※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治41年(1908) | - | 【渋沢栄一】日韓瓦斯株式会社創立、取締役会長。帝国商業銀行相談役。東洋拓殖株式会社設立委員。木曾興業株式会社創立、相談役。アメリカ太平洋沿岸商業会議所代表委員一行を飛鳥山邸(曖依村荘)に招待。〔68歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 海外 カルティエ、ニューヨーク店開設 | 装飾略史 | |
明治42年(1909) | - | 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | (51歳)宇治山田御幸道路に街路樹を寄付 | 御木本幸吉略年譜 | |
2月2日 | 印度王子マイゾール真珠店にご来店 | 株式会社ミキモト略史 | |
5月 | (51歳)第4回特許大会に14名の発明功労者の1人として表彰される | 御木本幸吉略年譜 | |
- | 伊藤博文ハルビン駅で暗殺さる | 一般事象 | |
明治43年(1910) | - | 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
4月8日 | 多徳島にて第1回真珠供養を挙行 | 株式会社ミキモト略史 | |
4月 | 農商務大臣大浦兼武、視察の為来場 | ミキモト装身具略史 | |
4月 | 小林豊造入社、第二代工場長に就任。ミキモト式15金採用 | ミキモト装身具略史 | |
6月19日 | ドイツ皇族アルブレヒト王、同妃殿下真珠店にご来店 | 株式会社ミキモト略史 | |
11月14日 | 皇太子殿下(大正天皇)多徳島にご臨場 | 株式会社ミキモト略史 | |
12月10日 | 半円真珠の特許権18年延長存続なる | 株式会社ミキモト略史 | |
- | (52歳)二宮尊徳生誕地を買収し、工事を加えこの地積を中央報徳会に寄付 | 御木本幸吉略年譜 | |
- | ロンドン代理店を開設(大2.1支店となる) | 株式会社ミキモト略史 | |
- | 東京地方大洪水 | 一般事象 | |
- | 工業所有権保護協会は帝国発明協会に改称 | 一般事象 | |
- | 海外 このころルネ・ラリックがバロック真珠、エナメル、半貴石を配した作品を製作 | 装飾略史 | |
明治44年(1911) | - | 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙され瑞宝章を授与される。〔71歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月21日 | 二見浦行啓の皇后陛下(昭憲皇太后)に拝謁、むき貝及び真珠を献上 | 株式会社ミキモト略史 | |
5月 | (53歳)二見浦にて昭憲皇太后に養殖真珠採取実況を御覧に供す | 御木本幸吉略年譜 | |
9月 | 小林豊造工場長、欧米に出張(明45.5帰国)、洋風デザイン調査研究、ダイアモンド研磨機、宝石研磨機導入 | ミキモト装身具略史 | |
- | 参宮線鳥羽まで開通 | 一般事象 |