※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和15年(1940) | - | 【竜門社】第100回会員総会並に記念展観を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 岡山工場建設に踏切る | 全般関係 | |
- | 鮮鉄マテイ形製造開始 | 製品関係 | |
- | 鴨緑江橋りょう | 製品関係 | |
- | 紀元2600年 | 世間一般 | |
昭和16年(1941) | - | 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 島会長辞任、船田要之助会長となる | 全般関係 | |
- | 2000号機関車(C591)完成 | 製品関係 | |
- | 二次給炭装置製造開始 | 製品関係 | |
- | 太平洋戦争開始 | 世間一般 | |
- | 車両統制会設立 | 世間一般 | |
昭和17年(1942) | - | 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 鮮鉄デロイ形3000V電気機関車製造開始 | 製品関係 | |
昭和18年(1943) | - | 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | (有)東京造船所設立 | 世間一般 | |
- | 岡山工場操業開始 | 全般関係 | |
- | D52形製造開始、青函可動橋完成 | 製品関係 | |
昭和19年(1944) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 佃分工場設置、社制を変更し支店工場を廃止し製作所とす | 全般関係 | |
- | 上陸用舟艇製造 | 製品関係 | |
昭和20年(1945) | - | 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 資本金4000万円 | 全般関係 | |
- | 終戦、大阪・東京製作所戦災を受く | 世間一般 | |
- | 労働組合結成 | 世間一般 | |
昭和21年(1946) | - | 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 特別経理会社・制限会社指定 | 全般関係 | |
- | クレマーミル製作開始 | 製品関係 |