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会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
春光懇話会 電気機器 『春光会・春光懇話会の歩み : 「コンツェルン」から「人・情報のグループ」へ』(2012.10)
(名)商業興信所 サービス業 『三十年之回顧』(1922.05) 日銀の初代大阪支店長外山脩造(とやま・しゅうぞう、1842-1916)は欧米で信用取引発達ための信用調査機関の重要性を知る。関西地区の銀行30行の協力を得て、日本初の興信業として1892年(明25)商業興信所を大阪に設立。1894年(明27)には東京興信所創立のため渋沢栄一が視察に訪れる。1920年(大9)合名会社に改組。副所長執筆の30年史は編年体で経済界概況と大阪地区を中心とした商業動向を詳述し、商業興信所記事では人事や海外との提携にも触れる。[1944年(昭19)東京興信所と合併し(株)東亜興信所となる]
昭和電工(株) 非鉄金属・金属製品 『昭和電工アルミニウム五十年史』(1984.10) アルミニウム工業は明治期に日本に到来し各地に製錬事業計画が起こる。東信電気の高瀬川発電建設部長だった森矗昶(もり・のぶてる、1884-1941)は長野県大町でアルミニウム製造研究に出会い、困難な国産化に挑む。1926年(昭1)日本沃度を設立し、設備・技術・原料・資金すべて独自の知恵と力で実験を推進、1934年(昭9)に国産化成功。日本沃度は日本電気工業を経て合併により1939年(昭14)昭和電工となる。戦後も生産規模を拡大するがオイルショックにより事業縮小し、アルミニウム事業を1976年(昭51)昭和軽金属として独立させる。50年史は昭和電工のみならず日本のアルミニウム産業史の一面もあり、初めてアルミニウムをパリ万博で見た日本人として徳川昭武と渋沢栄一を紹介している。
(株)白木屋 小売業 『白木屋の歴史』(1937.08) 近江長浜の大村彦太郎(おおむら・ひこたろう、1636-1689)が大志を抱いて上京、1662年(寛文2)江戸日本橋に白木屋(しろきや)を創業。次第に店を広げ越後屋(現・三越)と並ぶ呉服店として繁盛する。明治期から百貨店として設備を整え、1911年(明44)日本初のエレベーターを設置。関東大震災で被災するが復興し、1933年(昭8)には全館改修落成。本社史は江戸期の文書を始め創業からの資料の写真を解説と共に掲載、1932年(昭7)の火災や1935年(昭10)の日米親善人形使節の写真も含む。[1958年(昭33)東急百貨店と合併し(株)東横に商号変更、店舗名は白木屋で営業。1967年(昭42)(株)東急百貨店に改称し東急百貨店日本橋店となる。1999年(平11)閉店。]
(株)白木屋 小売業 『白木屋三百年史』(1957.03)
信越化学工業(株) 化学工業 『未来への軌跡 : 昭和とともに60年』(1986.10)
新キャタピラー三菱(株) 機械 『新キャタピラー三菱25年史』(1991.02) 新三菱重工業の主力事業所であった神戸造船所は1959年(昭34)建設機械事業へ進出、明石工場で油圧ショベルを製造開始する。1963年(昭38)米国キャタピラー社と合弁でトラクタ生産のキャタピラー三菱を設立。1964年(昭39)新三菱重工業は合併で三菱重工業となる。キャタピラー三菱は1987年(昭62)三菱重工業(株)明石製作所と合併し、総合建設機械製造の新キャタピラー三菱が誕生。25年史は「キャタピラー三菱の歩み」「三菱重工業明石製作所の歩み」「新キャタピラー三菱の誕生」の3編からなり、それぞれ沿革と部門別の概要を記述。本文中に製品写真等を多数掲載。[2008年(平20)キャタピラージャパンに社名変更]
新日鉱グループ 鉱業 『新日鉱グループの百年 : ビジュアル社史1905-2005』(2006.04)
新日鉱グループ 鉱業 『社史 : 1986-2005 : 新日鉱グループ創業100周年記念』(2006.05) 1905年(明38)創業の久原鉱業は非鉄金属と石油事業で躍進。1928年(昭3)持株会社の日本産業(株)と改組後、鉱業部門は日本鉱業(株)となる。第二次大戦後日本鉱業の石油部門は共同石油の設立を経てジャパンエナジーとなり、金属部門は日鉱金属として発展。両社は2002年(平14)持株会社新日鉱ホールディングス設立により新日鉱グループとして体制を整える。100年史は日本鉱業の『五十年史』と80年史『社史:1956-1985』、及び『共同石油20年史』の続編として、1986年以降のグループ経営・事業の変遷を記録したもの。時代ごとの本編と資料編からなり、同時にビジュアル社史『新日鉱グループの100年』を刊行。[2010年(平22)新日鉱ホールディングスは新日本石油と経営統合してJXホールディングスとなり、傘下の企業はJXグループを形成]
新日本製鉄(株) 鉄鋼業 『炎とともに : 新日本製鉄株式会社十年史』(1981.03) 1970年に八幡製鉄(株)と富士製鉄(株)が合併して発足。この10年史は「炎とともに」の共通タイトルのもとに、「八幡製鉄株式会社史」「富士製鉄株式会社史」と同時に刊行された。第1部はわが国近代製鉄業の成立から日本製鉄(株)の設立と解体、第2部は八幡製鉄(株)と富士製鉄(株)合併の経緯、第3部が新日本製鉄(株)の10年の歩み。
新日本製鉄(株) 鉄鋼業 『生きることのすべてに : 鉄とともに、時代とともに : 新日鉄20周年記念誌』(1990.08) 1970年の創業から20周年を記念して出版されたコンパクトな冊子。図・写真を豊富に使い、広報の視点から現状と将来展望を描いている。
新日本製鉄(株)大分製鉄所 鉄鋼業 『未来を拓く : 大分製鉄所20年史』(1992.04) 古来砂鉄を多く産した大分では弥生時代から鉄の文化が興隆しており、日本刀や鉄砲製造に鍛冶技術が応用されていた。1876年の廃刀令以降は産業を支える製鉄業に転換していく。1970年設立の新日本製鉄(株)は高度経済成長に伴い増大した鉄鋼需要に応えるべく、従来の室蘭・釜石・君津・名古屋・堺・広畑・光・八幡の製鉄所に加え、新たな製鉄所として1972年大分製鉄所を建設。20年史は建設の経緯からを記述した総合史と部門史、別冊の資料集からなる。
新日本製鉄(株)大分製鉄所 鉄鋼業 『未来を拓く : 大分製鉄所20年史. 資料集』(1992.04) 『未来を拓く : 大分製鉄所20年史』(社史ID:04620)の資料編
新日本製鉄(株)釜石製鉄所 鉄鋼業 『釜石製鉄所九十年史 : この十年の歩み』(1976.09) 1886年の創業から90年を記念して編纂。80年史に続く10年の歩みを、多くのエピソードと写真・グラフで綴った社史。
新日本製鉄(株)釜石製鉄所 鉄鋼業 『鉄と共に百年. 本編』(1986.10) 古来鉄作りの伝統がある岩手県釜石の大橋に1727年磁鉄鉱石が発見される。1878年官営製鉄所が操業開始するが挫折し1883年廃業。東京の鉄屋田中長兵衛と横山久太郎は設備の払下げを受け、1886年出銑に成功、翌年釜石鉱山田中製鉄所設立。1924年三井鉱山の傘下に入り釜石鉱山(株)創立。以降1934年~日本製鉄(株)、1950年~富士製鉄(株)を経て1970年新日本製鉄(株)釜石製鉄所となる。百年史は前半が創業からの総合史、後半が付設の病院史も含めた部門史。別冊は写真集と資料編。
新日本製鉄(株)釜石製鉄所 鉄鋼業 『鉄と共に百年. 写真・資料』(1986.10) 『鉄と共に百年. 本編』(社史ID:04650)の資料編
新日本製鉄(株)堺製鉄所 鉄鋼業 『堺製鉄所二十年史』(1984.11) 1950年発足の八幡製鉄(株)は経済の高度成長に伴う鉄鋼需要の急伸に対応するため、一大消費地である関西経済圏を後背に製鉄所建設を計画。堺市に1961年堺製鉄所が開設され、1970年に新日本製鉄(株)堺製鉄所となる。20年史は発足からの歩みを記述した総合史と、部門史・資料編からなる。
新日本製鉄(株)製品技術研究所 鉄鋼業 『製品技術研究所20年史』(1981.04) 第二次大戦後の鉄鋼業界では、自主的な技術研究の振興のために研究体制の確立が望まれていた。1959年富士製鉄(株)は中央研究所設置、1962年相模原市に研究所を建設し、研究活動を開始。1970年八幡製鉄との合併により、新日本製鉄(株)研究開発本部製品技術研究所となる。20年史は富士製鉄時代の10年と新日鉄発足後の10年に区切り、所員の座談会と回想録も取り入れた編集。
新日本製鉄(株)中央研究所 鉄鋼業 『中央研究所10年史』(1971.05)
新日本製鉄(株)名古屋製鉄所 鉄鋼業 『躍進 : 銑鋼一貫20年史. 総合史』(1984.09) 急増する鉄鋼需要へ対応し中部地方産業構造の重化学工業化を図るために、1958年富士製鉄(株)と地元経済界の共同出資により東海製鉄(株)創立。1964年高炉に火が入り銑鋼一貫体制を確立する。1967年合併により富士製鉄(株)名古屋製鉄所となり、1970年には八幡製鉄と合併し、新日本製鉄(株)名古屋製鉄所となる。20年史は創業からの歩みを4編に分けて述べた「総合史」と、別冊の「部門史」からなる。
新日本製鉄(株)名古屋製鉄所 鉄鋼業 『躍進 : 銑鋼一貫20年史. 部門史』(1984.09) 『躍進 : 銑鋼一貫20年史. 総合史』(社史ID:04700)の部門史
新日本製鉄(株)広畑製鉄所 鉄鋼業 『30年史』(1970.09) 1934年国策により日本製鉄(株)が発足。第4次拡充計画で原産地から遠くても消費地に近い阪神地区に製鉄所建設が計画される。瀬戸内海沿岸の兵庫県飾磨郡広村広畑が選ばれ、1939年に高炉に火が入る。世界最新鋭の鋼板工場として稼動するが、戦後は全面休止となる。再開の交渉がみのり1950年再び高炉に火が入れられ、日本製鉄が解体し新発足した富士製鉄(株)の元で再スタートを切る。1970年からは新日本製鉄(株)広畑製鉄所となる。30年史は総合史と詳細な部門史から構成されている。
新日本製鉄(株)広畑製鉄所 鉄鋼業 『広畑製鉄所50年史 : 創造と挑戦. 総合史』(1990.07)
新日本製鉄(株)広畑製鉄所 鉄鋼業 『広畑製鉄所50年史 : 創造と挑戦. 部門史』(1990.07) 『広畑製鉄所50年史 : 創造と挑戦. 総合史』(社史ID:04730)の部門史
シンフォニアテクノロジー(株) 電気機器 『シンフォニアテクノロジー創業100年史 : 1917-2017』(2017.09) 1878(明治11)年、鳥羽造船所創立。1889(明治22)年、出資者が変わり鳥羽鉄工株式会社に改称。1896(明治29)年、安田善次郎らに買収され鳥羽鉄工合資会社となる。のち、三重紡績株式会社傘下を経て、1916(大正5)年、鈴木商店傘下となり株式会社鳥羽造船所創立。翌年、造船工場内に電機試作工場を開設(創業)。1918(大正7)年、帝国汽船株式会社と合併。さらに1921(大正10)年、帝国汽船の造船部廃止により、鳥羽造船所は株式会社神戸製鋼所に譲渡される。1949(昭和24)年、神戸製鋼所の分割に伴い、同社電機部門は神鋼電機株式会社を設立する。2009(平成21)年、シンフォニアテクノロジー株式会社へ社名変更。本社史は創業年とする1917(大正6)年から2017(平成29)年までの100年間およびその前史をまとめたもの。資料編を別冊とした2冊組。社内報アワード2018特別部門ゴールド賞受賞作品。
シンフォニアテクノロジー(株) 電気機器 『シンフォニアテクノロジー創業100年史 : 1917-2017. 資料編』(2017.09)
新三菱重工業(株) 機械 『新三菱重工業株式会社史』(1967.06) 旧三菱重工業の解体により1950年発足した中日本重工業(株)は、神戸造船所・名古屋製作所・水島製作所・京都製作所・三原車輌製作所の事業を継承。1952年新三菱重工業(株)に社名変更、1964年3社の合併により再び三菱重工業(株)となる。この15年史は他2社の「三菱造船株式会社史」「三菱日本重工業株式会社史」と同じ監修者の元に同時に刊行された。第1編では総論と沿革、第2編では経営・製品・生産体制を詳述。詳細な図表目次と索引付。
新三菱重工業(株)神戸造船所 造船 『新三菱神戸造船所五十年史』(1957.05) 三菱社は三菱造船所(長崎)の拡張とともに神戸港の有望な将来性に着眼し、1905年三菱合資会社神戸三菱造船所発足。1917年三菱造船(株)発足に伴いその傘下に入り、1934年三菱航空機会社を合併し三菱重工業(株)となる。1950年財閥解体により中日本重工業(株)神戸造船所となり、1952年新三菱重工業(株)と社名変更。社史は1955年までの50年史で、沿革、経営、生産、勤労の4編と附録の資料からなる。
新和海運(株) 海運 『新和海運三十年史』(1992.09) 1901年(明34)に操業開始した官営八幡製鉄所は大量の原料鉄鉱石を中国大陸から調達し、社有船で運送していた。当時満州では1906年(明39)発足の南満州鉄道が、大連から物資を輸送するため大連汽船を買収し海運に進出。八幡製鉄所は1934年(昭9)国策により日本製鉄となり、第二次大戦後の占領政策で船舶部が分離独立し1950年(昭25)日鉄汽船となる。一方閉鎖機関に指定された大連汽船の資産は1947年(昭22)発足の東邦海運が引き継ぎ、同社は1962年(昭37)日鉄汽船と合併し新和海運が誕生した。30年史は序章と第1章で、日鉄汽船と東邦海運の創立から合併までの経緯を記述している。
新和海運(株) 海運 『新和海運史』(2011.12)
須賀工業(株) その他製造業 『須賀工業90年史』(1992.11)
鈴木自動車工業(株) 自動車・自動車部品 『50年史』(1970.04) 静岡出身の鈴木道雄(すずき・みちお、1887-1982)は大工徒弟で覚えた技術を活かし、1909年(明42)鈴木式織機製作所を創立。遠州は織物が盛んで織機メーカーとして順調に成長し、1920年(大9)鈴木式織機(株)へ改組。海外へも輸出し発展するが、織機以外の製品として1936年(昭11)自動車製造の研究を始める。戦時中は中断していたが、戦後自動車エンジン試作を再開し、軽自動車を中心とする自動車メーカーへと成長を遂げた。1954年(昭29)鈴木自動車工業と社名変更し、更に大きく発展する。50年史は沿革と、経営・技術・生産・営業・管理からなる現況、座談会とインタビューからなる回顧と展望の3部構成。オートバイや乗用車の製造工程の写真を多く取り入れた編集。[1990年(平2)スズキ(株)に社名変更]
住友大阪セメント(株) 窯業 『住友大阪セメント百年史』(2008.03) 福島県石城(いわき)郡の八茎(やぐき)鉱山産出の石灰石に着目した実業家広瀬金七と岩崎清七(いわさき・せいしち、1865-1946)は、発起人を募り1907年(明40)横浜に磐城セメントを創立。新技術の回転窯を導入し、より高い生産性を目指して発展する。1963年(昭38)住友グループに参加し、住友セメントと改称。一方1882年(明15)大阪に設立の硫酸瓶製造会社は、業態を変え大阪窯業、大阪窯業セメントと改称し、1963年(昭38)大阪セメントとなる。1994年(平6)経営強化のため両社は合併し、住友大阪セメントが発足。磐城セメント創立からの100年史は11章までが住友セメントの沿革で、1-10章は『住友セメント八十年史』(1987年刊)の要約。12章に大阪セメントの沿革を置き、13-14章に合併後の歩みを記述している。索引付。
住友海上火災保険(株) 保険 『住友海上の歩み. 昭和戦後編 1』([1987.09])
住友海上火災保険(株) 保険 『住友海上の歩み. 昭和戦後編 2』([1989.07]) 『住友海上の歩み. 昭和戦後編 1』(社史ID:10370)の2
住友海上火災保険(株) 保険 『住友海上の100年 : チャレンジの軌跡』(1993.10)
住友海上火災保険(株) 保険 『住友海上火災保険株式会社百年史 : 1893-1993』(1995.01)
住友化学工業(株) 化学工業 『住友化学工業株式会社史』(1981.10) 住友家の別子銅山の銅精錬の際発生する有毒ガスを転じて、有益な過燐酸肥料を製造するため、1913年新居浜に住友肥料製造所が設置される。1915年工場が完成し肥料の出荷を始め、1934年住友化学工業(株)となる。社史は前史として住友家の創業から始まり、肥料工業から総合化学工業へ、戦後の石油化学工業への展開が記述されている。1944年に合併した日本染料製造(株)の沿革も含む。社名・製品・社内事項の索引付。
(株)住友銀行 銀行 『住友銀行三十年史』(1926.07) 江戸時代から別子銅山の経営を行なっていた住友家は、両替などの金融業務も手がけていた。1895年個人経営の住友銀行を創設。1912年には(株)住友銀行とし、金融業を発展させる。30年史は1926年までの歩みを創業、発達、組織、店部の章立てで記述している。
(株)住友銀行 銀行 『住友銀行史』(1955.11)
(株)住友銀行 銀行 『住友銀行史. 続(行名復帰から創業七十周年まで)』(1965.11) (株)住友銀行は戦後財閥解体により1948年大阪銀行と行名変更していたが、1952年もとの行名に復帰。以降1965年までの経済変動の中での経営施策の歩みを記述。1955年に刊行された『住友銀行史』の続編。
(株)住友銀行 銀行 『住友銀行八十年史』(1979.12) 80年史は前史として別子銅山の開発から始まる住友家の事業創設から詳しく書き起こし、創業、大正・昭和戦前期の成長、第二次世界大戦後の発展という章立てで年代順に記述。80周年を迎えたときに起こった安宅産業問題の概要にも触れている。
(株)住友銀行 銀行 『住友銀行史 : 昭和五十年代のあゆみ』(1985.11) 住友銀行の親密な取引先の総合商社安宅産業は1975年に経営破綻、1977年伊藤忠商事と合併する。住友銀行はこの処理を終えた後経営陣を一新し、新たな発展を歩む。創業90年を記念して出された社史は、この安宅産業問題の処理についても詳しく触れている。
(株)住友銀行 銀行 『住友銀行百年史』(1998.08)
住友金属工業(株) 鉄鋼業 『住友金属工業六十年小史』(1957.05) 1895年大阪に開業した日本伸銅(株)は日清戦争後の恐慌期に経営困難に陥り、1897年住友家が買収して住友伸銅場を開設。1901年同じく大阪に住友鋳鋼場開設。両者は大正年間にそれぞれ住友伸銅鋼管(株)、(株)住友製鋼所となり、1935年合併して住友金属工業(株)が誕生。60年史は50年史のために作成された稿本をもとに、創業から鉄鋼・非鉄金属両部門で発展した過程を、従業員向けにコンパクトにまとめたもの。
住友金属工業(株) 鉄鋼業 『住友金属工業最近十年史 : 創業七十周年記念』(1967.06) 60年史の後1967年までの10年間に、金属素材メーカーから総合鉄鋼メーカーへ脱皮成長した過程を、部門別にまとめたもの。
住友金属工業(株) 鉄鋼業 『住友金属工業最近十年史 : 創業八十周年記念』(1977.10) 1967年から1977年までの10年間の歩みを9章に分けて記述。前半は鹿島製鉄所建設に代表される高度成長期の躍進を述べ、後半はドル・ショック後の世界経済の激しい構造変化の中での経営施策を記述している。
住友金属鉱山(株) 非鉄金属・金属製品 『住友金属鉱山二十年史』(1970.11) 1937年住友別子鉱山と住友炭砿が合併し発足した住友鉱業(株)は、敗戦による財閥解体で1946年井華鉱業(株)と社名変更。1950年金属部門が分離独立して別子鉱業(株)発足、1952年社名変更し住友金属鉱山(株)となる。主要営業品目は当初銅・金・銀であったが、ニッケル・亜鉛等を加え総合非鉄メーカーとして発展し、経営多角化、海外進出をはかる。20年史は戦後の混乱期からの歩みを経営史の側面から16章に分けて記述。
住友金属鉱山(株) 非鉄金属・金属製品 『住友別子鉱山史. 上巻』(1991.05) 伊予宇摩郡(愛媛県)別子山村に銅鉱脈が発見され、住友当主泉屋吉左衛門により1691年開坑。まもなく最盛期を迎え、長崎貿易で銅が主要輸出物となる。幕末期の経営困難を乗り越えるが1899年別子大水害を機に新居浜に事業所移転。鉱山の近代化をはかり戦後の財閥解体を経て1950年別子鉱業(株)発足、1952年社名変更し住友金属鉱山(株)となる。業績悪化により1973年閉山。以降は菱刈鉱山及び精錬事業を継続。社史は上巻が開坑から新居浜移転までを住友史料館が執筆、下巻は以降閉山までを社内で執筆。別冊資料編付。
住友金属鉱山(株) 非鉄金属・金属製品 『住友別子鉱山史. 下巻』(1991.05) 『住友別子鉱山史. 上巻』(社史ID:05060)の下巻
住友金属鉱山(株) 非鉄金属・金属製品 『住友別子鉱山史. 別巻』(1991.05) 『住友別子鉱山史. 上巻』(社史ID:05060)の別巻
住友金属鉱山(株) 非鉄金属・金属製品 『別子300年の歩み : 明治以降を中心として』(1991.05)
住友金属鉱山(株) 非鉄金属・金属製品 『住友金属鉱山社史』(2015.09)
住友重機械工業(株)横須賀造船所 造船 『浦賀・追浜百年の航跡 : 1897-1997』(1997.06) 1897年創業の浦賀船渠(株)は創業時から第一銀行の支援を受けていたが、1955年ごろから住友銀行との関係を深める。1962年玉島ディーゼル工業(株)と合併し、浦賀重工業(株)誕生。しかし業績悪化が進み、住友機械工業(株)がこれを支援、1969年両者は合併して住友重機械工業(株)発足。社史の第1編は「浦賀船渠六十年史」の概要を写真入りで読みやすくまとめたもの。第2編以降は合併の経緯、1971年の追浜造船所開設とその後の発展を、同様に写真を交えてビジュアルに記述している。
住友信託銀行(株) 銀行 『住友信託銀行史』(1966.03)
住友信託銀行(株) 銀行 『住友信託銀行五十年史』(1976.03)
住友信託銀行(株) 銀行 『住友信託銀行五十年史. 別巻』(1976.03) 『住友信託銀行五十年史』(社史ID:08890)の別巻
住友精密工業(株) 機械 『住友精密工業五十年史 : 1961-2010』(2011.10)
住友生命保険(相) 保険 『住友生命社史』(1964.05)
住友生命保険(相) 保険 『住友生命五十年史』(1977.01)
住友生命保険(相) 保険 『住友生命百年史』(2009.01)
住友セメント(株) 窯業 『住友セメント八十年史』(1987.10) 福島県石城郡の八茎鉱山産出の石灰石を、横浜の事業家広瀬金七と東京の事業家岩崎清七が着目、発起人を募り1907年横浜に磐城セメント(株)設立。積極経営で業容を拡大、戦後も復興の波に乗り業績が伸びる。1962年福島セメント(株)設立を機に住友グループに接近し、1963年同グループに参加、住友セメント(株)と社名変更。80年史は6章までが磐城セメントの歩み、7~10章が住友セメントになってからの足跡を時代ごとに記述している。
住友ベークライト(株) 化学工業 『住友ベークライト社史』(1986.12)
住友林業(株) 建設 『住友林業社史. 上巻』(1999.02) 1691年住友家が四国別子銅山開坑、当初の事業は銅の精錬に欠かせない薪炭材や坑木の調達から始まる。1894年別子鉱業所支配人伊庭貞鋼が大造林計画を実行、以降鉱山備林から近代林業へ転換する。1921年住友合資会社設立、林業及び付帯する農業一切を管理する「林業所」が設置される。国内国外に事業展開するが、戦後の財閥解体で6社に分割。6社は1955年に住友林業(株)の商号のもとに再統合する。上巻は創業から敗戦まで、下巻は戦後の事業拡大から現在までの歩みを詳述。別巻は江戸時代からの文書も含めた資料編。
住友林業(株) 建設 『住友林業社史. 下巻』(1999.02) 『住友林業社史. 上巻』(社史ID:00570)の下巻
住友林業(株) 建設 『住友林業社史. 別巻』(1999.02) 『住友林業社史. 上巻』(社史ID:00570)の資料編
諏訪倉庫(株) 倉庫・運輸関連 『諏訪倉庫七十五年史』(1986.03)
清和綜合建物(株) 不動産 『清和綜合建物50年の歩み : challenge & hospitality 1957-2007』(2008.01) 1957年(昭32)第一銀行では不動産事業を担当する別会社として清和興業(株)を設立。名称の「清和」は渋沢栄一が好んだ言葉で、又第一銀行福利厚生施設の清和園からとったともいわれる。第一銀行の店舗や社宅等の新築と賃貸業務を行い順調に業績を伸ばし、一般顧客向けの分譲マンションなど新規事業も開始。2004年(平16)日比谷ビルディングと合併して清和綜合建物(株)と改称。首都圏だけでなく東北や関西にも事業を広げている。創業からの50年史は沿革と資料編からなり、沿革では栄一の思想や竜門社との関わりにも触れている。
セーレン(株) 繊維 『セーレン百年史』(1990.11) 1889年(明22)福井に京越組として創業し、合同を経て1923年(大12)創立した福井精練加工(株)は、絹織物の精練染色加工で業績を伸ばす。時代の要請に応じて人絹加工や合成繊維加工の技術革新を進める。事業拡大に伴い1973年(昭48)セーレン(株)と改称。エレクトロニクスやメディカル部門等、繊維を含めた生活関連マーケットへ経営多角化を図り、海外との合弁事業も推進する。創業からの100年史は沿革史と現況・資料からなり、沿革史は創業前史を序章に、以降の歩みを11章にまとめている。エピソードを記したコラムや多くの図版を本文中に取り入れた編集。[2005年(平17)カネボウ(株)の繊維事業を譲受しKBセーレン(株)設立]
セーレン(株) 繊維 『希望の共有をめざして : セーレン経営史』(2015.03) 1889年(明22)福井に京越組として創業し、合同を経て1923年(大12)創立した福井精練加工(株)は、1973年(昭48)セーレン(株)と改称。委託染色加工企業として操業していたが、繊維産業の衰退とともに業績が悪化。1987年(昭和62)社長に就任した川田達男の下で企業変革を進め、新たな経営理念、経営戦略の推進によりグローバル企業として成長する。創業125年を機に編纂された社史は、東京大学社会科学研究所希望学プロジェクトの研究者による執筆で、序章と本文5章、資料編からなる。序章「企業は変われるか」では、セーレンの掲げる「夢」と希望学の関連を示し、川田達男による企業構造改革の概要を紹介。本文は時代順に第1-2章でセーレンの興隆と危機を、第3-5章で経営改革の詳細を記述。渋沢栄一が関わった鐘淵紡績(株)を継承するカネボウ(株)の繊維事業を、2005年(平成17)に買収した経緯も第4章で詳述している。
(株)世界貿易センタービルディング 不動産 『十五年のあゆみ』(1980.06)
(株)銭高組 建設 『銭高組社史』(1972.10) 大阪出身の大工銭高善造(ぜにたか・ぜんぞう、1860-1932)は、東京で洋風建築の技法を学んだ後、1887年(明20)大阪で銭高組を創業。東京の大倉土木組や大阪の藤田組の下請として、当時の新興産業であった紡績工場、東北地方の鉱業関係の工場を数多く施工。また旭川師団や対馬要塞など軍関係及び公共施設工事も多く請負い順調に業績を伸ばした。1912年(大1)合資会社、1931年(昭6)株式会社に改組。第二次大戦後の高度成長期には東京オリンピック、大阪万博などの国家的イベントや新幹線、高速道路工事も数多く手がける。当社史は巻頭に創業者らの略歴を記載し、沿革に続く後半180頁は施工作品写真が占めている。
(株)銭高組 建設 『銭高組百年史』(1990.02)
全国朝日放送(株) 通信 『テレビ朝日社史 : ファミリー視聴の25年』(1984.02)
全国銀行協会連合会 銀行 『銀行協会20年史』(1965.11)
全国銀行協会連合会 銀行 『銀行協会30年史』(1979.03)
全国銀行協会連合会 銀行 『銀行協会五十年史』(1997.04) 1877(明治10)年、渋沢栄一の呼びかけにより銀行業者の団体である択善会が創立。1880(明治13)年、択善会と銀行懇親会が合同して新たに東京銀行集会所が設立。1884(明治17)年、銀行集会所と改称。1890(明治23)年、再び東京銀行集会所と改称。1910(明治43)年、社団法人となる。1945(昭和20)年、社団法人東京銀行協会に改組。一方同年、東京銀行協会はじめ全国の銀行協会が加盟する全国銀行協会聯合会が創立。同聯合会は1953(昭和28)年より全国銀行協会連合会と改称。[1999(平成11)年、全国銀行協会連合会は全国銀行協会に改称。2011(平成23)年、全国銀行協会の事業を東京銀行協会に移行し一般社団法人全国銀行協会を発足させた。]全国銀行協会連合会(全銀協)と社団法人東京銀行協会(東銀協)の創立50周年を記念して制作された年史。巻頭口絵、本文全4編と資料編からなる。明治期の銀行協会創立前史から1996(平成8)年までを記述対象としたうえで、既刊の『二十年史』『三十年史』を踏まえ、1976(昭和51)年以降の20年間と既刊年史で記述されなかった部分について詳述している。東銀協内に設置された為替取組所と銀行倶楽部の変遷についても詳しい記述あり。1879年(明治12)年、渋沢栄一は推挙され択善会会頭となる。「択善会」は栄一の命名。東京銀行集会所では常委員、のち委員長、会長を務めた。為替取組所も栄一の主唱によって設立されている。
千住金属工業(株) 非鉄金属・金属製品 『四十年のあゆみ』(1978.09) 1923年(大12)から錫や鉛の非鉄金属販売を手がけていた佐藤保は、納入先の森永製菓から錫箔製造を勧められる。そこで鈴木合金所、内山鉛板と共同し、錫・鉛製品を生産する(株)千住鉛工場を1938年(昭13)に設立。水道用鉛管や各種ハンダ生産を本格化し、1944年(昭19)千住金属工業と改称。戦後は主力製品ハンダの研究を進めるほか、自動車用軸受やスプリンクラーヘッドなど新製品も開発し経営基盤を固める。40年史は「経営の理念」「四十年のあゆみ」「明日へのあゆみ」「錫と鉛」「資料」からなり、主要原料の錫と鉛についてはその由来や特性を記載している。
センチュリリサーチセンタ(株) サービス業 『センチュリリサーチセンタ二十年史』(1979.03) 伊藤忠商事が米国Bendix社のコンピュータを導入し開設した計算センタ。伊藤忠の販売促進をバックアップし、受託計算による収益を目指す。
セントラル硝子(株) 窯業 『セントラル硝子三十五年史』(1972.07) 炭鉱経営者から山口県宇部市長となった国吉信義(くによし・のぶよし、1882-1972)は、郷土の産業振興を目論む。宇部セメント幹部にソーダ工業の事業化を勧められ、アンモニア法ソーダ製造の宇部曹達工業を1936年(昭11)創立。戦時期は統制を受けるが、戦後は化成肥料や板ガラス事業等へ進出。1958年(昭33)設立したセントラル硝子を1963年(昭38)合併、新商号をセントラル硝子とし、総合化学企業として発展する。35年史は通史と部門史からなり、冒頭で日本のソーダ工業の歴史を概観し、板ガラス工業の歴史にも触れている。
全日本空輸(株) 空運 『限りなく大空へ : 全日空の30年』(1983.03)
全日本空輸(株) 空運 『限りなく大空へ : 全日空の30年. 資料編』(1983.03) 『限りなく大空へ : 全日空の30年』(社史ID:12880)の資料編
全日本空輸(株) 空運 『大空への挑戦 : ANA50年の航跡』(2004.05)
象印マホービン(株) 電気機器 『暮らしを創る : 象印マホービンの90年』(2008.11)
(社)造船協会 造船 『造船協会四十年史』(1937.04)
曹達晒粉同業会 化学工業 『日本曹達工業史』(1931.02)
(株)そごう 小売業 『株式会社そごう社史』(1969.12)
曽田香料(株) 化学工業 『香料とともに六十年』(1967) 新潟出身の曽田政治(1890-?)は1905年(明38)上京して石鹸商に奉公。香料部で働く傍ら英語学校で勉強し、輸入事務に携わる。1915年(大4)独立して香料商の曽田政治商店を開業。1931年(昭6)には合成香料製造の代々木香料製造所を設立。台湾に出張所を開設し、札幌・青森に工場を建設して国産天然香料の開発を進め、1941年(昭16)曽田香料(株)となる。戦中戦後の混乱期を乗り越え、天然香料栽培の農場と一般香料・食品香料等の製造工場を復興する。60年史は創業者の伝記の形で会社の沿革を記述している。
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