※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治33年(1900) | - | 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
6月11日 | 造船規定施行 | 社会の動き | |
6月 | 和田建築所を設置 | 当社の動き | |
8月 | 地質調査開始 | 当社の動き | |
9月7日 | 埋立および護岸工事着手 | 当社の動き | |
10月19日 | 第4次伊藤内閣発足 | 社会の動き | |
明治34年(1901) | - | 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 船舶検査規定施行 | 社会の動き | |
2月2日 | ブラウン商会(イギリス)に浮ドックの設計を依頼 | 当社の動き | |
2月 | 地質調査完了 | 当社の動き | |
6月2日 | 桂内閣発足 | 社会の動き | |
明治35年(1902) | - | 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月30日 | 日英同盟条約調印 | 社会の動き | |
明治36年(1903) | - | 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 陸用蒸気タービンに関しチャールスアルガーノン パーソンス社(イギリス)と、舶用蒸気タービンに関しパーソンスマリンスチームタービン社(イギリス)と技術提携 | 当社の動き | |
8月 | 埋立・船溜の浚渫完了 | 当社の動き | |
9月21日 | 度量衡法施行令公布 | 社会の動き | |
明治37年(1904) | - | 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 第1浮ドックを長崎三菱造船所で起工 | 当社の動き | |
12月10日 | 日露戦争勃発 | 社会の動き | |
明治38年(1905) | - | 【渋沢栄一】韓国皇帝より勲一等太極章。移転した養育院感化部井之頭学校と改称、開校式。徳川慶喜・伊藤博文らを飛鳥山邸(曖依村荘)に招待、茶室・無心庵にて午餐会。〔65歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月15日 | 実用新案法公布 | 社会の動き | |
5月4日 | 第1浮ドックを長崎三菱造船所で進水 | 当社の動き | |
7月12日 | 第1浮ドックを神戸に回着 | 当社の動き | |
7月19日 | 初代所長に水谷六郎就任 | 当社の動き | |
7月20日 | 三菱合資会社神戸三菱造船所設立登記 | 当社の動き |