収録社史一覧

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会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
朝日生命保険(相) 保険 『朝日生命百年史. 資料編』(1992.03) 『朝日生命百年史. 上巻』(社史ID:10310)の資料編
旭電化工業(株) 化学工業 『社史 : 旭電化工業株式会社』(1968.03)
旭電化工業(株) 化学工業 『旭電化七十年史』(1989.07)
(株)ADEKA 化学工業 『ADEKA100年史』(2017.11)
アサヒビール(株) 食品 『Asahi 100』(1990.08) 明治初期、輸入ビールに対抗して近畿財界、醸造界の有力者が集まり、1889年有限責任大阪麦酒会社を設立。1892年「アサヒビール」初出荷。1906年札幌麦酒、日本麦酒と合併し、大日本麦酒(株)設立。戦後分割され1949年朝日麦酒(株)発足。1989年アサヒビール(株)に社名変更。100年史は現況、沿革、広告、技術、資料編の章立てで、本文中に豊富な図版が含まれている。
アサヒビール(株) 食品 『アサヒビールの120年 : その感動を、わかちあう。』(2010.11)
朝日放送(株) 通信 『ABC十年』(1961.03)
朝日放送(株) 通信 『朝日放送の50年. 1 本史』(2000.03)
朝日放送(株) 通信 『朝日放送の50年. 2 番組おもしろ史』(2000.03) 『朝日放送の50年. 1 本史』(社史ID:13180)の2巻
朝日放送(株) 通信 『朝日放送の50年. 3 資料集』(2000.03) 『朝日放送の50年. 1 本史』(社史ID:13180)の3巻
(株)足利銀行 銀行 『創立四十年誌 : 昭和十年十月』(1935.12)
(株)足利銀行 銀行 『足利銀行史』(1985.10)
味の素(株) 食品 『味の素沿革史』(1951.03) 1907年(明治40)設立の鈴木製薬所でヨード等を製造していた[2代]鈴木三郎助(すずき・さぶろうすけ、1867-1931)は、昆布から抽出したうま味で特許を得た池田菊苗(いけだ・きくなえ、1864-1936)博士と協力し工業化を図る。商品名を「味の素」とし、1909年(明治42)発売開始。各地に代理店を置き、1912年(大正元)合資会社鈴木商店と改称。商品開発を進め販売体制も拡充し、1917年(大正6)株式会社に改組。国外にも販路を開くが戦時中は一時生産を中断。戦後再び生産開始し、1946年(昭和21)味の素(株)と改称して資本金を増強し発展する。工業化着手から40年に当たって編纂した社史は、調味料と文化から書き起こした沿革と記録を1-2章に、海外発展史や部門史を3-7章にまとめ、回顧録を最後に付している。広告宣伝物や製造工程図等を本文中に取り入れた編集。[鈴木三郎助は渋沢栄一らが発起した日本化学工業(株)の専務を務めた]
味の素(株) 食品 『味の素株式会社社史. 1』(1971.06) 「味の素」発売60年を機に編纂された社史で、1.戦前編と2.戦後編の2冊からなる。1.は1888年(明治21)に始まる鈴木家のヨード事業から書き起こし、戦時下の経営難まで。2.は戦後の復興から1960年代の多角化と国際化までの内容。既刊の『味の素沿革史』は社内の編集であったのに対し、本社史は経済学者土屋喬雄の監修のもとに日本経営史研究所が制作した。各編巻頭には有機化学の権威である坂口謹一郎、赤堀四郎両博士の随想を載せ、さらに民俗学者宮本常一の「日本における調味料の歴史」も1.に掲載している。
味の素(株) 食品 『味の素株式会社社史. 2』(1972.09) 『味の素株式会社社史. 1』(社史ID:00970)の2巻
味の素(株) 食品 『味をたがやす : 味の素八十年史』(1990.07)
味の素グループ 食品 『味の素グループの百年 : 新価値創造と開拓者精神 : 1909→2009』(2009.09)
味の素グループ 食品 『味の素グループの百年 : 新価値創造と開拓者精神. 索引』(2012.03) 『味の素グループの百年 : 新価値創造と開拓者精神』(社史ID:01000)の索引
芦森工業(株) 繊維 『芦森工業創立二十五年史』(1964.05) 大阪の芦森武兵衛は1878年綿麻問屋を開業。紡績機械付属品ロープの将来性に目をつけ、製造を始める。1894年芦森製綱所発足、工場を拡張し増産の結果、紡績用ロープは輸入から輸出に転じる。1935年(株)芦森製綱所となり、戦争末期は東洋紡績(株)の傘下に入り軍需品も生産、1944年社名を芦森工業(株)と変更。戦後は民需に転換し新製品開発を進め、消防用ジェットホースは世界各国へ輸出し、わが国屈指のロープメーカーとなる。25年史は個人経営の時代も含めながら簡潔に編集されている。
麻生セメント(株) 窯業 『麻生百年史』(1975.04) 筑前の庄屋の息子麻生太吉は1872年石炭採掘事業に着手。1881年嘉麻社を設立、次々と業容を拡大し、筑豊有数の炭鉱主として産業基盤づくりをはかる。銀行・電力・鉄道事業から医療関連事業にも発展。太吉没後1934年に孫の太賀吉が(株)麻生商店と産業セメント鉄道(株)の社長に就任。石炭からセメント事業へ重心を移し、1966年麻生セメント(株)発足、麻生グループは40社に及ぶ。1973年から社長に麻生太郎就任。百年史は本史の他、多くの寄稿文に加え膨大な資料を1冊にまとめた1500頁を超える大作。
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