住友重機械工業(株)横須賀造船所『浦賀・追浜百年の航跡 : 1897-1997』(1997.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
慶応4年(1868) - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
4月20日 横須賀製鉄所・新政府に移管 業界及び一般情勢
8月19日 榎本武揚・幕府軍艦開陽丸外7隻を率いて品川より奥州に向けて脱走出帆 業界及び一般情勢
明治元年(1868) - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
9月8日 明治と改元 業界及び一般情勢
明治2年(1869) - 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 渋沢関係略年譜
5月18日 榎本武揚・五稜郭開城し降伏(戊辰戦争終結) 業界及び一般情勢
11月17日 スエズ運河正式開通・万国に開放 業界及び一般情勢
明治4年(1871) - 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 渋沢関係略年譜
2月8日 横須賀製鉄所・第1号ドック完成 業界及び一般情勢
4月9日 横須賀製鉄所・横須賀造船所と改称 業界及び一般情勢
7月14日 廃藩置県断行・封建制度にピリオド 業界及び一般情勢
明治5年(1872) - 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 渋沢関係略年譜
2月28日 海軍省発足 業界及び一般情勢
8月22日 浦賀に海軍省造船局出張所を開設 創業100年の航跡
10月8日 横須賀造船所・海軍省に移管 業界及び一般情勢
明治6年(1873) - 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 渋沢関係略年譜
1月1日 太陽暦実施 業界及び一般情勢
4月 浦賀に水兵練習所を設置(明治8年5月水兵屯集所と改称) 創業100年の航跡
明治9年(1876) - 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 渋沢関係略年譜
6月20日 横須賀海軍造船所にて初の軍艦[清輝](△897T)竣工(明治26年鎮守府造船部と改称) 業界及び一般情勢
- この年*海軍省・浦賀造船所を廃止 創業100年の航跡
明治10年(1877) - 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 渋沢関係略年譜
9月24日 西郷隆盛・城山で自決し西南戦争終結 業界及び一般情勢
明治14年(1881) - 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 渋沢関係略年譜
4月1日 I.H.ハンター(英)大阪鉄工所設立(現日立造船) 業界及び一般情勢
明治18年(1885) - 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 渋沢関係略年譜
12月22日 内閣制度確立・伊藤博文初代内閣総理大臣に就任(大政官制廃止) 業界及び一般情勢
12月25日 浦賀の水兵屯集所を浦賀屯営と改称 創業100年の航跡
明治19年(1886) - 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 渋沢関係略年譜
3月3日 塚原周造(当社初代社長)・初代逓信省管船局長に就任 創業100年の航跡
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