※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和8年(1933) | - | 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 | 渋沢関係略年譜 |
12月 | 天辻鋼球製作所(大正9年創立)、株式会社に改組 | 内外業界 | |
- | 技師安松俊雄を機械の買付けと技術の視察のため欧米に派遣 | 当社の年表(大正3~昭和41年10月 1914~1966)//当社の沿革 | |
- | 前川彦次氏、大阪市東住吉区に前川製作所(個人経営、のちの株式会社前川製作所)を設立、軸受の製造を開始 | 内外業界 | |
昭和9年(1934) | - | 【渋沢敬三】日本民族学会理事就任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月10日 | 資本金を150万円に増額 | 当社の年表(大正3~昭和41年10月 1914~1966)//当社の沿革 | |
3月 | 鋼球工場開設 | 当社の年表(大正3~昭和41年10月 1914~1966)//当社の沿革 | |
3月 | 合資会社エヌチーエヌ製作会社は株式会社に改組、資本金300万円をもって発足 | 内外業界 | |
4月 | 西林工作機械製作所は西林工作機械ベアリング製作所と改称し、軸受製造開始 | 内外業界 | |
7月 | 岡田内閣成立 | 政治・経済・社会 | |
8月 | 和田徳三郎氏、堺市北庄町に和田鉄工所(個人経営、のちの和田精工株式会社)を設立、商標をWTWとし自転車用玉軸受の製造販売を開始 | 内外業界 | |
11月26日 | 第二日本精工株式会社設立 | 当社の年表(大正3~昭和41年10月 1914~1966)//当社の沿革 | |
12月 | ワシントン軍縮条約破棄をアメリカに通告 | 政治・経済・社会 | |
- | 株式が公開さる(春) | 当社の年表(大正3~昭和41年10月 1914~1966)//当社の沿革 | |
- | ワイヤレース玉軸受がドイツで特許がとられた | 内外業界 | |
- | 斎藤内閣総辞職 | 政治・経済・社会 | |
- | 当年は財政資金の撒布増大と輸出の好調により金融緩慢、金利低下 | 政治・経済・社会 | |
昭和10年(1935) | - | 【渋沢敬三】日本女子大学評議員就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 光洋精工社は株式会社に改組、資本金100万円をもって発足 | 内外業界 | |
3月18日 | 第二日本精工株式会社を合併し、資本金500万円に増額 | 当社の年表(大正3~昭和41年10月 1914~1966)//当社の沿革 | |
6月15日 | 本社工場を大崎工場と改称 | 当社の年表(大正3~昭和41年10月 1914~1966)//当社の沿革 | |
6月 | 多摩川工場開設 | 当社の年表(大正3~昭和41年10月 1914~1966)//当社の沿革 | |
7月 | 日満経済協定調印 | 政治・経済・社会 |