※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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文政8年(1825) | 5月19日 | 初代荒川政七、摂州嶋下郡吹田村(現吹田市)において荒川嘉助の二男として出生 | 当社事項 |
嘉永2年(1849) | 5月4日 | 二代荒川政七、美濃多芸郡下笠村において日比由兵衛の三男(彦兵衛)として出生 | 当社事項 |
嘉永7年(1854) | 9月18日 | ロシア軍艦、天保山沖に停泊 | 参考事項 |
安政3年(1856) | - | 【渋沢栄一】父の代理で領主安部摂津守の岡部の陣屋で用金の命を受ける。代官が傲慢で栄一を侮蔑、圧制に痛憤し封建の弊に強烈な反感を持つ。〔16歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月18日 | 初代荒川政七、大阪伏見町2丁目43番屋敷(現東区伏見町2丁目21番地付近)において和薬商「玉屋」を開業 | 当社事項 | |
2月18日 | 初代荒川政七、吹田村の半保家の息女ヨネと結婚 | 当社事項 | |
8月5日 | 米総領事ハリス下田に着任 | 参考事項 | |
安政4年(1857) | - | 初代荒川政七の長男作蔵出生 | 当社事項 |
文久2年(1862) | 6月8日 | 初代荒川政七の長女ハツ出生 | 当社事項 |
6月18日 | 初代荒川政七の妻ヨネ死去 | 当社事項 | |
慶応4年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月8日 | 将軍慶喜、大阪を脱出 | 参考事項 | |
7月29日 | 川口居留地設定 | 参考事項 | |
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月9日 | 初代荒川政七の長男作蔵死去 | 当社事項 | |
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月17日 | 株仲間解散 | 参考事項 | |
12月3日 | 太陽暦を採用しこの日を明治6.1.1とす | 参考事項 | |
明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月 | 初代荒川政七、大阪府へ大阪絵具染種商組合員の届を提出 | 当社事項 | |
明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 初代荒川政七、大阪府へ大阪薬種商組合員の届を提出 | 当社事項 | |
5月11日 | 大阪~神戸間鉄道開通 | 参考事項 | |
明治9年(1876) | - | 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月5日 | 大阪~京都間鉄道開通 | 参考事項 | |
- | 初代荒川政七、「荒川政七商店」を名乗る | 当社事項 | |
明治12年(1879) | - | 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月2日 | 初代荒川政七、日比彦兵衛を長女ハツの婿養子に迎える | 当社事項 |