※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月26日 | 神奈川県石崎から青木町海岸までの築堤につき東京府ならびに神奈川・品川の2県に対し告示して埋立ての希望者を募集(応募者は横浜入船町の高島嘉右衛門) | 主要事項 | |
5月 | 横浜野毛浦海岸埋立地を線路および横浜停車場敷地として神奈川県から譲受 | 主要事項 | |
5月 | 横浜野毛町海岸地(石崎から野毛山下横浜停車場まで)を内田清七から買い上げる | 主要事項 | |
6月11日 | 鉄道掛、高島嘉右衛門と神奈川海岸の埋築契約「鉄道御造営ニ付横浜野毛海岸石崎並より神奈川青木町海岸迄土堤築地之約条目」および「埋立地仕様書」を取りかわす(わが国の鉄道工事で取りかわされた請負契約書および仕様書の最初) | 主要事項 | |
6月18日 | レーの委任解約に関する交渉のため政府代表使節として特例弁務使に上野景範(正使)・前島密(副使)を任命、6月24日上野景範ら横浜出発 | 主要事項 | |
6月18日 | 京都府ほか1府11藩2県下に鉄道線路測量を達 | 主要事項 | |
6月23日 | 民部権小丞塩田三郎、鉄道掛を総理 | 主要事項 | |
6月28日 | 新橋・横浜間の測量を終えた建築副役ダイアック、同イングランドは大阪・神戸間の建設に従事するため、鉄道掛松永芳正・武者満歌らとともに海路神戸に出発、7月1日神戸に到着 | 主要事項 | |
6月28日 | 新橋・横浜間橋梁工事中神奈川陸橋(第19橋)着工、同年11月15日完成(鉄道橋梁工事の最初) | 主要事項 | |
6月 | 高島嘉右衛門、神奈川築堤工事に着手(翌4年2月竣工) | 主要事項 | |
6月 | 新橋・横浜間の測量を終了 | 主要事項 | |
6月 | 兵部大輔前原一誠、鉄道建設反対を建議、またその直後に兵部省も太政官に建議書を提出(東京の停車場を汐留付近とすることに兵部省は反対、皇居の西方に選ぶべきであると主張) | 主要事項 | |
6月 | 土木司員佐藤与之助(政養)・同小野友五郎、東海道を調査翌4年1月幹線路を中山道とすべきであると復命 | 主要事項 | |
7月6日 | イングランドの一行大阪・神戸間線路調査を開始 | 主要事項 | |
7月10日 | 民部・大蔵分省について太政官から通達 | 主要事項 | |
7月10日 | 民部・大蔵省を分離民部省に土木・駅逓・鉱山・通商の4司のほか庁訟・社寺・鉄道・伝信機・灯明台・横須賀製鉄所の6掛を設置 | 主要事項 | |
7月17日 | 民部卿は欠員とし大木民平大輔として省務を主宰、吉井友実少輔として補佐 | 主要事項 | |
7月30日 | 鉄道掛出張所を大阪(天満堀川元備前藩邸)および神戸(元イギリス領事館)に設置し関西鉄道局と称す(大阪府少参事兼民部権少丞土肥通広、土木権正平井義十郎事務を担任) | 主要事項 | |
7月30日 | 大阪・神戸間の測量に着手 | 主要事項 | |
8月9日 | 民部少輔吉井友実、鉄道掛を総理 | 主要事項 |