広告宣伝
| 「品切れ」をお詫びする新聞広告(1988年5月15日付)、「ドライ戦争」への「勝利宣言」となった新聞全面広告(1988年6月27日付) |
1988年(昭和63年) |
写真 |
p137 |
製品;業界
| 各国でつぎつぎと発売されたドライビール |
[1990年(平成2年)頃] |
写真 |
p138 |
広告宣伝;商品
| 「世界ベストセラードライ」をコピーとした広告 |
1991年(平成3年)3月 |
写真 |
p138 |
催し
| ハーバードビジネススクールでの事例研究[(樋口広太郎社長が招かれ、レクチャー)] |
[1989年(平成元年)5月 |
写真 |
p138 |
設備投資;事業所
| 増設工事(吹田工場、西宮工場) |
[1988年(昭和63年)頃] |
写真 |
p139 |
設備投資;生産
| 設備投資額と生産能力の推移 |
1987年(昭和62年)~1992年(平成4年) |
棒グラフ(年、生産能力)、折れ線グラフ(年、設備投資額) |
p139 |
資本;事業所
| 工場別投下資本額 |
1986年(昭和61年)、1992年(平成4年) |
表、工場名、投下資本(土地面積、建物面積、1986年12月、1992年12月) |
p140 |
事業所;組織
| 支社・支店体制 |
1986年(昭和61年)、1992年(平成4年) |
表、年月{1986年11月(支店、営業所)、1993年11月(支社、支店)、備考(開設、改称・昇格等)} |
p141 |
物流
| 物流拠点の整備 |
1987年(昭和62年)~1992年(平成4年) |
表、年月、拠点名、備考 |
p142 |
物流;従業員
| 物流部門人員と運搬費の推移 |
1986年(昭和61年)~1992年(平成4年) |
棒グラフ{年、人員数(本支店、委託)}、折れ線グラフ(年、1l当たり単価、運搬費) |
p142 |
物流
| 平和島物流センターと機械化されたギフトセットの装製作業(佐賀物流センター) |
[1988年(昭和63年)、1990年(平成2年)] |
写真 |
p142 |
広告宣伝
| 「スーパードライ」の車両広告 |
[1988年(昭和63年)夏] |
トラック車両の側面に広告を印刷した写真 |
p142 |
設備
| 統一規格プラスチックパレット |
[1990年(平成2年)頃] |
写真 |
p143 |
広報
| [特約店への情報提供のツール・]『アサヒホットライン』第1号 |
[1986年(昭和61年)4月] |
写真 |
p143 |
販売;情報システム
| 酒販店向けPOSレジ連動システム「マイパートナー」 |
1986年(昭和61年)2月開始 |
写真 |
p143 |
品質管理
| 太鼓判システムの品質保証フロー |
[1987年(昭和62年)9月] |
図 |
p143 |
設備
| [フィラールーム(充填室)の]クリーンルーム[化](茨城工場) |
[1989年(平成元年)] |
写真 |
p144 |
設備
| [缶ビールの]プルタブ方式[から切り替えた]開缶後もプルタブが缶体から離れない]ステイオンタブ方式、リテインドタブ方式 |
[1990年(平成2年)~1992年(平成4年)4月] |
缶ビール上部の写真 |
p144 |
催し
| 100周年記念事業 |
[1989年(平成元年)11月] |
一覧、実施事業(1.社内の刷新、充実に関する事業、2.株主および社会に還元する事業、3.記録、保存事業、4.記念事業等) |
p145 |
経営理念
| 経営理念 |
1988年(昭和63年)8月改定 |
経営理念の全文 |
p145 |
社歌
| アサヒビール社歌と愛唱歌「ライブ・アサヒ・ワールド」 |
[1988年(昭和63年)制定] |
歌詞と楽譜 |
p145 |
施設;事業所
| 「アサヒビール吾妻橋ビル」と「アサヒビール吾妻橋ホールイ」、「アサヒビール吾妻橋ビル」1階ロビー、「アサヒビール吾妻橋ビル」2階、腰痛治療センター「アサヒタワークリニック」、「アサヒビール吾妻橋ホール」1~3階、ビヤレストン「フラムドール」 |
[1989年(平成元年)10月完成] |
写真 |
p146 |
施設;事業所
| 飲食ビル「アネックス」、「江戸前ビヤホール」、「先人の碑」 |
[1988年(昭和63年)~1989年(平成元年)] |
写真 |
p147 |
催し
| 創業100周年記念式典、100周年記念特別お特約店会、ファミリーパーティー(東京工場) |
[1989年(平成元年)11月15日挙行] |
写真 |
p148 |
社歌
| [アサヒビールタワーの建設を記念して制作された]合唱組曲「すみだがわ」の歌詞 |
[1989年(平成元年)制作 |
歌詞 |
p148 |
制服
| 新ユニホーム |
[1989年(平成元年)11月一新] |
写真 |
p149 |
社史
| 「Asahi100」 |
[1990年(平成2年)8月刊行] |
表紙の写真 |
p149 |
設備
| [「三ツ矢サイダー」発祥の地・兵庫県川西市の平野工場跡に]三ツ矢サイダーの碑 |
[1989年(平成元年)8月建設] |
写真 |
p149 |
設備
| [創業100周年に整備した]御料品製造所 |
[1989年(平成元年)] |
写真 |
p149 |
社会貢献
| 環境文化講座[(毎月1回無料で開催)]、[社内施設を利用して]恒例となったロビーコンサート |
[1990年(平成2年)~] |
写真 |
p150 |
社会貢献
| アサヒビールシルバースター、アサヒ飲料チャレンジャーズ |
[1989年(平成元年)~] |
写真 |
p150 |
組織
| 組織図 |
1990年(平成2年)9月 |
組織図 |
p151 |
従業員
| 従業員数の推移 |
1986年(昭和61年)末~1990年(平成2年)末 |
表、年、従業員数、嘱託、臨時従業員数、平均年齢、平均勤続年数 |
p152 |
従業員
| 平均年齢・平均勤続年数の推移 |
1986年(昭和61年)末~1990年(平成2年)末 |
折れ線グラフ、年、平均年齢、平均勤続年数 |
p152 |
事業所
| 茨城工場 |
1991年(平成3年)[4月稼働開始] |
写真 |
p152 |
設備;販売
| 全自動倉庫システム(茨城工場)、トラックローダーによる出荷風景(茨城工場) |
[1991年(平成3年)] |
写真 |
p153 |
関係会社;事業所
| アサヒビールパックス姫路工場 |
[1989年(平成元年)9月社名変更] |
全景写真 |
p153 |
売上
| 「スーパードライ」の売上函数と構成比の推移 |
1987年(昭和62年)~92年(平成4年) |
棒グラフ(年、売上函数)、折れ線グラフ(年、アサヒビール全体に占める比率) |
p154 |
業界;製品
| 「キリン一番搾り生ビール」 |
[1990年(平成2年)3月発売] |
写真 |
p154 |
業界;シェア
| 4社のシェア推移 |
1987年(昭和62年)~92年(平成4年) |
折れ線グラフ、年、%(麒麟麦酒、アサヒビール、サッポロビール、サントリー) |
p154 |
広告宣伝;商品
| 「アサヒ生ビールZ」の新発売時の新聞広告 |
1991年(平成3年)3月5日付 |
写真 |
p154 |
製品;商品
| 「アサヒ生ビール100%モルト」 |
[1987年(昭和62年)2月発売] |
写真 |
p155 |
商品;広告宣伝
| 「アサヒスーパーイースト」の広告 |
1989年(平成元年)11月[発売] |
写真 |
p155 |
価格
| 「ビール価格の同調的引き上げ」の疑いに対する公取委と国税庁の指導を報じる新聞記事 |
1990年(平成2年) |
1990年9月29日付と同年10月2日付「日本経済新聞」記事の写真 |
p156 |
価格;広告宣伝
| 「希望価格についてお知らせ」を伝える新聞広告 |
1990年(平成2年)10月31日付 |
写真 |
p156 |
債券
| 社債の発行 |
1988年(昭和63年)~92年(平成4年) |
表、[社債の名称]、発行年月、発行総額、利率、償還期限 |
p157 |
財務・業績
| 業績の推移 |
1987年(昭和62年)~92年(平成4年) |
表、年、資産計、負債計、資本(資本金、計)、売上高、営業利益、経常利益、当期利益、配当金 |
p157 |
提携・合併;経営
| [オーストラリアの]フォスターズ社との提携契約調印 |
[1990年(平成2年)11月] |
写真 |
p158 |
海外事業;生産
| [現地生産を開始した]モルソンカナダ社のバンクーバー工場 |
[1994年(平成6年)9月生産開始] |
写真 |
p158 |
提携・合併;海外事業
| [全米第5位のビール会社アドルフ・]クアーズ社との提携契約調印 |
[1986年(昭和61年)10月] |
写真 |
p159 |
提携・合併;海外事業
| 世界のビールと提携 |
[1988年(昭和63年)3月] |
世界地図上にバス・ペールエール(イギリス)、デア・レーベンブロイ(ドイツ)、フォスターズラガー(オーストラリア)、スタインラガー(ニュージーランド)、クアーズ(アメリカ)と、提携したビールの写真を配置 |
p159 |
需給
| 酒類消費量の推移 |
1985年(昭和60年)~94年(平成6年) |
折れ線グラフ、年、[1985年を100とする]指数(果実酒類、ビール、焼酎、清酒、ウイスキー類) |
p160 |
商品;製品
| [アサヒビール初の国産ウイスキー]「ルヴァン」5品種 |
[1988年(昭和63年)11月出荷開始] |
写真 |
p160 |
関係会社;事業所
| アサヒビールワイナリー(山梨・一宮) |
[1988年(昭和63年)7月社名変更] |
写真 |
p160 |
生産;売上
| 飲料の生産・販売量と売上高の推移 |
1987年(昭和62年)~92年(平成4年) |
棒グラフ(年、生産量、販売量)、折れ線グラフ(年、販売額) |
p160 |
商品
| 「三ツ矢サイダー」ワンウェイびん(350ml)とPET1.5l |
[1989年(平成元年)6月発売] |
写真 |
p161 |
商品
| 缶コーヒー「J.O.」 |
[1990年(平成2年)2月ブランド一新] |
写真 |
p162 |
商品;広告宣伝
| [高純度プロテイン飲料・]「アサヒPF21」の広告 |
[1989年(平成元年)3月発売] |
写真 |
p162 |
製品;商品
| [純植物性の]便秘薬「ロゼラックS」 |
[1989年(平成元年)11月発売] |
写真 |
p163 |
製品;商品
| [8種類の生薬を配合した]入浴剤「瑞恵」「万祥」 |
[1990年(平成2年)3月発売] |
写真 |
p163 |
製品;商品
| [ねり梅をアメで包んだ]キャンディ「梅かくれんぼ」 |
[1987年(昭和62年)7月発売] |
写真 |
p163 |
製品;商品
| [本格シチュー]「牛肉の赤ワイン煮」他 |
[1988年(昭和63年)4月発売] |
写真 |
p163 |
製品;商品
| 「バヤリーズゼリー」「ルヴァンワインゼリー」 |
[1990年(平成2年)4月発売] |
写真 |
p163 |
経済;販売
| GDPの推移とビール類出荷量の推移 |
1993年(平成5年)~98年(平成10年) |
棒グラフ(年、アサヒビール出荷量、全国出荷量)、折れ線グラフ(年、GDP対前年比) |
p166 |
需給
| 酒類消費量の推移 |
1993年(平成5年)~98年(平成10年) |
折れ線グラフ、年、[1990年を100とする]指数(果実酒、焼酎、酒類計、ビール、清酒、ウイスキー類) |
p166 |
価格;業界
| ダイエーの酒類値下げを報じる新聞記事 |
1994年(平成6年)4月14日 |
4月14日付「日本経済新聞」の記事写真 |
p167 |
業界;製品
| [節税効果を狙って登場した他社の発泡酒]サントリー「ホップス(生)」、サッポロビール「ドラフティー」 |
[1994年(平成6年)、1995年(平成7年)] |
写真 |
p167 |
製品;広告宣伝
| 「ドライの主張が、ビールの主流へ。」広告 |
[1995年(平成7年)頃] |
広告の写真 |
p168 |
製品;商品
| 生ビール比率の推移 |
1965年(昭和40年)~98年(平成10年) |
折れ線グラフ、年、比率(熱処理ビール、生ビール) |
p168 |
シェア;業界
| 4社シェアの推移 |
1993年(平成5年)~98年(平成10年) |
折れ線グラフ、年、%(麒麟麦酒、アサヒビール、サッポロビール、サントリー) |
p168 |
売上;広告宣伝
| ビール売上No.1達成時のポスター |
1999年(平成11年) |
写真 |
p169 |
業界;製品
| [発泡酒]「麒麟淡麗(生)」 |
[1998年(平成10年)2月発売] |
写真 |
p169 |
キャンペーン
| 「アサヒビールご愛飲感謝キャンペーン」の店頭陳列 |
1999年(平成11年) |
写真 |
p169 |
シェア
| アサヒビールが45年ぶりにトップシェアを奪回したことを伝える新聞記事 |
1999年(平成11年)1月 |
「読売新聞」「毎日新聞」「日本経済新聞」の1999年1月12日付夕刊の記事写真 |
p169 |
キャンペーン;広告宣伝
| 「アサヒビール売上No.1ご愛飲キャンペーン」(アサヒビールギフト券プレゼント)の応募用紙付きチラシと応募シール |
1999年(平成11年)2月 |
写真 |
p170 |
役員
| 瀬戸雄三社長 |
1992年(平成4年)9月就任 |
写真 |
p171 |
経営
| 各部門のフレッシュマネジメント活動 |
[1993年(平成5年)] |
一覧、「生産」「物流」「営業」各部門の具体的なフレッシュマネジメント活動 |
p172 |
経営
| 生産・販売・物流・調達一貫システムの概念図 |
[1997年(平成9年)構築] |
概念図 |
p172 |
設備;物流
| 遮光シートを使用したビール配送車両 |
[1998年(平成10年)展開] |
写真 |
p173 |
販売;教育・研修
| 特約店に対する品質知識研修 |
[1998年(平成10年)] |
写真 |
p173 |
営業;設備
| 店頭で電子手帳を活用する営業担当者 |
[1998年(平成10年)] |
写真 |
p173 |
商品;広告宣伝
| 「スーパードライ」のメッセージ |
1993年(平成5年)~98年(平成10年) |
表、年、イメージ広告メッセージ、品質広告メッセージ |
p173 |
売上;広告宣伝
| 「生ビール売上No.1」広告、「スーパードライ奪取No.1作戦」の全社運動ポスター |
[1995年(平成7年)] |
写真 |
p174 |
売上
| ビールの業態別売上構成比の推移 |
1993年(平成5年)~98年(平成10年) |
棒グラフ、年、業態別構成比 %(一般酒販店、スーパーマーケット、コンビニエンスストア、ディスカウントストア、業務用酒販店) |
p174 |
情報システム
| TECOS[(技術系コンピュータシステム)]の概念図 |
[1991年(平成3年)] |
概念図 |
p175 |
情報システム;消費者
| A(Answer)ネット[(お客様からの問い合わせ情報をデータベース化)]の概念図 |
[1997年(平成9年)1月開始] |
概念図 |
p175 |
情報システム:消費者
| [苦情処理活用システム]「Q(Quality)ネットの概念図 |
[1997年(平成9年)6月稼働] |
概念図 |
p175 |
技術;組織
| 研究体制 |
[1997年(平成9年)10月] |
研究開発センター(茨城県守谷町)の組織図 |
p177 |
技術;施設
| 研究開発センター、テストブルワリー |
[1997年(平成9年)10月完成] |
写真 |
p177 |
生産;事業所
| 工場別生産体制の整備・強化 |
1992年(平成4年)12月、1998年(平成10年)12月 |
表、工場名、土地面積、建物面積、年月{1992年12月(簿価、生産能力、従業員数)、1998年12月(簿価、生産能力、従業員数)} |
p178 |
技術
| ISO9002の認証(吹田工場) |
[1997年(平成9年)5月取得] |
写真 |
p178 |
生産性;製造
| 生産性向上と製造原価低減の推移 |
1990年(平成2年)~98年(平成10年) |
棒グラフ(年、1人当たり生産量)、折れ線グラフ(年、原価指数) |
p179 |
販売
| 深夜の出荷作業(茨城工場) |
[1998年(平成10年)2月開始] |
写真 |
p180 |
製品;商品
| 「アサヒピュアゴールド」 |
[1993年(平成5年)2月発売] |
写真 |
p181 |
商品;広告宣伝
| 「アサヒ黒生」の広告 |
[1995年(平成7年)10月発売] |
写真 |
p181 |
商品;広告宣伝
| 「アサヒスーパードライスタイニー」のポスター |
[1998年(平成10年)4月発売] |
写真 |
p181 |
販売;商品
| 隅田川ブルーイングの店内と地ビール3品種 |
[1994年(平成6年)7月設立] |
写真 |
p182 |
商品
| [こだわりの個性派商品群]「バス・ペールエール樽詰」「ベル・ビュークリーク」「アサヒ琥珀の時間」 |
[1996年(平成8年)] |
写真 |
p182 |
商品;業界
| 地域限定ビール |
[1991年(平成3年)~1996年(平成8年)発売] |
日本地図上に商品名と写真、発売地域、メーカー(アサヒビール、麒麟麦酒、サッポロビール、サントリー)を表示 |
p183 |
関係会社
| 連結会社数の推移 |
1992年(平成4年)~98年(平成10年) |
表、年、連結子会社、持分法適用会社(非連結子会社、関連会社) |
p183 |
売上
| グループ売上高と営業利益の推移 |
1992年(平成4年)~98年(平成10年) |
棒グラフ、年、売上高、営業利益 |
p184 |
関係会社;財務・業績
| アサヒビールグループの業績の推移 |
1992年(平成4年)~98年(平成10年) |
表、年、資産(計、内固定資産)、負債(計、内社債+長期借入金)、資本(計、内資本金)、売上高、営業利益、経常利益、当期利益、配当金 |
p184 |
売上
| セグメント別売上高・利益の推移 |
1993年(平成5年)~98年(平成10年) |
表、年、セグメント別{酒類(売上高計、内ビールの売上高、営業利益)、飲料・食品(売上高、営業利益)、薬品(売上高、営業利益)、不動産(売上高、営業利益)、その他(売上高、営業利益)} |
p184 |
情報システム
| ASN[(アサヒスーパーネット)]画面 |
[1995年(平成7年)4月スタート] |
パソコン画面の写真 |
p185 |
情報システム
| [インターネットを利用して発注業務を行う]資材EDIシステムの概念図 |
[1997年(平成9年)11月稼働開始] |
概念図 |
p185 |
従業員
| 従業員数の推移 |
1993年(平成5年)~98年(平成10年)末 |
表、年末、従業員数、嘱託員数、臨時従業員数、平均年齢、平均勤続年数 |
p186 |
設備
| 廃棄物「分別ステーション」(茨城工場)、アンモニア吸収式冷凍機(吹田工場)、ノンフロン化された自動販売機(名古屋工場) |
1996年(平成8年)~1999年(平成11年)4月 |
写真 |
p187 |
環境保全;経営理念
| 環境保全に関する基本理念 |
1993年(平成5年)5月策定 |
「環境保全に関する基本理念」と「行動指針」 |
p187 |
環境保全
| 環境問題でのチャレンジ目標 |
1998年(平成10年) |
表、項目、内容 |
p187 |
表彰
| その他の受賞 |
1997年(平成9年) |
表、賞の名称、主催、受賞理由 |
p187 |
表彰
| 日本経営品質賞表彰式、日本経営品質賞 |
[1997年(平成9年)受賞 |
写真 |
p188 |
社会貢献;施設
| 大山崎山荘美術館、本館展示室、新館「地中の宝石箱」 |
[1996年(平成8年)4月開館 |
写真 |
p188 |
災害
| 阪神・淡路大震災で被災した西宮工場(空きびん置き場、装製棟)、阪神・淡路大震災時の給水活動 |
1995年(平成7年)1月 |
写真 |
p189 |
株式;催し
| 株主総会後の懇話会(ホテル開催) |
[1990年代] |
写真 |
p189 |
提携・合併
| [中国・]杭州ビールとの資本提携、泉州ビール設立の共同記者会見」 |
[1994年(平成6年)1月] |
写真 |
p190 |
関係会社;海外事業
| 杭州・嘉興・泉州ビールの概況 |
1995年(平成7年) |
表、社名(杭州・嘉興・泉州ビール)、所在地、生産能力、社員数、ブランド |
p190 |
博覧会;表彰
| 「日本朝日啤酒」中国食品及包装技術博覧会の金賞 |
1994年(平成6年)10月受賞 |
写真 |
p190 |
関係会社
| 深圳青島ビール |
[1997年(平成9年)12月設立] |
写真 |
p191 |
広告宣伝;海外事業
| 中国での「スーパードライ」の広告 |
[1995年(平成7年) |
写真 |
p191 |
海外事業
| 中国での営業・生産拠点 |
1999年(平成11年) |
中国地図沿岸部に営業・生産拠点の場所と拠点名を示す |
p191 |
販売;海外事業
| ビールの海外販売量の推移 |
1992年(平成4年)~99年(平成11年) |
棒グラフ、年、販売量(米国、中国、その他) |
p191 |
商品
| [全米第2位・世界第3位のビール会社ミラー・ブルーイング社と共同開発した]「ミラースペシャル」 |
1995年(平成7年)9月輸入販売開始 |
写真 |
p192 |
広告宣伝;海外事業
| [ミュンヘンで開かれた世界最大のビール展示会]「インターブラウ会場での「スーパードライ」の試飲会 |
[1997年(平成9年)10月] |
写真 |
p192 |
広告宣伝;海外事業
| 地下鉄構内の「スーパードライ」の広告(ロンドン) |
[1996年(平成8年)] |
写真 |
p192 |
施設;経営
| バッキンガムシャーゴルフクラブ(ロンドン近郊) |
[1991年(平成3年)11月開設] |
写真 |
p193 |
ロゴマーク
| アサヒ飲料のコーポレートマーク |
[1996年(平成8年)7月一新] |
図 |
p194 |
商品;製品
| [プロゴルファーのタイガー・ウッズをCMに起用した大型新商品]「WONDA」 |
[1997年(平成9年)発売] |
写真 |
p194 |
商品;製品
| [業界初のブレンド茶]「お茶どうぞ十六茶」 |
[1993年(平成5年)発売] |
写真 |
p194 |
商品;製品
| サプリメント「Actio」 |
[1995年(平成7年)発売] |
写真 |
p195 |
商品;製品
| 業務用「調理焼きそば」 |
[1992年(平成4年)] |
写真 |
p195 |
経済;販売
| GDPとビール類出荷量の推移 |
1999年(平成11年)~2006年(平成18年) |
棒グラフ(年、アサヒビール出荷量、全国出荷量)、折れ線グラフ(年、GDP対前年比) |
p198 |
需給
| 酒類消費量の推移 |
1999年(平成11年)~2007年(平成19年) |
折れ線グラフ、年、[1999年を100とする]指数(焼酎、酒類計、果実酒、清酒、ビール、ウイスキー類) |
p198 |
租税;業界
| 課税数量の推移(業界全体) |
1994年(平成6年)~2007年(平成9年) |
折れ線グラフ、年、課税数量(ビール、発泡酒、新ジャンル) |
p198 |
販売;経済政策
| 酒類販売規制の撤廃を報じる新聞記事 |
1998年(平成10年) |
1998年3月31日付と1998年4月2日付「日経流通新聞」の記事写真 |
p199 |
販売;経済政策
| 酒類小売業免許場数と新規免許 |
1998年(平成10年)~2006年(平成18年) |
表、年、場数、前年比、新規免許 |
p199 |
売上;経営
| ビールの業態別売上構成比の推移 |
1998年(平成10年)~2006年(平成18年) |
棒グラフ、年、業態別構成比 %(一般酒販店、スーパーマーケット、コンビニエンスストア、ディスカウントストア、業務用酒販店、その他) |
p199 |
広告宣伝;業界
| 「STOP!未成年者飲酒」の新聞広告(ビール酒造組合) |
2005年(平成17年)~ |
写真 |
p199 |
役員
| 福地茂雄社長 |
[1999年(平成11年)1月就任] |
写真 |
p200 |
経営政策
| 「アサヒ・イノベーション・プログラム2000」の経営目標 |
1999年(平成11年)9月 |
概念図 |
p201 |
経営政策
| 「アサヒ・イノベーション・プログラム2000」の数値目標 |
1999年(平成11年)9月 |
表、[項目]{売上函数、売上高、営業利益、売上高営業利益率、ROE、ROA、財務目標(金融債務残高、フリーキャッシュフロー、設備投資、減価償却費)}、1999年実績、2001年、2004年 |
p201 |
経営政策
| 第1次中期計画におけるグループ事業構造 |
2000年(平成12年)10月 |
表、事業構造、ミッション、事業内容、主な新商品・取り組み |
p202 |
経営政策
| グループ経営強化のための仕組み・制度 |
2000年(平成12年)10月~2001年(平成13年)1月 |
表、仕組み、制度、施策、実施時期、内容 |
p203 |
経営政策
| 第1次グループ中期経営計画の数値目標(連結) |
2000年(平成12年)10月 |
表、[項目](売上高、営業利益、経常利益、当期利益、売上高営業利益率、ROE、ROA、金融債務残高)、2000年実績、2004年 |
p203 |
役員
| 池田弘一社長 |
[2002年(平成14年)1月就任] |
写真 |
p203 |
経営政策
| 第2次グループ中期経営計画の数値目標(連結) |
2003年(平成15年)10月 |
表、[項目]{売上高(酒類事業、飲料事業、食薬事業、海外事業)、営業利益(酒類事業、飲料事業、食薬事業、海外事業)、経常利益、当期利益、売上高営業利益率、ROE、連単倍率}、2003年実績、2006年、10年後 |
p204 |
経営政策
| 第2次グループ中期経営計画の事業分野別の経営課題 |
2003年(平成15年)10月 |
表、事業分野・主な経営課題{酒類事業(新たな成長性の確保、経営効率の向上、活き活きとした組織への変革)、飲料事業、食薬事業、海外事業} |
p205 |
組織
| 組織図 |
2000年(平成12年)10月 |
組織図 |
p206 |
組織
| 組織図 |
2006年(平成18年)6月 |
組織図 |
p206 |
提携・合併;営業
| ニッカウヰスキーとの営業部門統合を伝える新聞広告 |
[2001年(平成13年)4月] |
写真 |
p207 |
人事
| グループ人事基本方針「新・成・気・結束」 |
2005年(平成17年) |
図 |
p207 |
従業員
| 従業員数の推移 |
1995年(平成7年)~2006年(平成18年)末 |
棒グラフ、年、単体(従業員、臨時従業員)、連結(従業員、臨時従業員) |
p208 |
コンプライアンス
| コンプライアンス推進体制 |
2006年(平成18年) |
図 |
p208 |
コンプライアンス
| 「アサヒビールグループ企業倫理規程」 |
[1999年(平成11年)11月制定] |
図 |
p208 |
コンプライアンス
| コーポレート・ガバナンス体制 |
2006年(平成18年) |
図 |
p209 |
社会貢献
| 携帯カード「社員飲酒ルール」 |
2004年(平成16年)12月 |
写真 |
p211 |
環境保全;経営政策
| 環境チャレンジ目標 |
2000年(平成12年) |
表、項目(廃棄物再資源化100%の取り組み、省エネルギーの推進、温室効果ガスの抑制、容器リサイクルの推進、環境管理システムの充実、グループ環境管理活動の充実、環境コミュニケーションの充実)、主な内容 |
p212 |
環境保全;経営政策
| 中期環境経営計画の目標 |
2004年(平成16年) |
表、項目(温室効果ガスの排出抑制、生産拠点の省エネルギー推進、廃棄物発生削減と再資源化促進、環境管理システムの強化・拡大)、2006年度目標(アサヒビール、グループ) |
p212 |
環境保全
| 高校生を対象にした「日本の環境を守る若武者育成塾」、小学生向けの「アサヒ・J-POWER風の子塾」「アサヒ森の子塾」 |
2006年(平成18年)~ |
写真 |
p214 |
環境保全;表彰
| 環境関係の主な受賞 |
1999年(平成11年)~2009年(平成21年) |
表、年月、賞の名称、主催、受賞理由 |
p214 |
販売
| 2001年の国内ビール・発泡酒販売での48年ぶりの首位奪還を報じる新聞記事 |
2002年(平成14年)1月 |
2002年1月10日付「日本経済新聞」の記事写真 |
p215 |
シェア;業界
| 4社シェアの推移 |
1999年(平成11年)~2007年(平成19年) |
折れ線グラフ、年、%(アサヒビール、麒麟麦酒、サッポロビール、サントリー) |
p215 |
品質管理;商品
| [製造後3日以内のスーパードライを直接お客様に届ける]「鮮度ギフト」の提案ポスター |
[2000年(平成12年)] |
写真 |
p216 |
広告宣伝
| 冠スポンサーとなった「2006 WORLD BASEBALL CLASSIC アジアラウンド」の広告 |
2006年(平成18年) |
写真 |
p216 |
商品;価格
| 発泡酒「本生」の値下げを報じる新聞記事 |
2002年(平成14年)1月 |
2002年1月30日付「日本経済新聞」記事の写真 |
p216 |
商品;業界
| [標準より10円安い135円で発売された]「キリン樽生」 |
[2002年(平成14年)2月発売] |
写真 |
p216 |
製品;商品
| 「スーパードライ」のメッセージ |
1999年(平成11年)~2009年(平成21年) |
表、年、施策など、イメージ広告メッセージ、品質広告メッセージ、企業広告 |
p217 |
販売
| アサヒビールの出荷函数 |
1996年(平成8年)~2009年(平成21年) |
折れ線グラフ、年、函数(ビール、発泡酒、新ジャンル) |
p218 |
製品;商品
| 「アサヒ本生」シリーズ |
[2003年(平成15年)~2005年(平成17年)2月] |
写真 |
p218 |
商品;租税
| ビール・発泡酒などの税率 |
1996年(平成8年)10月~2006年(平成18年)5月 |
表、年月(1996年10月、2003年5月、2006年5月)、[酒類](ビール、発泡酒 麦芽比率50%以上、発泡酒 麦芽比率25%以上、発泡酒 麦芽比率25%未満、その他の雑酒、リキュール類、その他の発泡性酒類) |
p218 |
商品;租税
| 発泡酒への増税措置への各社の対応の違いを報じる新聞記事 |
2003年(平成15年)5月 |
2003年5月1日付「日経MJ」の記事写真 |
p218 |
商品;製品
| 「アサヒ新生」 |
[2005年(平成17年)4月発売] |
写真 |
p219 |
商品;業界
| 他社の新ジャンル商品 「サッポロドラフトワン」「サントリー麦風」「キリンのどごし<生>」 |
[2003年(平成15年)9月~2005年(平成17年)4月] |
写真 |
p219 |
商品;広告宣伝
| 「アサヒ極旨」の店頭ポスター |
[2006年(平成18年)10月発売] |
写真 |
p219 |
商品
| ビールの新商品開発 |
1999年(平成11年)~2009年(平成21年) |
表、年、発売日、商品名、特徴 |
p220 |
提携・合併
| 当社との業務提携を発表するオリオンビールの記者会見、オリオンビールとの業務提携を報じる地元紙 |
2002年(平成14年)8月 |
写真、2002年8月22日付「沖縄タイムス」記事の写真 |
p220 |
提携・合併;広告宣伝
| オリオンビールとの業務提携広告 |
[2002年(平成14年)8月] |
写真 |
p221 |
関係会社;事業所
| オリオンビール名護工場 |
[2002年(平成14年)] |
写真 |
p221 |
関係会社;生産
| ニッカウヰスキーの生産体制 |
2001年(平成13年)4月 |
表、工場、事業内容、開設年ほか |
p221 |
関係会社;事業所
| ニッカウヰスキー仙台工場 |
[2001年(平成13年)] |
写真 |
p221 |
販売;シェア
| ニッカウヰスキーの生産体制課税数量とシェア |
1998年(平成10年)~2009年(平成21年) |
棒グラフ(年、課税数量)、折れ線グラフ(年、シェア) |
p222 |
関係会社;商品
| 「ブラックニッカ クリアブレンド」(700ml)、「ニッカ シングルモルト余市1986」 |
2007年(平成19年)、2006年(平成18年)12月発売 |
写真 |
p222 |
販売;業界
| 国産甲類焼酎の出荷量 |
2002年(平成14年)~2005年(平成17年) |
折れ線グラフ、年、出荷量(宝酒造、アサヒビール、サントリー、メルシャン、合同酒精) |
p222 |
関係会社;事業所
| アサヒ協和酒類製造の土浦工場と門司工場 |
[2002年(平成14年)] |
写真 |
p222 |
広告宣伝;経営
| 総合酒類化をうたった社内ポスター |
[2002年(平成14年)] |
写真 |
p224 |
製品;商品
| [低アルコール飲料・]「ゴリッチュ」、新世代焼酎「SAZAN」 |
[2001年(平成13年)開発、2004年(平成16年)3月発売] |
写真 |
p224 |
販売;商品
| 低アルコール飲料の販売実績 |
2003年(平成15年)~04年(平成16年) |
表、メーカー、ブランド、2003年、2004年 |
p224 |
販売
| インターネットを活用した競争入札 |
[2000年(平成12年)構築] |
写真 |
p225 |
販売
| 公正取引委員会の警告について報じる新聞記事 |
2003年(平成15年)12月 |
2003年12月9日付「日本経済新聞」記事の写真 |
p226 |
販売;営業
| 新取引制度 |
2005年(平成17年)1月 |
図表、3段階建値制度→新取引制度、一般的なオープン化 |
p227 |
事業所;資本
| 工場別投下資本額 |
1998年(平成10年)、2006年(平成18年) |
表、工場名、土地面積、年月(1998年12月、2006年12月) |
p228 |
技術;組織
| 研究開発組織 |
2001年(平成13年)9月 |
組織図 |
p229 |
製品
| 新しい飲み口の「うまくち缶」 |
[2004年(平成16年)4月から展開] |
写真、従来の缶蓋→「うまくち缶」の缶蓋 |
p229 |
財務・業績
| アサヒグループの業績 |
1998年(平成10年)~2006年(平成18年) |
表、年、資産(資産計、内固定資産)負債(負債計、内固定負債)、資本(資本計、内資本金)、売上高、営業利益、経常利益、当期利益、配当金 |
p231 |
関係会社
| 連結会社数 |
1998年(平成10年)~2006年(平成18年) |
表、年、連結子会社、持分法適用関連会社 |
p231 |
売上;営業
| セグメント別売上高・営業利益 |
1998年(平成10年)~2006年(平成18年) |
表、年、酒類(売上高、内営業利益)、飲料(売上高、内営業利益)、食品・薬品(売上高、内営業利益)、不動産(売上高、内営業利益)、その他(売上高、内営業利益) |
p232 |
株式
| 株主優待制度の案内パンフレット |
[2003年(平成15年)9月新設] |
写真 |
p232 |
商品;製品
| [缶コーヒー]「ワンダモーニングショット」、[ナチュラルミネラルウォーター]「アサヒ富士山のパナジウム天然水」 |
[2002年(平成14年)10月発売、2004年(平成16年)2月発売] |
写真 |
p233 |
関係会社;商品
| エルビー(埼玉)の「お茶」とエルビー(名古屋)の「砂糖不使用くろ酢」 |
[2005年(平成17年)] |
写真 |
p234 |
海外事業;商品
| 「北京碑酒」 |
[2004年(平成16年)5月発売] |
写真 |
p235 |
海外事業;事業所
| 杭州ビールの新工場 |
[2007年(平成19年)] |
写真 |
p235 |
海外事業;広告宣伝
| [台湾市場向けに開発した低価格帯の生ビール]「乾杯」のポスター |
[2004年(平成16年)] |
写真 |
p235 |
海外事業;関係会社
| [韓国・]ヘテ飲料社の天安工場と商品 |
[2000年(平成12年)] |
写真 |
p237 |
海外事業;関係会社
| [中国・]康師伝飲品の商品 |
[2004年(平成16年)] |
写真 |
p238 |
海外事業;関係会社
| [中国・]朝日緑源(山東省菜陽市) |
[2006年(平成18年)5月出資] |
写真 |
p238 |
商品
| [酵母細胞壁を原料とする植物活性資材]「豊作物語」 |
[2006年(平成18年)1月発売] |
写真 |
p239 |
販売;業界
| ビール類出荷量の伸び率 |
2000年(平成12年)~09年(平成21年) |
折れ線グラフ、年、伸び率(アサヒビール、業界全体) |
p244 |
役員
| 荻田伍社長 |
[2006年(平成18年)3月就任] |
写真 |
p244 |
経営政策
| 第3次中期経営計画の数値目標 |
2007年(平成19年) |
表、[項目](売上高、営業利益、EBITDA、経常利益、当期純利益、ROE、売上高営業利益率)、2006年実績、2009年 |
p245 |
社会貢献
| アサヒビールグループのCSR方針 |
[2007年(平成19年)2月採択] |
図 |
p246 |
事業所
| 総合飲料工場化した茨城工場 |
~2006年(平成18年)、2009年(平成21年) |
図 |
p247 |
生産;経営政策
| トータルプロダクションシステム |
[2007年(平成19年)8月開発] |
図、旧システム、新システム |
p247 |
技術;組織
| 研究開発組織 |
2007年(平成19年)10月 |
組織図 |
p248 |
品質管理
| グループ品質方針 |
2007年(平成19年)8月 |
「基本理念」「行動指針」の全文 |
p248 |
品質管理
| 商品の自主回収に関するお詫びとお知らせ |
2008年(平成20年)9月 |
写真 |
p248 |
販売;シェア
| 「スーパードライ」の出荷量とシェア |
2000年(平成12年)~09年(平成21年) |
棒グラフ(年、「スーパードライ」出荷量、業界全体ビール課税数量)、折れ線グラフ(年、「スーパードライ」シェア |
p249 |
商品;ブランド
| 「スーパードライ」ブランドブック |
2007年(平成19年) |
写真 |
p249 |
商品;広告宣伝
| 「アサヒ ザ・マスター」の店頭ポスター |
[2009年(平成21年)5月発売] |
写真 |
p250 |
製品;商品
| 「クリアアサヒ」「アサヒオフ」 |
[2008年(平成20年)3月、2009年(平成21年)2月発売] |
写真 |
p250 |
商品;広告宣伝
| [糖質ゼロの発泡酒]「スタイルフリー」の発売広告 |
[2007年(平成19年)3月 |
写真 |
p251 |
商品;広告宣伝
| 「麦の新ジャンル売上No.1」の広告 |
[2009年(平成21年)9月発売] |
写真 |
p251 |
商品
| 発泡酒と新ジャンルのゼロ・オフ商品一覧 |
2001年(平成13年)10月~2009年(平成21年)10月 |
表、社名(アサヒ、キリン、サッポロ、サントリー)、発売年月、特徴、種別 |
p251 |
売上
| アサヒビールの総合酒類売上高と営業利益 |
2006年(平成18年)~09年(平成21年) |
棒グラフ{年、売上高(低アルコール飲料、焼酎、洋酒、ワイン)}、折れ線グラフ(年、営業利益) |
p252 |
商品;広告宣伝
| [低アルコール飲料]「アサヒSlet(すらっと)」の広告 |
[2009年(平成21年)2月発売] |
写真 |
p252 |
商品;表彰
| 「インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ」で[ウイスキー部門の最高賞「トロフィー」を]受賞 |
[2009年(平成21年)] |
写真 |
p252 |
製品;商品
| [トマトを使用したアルコール飲料]「アサヒ トマーテ」発表会 |
[2007年(平成19年)9月発売] |
写真 |
p253 |
海外事業;商品
| アジア各地の「スーパードライ」 |
[2008年(平成20年)] |
アジア~ロシアの地図上に韓国、中国、タイ、ロシアの「スーパードライ」を配置 |
p253 |
業界;設備
| 主要ブランドの自販機稼働台数 |
2004年(平成16年)~2009年(平成21年) |
表、ブランド名、[稼働台数](2004年、05年、06年、07年、08年、09年) |
p255 |
売上;シェア
| アサヒ飲料の売上高とシェア |
2004年(平成16年)~2009年(平成21年) |
棒グラフ(年、売上高)、折れ線グラフ(年、シェア) |
p255 |
製品;商品
| [糖類ゼロの]「ワンダ ゼロマックス」 |
2008年(平成20年)4月発売] |
写真 |
p256 |
関係会社;売上
| [中国・]康師伝飲品の売上高と利益 |
2004年(平成16年)~2009年(平成21年) |
棒グラフ(年、売上高)、折れ線グラフ(年、当期純利益) |
p256 |
関係会社;商品
| 天野実業の主な商品 |
|
写真 |
p257 |
関係会社;事業所
| オルテック社のセルビア工場 |
|
写真 |
p257 |
業界
| ビール業界の世界的な再編 |
1990年(平成2年)~09年(平成21年) |
変線図、年、トレンド・背景(地域M&A・域内競争激化、クロスボーダーM&A・規模によるコストダウンシナジー、エマージング市場M&A・先進国の市場縮小 途上国の発展、大手同士超大型M&A・成長機会の枯渇 原材料高騰)、社名(国名)、出資、資本参加、経営参加、合弁設立、完全子会社化、買収 |
p259 |
催し
| 創立60周年 創業120年を迎えた「第60回創立記念式典」 |
2009年(平成21年)11月 |
写真 |
p260 |
業界
| グローバル食品企業 |
2009年(平成21年)9月時点 |
表、順位、会社名、本拠地、売上高、営業利益、営業利益率 |
p260 |
経営政策
| 長期ビジョン2015と中期経営計画2012の数値目標 |
2009年(平成21年)~2015年(平成27年) |
表、年(2009年実績、2012年、2015年)、[項目]{売上高(酒類事業、飲料事業、食品事業、国際事業)、営業利益、EBITDA、EBITDA比率、営業利益率} |
p261 |
ブランド
| 「ブランドコンセプトブック」 |
2009年(平成21年) |
写真 |
p261 |
関係会社
| グループ会社一覧 |
2009年(平成21年)12月31日現在 |
表、会社名、本店所在地、設立年月、資本金、主な事業内容、持株比率 |
p264 |
関係会社
| グループ会社一覧 |
2009年(平成21年)12月31日現在 |
層・グループを表わす図、アサヒビール→会社名→子会社→関連会社 |
p265 |
業界
| 日本のビール産業の概要 |
1870年(明治3年)~2010年(平成22年) |
変遷図、年、事項(発足、創業、改組、設立、売却、買収、合併、工場建設、事業撤退、社名変更、商品発売など)、2010年現在の社名(アサヒビール、サッポロビール、キリンビール、サントリー) |
p266 |
沿革
| 年表 |
1853年(嘉永6年)~2009年(平成21年) |
年表、当社事項、業界事項、社会事項 |
p268 |
索引
| 索引 |
|
英数字、人名(50音順)、一般(50音順) |
p294 |
資料提供
| 写真および資料提供・協力(、敬称略) |
|
一覧、五十音順 |
p300 |
参考文献
| 参考文献 |
|
一覧、アサヒビールの社史(書名、社名、刊行年)、その他の社史・図書(著者、書名、発行所、発行年) |
p301 |