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会社名 | 業種 | 社史タイトル(出版年) | 会社沿革と社史メモ |
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安宅産業(株) | 商社 | 『安宅産業六十年史』(1968.10) | 金沢出身の安宅弥吉(あたか・やきち、1873-1949)は東京高商(現一橋大)卒業後外国貿易を志し、1895年(明28)日下部商店入店、砂糖取引に携わる。1904年(明37)大阪に安宅商会を創業、香港に支店を置き世界各地と多品目の貿易を行う。1908年(明41)の銃器貿易に関わる辰丸事件、翌年の砂糖取引に関わる日糖事件も克服、信用を重ねて発展し1919年(大8)株式会社へ改組。戦時下1943年(昭18)安宅産業と改称、戦後再建を果たし総合商社として発展する。60年史は創業時からの沿革と現況をそれぞれの社会状況と共に記し、海外支店の変遷も掲載している。[1977年(昭52)伊藤忠商事に吸収合併。東洋陶磁器の安宅コレクションは大阪市に寄贈され大阪市立東洋陶磁美術館となる] |
(株)尼崎製鋼所 | 鉄鋼業 | 『尼鋼十年史』(1942.05) | |
尼崎築港(株) | 建設 | 『尼崎築港70年史』(1999.03) | 渋沢栄一の援助で実業家として活躍していた浅野総一郎(あさの・そういちろう、1843-1930)は、欧米視察から近代的港湾設備の整備を痛感し、鶴見・川崎に大規模な臨界工業地帯を造成。続いて大阪湾に面した尼崎に臨海工業地帯を造成することを目的として、1929年(昭4)尼崎築港を設立。これは一万トン級の外航船舶の停泊できる港を民間の力で建設し、わが国産業の発展に寄与しようとするものであった。第二次大戦後埋立事業は公営化されて事業全体を失ったが、埋立造成地の一部を所有し、土地・建物などの賃貸業を主な事業として再生した。70年史は創業者浅野総一郎の経歴と尼崎の沿革を「創立前史」として詳述し、創立以来の経営の軌道を時代の動向と共に記述している。[現在の英文社名: Amachiku Co., Ltd.] |
(株)新井清太郎商店 | 商社 | 『株式会社新井清太郎商店九十年史』(1979.11) | |
荒川林産化学工業(株) | 化学工業 | 『荒川林産百年史 : 松脂と共に』(1977.04) | 大阪出身の荒川政七(あらかわ・まさひち、1825-1904)は薬問屋に奉公の後1856年(安政3)和薬商の玉屋を開業、1876年(明9)荒川政七商店と改称。松脂を必要とする製紙産業の興隆や、農薬・塗料用などの需要増に伴い、取扱い品目が次第に松脂中心となる。品質向上に努め1920年(大9)頃からは「松脂の荒川」として業界に知られる。1943年(昭18)荒川林産化学と改称、第二次大戦後は製紙業界向けにインキのにじみを止める強化サイズ剤を提供し好評を得る。100年史は歴代経営者の時代ごとに沿革をまとめ、「日本松脂産業小史」にも多くの頁を割いている。[1977年(昭52)荒川化学工業と改称。100年史は日本経営史研究所主催第1回優秀会社史賞特別賞を受賞している] |
アルプス電気(株) | 電気機器 | 『アルプス50年のあゆみ』(1998.12) | |
(株)阿波銀行 | 銀行 | 『阿波銀行七十年小史』(1967.12) | |
(株)阿波銀行 | 銀行 | 『阿波銀行百年史』(1997.05) | |
安全自動車(株) | 自動車・自動車部品 | 『交通報国 : 安全自動車70年のあゆみ』(1989.04) | |
(株)安藤七宝店 | その他製造業 | 『鏤采摛文 : 安藤七宝店百年史』(1981.09) | |
アンリツ(株) | 電気機器 | 『アンリツ100年の歩み』(2001.06) | |
(株)郁文堂 | サービス業 | 『株式会社郁文堂創業八十年記念誌』(1979.10) | |
(株)池田銀行 | 銀行 | 『池田銀行十年史』(1961.10) | |
石川島重工業(株) | 機械 | 『石川島重工業株式会社108年史』(1961.02) | 1853(嘉永6)年、江戸幕府は欧米列強に対抗すべく、水戸藩に委託して石川島(現在の東京都中央区佃)に石川島造船所を設立。明治維新後は新政府の管理下となり、1872(明治5)年に石川島修船所が発足するが、1876(明治9)年、石川島における官営事業廃止に伴い閉鎖。同年、平野富二が修船所の施設、土地を借用し石川島平野造船所を創立。1889(明治22)年、有限責任石川島造船所となる。1893(明治26)年には、株式会社東京石川島造船所へと発展した。1945(昭和20)年6月、造船だけでなく総合機械メーカーとしてふさわしい名称とすべく、石川島重工業株式会社と改称。1960(昭和35)年、株式会社播磨造船所と合併し、石川島播磨重工業株式会社となる。本社史は水戸藩の石川島造船所設立から石川島播磨重工業株式会社となるまでの108年間を記した。現況編、沿革史編、技術発展史編、諸表からなる1000ページを超える大著。沿革史編では、石川島飛行機製作所など同社が設立した関連会社についても詳しく書かれている。また巻頭グラビアや各ページのコラムなど本文以外の掲載情報も多数。監修は『渋沢栄一伝記資料』編纂主任でもある土屋喬雄。 |
石川島播磨重工業(株) | 機械 | 『石川島播磨重工業社史. 技術・製品編』(1992.04) | 『石川島播磨重工業社史. 沿革・資料編』(社史ID:05260)の技術・製品編 |
石川島播磨重工業(株) | 機械 | 『石川島播磨重工業社史. 沿革・資料編』(1992.04) | 1853(嘉永6)年ペリーが来航し、幕府は海防に狂奔。大船建造を命じられた水戸藩は隅田川河口の石川島に造船所を建設、12月に石川島造船所が創設された。その後石川島平野造船所を経て、渋沢栄一らが出資し1889年有限責任石川島造船所が設立される。1907(明治40)年設立の播磨造船所と1960年に合併して石川島播磨重工業(株)となる。陸海空に渡って技術の蓄積を図り、総合重工業企業に成長。本編「沿革・資料編」と別冊「技術・製品編」あり。 |
石川島播磨重工業(株)技術研究所 | 機械 | 『石川島播磨重工業技術研究所史 : 挑み、拓き、ものづくりを担った技術開発 : 1951年~1999年』(2001.09) | 石川島重工業が1951年土光敏夫社長時代に技術研究所を設立。1960年の合併に伴い播磨造船所研究部を統合。1999年に基盤技術研究所と機械・プラント開発センターに分離・改組されるまでの研究所史。沿革編、技術編、資料編からなる。 |
石津製薬(株) | 医薬品 | 『石津回顧八十年』(1959.04) | |
石津製薬(株) | 医薬品 | 『石津回顧八十年. 続編』(1965.05) | |
(株)いすゞカーライフ | 自動車・自動車部品 | 『いすゞカーライフの30年』(1991.02) | 朝鮮戦争需要を契機に自動車の供給台数が増加。いすゞ自動車(株)では需要増加した自動車補修用部品の純正品を販売推進する為、それまで部品特約販売店として指定していた折橋商事、帝国部品、親和興業の3社との共同出資で、1958年(昭33)協同産業(株)を設立。高度経済成長期に国内外へ発展する。1984年(昭59)社名を(株)いすゞカーライフに変更。30年史では序章の創立前史で戦後の復興と自動車産業、いすゞ自動車と部品流通事情に触れ、前身3社の略史も記載。コラム記事をはさむハンディな体裁で、巻末索引付。[1994年(平6)社名を(株)アイ・シー・エルに変更] |