※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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元治元年(1864) | - | 【渋沢栄一】一橋家に仕える。篤太夫と改名。〔24歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 横浜生糸売込商は協議の上、生糸荷受所を設置し、取扱いを一定にするため議定書を作り出願許可を得た。 | 国のうごき | |
慶応元年(1865) | - | 【渋沢栄一】一橋家歩兵取立御用掛を命ぜられ領内を巡廻。〔25歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 横浜本町鈴木保兵衛ほか十数名は蚕卵紙を外国人に売込むことを奉行所に出願、国内余剰を売渡すことを条件に許可さる。 | 国のうごき | |
9月27日 | 幕府、横須賀製鉄所起工式を行う。 | 国のうごき | |
12月21日 | 幕府、生糸・蚕種紙を検査して売買させる。 | 国のうごき | |
慶応2年(1866) | - | 【渋沢栄一】徳川慶喜、徳川宗家を相続(後に征夷大将軍)し、栄一は幕臣となる。〔26歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 老中松平和泉守より生糸取締を五月から実施する旨達示あり。 | 国のうごき | |
1月 | 幕府、フランス皇帝ナポレオン三世に蚕種一万五千枚贈る。 | 国のうごき | |
6月21日 | ベルギーと修好通商条約調印。 | 国のうごき | |
7月16日 | イタリアと修好通商条約調印。 | 国のうごき | |
12月7日 | デンマークと修好通商条約調印 | 国のうごき | |
慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月15日 | 新政府、王政復古を各国に通告。 | 国のうごき | |
10月3日 | 土佐藩、幕府へ大政奉還の建白。 | 国のうごき | |
10月24日 | 慶喜、将軍職の辞職を請う。 | 国のうごき | |
11月28日 | ロシアと改税約書に調印。 | 国のうごき | |
12月9日 | 朝廷、王政復古を宣言。 | 国のうごき | |
明治元年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月20日 | 新政府、幕府締結の条約遵守を各国に通告。 | 国のうごき | |
4月 | 大総督府は蚕卵紙生糸改所を江戸牧野駿河守邸に置き、輸出すべきものは検査を受くべき旨諸国・代官に令達。 | 国のうごき | |
5月15日 | 討幕軍、上野に彰義隊を討つ。 | 国のうごき | |
7月17日 | 江戸を東京と称す。 | 国のうごき | |
9月8日 | 明治と改元し一世一元の制を定む。 | 国のうごき | |
10月13日 | 江戸城を皇居とする。 | 国のうごき |