(株)ミキモト『御木本真珠発明100年史』(1994.07)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
9月1日 世田谷区北沢2-248に工場事務所を移す ミキモト装身具略史
9月 終戦と同時に養殖・加工を多徳にて再開 株式会社ミキモト略史
12月 CPOと真珠の指定納入契約を結ぶ 株式会社ミキモト略史
- 第二次世界大戦終結 一般事象
- 国際連合成立 一般事象
- 国内 東京美術工芸協会設立、業界の復興活動始まる。翌年、東京貴金属工芸組合と改称 装飾略史
- 御木本製薬株式会社と称号を変更、資本金18万円 御木本製薬略史
- 終戦後、商品名を真珠カルシウムパールカルクに名称を変更 御木本製薬略史
昭和21年(1946) - 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 渋沢関係略年譜
2月20日 京橋区築地3-6に築地工場を再開する ミキモト装身具略史
5月 サッカリンの使用許可 一般・関連事象
7月1日 目黒区下目黒3-575に目黒工場を開設 ミキモト装身具略史
7月 ズルテンの使用許可 一般・関連事象
8月 浜島町多徳より鳥羽町に復帰) 御木本製薬略史
- (88歳)米寿を記念して伊勢神宮に50万円、参宮道路改修費50万円(現・御木本道路)を宇治山田市(現・伊勢市)に寄付 御木本幸吉略年譜
- 連合軍指令により真珠の一般販売活動停止となり、本店での真珠の販売はできず、銀器七宝焼ほか雑貨を売る 株式会社ミキモト略史
- 日本国憲法公布 一般事象
- 小竹幸作第七代工場長に就任 ミキモト装身具略史
- 昭和18年5月出願の燐酸カルシウム製法追加特許の許可おりる 御木本製薬略史
- 伊勢志摩国立公園に指定 観光関連事象
昭和22年(1947) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 渋沢関係略年譜
2月28日 御木本目黒工場と称す。電鋳製品(美術工芸品)製作に着手 ミキモト装身具略史
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