※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治元年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月8日 | 明治と改元(太陽歴10月23日) | 社外事項 | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月28日 | 東京遷都 | 社外事項 | |
5月1日 | 大阪舎密局開講式(旧第三高等学校の前身) | 社外事項 | |
- | メンデレフ 元素の周期律を発表 | 社外事項 | |
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月27日 | 国旗「日の丸」を制定布告 | 社外事項 | |
12月22日 | 京都舎密局を設置 | 社外事項 | |
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月18日 | 文部省を設置 | 社外事項 | |
- | 工部省を設置 鉄道・電信・電話・鉱山・重化学工業の経営にあたる | 社外事項 | |
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月15日 | 京都に女紅場開校(わが国最初の女学校) | 社外事項 | |
8月3日 | 学制を頒布(学区制・就学奨励) | 社外事項 | |
9月13日 | 新橋・横浜間に鉄道開通 | 社外事項 | |
11月9日 | 太陽歴採用を布告(明治5年12月3日を明治6年1月1日と改正) | 社外事項 | |
明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 郵便制度確立 | 社外事項 | |
明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月11日 | 大阪・神戸間に鉄道開通(大阪・京都間は明治10年2月5日開通) | 社外事項 | |
10月13日 | 株式取引所条例を定め 取引所を東京・大阪におく | 社外事項 | |
明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 初代島津源蔵(当時満35歳)創業 京都木屋町二条下ル西生洲町南端の一小屋において理化学器械製造の業をはじめる(現創業景仰碑所在地) | 社内事項 | |
明治9年(1876) | - | 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | ベル 実用的電話を発明 | 社外事項 | |
明治10年(1877) | - | 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月15日 | 西南戦争はじまる | 社外事項 | |
10月 | 明治8年初め現在の戸籍人口は3,399万人と発表される | 社外事項 | |
11月20日 | スズ製ブージ(医療具)を第1回内国勧業博覧会(東京)に出品し褒賞を受ける | 社内事項 |