※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正15年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
11月18日 | (株)豊田自動織機製作所設立 | 社内 | |
昭和8年(1933) | - | 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 | 渋沢関係略年譜 |
3月27日 | 国際連盟脱退 | 社外 | |
9月1日 | 豊田自動織機製作所に自動車部誕生(工作機械の製造を開始) | 社内 | |
昭和9年(1934) | - | 【渋沢敬三】日本民族学会理事就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月12日 | 菅隆俊訪米、自動車工業視察(7月下旬帰国) | 社内 | |
9月21日 | 室戸台風 | 社外 | |
昭和12年(1937) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会が、小畑久五郎著“An Interpretation of the Life of Viscount Shibusawa”を刊行する。 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 豊田自動織機製作所内に自動車製造用の工作機械治工具を自給自足するため工機工場を設ける//A形・F形旋盤・1H2Hミーリングマシン・C形ボール盤・モールディングマシン・コアーブローイングマシン・クランクシャフト油孔明けボール盤・パワーユニットボール盤等をつくり始める | 社内 | |
7月7日 | 支那事変勃発 | 社外 | |
8月28日 | トヨタ自動車工業(株)創立 工機工場も同社に移る | 社内 | |
12月 | 工作機械工業協議会設置(工作機械増産4カ年計画樹立) | 社外 | |
昭和13年(1938) | - | 【渋沢敬三】国民貯蓄奨励委員会委員。 | 渋沢関係略年譜 |
3月29日 | 「工作機械製造事業法」制定 | 社外 | |
4月1日 | 「国家総動員法」公布 | 社外 | |
7月20日 | 「工作機械供給制限規則」公布 | 社外 | |
7月 | 鉄鋼配給統制実施 | 社外 | |
11月 | 挙母工場完成、工機工場挙母へ移る(設備機械300台 床面積5,200平方米)//治工具・強力フライス盤・多軸ボール盤・中ぐり盤・自動旋盤等の製作開始 | 社内 | |
昭和14年(1939) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会と共催で「青淵先生生誕百年記念祭」を挙行する。日本実業史博物館建設地鎮祭を挙行する。 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 米国日米通商条約を廃棄 | 社外 | |
9月1日 | 第2次大戦始る | 社外 | |
9月 | 「機械設備制限規則」公布 | 社外 | |
昭和15年(1940) | - | 【竜門社】第100回会員総会並に記念展観を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 米国務省工作機械の輸出禁止勧告 | 社外 | |
9月27日 | 日独伊3国同盟締結 | 社外 | |
11月25日 | 「工作機械製造事業法」による会社設立認可(商工大臣) | 社内 |