(特)東京商工会議所『実業人の舞台』(1980.04)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
慶応3年(1867) - 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 渋沢関係略年譜
- 徳川昭武一行のパリ博覧会、ヨーロッパ視察団に、若き渋沢栄一随行、翌年帰国
明治元年(1868) - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
9月 元号を明治と改元 翌年三月東京奠都
明治4年(1871) - 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 渋沢関係略年譜
1月 郵便制度発足
5月 新貨条例公布、円を単位とし十進法を採用
7月 廃藩置県
明治5年(1872) - 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 渋沢関係略年譜
5月 町会所を廃止
7月 東京営繕会議所設置
8月 東京会議所に改編
明治6年(1873) - 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 渋沢関係略年譜
8月 第一国立銀行開業
明治8年(1875) - 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 渋沢関係略年譜
9月 渋沢栄一らの尽力により日本最初の商業教育機関「商法講習所」銀座尾張町に設置
明治10年(1877) - 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 渋沢関係略年譜
1月 工部卿伊藤博文、大蔵卿大隈重信、条約改正促進のため、商法会議所設立の急務を強調
8月 第一回内国勧業博覧会、上野公園で開催
明治11年(1878) - 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 渋沢関係略年譜
3月 東京商法会議所創立(京橋区木挽町) [東商の名称:東京商法会議所]
8月 東京商法会議所創立総会。初代会頭・渋沢栄一、第一副会頭・福地源一郎、第二副会頭・益田孝 [会頭:渋沢栄一][東商の名称:東京商法会議所]
- この年、大阪(八月)、神戸(十月)商法会議所創立、以後各地に商法会議所の設立続く [会頭:渋沢栄一][東商の名称:東京商法会議所]
明治12年(1879) - 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 渋沢関係略年譜
1月 最初の東京臨時府会開会。議長福地源一郎、副議長福沢諭吉。三月東京府会開会(府県会の始まり) [会頭:渋沢栄一][東商の名称:東京商法会議所]
3月 商標条例について勧商局長宛回答(初の答申) [会頭:渋沢栄一][東商の名称:東京商法会議所]
8月 グラント米将軍を招き上野公園で園遊会を開催 [会頭:渋沢栄一][東商の名称:東京商法会議所]
明治14年(1881) - 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 渋沢関係略年譜
7月 商法学校設立に関し建議 [会頭:渋沢栄一][東商の名称:東京商法会議所]
明治15年(1882) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 渋沢関係略年譜
2月 東京湾浚澪工事につき意見書提出 [会頭:渋沢栄一][東商の名称:東京商法会議所]
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