※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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1596年 | - | (慶長年間)全国鉱山労働者の相互扶助制度として友子同盟が結成される(1865年まで) | 近代的生命保険事業前史 |
1652年 | - | (承応年間)穀物の備荒貯蓄制度である社倉が会津藩に創設される。その後、享保~天保年間(一七一六~一八四四)にいたり三倉(義倉・常平倉・社倉)の一つとして各地に定着をみる(農業保険あるいは信用組合制度の原始形態)(1655年まで) | 近代的生命保険事業前史 |
寛文4年(1664) | - | 五人組帳が定められ、近隣者相互間の隣保互助を目的とする五人組制度が制定をみる | 近代的生命保険事業前史 |
1688年 | - | (元禄年間)徳川幕府により職人組合が公認される。これにより、江戸・京都を中心に多数の職人組合が結成され、組合員相互間の互助救済制度が発展をみる(1704年まで) | 近代的生命保険事業前史 |
宝永3年(1706) | - | アミカブル・ソサイティ創立(イギリス最初の生命保険会社) | 近代的生命保険事業前史 |
1751年 | - | (宝暦・明和年間)共済無尽制度(いわゆる無尽講・頼母子講)が大流行、このなかには、相互保険に近い組合互助制度の機能を持つ無常講(木魚講・念仏講ともいう)もみられる(1772年まで) | 近代的生命保険事業前史 |
宝暦12年(1762) | - | エクイタブル生命創立(イギリス最初の近代的生命保険会社) | 近代的生命保険事業前史 |
寛政8年(1796) | - | 蘭和辞書『波留麻和解』(稲村三伯訳)が刊行される。同書中「VERZEKERING」が「請合ヒ」として訳出紹介される。西欧保険事情に関しては、わが国に紹介された最初のもの | 近代的生命保険事業前史 |
文化13年(1816) | - | オランダ商館長ヘンドリック・ドウフが『道訳法爾馬』を刊行。同書中「VERZEKEREN」が「物ヲ運送スルニ世話料ヲ取テ海上ノ難ヲ請合フ」として訳出紹介される | 近代的生命保険事業前史 |
文政2年(1819) | - | ジェネラル生命創立(フランス最初の近代的生命保険会社) | 近代的生命保険事業前史 |
文政10年(1827) | - | ゴータ生命創立(ドイツ最初の近代的生命保険会社......相互会社) | 近代的生命保険事業前史 |
文政11年(1828) | - | アムステルダム生命創立(オランダ最初の近代的生命保険会社) | 近代的生命保険事業前史 |
天保元年(1830) | - | ニューヨーク生命創立(アメリカ最初の近代的生命保険会社) | 近代的生命保険事業前史 |
嘉永7年(1854) | - | 『海国図志』が移入され、生命保険の内容がわが国において初めて紹介される | 近代的生命保険事業前史 |
安政6年(1859) | - | イギリス初代駐日公使ラザフォード・オールコックが幕府閣老に対し生命保険について説明する | 近代的生命保険事業前史 |
文久3年(1863) | - | 【渋沢栄一】高崎城乗っ取り、横浜焼き討ちを企てるが、計画を中止し京都に出奔。〔23歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 播州彦蔵、『漂流記』を刊行。同書中に生命保険制度の記述が見られる | 近代的生命保険事業前史 | |
- | この頃、横浜・神戸の外国人居留地において、外国生命保険会社の営業活動が始まる | 近代的生命保険事業前史 | |
慶応元年(1865) | - | 【渋沢栄一】一橋家歩兵取立御用掛を命ぜられ領内を巡廻。〔25歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 矢野恒太生誕 | 近代的生命保険事業前史 | |
慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 福沢諭吉、『西洋旅案内』を刊行。同書中「インシュアランス」を「人の生涯を請合ふ事」と訳出し、その内容を紹介する | 近代的生命保険事業前史 | |
- | 福沢諭吉、『西洋事情外編』を刊行。同書中、相対扶助の法としてのフレンドリィ・ソサエティ(友愛組合)を紹介する | 近代的生命保険事業前史 |