※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和18年(1943) | - | 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 | 渋沢関係略年譜 |
10月8日 | 取締役新海哲之助、岸本兼太郎、広岡久右衛門、和田久左衛門はそれぞれ辞任する | 当社年譜 | |
10月25日 | 取締役副社長に佐藤一男、専務取締役に牲川角之助、取締役に井上周、大槻信治、柳田癸巳夫、村岡四郎、太田垣士郎、今田英作、常任監査役に三浦英太郎、監査役に小林康三がそれぞれ就任する//総額七、〇〇〇万円の担保付社債募集を決定(年利四分五厘)、軌道財団に抵当権を設定する | 当社年譜 | |
10月28日 | 金属回収のため西宮球場鉄傘の解体式を行う | 当社年譜 | |
10月31日 | 軍需会社法公布される | 内外事情 | |
11月1日 | 神崎川打球場の営業を廃止する(後に生産課の農場とす) | 当社年譜 | |
11月27日 | 米・英・華、カイロ宣言を発表する | 内外事情 | |
12月1日 | 千里山遊園停留場を千里山厚生園と改称する | 当社年譜 | |
12月15日 | 今津線仁川―小林間に臨時鹿塩停留場を設置する | 当社年譜 | |
昭和19年(1944) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 | 渋沢関係略年譜 |
1月2日 | 今津線逆瀬川に運輸部女子従業員の仮泊所「清和寮」を開設する | 当社年譜 | |
1月28日 | 西宮球場の鉄傘解体工事終了する | 当社年譜 | |
2月1日 | 社報の発行を停止する | 当社年譜 | |
2月28日 | 宝塚厚生幼稚園の設置認可される(四月一五日開園) | 当社年譜 | |
3月1日 | 第一回い号物上担保附社債一、五〇〇万円を発行(第七回社債一、五〇〇万円償還借替) | 当社年譜 | |
3月5日 | 決戦非常処置により宝塚大劇場と中劇場とは一年間休業 歌劇上演休止 宝塚音楽舞踊学校一年間休校する | 当社年譜 | |
3月26日 | 金属回収のため百貨店エレベーター九台を撤去する | 当社年譜 | |
4月1日 | 旅客運賃改正、定期旅客運賃を対粁制にし、普通運賃は各線を通じ一区一〇銭に、小児は半額にそれぞれ改正統一する 大阪―神戸八五銭、大阪―宝塚六〇銭、大阪―京都一円三〇銭となる | 当社年譜 | |
4月1日 | 当社本店所在地、町名変更(大阪府池田市栄町一丁目八九六)する | 当社年譜 | |
4月8日 | 新京阪線車輛の梅田乗入工事竣功し、運輸営業開始する | 当社年譜 | |
5月1日 | 南海鉄道山手線(旧阪和線)国有となる | 内外事情 | |
6月1日 | 宝塚新温泉施設は海軍部隊に供用のため休業する | 当社年譜 |