収録社史一覧

業種"繊維" 社史一覧 全107件中20件 61件〜80件目を表示

並び替え
表示切替
表示件数
会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
帝人(株) 繊維 『Humanity, chemistry, and our 100 years : the Teijin story : 1918-2018』(2022.01)
東亜紡織(株) 繊維 『東亜紡織七十年史』(1993.02)
東邦レーヨン(株) 繊維 『東邦レーヨン二十五年史』(1959.12) 紡績業界の大島亮治は欧米視察でスフ業の実情を知り、帰国後協力者を募って1934年(昭9)東邦人造繊維を創立。徳島に工場を建設しスフを生産開始。1940年(昭15)日本油脂と合併、同社繊維部となる。1945年(昭20)2月繊維部は帝国繊維に譲渡され、終戦後もスフの生産を行うが、財閥解体により1950年(昭25)東邦レーヨン、中央繊維、帝国製麻の3社に分割。25年史は序章「スフの歴史」の後、東邦人造繊維・日本油脂・帝国繊維・東邦レーヨン其々の時代の沿革を記述。索引付。[2001年(平13)東邦テナックスと商号変更]
東洋紡績(株) 繊維 『東洋紡績株式会社要覧 : 創立二十年記念』(1934.06) 渋沢栄一指導の下に発展した三重紡績、大阪紡績両社は1914年(大正3)合併し、東洋紡績(株)創立。栄一は相談役。創立20年を記念して出版された社史は天金が施され、前半に沿革と製品設備等の現況を簡潔に記述し、後半に詳細な統計とカラーの図解を掲載。本文中にも多くの図版を取り入れた編集で、見返しには明治初頭の紡績工程や機械を描いた版画を使用。
東洋紡績(株) 繊維 『東洋紡績七十年史』(1953.05) 日本初の蒸気を動力とした大規模な紡績会社である大阪紡績が、民間の会社組織として1882年(明治15)創業、渋沢栄一は発起人、相談役。同年創業の三重紡績所は水力利用の小規模な紡績業を営んだが、栄一の助言により1886年(明治19)新たに株式組織の三重紡績会社を設立しこれに併合。両社は1914年(大正3)合併し、東洋紡績(株)が誕生した。創業からの70年史は、歴史、現況、資料の3篇からなる。歴史篇では大阪紡績と三重紡績の創立から合併後の発展、そして多くの困難を乗り越え戦後の再建までを20章に詳述。現況篇には教育研究施設や工場、本支店それぞれの足跡をまとめ、歴代商標等のカラー図版を掲載。資料篇には廃止工場の概要や各種統計、関係会社総覧等を載せている。人名、会社工場名、団体名索引付。見返しは製品のリバーレース写真。
東洋紡績(株) 繊維 『百年史 : 東洋紡. 上』(1986.05) 東洋紡績が日本初の民営紡績会社として発足してからの100年史。沿革と資料を上下2巻におさめている。上巻は前身の大阪紡績と三重紡績が1882年(明治15)に創業してから、両社合併で1914年(大正3)設立した東洋紡績の戦前の興隆と、終戦後化繊に進出した1956年(昭和31)までを収録。下巻は以降の四半世紀に拡大した合繊からプラスチック事業など、非繊維事業への歩みに触れる。資料には定款や役員任期表の他、詳細な系譜図や廃止事業場一覧なども掲載。2巻で計1200ページを超える大作で、各巻末に主要人名と主要会社・事業所名索引付。
東洋紡績(株) 繊維 『百年史 : 東洋紡. 下』(1986.05) 『百年史 : 東洋紡. 上』(社史ID:02150)の下巻
東洋紡(株) 繊維 『東洋紡百三十年史』(2015.03) 2012年(平成24)に創立130年を迎えた東洋紡の130年史で、沿革編と資料編を1冊に収めている。沿革編は4章からなり、第1章「つむぎ織り染めなす夢の一〇〇年」は既刊の70年史と100年史を元に新たに書き下ろして、1982年(昭和57)までの100年を綴る。続く30年間、常に市場の変化に対応し新製品新事業を創出してきた企業活動は、第2~4章に詳述。第2章「繊維の安定収益構造と非繊維の拡大を目指す:1982-1989」では、繊維事業の構造改革とフィルム事業、バイオ・医療事業等の模索に触れる。第3章「大改革への挑戦:1989-2007」では、縮小する繊維事業と拡大するフィルム、バイオ、医薬、膜事業等を描く。第4章「「二正面作戦」から新たな成長へ:2007-2011」では、CSRも踏まえたグローバルな事業展開を記し、飛躍への布石について語っている。資料編に収められた各事業所のデータには、それぞれの所在地と写真に加え沿革と系譜図も収録。人名と事業所名索引付。編纂に関わった外部研究者4名と社内担当者81名の氏名と分担を編集後記に記載。表紙は自社製クロスで、同じく自社製のラミネートフィルムをカバーに使用。全文を収録したCD-ROM付。
東洋棉花(株) 繊維 『東棉四十年史』(1960.11) 紡績業の発展に伴い三井物産は棉花の輸入と国内取引を扱い、1894年(明27)棉花部が発足(初代部長馬越恭平)。取引の増大により1920年(大9)棉花部は独立して東洋棉花が創立される。綿貿易を中心に業績を伸ばし世界各地に支店網を広げる。第二次大戦後は経済の復興とともに機械・金属・食品等の取引にも進出し、総合商社として発展する。40年史は発足までの前史と時代ごとに5つに区切った沿革、現況からなり、索引付。[1970年(昭45)トーメンと改称、1990年(平2)トーメン棉花部門を分社化し、東洋棉花が新発足。他部門は2006年(平18)豊田通商と合併][棉を紡ぐと綿になる]
東洋レーヨン(株) 繊維 『東洋レーヨン35年の歩み : 1926-1961』(1962.04)
東レ(株) 繊維 『東レ70年史 : 1926~96年』(1997.12) 19世紀の綿糸紡績に対し20世紀前半は化学繊維のレーヨン(人絹)が発展。明治の中ごろから日本でも生産が開始。レーヨン糸を輸入していた三井物産が需要増大を見越して東洋レーヨンを設立。戦後は総合繊維メーカーとして、更にはプラスチック事業、ケミカル事業へと多角化経営。
東レ(株) 繊維 『東レ70年史 : 1926~96年. 資料編』(1997.12) 『東レ70年史 : 1926~96年』(社史ID:02190)の資料編
東レ(株) 繊維 『時代を拓く : 東レ70年のあゆみ』(1999.05)
東レ・デュポン(株) 繊維 『東レ・デュポン30年史』(1995.09)
富岡製糸所 繊維 『富岡製糸所史』(1943.09) 明治初期に富岡製糸所が官営により設立されてから、三井家に払い下げられ原合名会社を経て1939年(昭14)片倉製糸紡績の経営となり、戦時下1943年(昭18)国策により日本蚕糸製造(株)に設備を提供するまでの沿革史。1873年(明6)の英照皇太后と昭憲皇太后行啓から70年を記念して編纂されたもの。巻頭に両皇太后行啓の詳細を置き、本文1-4章に沿革、第5章に業績と日本蚕糸製造設立の経緯を簡潔にまとめている。[1945年(昭20)終戦により日本蚕糸製造は解散し、設備は片倉製糸紡績が改称した片倉工業(株)に復帰][著者藤本実也(1875-1970)は生糸貿易研究者で、稿本『原三渓翁伝』の著者]
富岡製糸場 繊維 『富岡製糸場誌. 上』(1977.01) 明治維新後の主要輸出品として生糸に注目が集まり、良質な生糸生産を目標に官営工場設立が計画される。大蔵少輔伊藤博文、租税頭渋沢栄一らはフランス人技術者ブリュナを雇い入れ、気候の適した富岡に工場を建設、1872年(明5)富岡製糸場が操業開始。1876年(明9)富岡製糸所と改称。1893年(明26)三井家に払い下げられ民営となる。その後三井は生糸生産から手を引き、製糸所を1902年(明35)原合名会社に売却。1938年(昭13)片倉製糸紡績(株)の経営となり(株)富岡製糸所と改組、翌年片倉に合併する。製糸場開設100年を機に富岡市が中心となり編纂された『富岡製糸場誌』上下2巻は、官営期から三井を経て原合名会社経営期までの沿革を概観した100頁ほどの第1部と、1800頁を超える第2部資料編からなる。資料編には公文書や日誌など官営期の資料、女工和田英の記した「富岡日記」、製糸場関連の新聞記事等700件の資料が13章にまとめられている。[片倉製糸紡績(株)は1943年(昭18)片倉工業(株)と改称。富岡製糸所は1987年(昭62)に操業を停止、2005年(平17)建物を富岡市に寄付、翌年土地を富岡市に売却]
富岡製糸場 繊維 『富岡製糸場誌. 下』(1977.01) 『富岡製糸場誌. 上』(社史ID:02240)の下巻
内外綿(株) 繊維 『内外綿株式会社五十年史』(1937.09) 紡績工業の興隆をみた大阪の棉花問屋秋葉新三郎、渋谷庄三らは、取引の近代化を図るため1887年(明20)内外綿会社を興す。中国・インドから棉を輸入し、国内及び上海に紡績工場を作り業容を拡大する。支配人渋谷正十郎は1893年(明26)来日したタタ商会のJ.N.タタ(Jamsetji Nusserwanji Tata, 1839-1904)を、紡績聯合会の渋沢栄一に紹介している。1902年(明35)にはN.D.タタが内外綿の監査役就任。50年史は沿革と現況からなり、商標やグラフは鮮明なカラー印刷。[第二次大戦により資産の大半を失うが、1948年(昭23)に新内外綿として新たに発足]
ニチボー(株) 繊維 『ニチボー75年史』(1966.02) 1889年創立の尼崎紡績会社は1918年大日本紡績(株)と改称、絹・羊毛・人絹生産にも進出、中国にも工場を設立する。1940年以降企業合同が促進され、多くの同業者を合併。戦後すぐに工場再開、生産開始し再建を進める。1964年には創立75周年を期にニチボー(株)と改称、同年の東京オリンピックでは貝塚工場のバレーボールチームが金メダルを獲得。75年史は時代ごとの沿革と資料編からなり、索引付。[1969年日本レイヨンを合併しユニチカ(株)と社名変更][ユニチカ(株)沿革 http://www.unitika.co.jp/company/history.html]
ニチメン(株) 繊維 『ニチメン100年 : 1892-1992』(1994.02) 1892年(明25)大阪に設立の日本綿花(株)は棉花輸入から出発して取扱品目を拡大し、1943年(昭18)日綿実業(株)と改称。戦争で海外取引網を全て失うが、戦後は海外各地の取引網を再構築し総合商社として発展。1982年(昭57)ニチメン(株)と改称。100年史は時代順に各時代の代表的部門に焦点を当てて書き起こした「通史」と、職能部門、営業部門、国内支店、海外支店をまとめた「部門史」からなる。支店の部門では国内は支店ごとに、海外は地域ごと国ごとに沿革と取扱い品目等について記載している。[2004年(平16)日商岩井と合併し双日(株)となる]
表示件数
PAGE TOP