(株)ミキモト『御木本真珠発明100年史』(1994.07)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和15年(1940) - 【竜門社】第100回会員総会並に記念展観を開催する。 渋沢関係略年譜
- 国内 物資活用協会(山崎覚太郎)によりダイア、貴金属の供出運動始まる 装飾略史
昭和16年(1941) - 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 渋沢関係略年譜
4月 (83歳)外人客接待の第一線に活躍した功労により国際観光協会より感謝状受ける 御木本幸吉略年譜
10月 三笠宮殿下ご婚儀に際し妃殿下用ティアラのほかご用品製作のご用命を拝受 株式会社ミキモト略史
10月 三笠宮殿下ご婚儀に際し妃殿下用のティアラ、胸飾調製 ミキモト装身具略史
11月 (83歳)貞明皇后より慰労の思召により杖一杖賜る 御木本幸吉略年譜
- 真珠湾攻撃米英と開戦 一般事象
昭和17年(1942) - 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 渋沢関係略年譜
4月 「コンキオリン蛋白質含有燐酸カルシウム」の製法特許出願 御木本製薬略史
5月1日 目黒区上目黒(西郷山下)に内幸町の工場を移し御木本目黒工場と称す ミキモト装身具略史
- 日本合同真珠株式会社(養殖・販売の一元化)設立 一般事象
昭和18年(1943) - 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 渋沢関係略年譜
3月12日 薬事法を公布 一般・関連事象
4月8日 伊勢薬業株式会社を買収、本社を三重県志摩郡鳥羽町367番地に移転 御木本製薬略史
5月 燐酸カルシウム製法追加特許出願 御木本製薬略史
- 英語使用禁止 一般事象
- 同上の特許出願の許可おりる 御木本製薬略史
昭和19年(1944) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 渋沢関係略年譜
12月 (86歳)鳥羽の御木本邸と工場は軍用となり新多徳に移住 御木本幸吉略年譜
- 造幣局より「勤労顕功章」の加工・仕上を引受ける。 ミキモト装身具略史
- 真珠貝粉末をペル粉、商品名をペルカルクと称す 御木本製薬略史
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
1月27日 銀座本店焼失、銀座6丁目黒沢ビルに仮店舗設置 株式会社ミキモト略史
5月26日 空襲により工場焼失のため閉鎖、仮事務所を渋谷区大山町21池田嘉吉(御木本真珠店支配人)宅に ミキモト装身具略史
6月 三重県志摩郡浜島町迫子、多徳養殖場に疎開 御木本製薬略史
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