※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 英虞湾浜島村大崎(御木本崎)に研究機関の養殖場を設置(現・多徳養殖場) | 株式会社ミキモト略史 | |
- | 長崎県彼杵郡に大村湾養殖場を開設(昭3年9月西村清太郎に譲渡) | 株式会社ミキモト略史 | |
- | 第一次世界大戦終結 | 一般事象 | |
- | 大阪浜寺にて第1回養殖真円真珠入札会催される | 一般事象 | |
- | 海外 独でバウハウスが設立され、デザインに新しい流れを生む。この頃、ダブルクリップなどダイアモンドジュエリーの分野に新しい形が入る | 装飾略史 | |
大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
11月6日 | 三重県度会郡に古和神前養殖場を開設(昭15閉鎖) | 株式会社ミキモト略史 | |
- | 国際連盟成立 | 一般事象 | |
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 本店北隣に別棟の御木本装身具店を開設 | 株式会社ミキモト略史 | |
5月4日 | ロンドン『スター』紙に養殖真珠が模造品として報道される) | 株式会社ミキモト略史 | |
7月 | 内務大臣床次竹次郎来場、新しい工場経営の実態を視察 | ミキモト装身具略史 | |
9月20日 | 三重県北牟婁郡に矢口浦養殖場を開設(昭14閉鎖) | 株式会社ミキモト略史 | |
9月30日 | 斎藤信吉工場長辞任 | ミキモト装身具略史 | |
12月20日 | 和歌山県西牟婁郡に田辺湾養殖場を開設(昭14閉鎖) | 株式会社ミキモト略史 | |
- | この年よリイカダ(垂下式)養殖時代に入る | 株式会社ミキモト略史 | |
- | 鳥羽にて御木本第一回入札会を開催 | 株式会社ミキモト略史 | |
- | 銀座通り柳を銀杏に植替、歩道の赤煉瓦も木煉瓦となる | 一般事象 | |
- | 和洋折衷(和服に靴下) | 一般事象 | |
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月20日 | 内務省社会局より模範工場として表彰され、「新しき工場経営法(革新せる御木本貴金属工場)」が発刊され、全国に配布される | ミキモト装身具略史 | |
7月10日 | 南洋パラオ島にパラオ養殖場を開設(/昭15閉鎖) | 株式会社ミキモト略史 | |
9月9日 | 帝国ホテル店を開設(大12震災により一時閉鎖) | 株式会社ミキモト略史 |