三共(株)『三共百年史』(2000.05)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治27年(1894) - 【渋沢栄一】東京瓦斯株式会社取締役会長。東京海上保険株式会社取締役。北越鉄道株式会社創立発起人。札幌麦酒株式会社取締役会長。 渋沢関係略年譜
- ・高峰譲吉、アメリカで麹菌から強力消化酵素タカヂアスターゼを発見し特許を取得 当社の歩み
明治30年(1897) - 【渋沢栄一】澁澤倉庫部開業、営業主(後に澁澤倉庫株式会社発起人)。日本女子大学校創立委員会計監督(後に校長)。十勝開墾合資会社業務担当社員。広島水力電気株式会社創立、取締役会長。渋沢家洲崎養魚場開設。 〔57歳〕 渋沢関係略年譜
10月1日 金本位制施行 内外事情
11月 横浜刺繍株式会社支配人・塩原又策(横浜市日ノ出町二丁目41番地/絹織物売込商)、友人西村庄太郎に新事業をアメリカ地域で探索することを依頼 当社の歩み
- ・アメリカのパーク・デービス社、高峰譲吉から日本を除く世界各国に対するタカヂアスターゼの販売権を得て販売開始 当社の歩み
明治31年(1898) - 【渋沢栄一】浅野セメント合資会社監査役。韓国視察、韓国皇帝に謁見。王子製紙株式会社取締役会長を辞す(後に相談役)。〔58歳〕 渋沢関係略年譜
12月8日 塩原又策、高峰譲吉と強力消化酵素タカヂアスターゼの委託販売契約を締結(渡米した西村庄太郎がその試売を塩原に委嘱することを高峰に懇請し承諾を得たもの) 当社の歩み
明治32年(1899) - 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 渋沢関係略年譜
3月2日 特許法、意匠法、商標法公布 内外事情
3月 匿名合資会社三共商店を設立しタカヂアスターゼの輸入試売を開始―三共の創業//資本金:3,000円//店主:塩原又策//出資者:塩原又策、西村庄太郎、福井源次郎の3名、それぞれ1,000円を出資//所在地:横浜市弁天通一丁目1番地/横浜絹物株式会社(横浜刺繍株式会社を改称)内 当社の歩み
- ・高峰譲吉、工学博士の学位を受ける 当社の歩み
明治33年(1900) - 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
- ・出資者西村庄太郎、福井源次郎から社業を一任され、塩原又策の専業となる 当社の歩み
- ・高峰譲吉博士、上中啓三の協力を得てアメリカで副腎の有効成分アドレナリン結晶の抽出に成功 当社の歩み
明治34年(1901) - 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 渋沢関係略年譜
4月 三共商店薬品部を開設(横浜市弁天通一丁目12番地) 当社の歩み
- ・高峰博士、アメリカのジョンズ・ホプキンズ大学でアドレナリンの単離研究を発表 当社の歩み
明治35年(1902) - 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 渋沢関係略年譜
1月30日 日英同盟協約調印 内外事情
2月 高峰博士、アメリカから一時帰国 当社の歩み
5月10日 高峰博士とタカヂアスターゼの一手販売契約を締結 当社の歩み
5月10日 高峰博士と塩化アドレナリン(製品名アドリナリン)の一手販売契約を締結し輸入販売を開始 当社の歩み
6月 三共商店薬品部、東京に進出(東京市日本橋区南茅場町2番地) 当社の歩み
- ・高峰博士の推挙でパーク・デービス社の日本総代理店となり同社製品の輸入販売を開始 当社の歩み
- ・高峰博士の仲介でアメリカのアーサー・コルトン社と特約し同社の製錠機の日本一手販売者となる 当社の歩み
- ・代理店制を採用。関東は鳥居徳兵衛商店、関西は武田長兵衛商店を選定 当社の歩み
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