収録社史一覧

業種"建設" 社史一覧 全70件中10件 61件〜70件目を表示

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会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
(株)藤田組 建設 『藤田組の五十年』(1960.04)
三井建設(株) 建設 『三井建設社史』(1993.09) 和歌山を本拠に土木請負業を営んでいた西本用助は、1887年(明20)西本組を名乗り関西一円の土木・鉄道工事に参入。1941年(昭16)株式会社に改組、本社を東京へ移す。同年発足の三井不動産は土建事業進出のため1945年(昭20)5月西本組を買収、三井建設工業に社名変更する。戦後財閥解体により1946年(昭21)三建工業と改称、1948年(昭23)には経営上の意見の対立から西本家とは袂を分かち、1952年(昭27)三井建設と改称。当該社史は本編と資料編からなり、本編第1章に前身西本組の歴史を置き、第2章以下三井建設としての歩みを記述、各頁欄外に写真等を掲載。資料編には工業所有権、主要工事実績一覧、三井不動産の土建事業計画書等を載せている。[2003年(平15)住友建設と合併し三井住友建設(株)発足]
(株)横河橋梁製作所 建設 『横河橋梁五十年史』(1960.05) 帝国大学造家学科出身の横河民輔(よこがわ・たみすけ、1864-1945)は三井元方でわが国初の鉄骨構造の三井総本店の設計・施行を担当、渡米してアメリカの工法を学ぶ。1903年(明36)横河工務所を設立。鉄骨構造物を主体とする建築物の鉄材の自給および鉄材による橋梁の建設を目指し、1907年(明40)製作組立て部門を分離独立させ、横河橋梁製作所を創業。1918年(大7)株式会社へ改組、各地の鉄道橋梁や無線電信塔など鉄骨建造物を数多く建設する。50年史は1章から7章は時代順に会社の発展過程を記述、8章から11章は部門別の資料と現況。随所に製品写真を多数盛り込んでいる。[1991年(平3)横河ブリッジと社名変更]
(株)横河橋梁製作所 建設 『横河橋梁八十年史』(1987.11) 1907年(明40)創業からの80年史。創業者横河民輔の伝記を序章とし、戦前編4章、戦後編5章、資料編からなり、人名・製品・事項索引付。1960年(昭35)刊行の50年史の不足を補い、経営上の失敗や過誤も記述している。執筆は社内だが、社史作りの専門家との共同作業の過程を編集後記に詳述。[1991年(平3)横河ブリッジに社名変更]
(株)横河建築設計事務所 建設 『横河建築設計事務所 : 80年の流れ』(1983.10) 1890年(明23)帝国大学造家学科を卒業した横河民輔(よこがわ・たみすけ、1864-1945)は、三井元方の建築掛技師として三井総本店の設計監督にあたる。その完成を機に三井を退社し、1903年(明36)日本橋に建設の設計・監理を行なう横河工務所を開設。三越呉服店などを建築し、帝国劇場の設計を劇場創立委員会(委員長渋沢栄一)より依頼され、1911年(明44)に竣成。その他日本工業倶楽部・東京株式取引場など数多くの建築にあたる。1953年(昭28)株式会社となり、1969年(昭44)横河建築設計事務所と改称。80年史は創立からの歩みを概観した後、建築作品写真を各時代ごとに掲載している。
(株)横河ブリッジ 建設 『横河ブリッジ百年史』(2008.04)
若築建設(株) 建設 『80年史若築建設株式会社』(1970.07)
若築建設(株) 建設 『若築建設百年史』(1990.05)
若築建設(株) 建設 『若築建設百三十年史』(2020.05) 1889(明治22)年、石炭をはじめ物資輸送の拠点として注目された洞海湾(若松港)の築港工事と運営を行うため、若松築港会社が設立。翌年、福岡県庁の許可を得て工事に着手した。1893(明治26)年、若松築港株式会社に改称。周辺地域の発展に伴い港の拡張工事、洞海湾の開発を進めていく。1938(昭和13)年に若松港の運営が県に移ると港湾建設会社として再出発。県外へも進出し、東京湾岸工事などを請け負う。1965(昭和40)年、総合建設業を目指し、若築建設株式会社に社名変更。港湾工事だけでなく、鉄道や道路、下水道など陸上土木工事にも参入し、全国に支店を展開している。本社史は2020(令和2)年の創業130周年を記念し刊行された。会社設立から太平洋戦争終結までの第一編、戦後から創業100周年までの第二編、最近20年の第三編と資料編で構成される。また同社設立初期にかかわった渋沢栄一についてコラムページを設けている。渋沢栄一は不況下で危機に瀕した同社の経営について助言している。のち同社の事業に賛同し株主となり、1893(明治26)年からは相談役に就任した。
若松築港(株) 建設 『若松築港株式会社五拾年史』(1941.06) 九州北端の洞海湾に面した若松港は、明治以降石炭積出港としての整備が計画された。筑豊興業鉄道が敷設工事を始めたのを機に、地元有志により1890年(明23)若松築港会社が設立。浚渫埋立工事準備を開始し渋沢栄一の援助を得て開業する。入港する船から港銭を徴収する免許を得て洞海湾の運営に当たり、1893年(明26)株式会社となる。1897年(明30)造成した八幡の埋立地に官営製鉄所が開業し、若松築港は洞海湾の施設を拡充、石炭港から大工業港へと発展。1938年(昭13)港銭徴収が廃止され、洞海湾の運営は県に移る。若松築港は定款を改訂し、港湾工事へ進出。50年史は1-3章が沿革、4-7章が現況・資料にあたり、8章に年表という構成。[1965年(昭40)若築建設(株)と改称]
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