収録社史一覧

業種"サービス業" 社史一覧 全104件中20件 21件〜40件目を表示

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会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
(株)時事通信社 サービス業 『時事通信社50年史』(1995.11)
(株)実業之日本社 サービス業 『『実業之日本』の六十年と創立者増田義一』([1957])
(株)実業之日本社 サービス業 『実業之日本社七十年史』(1967.06)
(株)実業之日本社 サービス業 『実業之日本社百年史』(1997.12) 1895(明治28)年、東京専門学校出身の光岡威一郎が帝国実業の発達振興を図るために大日本実業学会を創立。1897年に雑誌「実業之日本」を創刊。その後光岡は健康を害し、発行権と経営権を同窓の増田義一に譲り、増田は1900年実業之日本社を設立。「実業之日本」誌は経済雑誌として成長していく。別冊「百年図書総目録」には、書籍、ムック、コミックス、ビデオ、教育関係図書等の出版物を刊行年順に記載、書名・著訳者名索引つき。
(株)実業之日本社 サービス業 『実業之日本社百年図書総目録』(1997.12) 『実業之日本社百年史』(社史ID:14570)の別冊
(株)ジャパン・タイムズ サービス業 『The Japan Times ものがたり : 文久元年(1861)から現代まで』(1966.07) 日本初の英字紙は1861年(文久1)英国人により創刊されたが、日本人による初の英字紙は1897年(明30)創刊の日刊英字新聞『ジャパンタイムズ』。主筆は伊藤博文首相の秘書官であった鳥取出身の頭本元貞(ずもと・もとさだ、1863-1943)で、日本郵船を退職した同郷の山田季治(やまだ・すえじ、1848-1916)が社長として経営を支えた。英語界の俊秀を集め創刊1ヶ月後にはロイター電報と契約し、世界ニュースを掲載。紙名は The Japan Times and Mail → The Japan Times and Advertiser → Nippon Times と変遷し、1956年(昭31)から再び The Japan Times となる。社史はコンパクトながら日本の英字新聞の歴史にも触れ、巻末に英文社史を収録。
(株)主婦の友社 サービス業 『主婦の友社の五十年』(1967.02) 大分出身の石川武美(いしかわ・たけよし、1887-1961)は東京で雑誌編集に携わり、第一次大戦による景気変動の中1916年(大5)東京家政研究会を興す。翌年中流家庭の主婦の生活を焦点とした雑誌『主婦之友』を創刊、1921年(大10)主婦之友社と改称。第二次大戦中も日本の家庭と主婦を守るという編集姿勢を貫き、戦後は雑誌を中心とした関連事業にも歩を進める。50年史は年代ごとに沿革と当時の『主婦の友』(1953年社名と共に改称)の記事及び関係者の寄稿を掲載し、雑誌と主婦像の変遷を見ることができる。巻末に創業者石川武美のエピソードと年譜、石川が創立した(財)お茶の水図書館(現・(財)石川文化事業財団お茶の水図書館)の概要を記載。
(名)商業興信所 サービス業 『三十年之回顧』(1922.05) 日銀の初代大阪支店長外山脩造(とやま・しゅうぞう、1842-1916)は欧米で信用取引発達ための信用調査機関の重要性を知る。関西地区の銀行30行の協力を得て、日本初の興信業として1892年(明25)商業興信所を大阪に設立。1894年(明27)には東京興信所創立のため渋沢栄一が視察に訪れる。1920年(大9)合名会社に改組。副所長執筆の30年史は編年体で経済界概況と大阪地区を中心とした商業動向を詳述し、商業興信所記事では人事や海外との提携にも触れる。[1944年(昭19)東京興信所と合併し(株)東亜興信所となる]
センチュリリサーチセンタ(株) サービス業 『センチュリリサーチセンタ二十年史』(1979.03) 伊藤忠商事が米国Bendix社のコンピュータを導入し開設した計算センタ。伊藤忠の販売促進をバックアップし、受託計算による収益を目指す。
(株)第一勧銀ハウジング・センター サービス業 『20年のあゆみ』(1989.12)
(株)第一ホテル サービス業 『夢を託して : 第一ホテル社史』(1992.03) 第二次大戦前の日本のホテルは外国人と一部富裕層が対象で、稼働率は低く企業業績もよくはなかった。利用しやすい価格設定と実用性を目指し、東京の実業家らが東京電灯と読売新聞から新橋の土地を譲り受け、1937年(昭12)第一ホテルを創立。命名は相談役で東京電灯社長の小林一三(こばやし・いちぞう、1873-1957)。戦後の一時期は他の主要ホテル同様米軍に接収され、1956年(昭31)自主営業に戻る。その後は東京オリンピックを契機に新しい事業展開を続け発展する。創立50年を機に計画された社史は序章で日本のホテル史を概観し、創立からの沿革を8章にわたり詳述。[2002年(平14)阪急ホテルズと合併し(株)第一阪急ホテルズに商号変更(現在は阪急阪神ホテルズ)]
(株)大広 サービス業 『Daiko』(1994.03)
(株)ダイヤモンド社 サービス業 『七十五年史』(1988.11) 新潟出身の石山賢吉(いしやま・けんきち、1882-1964)は慶應義塾商業学校で学び出版社を転々とした後、1913年(大2)にダイヤモンド社を起こし経済雑誌『ダイヤモンド』を創刊。経済界の出来事を正確な「算盤」によって判断し、小さくとも「ダイヤモンド」の如く権威ある報告をなすとの姿勢を貫き、広く読者の共感を得る。時代の潮流の中で社業は試練と躍進を重ね、1933年(昭8)株式会社となり発展する。75年史は創業からの歩みを9章に分け、読みやすくまとめた通史。数々のビジネス誌の創刊・休刊、また教育市場の開拓など多角経営の取り組みを記す。『ダイヤモンド社二十五年史』(1938年刊)や『ダイヤモンド』誌の記事等を随所に引用。
(株)中央公論社 サービス業 『中央公論社の八十年』(1965.10) 1886年(明19)京都西本願寺普通教校の有志学生らが反省会なる修養団体を結成、翌年機関誌として『反省会雑誌』を創刊。後に『反省雑誌』と改題、反省会本部を反省雑誌社と改め、1896年(明29)東京へ移転。1899年(明32)には堅苦しい誌名から『中央公論』と改題、社名も反省社と改称した。売行きは好調で1912年(大元)本願寺から独立、1914年(大3)中央公論社と改称、1926年(大15)には株式会社となり発展する。1944年(昭19)軍部の圧力で廃業するが翌年末には再建、戦後の出版ブームの中で全集や新書も刊行し社業を拡張する。80年史は作家の執筆による物語的な叙述で「風流夢譚」事件などにも触れ、巻末に詳細な年表を付している。同社の全集と同様の装丁。[1999年(平11)出版権などを読売新聞グループへ営業譲渡し、中央公論新社となる]
(株)中国新聞社 サービス業 『中国新聞八十年史』(1972.05)
(株)中国新聞社 サービス業 『中国新聞百年史』(1992.12)
(株)中国新聞社 サービス業 『中国新聞百年史. 資料編・年表』(1992.12) 『中国新聞百年史』(社史ID:14690)の資料編
(株)帝国データバンク サービス業 『Self-portrait : 帝国データバンク百年の肖像』(2000.06)
(株)帝国データバンク サービス業 『情報の世紀 : 帝国データバンク創業百年史』(2000.06) 福岡出身の後藤武夫(ごとう・たけお、1870-1933)は法律を学び新聞記者等を経て興信業設立を目指し、独力で1900年(明33)東京に帝国興信社を創業。1902年(明35)帝国興信所と改称し、1906年(明39)株式会社となる。『帝国経済雑誌』『帝国信用録』『帝国銀行会社要録』等を発刊し、実業道徳の興隆を意図して成長、海外へも進出する。戦後高度情報化社会を迎えコンピュータシステムを導入し、1981年(昭56)帝国データバンクと改称。100年史は序章で興信業の誕生を述べ、創業からの歩みを時代順の7章で実証的に詳述。多くの写真やコラムを交えた立体的な編集で、後藤が発刊し渋沢栄一も支援した雑誌『日本魂』にも触れる。引用資料は各頁欄外に明記し、支店小史を含む詳細な資料編付で、編集過程をあとがきに記す。索引付。普及版『Self-portrait : 帝国データバンク百年の肖像』とCD-ROM版『TDBの世紀』を同時に刊行。
(株)帝国ホテル サービス業 『ホテルと共に七十年』(1964.04) 石川県出身の犬丸徹三(いぬまる・てつぞう、1887-1981)は東京高等商業学校卒業後、満洲・上海・欧州・米国でホテル業務に従事。1890年(明23)開業の帝国ホテルに1918年(大7)招聘され帰国し、翌年副支配人に就任。ライト設計の新館建築中の1923年(大12)支配人となる。昭和期の発展を築き戦火を乗り越え終戦後1945年(昭20)末に社長に就任。戦後のホテル事業復活と共に観光業界発展にも尽力する。本書は70年余りの人生の大半をホテル業界に身を置き、帝国ホテルの業績向上に深く貢献した著者の自伝。「半生の記」と題し38回に渡り日本ホテル協会機関誌『ホテル・レビュー』に連載した記事を元に編集。真摯な語り口で帝国ホテルと日本のホテル業界の足跡を描き出している。
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