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会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
(株)京都ホテル サービス業 『京都ホテル100年ものがたり : 一歩一歩に感謝をこめて : 創業100周年』(1988.09) 明治初期東京遷都により京都は地盤沈下したが、産業振興の掛け声のもとに博覧会や勧業場誘致等により、外国人の入洛が増加。神戸の料亭経営者前田又吉は、政財界の要請に応えて1888年常盤ホテル開業。勧業場跡地払下を受け、渋沢栄一らが起こした日本土木会社が工事を請け負い1890年本格的洋風ホテル完成。1894年京都ホテルと改名。終戦後は京都の国際観光都市化と共に業績も伸びる。百年史は編年体の記述部分の他に、グラビア・対談・メッセージ集・新聞広告等数多く取り入れた構成。
(株)協和銀行 銀行 『20年のあゆみ』(1968.07) 1948年に日本貯蓄銀行が普通銀行に転換し(株)協和銀行が誕生してから20年の歩みを、手軽な物語風の小冊子として刊行したもの。
(株)協和銀行 銀行 『協和銀行史』(1969.03) 1945年5月に東京・大阪・名古屋に本店を持つ9つの貯蓄銀行が合併し、東京に(株)日本貯蓄銀行設立。会長は安田保善社総長安田一、開業式で渋沢敬三日銀総裁が挨拶。しかし戦後のインフレーションの中で専業の貯蓄銀行は存立せず、1948年普通銀行に転換し、(株)協和銀行が誕生。社史の第1編は3年2ヶ月の貯蓄銀行時代を、合同から敗戦、そして戦後の再建の過程に分けて述べる。第2編では普通銀行へ転換後、体制を整備し業務を拡充した20年間の歩みを記述。
(株)協和銀行 銀行 『本邦貯蓄銀行史』(1969.09) 民間の零細な貯蓄預金を資本化するため、1880年に東京貯蔵銀行が初の専業貯蓄銀行として誕生。第一国立銀行では三井家との勢力関係から1892年に子銀行として東京貯蓄銀行設立、会長渋沢栄一。1893年貯蓄銀行条例が施行され、以降600以上の貯蓄銀行が全国に誕生。経営の健全性を維持するため1922年貯蓄銀行法施行、1926年末には124行に激減。戦時財政下、貯蓄銀行は合併などにより次々消滅。戦後まで残った5行は再建整備の中で普通銀行に転換あるいは合併し、1949年に全て消滅する。
(株)協和銀行 銀行 『この10年のあゆみ : 1968-1978』(1978.05) 創立30周年を期に、1968年から最近10年のあゆみを物語風の小冊子にまとめたもの。6つのテーマごとの話題を中心に記述。[協和埼玉銀行、あさひ銀行を経て、2003年りそな銀行及び埼玉りそな銀行となる]
(株)協和銀行 銀行 『協和銀行史. 続』(1979.06)
(株)協和銀行 銀行 『協和銀行通史』(1996.06)
協和発酵工業(株) 食品 『薔薇は薔薇 : 協和発酵35年史』(1984.08) 協和化学研究所で発酵研究に携わった加藤弁三郎(かとう・べんざぶろう、1899-1983)は実業化のため1943年(昭18)東亜化学興業へ移るが、まもなく終戦となる。再建を託された加藤は社名を協和産業と改め、ペニシリン等の製造で発酵工業の柱を確立。その後再建整備法適用を受け第二会社として1949年(昭24)協和発酵工業を設立。ストレプトマイシンとアセトン・ブタノール発酵の技術導入成功により体力をつけ、数々の技術革新により植物ホルモンや石油化学部門へも進出する。協和発酵工業設立からの35年史は前半が写真中心の技術史、後半が組織と営業の変遷を年表と写真でまとめている。刊行直前に没した創業者のスナップ写真を巻末に掲載。[キリンホールディングス傘下のキリンファーマ(株)との合併により2008年(平20)協和発酵キリン(株)となる]
極東警備保障(株) サービス業 『長い夜明け』(1984.05)
麒麟麦酒(株) 食品 『麒麟麦酒株式会社五十年史』(1957.04) 1870年(明3)横浜天沼のスプリング・ヴァレー・ブルワリーで、W.コープランド(William Copeland, 1834-1902)が日本初のビールを醸造。その後会社は在日欧米人らに買取られてジャパン・ブルワリーが設立される(渋沢栄一も出資)。三菱関係者の支援を受けていた明治屋が1888年(明21)にジャパン・ブルワリー製ビールの販売権を得、「キリンビール」の銘柄で発売。1907年(明40)に明治屋、三菱合資、日本郵船がジャパン・ブルワリーを買取り麒麟麦酒(株)を設立。50年史はビールに因む錦絵や写真を豊富に採りいれ、沿革と現況を記述している。
麒麟麦酒(株) 食品 『麒麟麦酒の歴史. 戦後編』(1969.01)
麒麟麦酒(株) 食品 『麒麟麦酒の歴史. 続戦後編』(1985.03)
麒麟麦酒(株) 食品 『キリンビールの歴史. 新戦後編』(1999.04) 「キリンビール」の銘柄は三菱社管事の荘田平五郎が「西洋のビールは狼や猫などの動物が用いられているので、東洋の霊獣麒麟を商標にしよう」と主張してつけたといわれている。1907(明40)年に明治屋、三菱合資、日本郵船の協力により麒麟麦酒(株)を設立。社史はこれまで「五十年史」「戦後編」「続戦後編」がでており、この「新戦後編」は1983年以降15年間の歩みに2/3以上のページが割かれている。
近畿日本鉄道(株) 鉄道・バス 『50年のあゆみ』(1960.09) 日露戦争後大都市を中心に鉄道事業が盛んになり、大阪・奈良間にも電気鉄道敷設の計画が進められた。1906年(明治39)には大阪の有力者ら3派の競願となり、合同協議の結果翌年特許状の交付を受け、1910年(明43)に大阪電気軌道の社名で創立。難工事の生駒トンネルを完成させ1914年(大3)大阪・奈良間が開通。経営危機を乗り越え路線を充実させ、1941年(昭16)参宮急行電鉄を合併し関西急行鉄道となる。1944年(昭19)合併により近畿日本鉄道が発足。戦後は経済復興に伴い自動車や百貨店などの事業を拡張する。50年史は略史、現勢と諸変遷表、年譜の3編からなり、多くの写真・図版を本文に挿入している。大和鉄道他関係会社の略史も掲載。
(株)キングジム その他製造業 『鷲 : キングジム60年史 : 創業60周年記念誌』(1987.05)
(株)クボタ 機械 『クボタ100年 : 1890-1990』(1990.10)
久保田鉄工(株) 機械 『久保田鉄工八十年の歩み』(1970.10) 大阪で鋳物の修業をした久保田権四郎(くぼた・ごんしろう、1870-1959、旧姓大出)は、鉄管需要の将来性を見越して1890年(明23)大出鋳物を創業。1897年(明30)久保田鉄工所と改称。鋳鉄管事業へ進出して画期的な製法を次々開発し、至難の事業とされていた水道鉄管の製造を成功させた。1930年(昭5)株式会社に改組、海外へも進出して発展する。戦後は鋳物と機械製造を再興し、下水用ヒューム管や建材等の新製品開発も進める。80年史は本文15章と資料、年表からなり、製品写真等を本文中に掲載。渋沢栄一が関わった日本鋳鉄(資)にも触れている。[1990年(平2)(株)クボタに社名変更]
久保田鉄工(株) 機械 『久保田鉄工最近十年の歩み : 創業九十周年』(1980.10)
(株)熊谷組 建設 『熊谷組社史』(1968.09)
(株)熊谷組 建設 『株式会社熊谷組四十年史』(1978.01)
熊本電気(株) 電力 『熊本電気株式会社沿革史 : 創立弍拾周年記念』(1929.07)
倉敷紡績(株) 繊維 『回顧六十五年』(1953.09) 古来綿業が栄えた倉敷の3青年が1886年紡績所の設立を企画。発起人が上京、会社設立について調査し、渋沢栄一や益田孝の助言を得る。地元の実業家大原孝四郎が頭取となり1888年有限責任倉敷紡績所創立。工場を建設し紡機を英国より輸入、英国人技師を雇い入れ1889年創業開始。1893年倉敷紡績(株)と改称。1906年就任した2代社長大原孫三郎は業務刷新と事業発展に着手、労働科学研究所・病院・図書館等を作り、理想の具体化を進める。65年史は主に戦前戦中の事業の発展と戦後の事業復興までを編年体で記述。
倉敷紡績(株) 繊維 『倉敷紡績百年史』(1988.03) 百年史は創業から戦後の成長と経営多角化までを編年体で記述。1930年大原孫三郎が設立した大原美術館についても触れている。65年史と同様社史の表紙には自社製品の布地を使用。人名・事項索引付。
(株)クラレ 繊維 『創新 : クラレ80年の軌跡 1926-2006』(2006.06)
呉羽化学工業(株) 化学工業 『呉羽化学五十年史』(1995.04) 大規模な人絹会社設立を計画した昭和肥料の高橋保(たかはし・たもつ、1882-1972)と森矗昶(もり・のぶてる、1884-1941)は、1934年(昭9)昭和人絹(株)を設立、福島に工場を建設し翌年操業開始。同社は1939年(昭14)呉羽紡績と合併し、その人絹部門となる。戦時下1944年(昭19)設備を転用した化学製品製造の呉羽化学工業(株)として独立。戦後は石油化学工業にも進出し、高付加価値事業を推進する。50年史は研究者の執筆で、昭和人絹の設立から年代順の5章に沿革を記述。技術開発の特徴を中心とした現状を序章に述べている。[2005年(平17)(株)クレハに社名変更][人絹(人造絹糸)=レーヨン]
呉羽紡績(株) 繊維 『呉羽紡績30年 : 1929-1959』(1960.05) 近江商人伊藤忠兵衛(1842-1903)の次男2代目忠兵衛(1886-1973)は、英国留学後紡績経営を志し、自ら経営する伊藤忠商事の出資で1921年(大10)富山紡績の創立に関わる。1929年(昭4)富山県西呉羽村に工場を作り呉羽紡績(株)設立、1934年(昭9)富山紡績を合併する。1944(昭19)年国策で三興、大同貿易と合併し大建産業(株)となる。戦後解体され繊維部門は1950年(昭25)呉羽紡績(株)として再発足。30年史は富山紡績の沿革を記した前史と、沿革・現況・回想・資料からなる。30年史のカタカナ表記はカナモジカイ会長を務めた伊藤忠兵衛の意向か。[1966年(昭41)東洋紡績(株)と合併]
黒崎窯業(株) 窯業 『黒崎窯業五十年史』(1969.12) 八幡製鉄所で炉材の耐火煉瓦製造研究をしていた高良淳は、第一次大戦後の耐火煉瓦企業の将来性を見て退職し起業を図る。松本健次郎(まつもと・けんじろう、1870-1963)の出資を得て1918年(大7)北九州の黒崎町に黒崎窯業(株)を設立。翌年操業を開始し製鉄業の興隆とともに発展。1956年(昭31)八幡製鉄(株)と企業提携し経営安定化と合理化をはかる。50年史は社内の執筆で総合史、生産・技術史、部門史、その他の4部からなり、その他には回顧録や「耐火物工業の歴史」の項も含む。[2000年(平12)ハリマセラミック(株)と合併し黒崎播磨(株)となる]
(株)黒須銀行 銀行 『黒須銀行史』(1920.03)
黒田精工(株) 精密機器 『黒田精工70年史』(1995.03)
郡是製糸(株) 繊維 『郡是四十年小史 : 創立四十年記念』(1935.05) 丹波地方は古くから養蚕が行われていたが、1885年(明18)の全国五品共進会で酷評されたのを契機に京都府官民は改良に奮起。何鹿(いかるが)郡蚕糸業組合長波多野鶴吉(はたの・つるきち、1858-1918)らは1896年(明29)郡是製糸を創立。何鹿郡内の大小製糸家の協賛で起業したことから社名は郡是とした。人材育成と品質改良に励み、大正年間には全国へ工場増設し、三井三菱も株主に加わり発展する。40年史は創立経緯を簡潔に記述後、会社の業績・教育・組織・生産・販売等の詳細を、図表や写真を取り入れながらまとめている。[1967年(昭32)グンゼ(株)に社名変更]
(株)群馬銀行 銀行 『群馬銀行五十年史』(1983.06) 明治初期群馬県では士族授産事業の一つとして国立銀行設立が企図され、渋沢栄一の指導を仰いでいた。1878年(明11)前橋の士族有志により第三十九国立銀行が設立。農業と生糸生産の増大で県内に銀行も数多く設立発展する。1932年(昭7)金融統制により群馬大同銀行が県出資により設立され、県内各行を合同。1955年(昭30)群馬銀行と改称する。50年史は研究者執筆の前史で明治以降の経済史および群馬県金融史を記述。本史では合同以降の沿革を詳述し、県内銀行小史には合併した40行以上の銀行史をまとめている。また巻末資料には廃止した店舗も含め支店の沿革を載せている。『群馬銀行の30年』(1964年刊)に続く社史で土屋喬雄監修。
京王電鉄(株) 鉄道・バス 『京王電鉄五十年史』(1998.12)
京急グループ 鉄道・バス 『京急グループ110年史 : 最近の10年(1998年~2008年)』(2008.02)
(社)経済団体連合会 経済団体 『経済団体連合会前史 : 日本経済連盟会史 重要産業協議会史』(1962.05)
(社)経済団体連合会 経済団体 『経済団体連合会十年史. 上』(1962.09)
(社)経済団体連合会 経済団体 『経済団体連合会十年史. 下』(1963.04) 『経済団体連合会十年史. 上』(社史ID:15420)の下巻
(社)経済団体連合会 経済団体 『経団連の二十年』(1969.12)
(社)経済団体連合会 経済団体 『経済団体連合会五十年史』(1999.01)
(社)経済同友会 経済団体 『経済同友会十年史』(1956.11)
(社)経済同友会 経済団体 『経済同友会十五年史』(1962.04)
(社)経済同友会 経済団体 『経済同友会三十年史』(1976.11)
(社)経済同友会 経済団体 『経済同友会50年のあゆみ : 資料集』(1997.04)
京城電気(株) 電力 『伸び行く京城電気』(2003.07)
京城電気(株) 電力 『京城電気株式会社二十年沿革史』(2003.07)
京成電鉄(株) 鉄道・バス 『京成電鉄五十五年史』(1967.06) 1909(明治42)年6月30日、京成電気軌道株式会社が創立。1912(大正元)年11月3日、押上~市川(現・江戸川)間、曲金(現・京成高砂)~柴又間開通、開業。1945(昭和20)年6月25日、京成電鉄株式会社に改称。千葉県内を中心に鉄道事業を拡大するとともに、バスやタクシー事業、鉄道沿線の不動産事業など多角的な経営を行う。創立50周年記念事業として編纂が開始され、度重なる推敲の末に55年史として刊行された。巻頭の「写真で見る今の京成」で現況を紹介するとともに、全18章の本編と資料編、年譜によって構成される。本編は明治期の鉄道の誕生に始まり、現在の東京ディズニーリゾートとなるオリエンタルランド構想を含む各事業に対する展望でむすばれている。都市間郊外電気鉄道としての私鉄は、明治中期以降、当社京成電機軌道株式会社や渋沢栄一も設立にかかわった東京市街鉄道株式会社など設立が相次いだ。電鉄会社の設立は東京のみならず全国に及び、大正時代前期に隆盛期を迎えた。
京阪神急行電鉄(株) 鉄道・バス 『京阪神急行電鉄五十年史』(1959.06)
京阪電気鉄道(株) 鉄道・バス 『鉄路五十年』(1960.12) 明治時代後期に京都と大阪を繋ぐ鉄道敷設が、関西財界と渋沢栄一らの関東財界とでほぼ同時に計画される。交渉の結果合同した両者は、1906年(明39)渋沢を議長に東京で京阪電気鉄道(株)の創立総会を開催。1910年(明43)には大阪天満橋~京都五条大橋間が開通する。滋賀へも進出し電気供給事業も行うが、戦時中は陸運統制政策により阪急電鉄と合併、1943年(昭18)京阪神急行電鉄となる。戦後1949年(昭24)再び京阪電気鉄道として分離新発足、輸送力を増強し観光開発など事業分野も拡張する。50年史は沿革と現況、傍系会社、写真集などからなり、社業のみならず沿線の発展史にもなっている。
京阪電気鉄道(株) 鉄道・バス 『京阪70年のあゆみ』(1980.04)
京阪電気鉄道(株) 鉄道・バス 『過去が咲いている今 : 京阪この十年』(1990.07)
京阪電気鉄道(株) 鉄道・バス 『街をつなぐ、心をむすぶ : 開業90周年記念』(2000.10)
京阪電気鉄道(株) 鉄道・バス 『京阪百年のあゆみ』(2011.03) 1903(明治36)年、畿内電気鉄道株式会社の名称で大阪・京都間の鉄道敷設を出願。1906(明治39)年、名称を京阪電気鉄道株式会社に改め創立。1910(明治43)年4月15日、大阪・天満橋と京都・五条間で鉄道営業を開始。本社史は鉄道の営業開始から100年の記念事業のひとつとして刊行された。
京阪電気鉄道(株) 鉄道・バス 『京阪百年のあゆみ. 資料編』(2011.03) 『京阪百年のあゆみ』(社史ID:11870)の資料編
京阪電気鉄道(株) 鉄道・バス 『京阪電車車両の100年 : 細密イラストで見る』(c2010)
京阪ホールディングス(株) 鉄道・バス 『京阪グループ開業110周年記念誌 : 最近10年のあゆみ 2010-2020』(2020.11)
京浜急行電鉄(株) 鉄道・バス 『京浜急行90年史 : 写真でつづる最近10年のあゆみ』(1988.06) 1872年(明5)東京横浜を結ぶ官営鉄道が開通。京浜間を結ぶ民営鉄道も要望され、1898年(明31)横浜・川崎の資本を主体に川崎大師へ参詣客を運ぶ大師電気鉄道が創立。翌年六郷橋~大師間を開業し京浜電気鉄道と改称。良好な営業成績で路線を延長し、1927年(昭2)自動車事業へも進出。1942年(昭17)戦時統制により同業他社と合併し東京急行電鉄となる。戦後1948年(昭23)統合解除により京浜急行電鉄として再出発。都心乗り入れを実現し、開発・不動産事業にも進出する。社史は50年史・60年史・70年史・80年史があり、90年史は80年史以降の10年を事業ごとに詳述。巻末に90年略史として創業からの沿革をまとめている。電車や沿線のカラー写真を多く掲載。
京浜急行電鉄(株) 鉄道・バス 『京浜急行100年の歩み : 1898-1998』(1998.06)
京浜急行電鉄(株) 鉄道・バス 『京浜急行百年史』(1999.03)
月桂冠(株) 食品 『月桂冠三五〇年の歩み』(1987.10) 1637年(寛永14)初代大倉治右衛門(おおくら・じえもん、1615-1684)が交通の要の京都伏見にて酒屋を創業、屋号を笠置屋、酒銘を「玉の泉」と称す。明治期に東京へ出荷、品質向上を図り、洋式簿記へいち早く移行。1905年(明38)銘酒中の勝者を願い「月桂冠」を商標登録、海外へも販路を広げる。1909年(明42)大倉酒造研究所を設置し、科学的な研究体制を導入。1910年(明43)には駅売用にコップ付小壜を新案。1927年(昭2)個人経営の大倉恒吉商店を株式会社へ改組。1944年(昭19)大倉酒造に社名変更。1987年(昭62)創業350年を機に社名を月桂冠とする。当該社史はハンディな体裁で350年の歩みを年表とコラムの形でまとめ、巻頭には口絵の他、沿革を概観した「月桂冠と伏見酒造業」と「酒の歴史と民俗」を掲載。[初代大倉治右衛門は、屋号を称する時は笠置屋六郎右衛門としていた]
(株)小糸製作所 自動車・自動車部品 『小糸製作所50年史』(1968.04) 明治末期に信号設備の国産化を図った鉄道院は、指定業者に試作研究を依頼。日本橋のガラス問屋勤務の小糸源六郎(こいと・げんろくろう、1883-1974)は、独立して鉄道院の試作研究を請負い、信号機用フレネル・レンズを開発。外国製品にも遜色ない製品を試作し、1915年(大4)小糸源六郎商店を設立、鉄道院指定商人として開業する。1930年(昭5)小糸製作所と改称、1936年(昭11)株式会社に改組、自動車や航空機用部品生産にも進出。戦後は民需転換し、特殊照明器具生産を推進する。50年史は本文5章と付録からなり、製品写真を多数掲載。付録資料には就業規則も載せている。
(株)小糸製作所 自動車・自動車部品 『小糸製作所70年史』(1985.11)
興亜火災海上保険(株) 保険 『興亜火災海上保険株式会社七十五年史』(1995.09) 関西を本拠地に海運業ほか手広く事業展開していた尼崎家の2代目尼崎伊三郎は、早くから損害保険に関心を持つ。第1次大戦後の経済成長期、1918(大正7年)大阪で中外海上保険(株)を創業する。その後辰馬海上、大北火災、神国海上が誕生し、4社は1944年に合併して興亜海上火災運送保険(株)となり、1954年に現在の社名に変更。
興亜石油(株) 石油 『興亜石油60年史』(1996.12) 昭和初期にソ連領北樺太で成功していた北樺太石油(株)の支配人野口栄三郎が、野口と共に三菱銀行から北樺太石油で仕事をしていた薄井久男と共に、1933年東京で東洋商工(株)を設立。横浜、麻里布(山口県)、大阪に製油所を建設し精製事業を行う。1936年に日本曹達(株)の傘下に入るが1942年日本曹達は資本を撤退。1941年に興亜石油(株)に社名変更。1936年に米国で創業したカルテックス社と1949年に提携。以降カルテックス・日石グループの中で「精製」の役割を担う。
航空協会 空運 『日本航空史. 乾』(1936.04)
航空協会 空運 『日本航空史. 坤』(1936.04) 『日本航空史. 乾』(社史ID:12860)の下巻
(株)講談社 サービス業 『講談社の80年 : 1909~1989』(1990.07) 東京帝国大学法科主席書記の野間清治(のま・せいじ、1878-1938)は、1909年(明42)弁論部演説会の速記をとり、弁論雑誌出版を志す。大日本雄弁会を創業し弁論雑誌「雄弁」を始め「面白くて、為になる」編集方針で雑誌を次々創刊、1925年(大14)大日本雄弁会講談社と改称。1938年(昭13)には株式会社に改組、1958年(昭33)講談社となり書籍出版でも目覚ましく成長する。80年史は創業からの歩みを編年体で記述し、刊行した雑誌、書籍、当時の主要な出版界の事項等を写真を豊富に使用して掲載している。巻頭に「日本出版印刷の歴史」を研究者が執筆。
神戸商工会議所 経済団体 『神戸商工会議所百年史』(1982.09)
神戸海運業組合 海運 『神戸海運五十年史』(1923.04)
神戸生糸取引所 その他金融業 『神戸生糸取引所十五年史』(1966.12)
神戸生糸取引所 その他金融業 『神戸生糸取引所所史』(1997.11)
神戸生糸取引所 その他金融業 『神戸生糸取引所所史. 資料編』(1997.11) 『神戸生糸取引所所史』(社史ID:11260)の資料編
神戸穀物商品取引所 その他金融業 『兵庫穀肥物語 : 波瀾五十年』(1962.10)
神戸穀物商品取引所 その他金融業 『神戸穀物商品取引所十年史』(1963.09)
神戸穀物商品取引所 その他金融業 『神戸穀物商品取引所二十年史』(1975.12)
(株)神戸新聞社 サービス業 『神戸新聞五十五年史』(1953.07)
(株)神戸製鋼所 鉄鋼業 『神鋼三十年史』(1938.09)
(株)神戸製鋼所 鉄鋼業 『神鋼五十年史』(1954.09)
(株)神戸製鋼所 鉄鋼業 『神戸製鋼70年. [本編]』(1974.09) 神戸の貿易商社鈴木商店の番頭金子直吉(かねこ・なおきち、1866-1944)が「これからの日本は工業である」という先見性のもとに1905年(明38)小林製鋼所を買収し、神戸製鋼所と改称。1911年(明44)鈴木商店から分離・独立し株式会社となる。大恐慌による鈴木商店倒産後も機械、伸銅品などに生産品種を拡大し、大正後半には鋼材圧延に進出。鉄鋼需要増大に伴い鉄鋼大手メーカーとして発展する。1929年(昭4)に分離した播磨造船所は1960年(昭35)石川島重工業と合併し、石川島播磨重工業となる。70年史はカラー写真やエピソードを多く掲載し、年表を数年ごとに併載して時代との関連がわかりやすく読みやすい体裁。別冊資料編付。
(株)神戸製鋼所 鉄鋼業 『神戸製鋼70年. 資料編』(1974.09) 『神戸製鋼70年. [本編]』(社史ID:04550)の資料編
(株)神戸製鋼所 鉄鋼業 『神戸製鋼80年 : since 1905』(1986.09) 1905年(明38)の創業からの80年史。金子直吉による小林製鋼所買収から誕生した神戸製鋼所は、1927年(昭2)の親会社鈴木商店の倒産、1945年(昭20)の企業解体および海外資産没収などの数々の危機を乗り越え、ついに国際的企業へと大発展をとげる。構成は総合史・部門史・資料の3部から成る。
(株)神戸製鋼所 鉄鋼業 『神戸製鋼グループ100周年記念誌 : 一番星も一等星も』(2005.09)
(株)神戸製鋼所 鉄鋼業 『神戸製鋼100年 : 1905-2005』(2006.03)
(株)後楽園スタヂアム サービス業 『後楽園スタヂアム50年史』(1990.04)
興和紡績(株) 繊維 『興和のあゆみ : 写真集』(1988.12)
興和紡績(株) ; 興和(株) 繊維 『興和百年史』(1994.11)
国際興業(株) 陸運 『国際興業五十年史』(1990.05)
国際通運(株) 陸運 『国際通運株式会社史』(1938.12) 1639年(寛永16)起業の江戸定飛脚問屋は明治期に陸運元会社となり、政府の保護下に全国貨物運送を扱っていた。1875年(明8)内国通運会社と改称、1893年(明26)株式会社となる。鉄道が普及して各駅からの短距離輸送業者が乱立、その業者間競争を政府が裁定し大合同が実施され、内国通運は多くの業者と合併し1928年(昭3)国際通運と改称。全国に事業を営み海陸運送業の向上発展に努める。1937年(昭12)統制により解散し、政府出資の日本通運に引継がれる。当社史は江戸定飛脚問屋時代、陸運元会社時代、内国通運会社時代、内国通運株式会社時代、国際通運株式会社時代の区分で300年にわたる沿革を詳述。国際通運発足に至る運送大合同について、また日本通運設立の経緯に多くの頁を割いている。
国際電信電話(株) 通信 『国際電信電話株式会社二十五年史』(1979.02)
小西酒造(株) 食品 『白雪の明治・大正・昭和前期 : 11考・業茂、12考・業精の時代』(1995.09)
小林記録紙(株) パルプ・紙 『記録の記録 : 小林記録紙50周年記録誌』(1988.04) 工業計器や気象観測器用の輸入記録紙卸店に勤務していた小林日吉は、記録紙の国産化を目指し1937年(昭12)東京田端に小林商店を設立。高品質の記録紙を生産販売し、1939年(昭14)小林記録紙製造所と改名。戦後株式会社となり業容を拡大、1986年(昭61)販売会社を合併して小林記録紙となる。50年史は自社の沿革のほか、「ビジネス・からだ・気象・音・映像・生産・地球・交流・天災・移動・発明・ことば・真理・世相」それぞれの記録の歴史を記録している。「移動」の記録には渋沢栄一著『航西日記』も紹介。人名・事項・写真索引付。[2007年(平19)小林クリエイトと社名変更]
(株)小松製作所 機械 『小松製作所五十年の歩み : 略史』(1971.05) 土佐出身で佐賀の芳谷炭坑(後の竹内鉱業)を経営していた竹内明太郎(たけうち・めいたろう、1860-1928)は、1902年(明35)石川県小松町の銅山開発に進出。欧米視察や炭坑経営の経験から機械工業の重要性に着目し、1917年(大6)小松鉄工所を開設。工作機械と鉱山用機械生産を開始し、1921年(大10)竹内鉱業から分離独立して(株)小松製作所が誕生。プレス機、農業用トラクタ、ブルドーザ等の国産化を進め、建設機械を主軸とした総合機械メーカーとして発展する。50年史は創業からの歩みを5章にまとめ、工場や製品等の写真と図表で現況を紹介している。[登記社名とは別に会社表記をコマツとしている]
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