(株)読売新聞社『読売新聞八十年史』(1955.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和28年(1953) - 【竜門社】懸賞論文の募集を開始する。 渋沢関係略年譜
2月24日 △児童劇脚本を募集す 大戦以後
2月25日 △第四回全日本植林コンクール春植え始まる 大戦以後
3月1日 △セット地域朝夕刊十二ページ建、定価二百八十円に改む 大戦以後
3月1日 △都内区域版を拡充して「下町版」、「山手版」を新設 大戦以後
3月5日 △読売素人のど自慢大会開く 大戦以後
3月10日 △社会部長原四郎を中心とする読売新聞社会部が迫害や強迫と戦いながら報道した社会暗黒面の摘発活動に対し日本文学振興会の菊池寛賞(新聞部門)授与さる 大戦以後
3月18日 △ピアノの巨匠ギーゼキング演奏会を日比谷公会堂に開く(~4月9日) 大戦以後
3月20日 △大阪読売新聞専務取締役営業局長に本社取締役営業局長八反田角一郎、本社営業局長に取締役総務局長山岡重孝、総務局長に常任監査役郡司宗秋就任す 大戦以後
3月21日 △復活第一回つつじ人形展多摩川園に開かる 大戦以後
3月26日 △大阪読売東京支社を本社内に置く、支社長は本社広告部長深見和夫が兼務 大戦以後
3月30日 △英国女王たい冠式報道のため社会部次長辻本芳雄、写真部員吉田利雄、皇太子御乗船のP・ウィルソン号にて出発す 大戦以後
4月1日 △大阪読売の題字を「読売新聞」に統一す 大戦以後
4月1日 △総合版地域全八ページ建定価二百円に改む 大戦以後
4月8日 △ロンドン国際新聞(編集者)協会第二回総会およびパリ国際新聞発行者協会第六回総会に出席のため取締役編集局長小島文夫空路渡欧す 大戦以後
4月10日 △第一回全関東インドア・スピード・スケート選手権大会を後楽園アイスパレスに挙行 大戦以後
4月22日 △銀座西二の本社第二別館の増築工事完成し企画調査局と工務局の一部移転す 大戦以後
4月22日 △常務取締役務台光雄は専務に、取締役品川主計は経理監督に就任す 大戦以後
4月25日 △第二十二回新人演奏会開かる 大戦以後
4月25日 △大阪読売で夕刊発行 大戦以後
4月28日 △奄美大島復帰促進の夕を開く 大戦以後
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