※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
5月25日 | 梁瀬商会創立、商会主梁瀬長太郎、社員自動車部十余名、砿油部五~六名 | ヤナセ関係 | |
5月25日 | 本店設置(東京・麹町区有楽町三―三)三井集会所の一部二百七十坪を借受け一階を自動車部、二階を砿油部で使用 | ヤナセ関係 | |
10月 | 米国シボレー社設立 | 業界関係 | |
- | 日本自動車協会設立、名誉会長大隈重信、会長フレーザー、理事大倉喜七郎、梁瀬長太郎 | 業界関係 | |
- | 米国パッカード十二気筒車を製作 | 業界関係 | |
大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
10月25日 | 博多出張所開設 | ヤナセ関係 | |
- | 車体架装業務開始 | ヤナセ関係 | |
- | 各種自動車用品の取扱い開始 | ヤナセ関係 | |
- | 米国ナッシュモーター社設立 | 業界関係 | |
大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月28日 | 本店を呉服橋に移転(麹町区銭瓶町二) | ヤナセ関係 | |
1月28日 | 組織改正=本部、経理部、営業部、自動車部、工務部、日比谷分工場 | ヤナセ関係 | |
11月7日 | ロシア革命 | 社会的事件 | |
- | 乗用車オーバン号、マーサ号、貨物車コーラ号取扱い | ヤナセ関係 | |
- | 三菱日本重工、ふそう乗用自動車(三菱A型)の製作に着手 | 業界関係 | |
- | 米国リンカーンモーター社設立 | 業界関係 | |
大正7年(1918) | - | 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 東京市街乗合自動車(株)の注文によりクラスデールバスのボディー五十台を納入(一台一万円) | ヤナセ関係 | |
7月 | 商会発祥の土地を三井物産に返還し日比谷分工場は有馬家より借用の千坪(麹町区内幸町)に移転、一部を「梁瀬本店」として使用(日本最初の貸しガレージ) | ヤナセ関係 | |
11月11日 | 第一次世界大戦終る | 社会的事件 | |
- | 芝浦工場完成 | ヤナセ関係 | |
大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月11日 | 内務省、自動車取締令を公布、取締りの全国統一を行なう | 業界関係 |