収録社史一覧

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会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
三菱石油(株) 石油 『三菱石油五十年史』(1981.02) 第1次大戦後石油の重要性が高まり、石油事業に関心を寄せた三菱商事は原油を輸入し国内精製するために、三菱合資、三菱鉱業と共に米国アソシエーテッド石油会社の出資を得て1931年三菱石油(株)設立。戦後は再建整備の後1960年には水島製油所操業開始、激増するエネルギー需要に応える。50年史は石油業界の変遷の中に会社の沿革をとらえて記述している。[1999年日本石油(株)と合併し日石三菱(株)発足、2002年新日本石油(株)と改称]
三菱倉庫(株) 倉庫・運輸関連 『三菱倉庫百年史. [通史]』(1988.03) 岩崎弥太郎が1873年設立した三菱商会では、為替を扱う三菱為替店を1880年東京に設立。海運貨物の荷捌所を開設し、倉敷(倉庫)業務を1885年分離、1887年東京倉庫会社発足。港湾倉庫業へ進出し、三菱社の発展に伴い1918年三菱倉庫(株)と商号変更。第二次大戦後は総合物流業から不動産業へと業容を拡大する。100年史は索引付きの通史と、別冊の「編年誌・資料」からなる。
三菱倉庫(株) 倉庫・運輸関連 『三菱倉庫百年史. 編年誌・資料』(1988.03) 『三菱倉庫百年史. [通史]』(社史ID:13140)の資料編
三菱造船(株) 造船 『三菱造船株式会社史』(1967.06) 旧三菱重工業の解体により1950年発足した西日本重工業(株)は、長崎造船所・下関造船所・広島造船所・長崎精機製作所・広島精機製作所の事業を継承。1952年三菱造船(株)に社名変更、1964年3社の合併により再び三菱重工業(株)となる。この15年史は他2社の「新三菱重工業株式会社史」「三菱日本重工業株式会社史」と同じ監修者の元に同時に刊行された。第1部総論では15年間の沿革、第2部各論では部門・事業所ごとの歩みを詳述。詳細な図表目次と索引付。
三菱造船(株)長崎造船所 造船 『創業百年の長崎造船所』(1957.10) 1853年ペリーが来航し幕府は開国の方針を決め海軍創設を企図。外国への窓口であった長崎に1857年長崎鎔鉄所が建設され、後に官営長崎造船所となる。海運を営んでいた三菱社の岩崎弥太郎は1887年長崎造船所の払下を受け、三菱造船所と改称。1934年三菱重工業(株)に改組、戦後財閥解体により西日本重工業(株)を経て1952年三菱造船(株)長崎造船所となる。明治期から軍艦や舶用ボイラなどの造機の建造も手がけ、1956年には世界一の船舶建造量を誇る。百年史は写真を多くとりいれ目で見る社史として編纂。
三菱高島炭砿(株) 鉱業 『高島炭砿史』(1989.01) 長崎港外の高島(高島・横島・中ノ島・端島)では、佐賀藩がグラバー商会と共同で石炭採掘事業を始め、1881年岩崎弥太郎が経営を引き継ぐ。1918年三菱鉱業(株)設立、その1事業所となる。創業期に英国の最新技術を導入、その後も組織の合理化・近代化をはかり、当初炭量150万tと予想されたが、最終的には5,500万tもの出炭をみる。1966年、戦後のエネルギー転換期に三菱高島炭砿(株)として独立。石炭産業の不振により1986年閉山。[軍艦島と呼ばれる端島は世界遺産への登録運動が行なわれている]
三菱電機(株) 電気機器 『建業回顧』(1951.01)
三菱電機(株) 電気機器 『三菱電機社史』(1982.03)
三菱電機(株)開発本部 電気機器 『三菱電機研究所50年史』(1986.03)
三菱日本重工業(株) 機械 『三菱日本重工業株式会社史』(1967.06) 旧三菱重工業の解体により1950年発足した東日本重工業(株)は1952年三菱日本重工業(株)に社名変更、1964年3社の合併により再び三菱重工業(株)となるまでの15年史。他2社の「新三菱重工業株式会社史」「三菱造船株式会社史」と同じ監修者の元に同時に刊行された。第1部沿革、第2部資料編からなり、経済経営史の観点から外部研究者が執筆。
三菱油化(株) 化学工業 『三菱油化三十年史』(1988.03) 酒田出身の池田亀三郎は1909年東京帝大卒業後三菱合資に入社、石炭化学工業の創設をはかり1934年日本タール工業(後の三菱化成工業)設立。戦後基幹素材産業として発展が期待された石油化学製品を国産化するため、三菱グループとシェルが提携し1956年三菱油化(株)創立、池田が初代社長。30年史は創業前史としてわが国化学工業の成立と三菱の関わりを述べ、本編で創業からの躍進と激動の歩みを記す。[1994年三菱化成工業と合併し三菱化学(株)となる]
三菱レイヨン(株) 繊維 『30年史』(1964.08) 大阪・新興毛織の河崎助太郎と賀集盆蔵は人造繊維工業に関心を寄せ、1933年新興人絹(株)設立。レーヨンステープル生産を開始、繊維会社を持たなかった三菱が経営参加を申し入れ、1937年日本化成工業(株)の傘下に入る。1944年三菱化成工業(株)となるが、戦後財閥解体により繊維部門は1950年新光レイヨン(株)として新発足。1952年三菱レイヨン(株)と改称、総合化繊メーカーとして発展する。30年史は創業からの沿革と資料編からなる。[三菱レイヨン(株)沿革 http://www.mrc.co.jp/company/history.html]
南満洲鉄道(株) 鉄道・バス 『南満洲鉄道株式会社十年史』(1919.05(大正8))
南満洲鉄道(株) 鉄道・バス 『南満洲鉄道株式会社二十年略史』(1927.04) 20世紀初頭にロシアは満州里からウラジオストクを結ぶ東清鉄道とハルビンから旅順・大連へ南下する支線を建設経営してきた。1905年(明38)日露戦争後の日清満州善後条約並附属協定により、日本は長春以南の鉄道と炭抗経営権等について清国政府の承諾を得る。1906年(明39)南満州鉄道株式会社設立の勅令が公布され、政府により鉄道運輸業を行う特殊会社が発足、本社は大連。翌年鉄道施設と撫順・煙台炭抗を政府から引継ぎ営業開始する。20年史は会社の組織、事業、会計の3編からなり、事業には鉄道、海運、港湾、鉱山、製鉄、工業、産業施設(農業・商工業等)、地方施設(鉄道附属地)、および調査事業が挙げられている。市街や鉄道施設等の写真入り。[渋沢栄一は設立委員][1945年連合国により閉鎖機関に指定、1957年清算終了]
南満洲鉄道(株) 鉄道・バス 『南満洲鉄道株式会社三十年略史』(1937.04)
南満洲鉄道(株) 鉄道・バス 『満鉄四十年史』(2007.11)
ミヨシ油脂(株) 化学工業 『ミヨシ油脂株式会社八十年史』(2002.12)
明治火災保険(株) 保険 『明治火災保険株式会社五十年史』(1942.06) 1881年明治生命保険会社を設立した荘田平五郎と阿部泰蔵は、火災保険業の創設を計画し1888年火災保険会を設立。株式会社に改め1891年明治火災保険(株)創立、渋沢栄一は発起人。わが国の経済活動拡大に沿って営業躍進し、1915年には東京海上保険と資本の交流を行い、又海外にも支店を設置する。1941年の創立50年に社名を明治火災海上保険(株)と改める。[1944年東京海上火災保険、三菱海上火災保険と合併し、東京海上火災保険(株)となる]
明治製菓(株) 食品 『明治製菓株式会社二十年史 : 創立二十周年記念』(1936.04) 1906年(明39)台湾に設立の明治製糖では砂糖消費増進のため、1916年(大5)大正製菓を設立。同時期設立の東京菓子へ翌年合併し製造開始、キャラメルやビスケットを発売し好評を博す。1920年(大9)房総練乳を合併し製乳事業を開始。1924年(大13)明治製菓と改称、全国に工場を作り朝鮮、満州、スマトラにも進出する。20年史は会社設立の経緯の後、製菓部と製乳部それぞれの工場略史を掲載。また明治製乳(株)ほか傍系会社にも触れ、工場や商品の写真、製品名一覧等を記載している。[2009年(平21)明治乳業との共同持株会社明治ホールディングスを設立し、子会社となる]
明治製糖(株) 食品 『十五年史』(1921.04)
明治製糖(株) 食品 『明治製糖株式会社三十年史』(1936.04) 欧米で糖業研究を学んだ相馬半治(そうま・はんじ、1869-1946)は台湾で糖業指導に当たり、渋沢栄一らの協力を得て1906年(明39)台南に明治製糖設立。栄一は発起人、創立委員長、相談役を務める。台湾及び内地に工場を建設、同業他社を次々合併し業容を拡大。30年史はコンパクトな装丁ながら工場等の写真を多く掲載し、沿革・現況のほか脱税嫌疑を掛けられた1932年(昭7)の明糖事件や、明治製菓、明治乳業等の傍系事業にも触れている。[戦後内地資産で明糖(株)設立、後に明治製糖を経て1996年(平8)大日本製糖と合併、大日本明治製糖となる]
明治生命保険(株) 保険 『明治生命五十年史』(1933.12)
明治生命保険(株) 保険 『明治生命保険株式会社六十年史』(1942.12)
明治生命保険(相) 保険 『明治生命七十年史』(1955.07)
明治生命保険(相) 保険 『明治生命の九十年』(1973.07)
明治生命保険(相) 保険 『明治生命百年史』(1981.07)
明治生命保険(相) 保険 『目でみる明治生命の110年』(1993.03)
明治生命保険(相) 保険 『創業第二世紀の明治生命110年史』(1993.03)
明治生命保険(相) 保険 『創業第二世紀の明治生命110年史. 資料編』(1993.03) 『創業第二世紀の明治生命110年史』(社史ID:11010)の資料編
明治生命保険(相) 保険 『明治生命百二十年史 : 1881~2001』(2003.03) 1881年に設立された、日本で最初の近代的生命保険会社。岩崎弥太郎の下で仕事をしていた荘田平五郎と、福沢諭吉門下の小泉信吉の話合いが始まり。発起人は小幡篤次郎、朝吹英二、阿部泰蔵、荘田平五郎ら11名。当初は株式会社だったが、戦後は1947年にGHQの勧奨もあり、相互会社組織となる。2004年に安田生命と合併する経緯にもふれている。社史は40年記念誌以降10年ごとに7回刊行されていて、この120年史では1982年以降の事項に多くページを割いている。
明治乳業(株) 食品 『おいしさと健康を求めて : 明治乳業70年史 : 激動と変化のこの10年』(1987.12) 明治乳業の一方のルーツである明治製糖は、1917年(大6)房総練乳に資本参加。房総練乳は1920年(大9)東京菓子に合併、東京菓子は1924年(大13)明治製菓に商号変更する。他方静岡の花島練乳場と北海道の札幌練乳場が合併し1917年(大6)極東練乳設立。各地に工場を開設し事業展開するが、不況による業績悪化のため1935年(昭10)明治製菓が経営に参加。戦時の統制強化の中で1940年(昭15)明治製菓は製乳部門を分離独立させ経営を極東練乳に委任、商号を明治乳業とした。戦後はアイスクリームなどの新商品を開発し技術革新を重ねる。50年史、60年史に続く70年史は読みやすさを重視した編集で、現況、創業からの60年史、それ以降の10年史、社員座談会という構成。[2009年(平21)明治製菓との共同持株会社明治ホールディングスを設立し、子会社となる]
(株)明治屋 小売業 『明治屋百年史』(1987.12) 津山出身の磯野計(いその・はかる、1858-1897)は東大法学部卒業後1880年(明13)三菱の援助で英国に留学し、3年間商業実務を学ぶ。後に郵便汽船三菱会社で食料品等の納入実務を経験。1885年(明18)日本郵船創立を機に、外国人が握っていた同社の食料品・雑貨の納入権を獲得し、同年横浜で明治屋を創業。1888年(明21)にはキリンビールの一手販売権を獲得、明治屋の基礎を強固なものにした。1903年(明36)合名会社、1911年(明44)株式会社に改組。第二次大戦後は占領軍家族向け日用品販売でいち早く復興を遂げ発展。100年史は社内で編集し、食文化向上を目指した創業者の開拓者精神を詳述。資料にある明治末期の取扱商品リストには当時の価格が掲載されている。
(株)明電舎 電気機器 『明電舎100年史. 沿革・資料編』(1998.06) 三吉電機工場で電気機械製造を修業した重宗芳水(しげむね・ほうすい、1873-1917)は、1897年(明30)有志と共に明電舎を創設。当初は輸入発電機・電動機などの修理やスイッチ等の製造を行っていたが、変圧器、配電盤、発電機、電動機の製造へと事業を拡大。明治末期に高圧遠距離送電時代を迎えると明電舎モートル(電動機)の需要は一層高まり「モートルの明電」の礎を築く。1966年(昭41)住友グループに入り経営体質の改善を図り、トータルシステムエンジニアリング企業を目指す。100年史は沿革・資料編と技術製品編からなり、沿革の冒頭に「明電舎100年の歩み」として各時代の製品・工場等の写真を掲載。別冊の技術製品編では分野ごとの技術の変遷を詳述している。
(株)明電舎 電気機器 『明電舎100年史. 技術製品編』(1998.06) 『明電舎100年史. 沿革・資料編』(社史ID:06140)の技術製品編
(資)紅葉屋商会 証券 『紅葉屋十年志』([1911.11凡例]) 愛知出身の神田鐳蔵(かんだ・らいぞう、1872-1934)は1900年(明33)東京に株式仲買の紅葉屋を創業。都会の同業者の排斥を受けるが、第一銀行の取引を得て公債取引で利益を上げる。1902年(明35)以来有価証券の市価を掲載した英文紅葉屋日報(Daily report of the Momijiya)を発行。1904年(明37)有価証券金庫銀行必要論を渋沢栄一に陳情し知遇を得る。1910年(明43)組織を改め(資)紅葉屋商会とし、翌年には国債証券の保護預りも行う(名)紅葉屋銀行を設立。10年史は創業からの沿革を、店舗や株券、渋沢栄一の書状等の写真と共に記載。[紅葉屋銀行は1918年(大7)(株)神田銀行となるが、1928年(昭3)破産し翌年強制和議申請]
森田ポンプ(株) その他輸送機器 『70年のあゆみ』(1977.04)
森永製菓(株) 食品 『森永五十五年史』(1954.12) 佐賀出身の森永太一郎(もりなが・たいちろう、1865-1937)は米国で西洋菓子製法を学び、1899年(明32)東京に森永西洋菓子製造所を設立。1905年(明38)には貿易商松崎半三郎(まつざき・はんざぶろう、1874-1961)が入店し支配人となる。1910年(明43)会社組織の森永商店設立、1912年(大1)森永製菓と改称。創業時から製造しバラ売りしていたキャラメルは、改良を重ね一粒ずつ包装し携帯に至便かつ外箱を紙にすることで安価になり、菓子店のドル箱となった。1942年(昭17)戦時の企業統合により森永乳業、森永食品工業、東海製菓、森永関西牛乳を合併、翌年森永食糧工業と改称するが、戦後1949年(昭24)商事部門、乳業部門を分離し、森永製菓に社名復帰した。55年史では第1部が森永太一郎と松崎半三郎の回顧録、第2部が創業からの写真録で商品や広告等を紹介、第3部は資料。
森永製菓(株) 食品 『森永製菓一〇〇年史 : はばたくエンゼル、一世紀』(2000.08)
森永乳業(株) 食品 『森永乳業五十年史』(1967.09) 森永製菓(株)は主要商品森永ミルクキャラメルの原料である練乳を自社製造するため、愛国煉乳を買収し1917年(大6)日本煉乳を創立。1920年(大9)森永製菓に合併しその畜産部となるが、1927年(昭2)には分離し森永煉乳を設立。1941年(昭16)に森永乳業と改称するが、翌年再び森永製菓に合併。森永製菓は1943年(昭18)森永食糧工業と改称、1949年(昭24)同社の乳業部が分離独立して現在の森永乳業が設立された。日本煉乳創立からの50年史は社長自ら執筆の創業篇に始まり、パイオニア篇、販売篇、酪農篇、幾山河(回想記、MF事件被災児法要含む)、現況、年表という構成。本文中に多くの図表を取り入れ、ジャーナリストの編集により10ヶ月で完成した。
森村商事(株) 商社 『森村百年史』(1986.10) 江戸京橋の商家に生まれた森村市左衛門(六代)(もりむら・いちざえもん、1839-1919)と弟の森村豊(もりむら・とよ、1854-1899)は輸出貿易を志し、1876年(明9)東京銀座四丁目に匿名組合森村組を設立。第一次世界大戦下の好況期、1904年(明37)日本陶器合名会社(現・ノリタケカンパニーリミテド)、1917年(大6)東洋陶器(現・TOTO)、1919年(大8)日本碍子(現・日本ガイシ)を設立し、セラミック分野に一王国を築く。1946年(昭21)社名を森村商事に改称し敗戦後の再建に着手、窯業関連品・香料・インキ等の輸入業務に進出する。また1910年(明43)に市左衛門が自邸に幼稚園と小学校を設立、今日の森村学園の礎となる。「編集後記」には百年史編纂に使用した『森村翁言行録]』などの参考文献・資料とそれらの所在、さらに証言を得た関係者などについて詳述されている。
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