収録社史一覧

業種"化学工業" 社史一覧 全78件中20件 21件〜40件目を表示

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会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
花王石鹸(株) 化学工業 『四〇〇〇人の軌跡 : 花王石鹸90周年記念出版』(1980.10)
花王石鹸(株) 化学工業 『年表・花王90年のあゆみ』(1980.10)
花王石鹸(株) 化学工業 『花王広告史』(1989.04)
片倉チッカリン(株) 化学工業 『八十年史』(2000.10) 大分の蚕種製造家古椎文夫と片倉合名会社大分製糸所長の片倉耕介(片倉合名社長2代片倉兼太郎の三男)は、1920年(大9)桑園用専用肥料製造販売会社の日支肥料を創業。しかし第一次大戦後恐慌の影響を受け、創業後わずか3年で会社は解散寸前となる。片倉合名会社の経営参加によって会社は存続し、1924年(大13)片倉米穀肥料と改称。養蚕業の発展に伴い事業を拡張するが、戦時下の統制で1943年(昭18)片倉化学工業と改称。戦後八洲産業、片倉肥料と改称の後、1957年(昭32)日本チッカリン肥料、昭和肥料工業との合併により商号を片倉チッカリンとする。80年史は既刊の40年史・60年史を踏まえ、1980年(昭55)以降の事業展開を詳述している。
鐘淵化学工業(株) 化学工業 『化学を超えて : カネカ40年の技術水脈』(1990.10)
関西ペイント(株) 化学工業 『明日を彩る : 関西ペイント六十年のあゆみ』(1979.05)
呉羽化学工業(株) 化学工業 『呉羽化学五十年史』(1995.04) 大規模な人絹会社設立を計画した昭和肥料の高橋保(たかはし・たもつ、1882-1972)と森矗昶(もり・のぶてる、1884-1941)は、1934年(昭9)昭和人絹(株)を設立、福島に工場を建設し翌年操業開始。同社は1939年(昭14)呉羽紡績と合併し、その人絹部門となる。戦時下1944年(昭19)設備を転用した化学製品製造の呉羽化学工業(株)として独立。戦後は石油化学工業にも進出し、高付加価値事業を推進する。50年史は研究者の執筆で、昭和人絹の設立から年代順の5章に沿革を記述。技術開発の特徴を中心とした現状を序章に述べている。[2005年(平17)(株)クレハに社名変更][人絹(人造絹糸)=レーヨン]
山陽色素(株) 化学工業 『虹のあゆみ : 山陽色素六十年史』(1992.05)
四国化成工業(株) 化学工業 『四国化成五十年史』(1997.10) 香川県丸亀の技術者多津白年(あきとし)と横山良一は、第二次大戦後の混乱期に事業を興すに当たり衣食住のうち「衣」に着目。化学繊維のうちビスコースレーヨンは入手の容易な硫黄と木炭から生成される二硫化炭素が原料であること、四国・中国地方にはレーヨン工場が数多くあり需要先が確保されていることから、新製法による二硫化炭素の工業化を図り、地元有力者の出資を得て1947年(昭22)四国化成工業を創立。1949年(昭24)には渋沢栄一に縁のある東邦レーヨンの出資を得る。人材を結集し時機を得た経営で事業を多角化し発展する。50年史はジャーナリストの執筆で会社の歩みを読みやすくまとめている。索引付。
(株)資生堂 化学工業 『資生堂社史 : 資生堂と銀座のあゆみ八十五年』(1957.11) 千葉出身で薬学を修めた福原有信(ふくはら・ありのぶ、1848-1924)は、海軍薬剤監を辞して1872年(明5)三田田町で薬局開業、火事のため銀座出雲町に移る。一方友人らと三精社を興し、西洋薬舗会社資生堂を設立、個人の薬舗にも資生堂を号した。出雲町の資生堂薬局二階に回陽医院を設けるも医薬分業を実践し、製薬事業に尽力。1887年(明20)日本初の煉歯磨、1897年(明30)化粧品の製造販売にも乗り出す。欧米に学んだ三男福原信三(ふくはら・しんぞう、1883-1948)が化粧品を充実させ、1921年(大10)合資会社資生堂となる。1927年(昭2)株式会社に改組し、戦禍を乗り越え業容拡大する。85年史は銀座と共に歩んだ資生堂の変遷を、製品・広告・風俗など多くの写真図版や寄稿文を取り入れ多面的に描いている。
(株)資生堂 化学工業 『資生堂百年史』(1972.06) 1872年(明5)東京銀座に洋薬薬局として創業し、1897年(明30)から化粧品製造販売を始めた資生堂は、福原信三(ふくはら・しんぞう、1883-1948)社長の元で1915年(大4)経営の主体を薬品から化粧品に転換。合資会社を経て1927年(昭2)株式会社に改組、販売組織を整え内外に発展する。戦後は経営近代化を進め、常に最高の品質を追求するとともに消費者との共存共栄を目指している。85年史に続くこの100年史は、巻頭に5項目の経営理念と西欧文化吸収の窓口である銀座の写真を配置。本文は沿革を10章にまとめ、製品や広告宣伝物のカラー写真をふんだんに取り入れた編集。巻末資料も各項目を視覚的にわかりやすく表現している。
(株)資生堂 化学工業 『資生堂宣伝史. 1』(1979.07) 化粧品制作に独特の美を追求してきた資生堂の、宣伝部門の発展史を3冊にまとめたもの。1「歴史」では1872年(明5)の創業から1960年(昭35)までを時代順に追い、意匠部が発足した1916年(大5)以降を詳細に記述。宣伝表現の基本に使用した「女性像」と「唐草」は特に章を立てている。巻末に人名索引付。2「現代」ではキャンペイン方式の宣伝を始めた1961年(昭36)以降の、新聞雑誌広告や製品デザイン等の制作物写真を掲載。3年ごとにまとめた略史を間に挟む。担当した歴代宣伝部員28名の寄稿と、コミュニケーションの研究者4名の座談会も載せ、巻末に制作者や催事等の一覧付。3「花椿抄」は、1924年(大13)に『資生堂月報』として創刊され『資生堂グラフ』を経て『花椿』と改称したPR誌からの抜粋記事。500冊以上の中から約120の寄稿を選び、挿絵やグラビア写真と共に年代順に再録している。既刊の85年史と100年史に対し、この宣伝史は部門史の位置づけ。
(株)資生堂 化学工業 『資生堂宣伝史. 2』(1979.07) 『資生堂宣伝史. 1』(社史ID:03310)の2巻
(株)資生堂 化学工業 『資生堂宣伝史. 3』(1979.07) 『資生堂宣伝史. 1』(社史ID:03310)の3巻
信越化学工業(株) 化学工業 『未来への軌跡 : 昭和とともに60年』(1986.10)
住友化学工業(株) 化学工業 『住友化学工業株式会社史』(1981.10) 住友家の別子銅山の銅精錬の際発生する有毒ガスを転じて、有益な過燐酸肥料を製造するため、1913年新居浜に住友肥料製造所が設置される。1915年工場が完成し肥料の出荷を始め、1934年住友化学工業(株)となる。社史は前史として住友家の創業から始まり、肥料工業から総合化学工業へ、戦後の石油化学工業への展開が記述されている。1944年に合併した日本染料製造(株)の沿革も含む。社名・製品・社内事項の索引付。
住友ベークライト(株) 化学工業 『住友ベークライト社史』(1986.12)
曹達晒粉同業会 化学工業 『日本曹達工業史』(1931.02)
曽田香料(株) 化学工業 『香料とともに六十年』(1967) 新潟出身の曽田政治(1890-?)は1905年(明38)上京して石鹸商に奉公。香料部で働く傍ら英語学校で勉強し、輸入事務に携わる。1915年(大4)独立して香料商の曽田政治商店を開業。1931年(昭6)には合成香料製造の代々木香料製造所を設立。台湾に出張所を開設し、札幌・青森に工場を建設して国産天然香料の開発を進め、1941年(昭16)曽田香料(株)となる。戦中戦後の混乱期を乗り越え、天然香料栽培の農場と一般香料・食品香料等の製造工場を復興する。60年史は創業者の伝記の形で会社の沿革を記述している。
大日本インキ化学工業 (株) 化学工業 『Color and comfort by chemistry : DIC創業100周年記念写真集』(2008.02)
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