収録社史一覧

業種"小売業" 社史一覧 全30件中10件 21件〜30件目を表示

並び替え
表示切替
表示件数
会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
丸善(株) 小売業 『丸善百年史 : 日本近代化のあゆみと共に. 上巻』(1980.09) 明治維新期に西洋諸国の科学・技術・文化を導入すべく、福沢諭吉門下の早矢仕有的(はやし・ゆうてき、1837-1901)が洋書輸入を主とする貿易事業を始め、1869年(明2)横浜に丸屋商社(丸屋善八店)を創立。1880年(明13)株式組織に改組し丸善商社と改称、本店を東京へ移転。貿易商会や丸屋銀行を開設するが景気変動などで破綻。丸善商社は再建に奮闘し1893年(明26)丸善と改称する。以来洋書を中心とした衣料・雑貨などの輸入販売を通じ、欧米文化紹介の一翼を担う。100年史は日本文化の近代化の軌跡を辿る側面史を意図し、研究者が執筆。三分冊構成で、上巻は明治時代、下巻は大正から100周年までを記述、資料編巻頭には機関誌「学鐙」の表紙写真等を掲載している。[2008年大日本印刷の連結子会社となる]
丸善(株) 小売業 『丸善百年史 : 日本近代化のあゆみと共に. 下巻』(1981.12) 『丸善百年史 : 日本近代化のあゆみと共に. 上巻』(社史ID:08240)の下巻
丸善(株) 小売業 『丸善百年史. 資料編』(1981.12) 『丸善百年史 : 日本近代化のあゆみと共に. 上巻』(社史ID:08240)の資料編
(株)ミキモト 小売業 『輝きの世紀 : 御木本真珠発明100周年記念』(1993.01) 『御木本真珠発明100年史』(社史ID:08280)のビジュアル版
(株)ミキモト 小売業 『御木本真珠発明100年史』(1994.07) 鳥羽出身の御木本幸吉(みきもと・こうきち、1858-1954)は海産物商の傍ら、乱獲されていた志摩の真珠貝を守るため真珠養殖を試みる。1893年(明26)半円真珠の養殖成功を機に御木本真珠養殖場を創設、本格的に事業化に乗り出す。1899年(明32)には東京・銀座に日本初の真珠専門店である御木本真珠店を開設。1949年(昭24)個人経営の養殖場と真珠店は、法人組織の御木本真珠と御木本真珠店に改組。その後1972年(昭47)両社の合併によって現在の(株)ミキモトとなる。100年史ではまず御木本100年の歩みとして御木本幸吉と一族について記述し、幸吉が実業界で最も兄事した渋沢栄一と森村市左衛門にも触れている。次に御木本グループのミキモト、ミキモト装身具、御木本製薬、御木本真珠島の4社についてそれぞれ沿革と資料・年表を掲載。100周年記念にビジュアル版社史『輝きの世紀』も出版。
(株)御木本真珠島 小売業 『御木本真珠島40年の歩み : 開島40周年記念誌』(1991.07) 御木本幸吉(みきもと・こうきち、1858-1954)は1893年(明26)鳥羽の相島で真珠養殖に成功。御木本真珠を創業し事業を広げると、真珠のふるさとの相島は内外に知られるようになる。幸吉は戦後復興期に真珠産業を世界に紹介するため、1951年(昭26)(有)御木本真珠ヶ島を設立、島を一般公開。1971年(昭46)(有)御木本真珠島に改称、1980年(昭55)株式会社となる。40年間に皇室や世界各国の要人を始め、国内外の一般観光客も4000万人近く訪れる観光地に成長する。40年史は「御木本幸吉と真珠島」「ロイヤルファミリーと真珠島」「真珠島40年の歩み」の構成で、多くの客人の写真を掲載している。
(株)三越 小売業 『株式会社三越85年の記録』(1990.02) 伊勢の三井高利(みつい・たかとし、1622-1694)は1673年(延宝1)呉服店越後屋を江戸に創業。三井家の事業拡大により不振の呉服店は1872年(明5)三井から分離、新立の三越家の経営となる。1893年(明26)三井呉服店に改組するが、後に高橋義雄(たかはし・よしお、1861-1937)と日比翁助(ひび・おうすけ、1860-1931)が支配人となり改革を開始、再び呉服店を三井家の事業から切り離し1904年(明37)三越呉服店が誕生。呉服だけでなく日本初の百貨店を目指し「デパートメントストア宣言」を行なう。1914年(大3)本店新館が完成、1928年(昭3)三越と改称、その後数年で全国支店網の拡充を行なう。『大三越歴史写真帖』(1932年刊)、『三越の歩み』(1954年刊)等を参考に編集した85年史では、越後屋創業から三越呉服店誕生前までを前史、以降を本史として編年体で記述。各々の時代の経済事象や世相を背景に写真・史料を豊富に掲載し、資料編に本店フロア構成変遷や主要催物も載せている。[2008年(平20)伊勢丹と共に三越伊勢丹ホールディングスを設立し、その子会社となる]
(株)明治屋 小売業 『明治屋百年史』(1987.12) 津山出身の磯野計(いその・はかる、1858-1897)は東大法学部卒業後1880年(明13)三菱の援助で英国に留学し、3年間商業実務を学ぶ。後に郵便汽船三菱会社で食料品等の納入実務を経験。1885年(明18)日本郵船創立を機に、外国人が握っていた同社の食料品・雑貨の納入権を獲得し、同年横浜で明治屋を創業。1888年(明21)にはキリンビールの一手販売権を獲得、明治屋の基礎を強固なものにした。1903年(明36)合名会社、1911年(明44)株式会社に改組。第二次大戦後は占領軍家族向け日用品販売でいち早く復興を遂げ発展。100年史は社内で編集し、食文化向上を目指した創業者の開拓者精神を詳述。資料にある明治末期の取扱商品リストには当時の価格が掲載されている。
湯浅金物(株) 小売業 『三百年ののれん』([1969.06])
(株)有隣堂 小売業 『有隣堂八十年史』(1989.10) 横浜生まれの松信大助(まつのぶ・だいすけ、1884-1953)は、1894年(明27)に父と長兄が横浜に開業した書籍販売の第一有隣堂から独立、1909年(明42)第四有隣堂を開業した。姉は第二有隣堂、次兄は第三有隣堂を開業していたが、大助は義兄と共に1917年(大6)有隣堂文具部を設立。1919年(大9)第四有隣堂は第一有隣堂と有隣堂文具部を合併し、(株)有隣堂と改組。しかし関東大震災の打撃が重く1927年(昭2)株式会社を解散、個人経営として経営再建に努め、1931年(昭6)(名)有隣堂を設立。1956年(昭31)株式会社に改組し、書店を中心とした地域の文化センターを目指して発展する。80年史では横浜地域史、出版業界の状況も含めて記述。社名の有隣は論語から採っている。
表示件数
PAGE TOP