(株)読売新聞社『読売新聞八十年史』(1955.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和28年(1953) - 【竜門社】懸賞論文の募集を開始する。 渋沢関係略年譜
5月2日 △全香港選抜バレーボール招待試合を田園コロシアムに開く 大戦以後
5月3日 △フランスのシャンソン名手ダミアの独唱会を東京ほか各地に開催 大戦以後
5月5日 △第五回全日本赤ちゃんコンクール中央表彰会 大戦以後
5月5日 △第三回読売平和記念懸賞論文入選作決まる 大戦以後
5月6日 △日本性学会と共催で新しい性教育を語る講演と討論の会を開く 大戦以後
5月7日 △大阪読売ABC懇談会に加盟す 大戦以後
5月10日 △本社従組執行委員長に菅肇選出さる 大戦以後
5月12日 △読売全日本女子ゴルフ競技大会を程ケ谷カンツリー倶楽部に開く 大戦以後
5月15日 △東亜部員石田昇を東南アジアへ特派 大戦以後
5月18日 △世界フライ級選手権保持者白井義男対タニー・カンポ・ボクシング試合 大戦以後
5月22日 △新作幻灯スライド審査会を設置し第五回教育スライドの会を開く 大戦以後
5月25日 △日英親善のためジャパン・ニュース社と共催でたい冠式に派遣する青年代表使節(英語論文入選者)北川洋子に決定す 大戦以後
5月27日 △呉、坂田六番碁を催す 大戦以後
5月30日 △ロンドン・アソシエーテッド・ニュースペーパース社と通信を特約、デーリー・テレグラフ紙とは解約 大戦以後
6月1日 △大阪読売社屋三階建三百坪を増築し多色刷高速度輪転機二台を増設す 大戦以後
6月30日 △西日本水害見舞金百万円をおくると共に救援金を募集す 大戦以後
7月2日 △代表取締役安田庄司にフランス政府よりレジオン・ドヌール勲章授与さる 大戦以後
7月2日 △第二回「読売教育賞」受賞者決まる 大戦以後
7月8日 △日華事変、太平洋戦争殉難特派員と戦没社員の各社合同追悼会築地本願寺に挙行さる。本社関係は特派員四十四柱、戦没社員九十三柱、同日本社は列席の遺家族を接待 大戦以後
7月14日 △第六回「読売湯川奨学資金」交付者十九名を決定 大戦以後
PAGE TOP