収録社史一覧

業種"食品" 社史一覧 全60件中20件 41件〜60件目を表示

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会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
日東製粉(株) 食品 『日東製粉株式会社65年史』(1980.05)
日本製粉(株) 食品 『日本製粉株式会社七十年史』(1968.06) 甲州出身の雨宮敬次郎(あめみや・けいじろう、1846-1911)は貿易商として小麦粉生産の将来性に目をつけ、1879年(明12)近代的製粉工場を東京に起こす。官営工場の払下を受け1887年(明20)日本製粉会社設立。のち第四十銀行頭取南条新六郎と弁護士境豊吉が事業を受け継ぎ、1894年(明27)東京製粉設立。1896年(明29)に日本精製糖の出資を得て日本製粉設立。1927年(昭2)の金融恐慌時に三井物産の支援を受け、提携する。70年史は研究者の執筆で明治以前の製粉業を前史として書き起こし、創立後は時代ごとに日本経済全体の潮流、製粉業の動向、会社の動向と経営をまとめている。
日本製粉(株) 食品 『九十年史』(1987.02) 70年史を要約した序章のあと、その後の20年の高度経済成長期と石油ショックによる変動期のあゆみを本編にまとめている。コラムに歴代社長談話をはさみ、巻末に資料編。70年史と同じく研究者による執筆。
日本製粉(株) 食品 『日本製粉社史 : 近代製粉120年の軌跡』(2001.04)
日本甜菜製糖(株) 食品 『日本甜菜製糖70年小史』(1989.09) 渡仏中に甜菜糖業を視察した松方正義(まつかた・まさよし、1835-1924)は1879年(明12)甜菜糖製造所設立を計画、北海道で栽培を始めたが技術不足等で事業は挫折した。第一次大戦で砂糖価格が高騰すると、正義の息子で帝国製糖社長松方正熊(まつかた・しょうくま、1881-1969)は、1919年(大8)北海道製糖(株)を設立し十勝地方で甜菜糖業の再興を図る。翌年(旧)日本甜菜製糖(株)も設立し事業を広げる。1923年(大12)明治製糖は日本甜菜製糖を合併。戦時下1944年(昭19)北海道製糖も明治製糖の傘下に入り北海道興農工業と改称。戦後1947年(昭22)に日本甜菜製糖(株)と改称し、砂糖需要の増加に伴って復興する。70年史は沿革を写真入りで簡潔にまとめ、巻末に資料付。[社史は40年史、50年史、60年史が出ている]
日本甜菜製糖(株) 食品 『日本甜菜製糖100年史』(2019.08)
(株)にんべん 食品 『かつお節物語 : 日本の味から世界の味へ : かつお節を科学して二八〇年』(1979.08) 伊勢出身の初代高津伊兵衛(1679-1729)は江戸の雑穀商に奉公後、1699年(元禄12)日本橋で鰹節商を開始。伊勢屋伊兵衛と屋号を定め良品廉価の方針を貫き現金商売に成功。六代目伊兵衛(?-1837)は1830年代(天保年間)に世界初の商品券を創案し普及させる。伊勢屋は明治以降の激動の時代にも事業を守り1918年(大7)(株)高津商店に改組。1948年(昭23)(株)にんべんと改称。フレッシュパックやだしパックなどの商品開発を進め発展する。創業からの280年史の前半は、3代目が書き残した膨大な『追遠訓』をもとに日本の味としての鰹節の歴史をまとめたもの。後半に会社の沿革を記述し、最後に各界名士26人からのコメントを掲載している。
野田醤油(株) 食品 『野田醤油株式会社二十年史』(1940.10) 江戸川端の野田は常陸大豆や行徳塩が流通し、豊富な水があり江戸時代から醤油醸造が発達した。1887年(明20)には野田醤油醸造組合が結成される。野田の醤油業者はほとんどが茂木・高梨の一族であり、営業上の競争が親族間の対立となることを憂慮し一族八家の合同が成立、1917年(大6)野田醤油(株)が設立。翌年営業開始し、商標は亀甲万印に統一された。1925年(大14)万上味醂と日本醤油(渋沢栄一を顧問に設立)を合併。工場の近代化を図り、労働争議を乗り越え社業を発展させる。20年史は沿革で古代からの野田の経済発展及び、会社設立と20年の歩みを記述。次に組織及び管理、工場、醸造、営業、教養福利施設、関係事業、附録という構成。[1964年(昭36)キッコーマン醤油、1980年(昭55)キッコーマンと社名変更]
野田醤油(株) 食品 『野田醤油株式会社三十五年史』(1955.07)
白鶴酒造(株) 食品 『白鶴二百三十年の歩み』(1977.10)
豊年製油(株) 食品 『豊年製油株式会社二十年史』(1944.07) 大正期に大豆油は抽出法が発達し、菜種油を抜いて需要が増大する。1915年(大4)神戸の鈴木商店は満鉄中央試験場から大豆製油工場を譲受し、鈴木商店製油部大連工場として操業。清水・鳴尾・横浜にも工場建設し増産するが第一次大戦後の不況で事業縮小となる。製油部は独立し、満鉄時代からの商標を社名に1922年(大11)豊年製油が創立。豆粕等製品の開発と宣伝普及に努め社業が発展する。20年史は巻頭の役員・事業場写真、9章からなる沿革、巻末附録の図表と年譜で構成。沿革第1章で創業前の植物油工業界を俯瞰し、物故社員慰霊祭や現況の章も設けている。[1989年(平1)(株)ホーネンコーポレーションに社名変更(現(株)J-オイルミルズ)]
豊年製油(株) 食品 『豊年製油株式会社四十年史』(1963.12)
明治製菓(株) 食品 『明治製菓株式会社二十年史 : 創立二十周年記念』(1936.04) 1906年(明39)台湾に設立の明治製糖では砂糖消費増進のため、1916年(大5)大正製菓を設立。同時期設立の東京菓子へ翌年合併し製造開始、キャラメルやビスケットを発売し好評を博す。1920年(大9)房総練乳を合併し製乳事業を開始。1924年(大13)明治製菓と改称、全国に工場を作り朝鮮、満州、スマトラにも進出する。20年史は会社設立の経緯の後、製菓部と製乳部それぞれの工場略史を掲載。また明治製乳(株)ほか傍系会社にも触れ、工場や商品の写真、製品名一覧等を記載している。[2009年(平21)明治乳業との共同持株会社明治ホールディングスを設立し、子会社となる]
明治製糖(株) 食品 『十五年史』(1921.04)
明治製糖(株) 食品 『明治製糖株式会社三十年史』(1936.04) 欧米で糖業研究を学んだ相馬半治(そうま・はんじ、1869-1946)は台湾で糖業指導に当たり、渋沢栄一らの協力を得て1906年(明39)台南に明治製糖設立。栄一は発起人、創立委員長、相談役を務める。台湾及び内地に工場を建設、同業他社を次々合併し業容を拡大。30年史はコンパクトな装丁ながら工場等の写真を多く掲載し、沿革・現況のほか脱税嫌疑を掛けられた1932年(昭7)の明糖事件や、明治製菓、明治乳業等の傍系事業にも触れている。[戦後内地資産で明糖(株)設立、後に明治製糖を経て1996年(平8)大日本製糖と合併、大日本明治製糖となる]
明治乳業(株) 食品 『おいしさと健康を求めて : 明治乳業70年史 : 激動と変化のこの10年』(1987.12) 明治乳業の一方のルーツである明治製糖は、1917年(大6)房総練乳に資本参加。房総練乳は1920年(大9)東京菓子に合併、東京菓子は1924年(大13)明治製菓に商号変更する。他方静岡の花島練乳場と北海道の札幌練乳場が合併し1917年(大6)極東練乳設立。各地に工場を開設し事業展開するが、不況による業績悪化のため1935年(昭10)明治製菓が経営に参加。戦時の統制強化の中で1940年(昭15)明治製菓は製乳部門を分離独立させ経営を極東練乳に委任、商号を明治乳業とした。戦後はアイスクリームなどの新商品を開発し技術革新を重ねる。50年史、60年史に続く70年史は読みやすさを重視した編集で、現況、創業からの60年史、それ以降の10年史、社員座談会という構成。[2009年(平21)明治製菓との共同持株会社明治ホールディングスを設立し、子会社となる]
森永製菓(株) 食品 『森永五十五年史』(1954.12) 佐賀出身の森永太一郎(もりなが・たいちろう、1865-1937)は米国で西洋菓子製法を学び、1899年(明32)東京に森永西洋菓子製造所を設立。1905年(明38)には貿易商松崎半三郎(まつざき・はんざぶろう、1874-1961)が入店し支配人となる。1910年(明43)会社組織の森永商店設立、1912年(大1)森永製菓と改称。創業時から製造しバラ売りしていたキャラメルは、改良を重ね一粒ずつ包装し携帯に至便かつ外箱を紙にすることで安価になり、菓子店のドル箱となった。1942年(昭17)戦時の企業統合により森永乳業、森永食品工業、東海製菓、森永関西牛乳を合併、翌年森永食糧工業と改称するが、戦後1949年(昭24)商事部門、乳業部門を分離し、森永製菓に社名復帰した。55年史では第1部が森永太一郎と松崎半三郎の回顧録、第2部が創業からの写真録で商品や広告等を紹介、第3部は資料。
森永製菓(株) 食品 『森永製菓一〇〇年史 : はばたくエンゼル、一世紀』(2000.08)
森永乳業(株) 食品 『森永乳業五十年史』(1967.09) 森永製菓(株)は主要商品森永ミルクキャラメルの原料である練乳を自社製造するため、愛国煉乳を買収し1917年(大6)日本煉乳を創立。1920年(大9)森永製菓に合併しその畜産部となるが、1927年(昭2)には分離し森永煉乳を設立。1941年(昭16)に森永乳業と改称するが、翌年再び森永製菓に合併。森永製菓は1943年(昭18)森永食糧工業と改称、1949年(昭24)同社の乳業部が分離独立して現在の森永乳業が設立された。日本煉乳創立からの50年史は社長自ら執筆の創業篇に始まり、パイオニア篇、販売篇、酪農篇、幾山河(回想記、MF事件被災児法要含む)、現況、年表という構成。本文中に多くの図表を取り入れ、ジャーナリストの編集により10ヶ月で完成した。
雪印乳業(株) 食品 『雪印乳業沿革史』(1985.04)
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