※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治15年(1882) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月18日 | 矢嶋作郎、原六郎、大倉喜八郎、三野村利助、柏村信、蜂須賀茂韶の六氏発起人となり資金二十万円を以て東京電灯会社の設立を東京府知事を通じて内務卿山田顕義氏に出願す | ||
7月 | 横山孫一郎氏一派と合同し創立仮事務所を京橋区銀座二丁目大倉組内に設置す | ||
11月1日 | 事業宣伝の為創立仮事務所前に弧光灯を点火す | ||
12月14日 | 大倉喜八郎、益田孝、三野村利助、原六郎、横山孫一郎、矢嶋作郎、柏村信、喜谷市郎右衛門、蜂須賀茂韶の九氏発起人となり更めて資本金二十万円の東京電灯会社の設立を東京府知事に出願す | ||
明治16年(1883) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月15日 | 東京電灯会社の設立を許可せらる 矢嶋作郎氏社長となる | ||
4月1日 | 横山孫一郎氏弧光灯発電機を携帯して京都に赴き都踊に点火す | ||
4月 | 横須賀造船所に弧光灯発電機を据付く―官業点火の初め | ||
8月29日 | 小石川砲兵工廠内村田銃製造所に弧光灯発電機を据付く | ||
明治17年(1884) | - | 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 千住製絨所に弧光灯発電機を据付く | ||
5月 | 京都都踊に使用したる弧光灯を大阪道頓堀の劇場に点火す | ||
明治18年(1885) | - | 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月29日 | 坂本町東京銀行集会所開業式に際し移動式国産発電機により白熱灯四十個を点火す―白熱灯点火の初め | ||
明治19年(1886) | - | 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 総株式の引受を了す | ||
6月28日 | 内閣官報印刷場にエヂソン式七十五灯用発電機を据付く―官庁用白熱灯の初め | ||
7月5日 | 開業―従来の仮事務所を廃止し新に京橋区霊岸島富島町四番地に事務所を設置す | ||
9月20日 | 大阪紡績会社(三軒家工場)に二十五キロワットのエヂソン式直流発電機を据付く―自家用の初め | ||
12月20日 | 矢嶋社長藤岡技師長を伴ひ英米に出張す | ||
12月25日 | 新皇居の電灯工事を当社に下命せらる | ||
- | 電球製造事業を開始す―我邦電球製造事業の初め | ||
明治20年(1887) | - | 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月22日 | 移動式発電機を以て鹿鳴館夜会に開業最初の白熱灯を点火す | ||
1月 | 電灯営業仮規則を制定す |