※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治33年(1900) | - | 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
10月19日 | 第四次伊藤博文内閣成立 | 業界および内外の主要な動き | |
10月27日 | 群馬県館林町館林実業談話会事務所にて館林製粉株式会社創立総会開催。資本金三万円、取締役に正田貞一郎、千金楽喜一郎、正田直治郎、石島為三郎、荒井雄太郎、監査役に荒井清三郎、正田文右衛門、長柄徳次郎就任。正田貞一郎専務取締役就任。 | 当社の歴史 | |
明治34年(1901) | - | 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月5日 | 館林工場の製粉機械の据付けに着手(能力五十バーレル) | 当社の歴史 | |
5月5日 | 開業式を挙行 | 当社の歴史 | |
6月1日 | 営業開始 | 当社の歴史 | |
6月2日 | 第一次桂太郎内閣成立 | 業界および内外の主要な動き | |
8月14日 | 電灯設置に着手 | 当社の歴史 | |
8月25日 | 工場夜業を開始 | 当社の歴史 | |
9月 | 第一回定時株主総会開催、取締役荒井雄太郎、監査役正田文右衛門、荒井清三郎辞任、監査役に長柄徳次郎、臼井伊三郎就任、正田文右衛門、小室良七評議員に就任、当期欠損三百七十九円(無配当) | 当社の歴史 | |
12月12日 | 臨時株主総会開催、増資決議(新資本金六万円) | 当社の歴史 | |
明治35年(1902) | - | 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月30日 | 日英攻守同盟調印 | 業界および内外の主要な動き | |
3月 | 第二回定時株主総会開催、純益二千八百二円(配当年一割) | 当社の歴史 | |
5月30日 | 資本金六万円(増加資本金三万円) | 当社の歴史 | |
9月 | 第三回定時株主総会開催、純益三千三百六十六円(配当年一割) | 当社の歴史 | |
明治36年(1903) | - | 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月28日 | 増設機械据付け終る | 当社の歴史 | |
3月 | 第四回定時株主総会開催、純益四千二百三十一円(配当年一割) | 当社の歴史 | |
4月1日 | 従量税改正(関税百斤当り小麦十五銭九厘、小麦粉四十五銭六厘) | 業界および内外の主要な動き | |
9月 | 第五回定時株主総会開催、純益三千三百一五十六円(配当年一割) | 当社の歴史 | |
12月2日 | 第五回内国勧業博覧会賞牌受領 | 当社の歴史 | |
明治37年(1904) | - | 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月10日 | 日露戦争始まる | 業界および内外の主要な動き |